旅の記録(15)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テレサは、小柄な少女だった。
淡い桃色の髪は肩口から首元へ流れ、柔らかな毛先が頬を縁取っている。
大きな青い瞳。
細い眉。
小さな口元。
整った顔立ちではあるが、そこに威圧感はない。
白を基調とした皇族の衣装も、華美というより少女らしい可憐さを感じさせた。
華奢な肩。
細い手足。
どこか儚げな佇まい。
レオニスがこれまで見てきた帝國皇族とは、明らかに異なる印象だった。
そんな少女が、遠く西方の空を見つめている。
「今も帝國の外では、冥王という悪しき存在が、善良な人々を苦しめていると聞きます」
テレサの声は穏やかだった。
だが、その瞳には悲しみがあった。
「それは、とても悲しいことです。そのような行いは、早く止めるべきだと考えます」
少女は両手を胸元で重ねる。
「弱い人々は、恐怖に震えながら、いつ救いが来るのかと待っています」
そして、静かに続けた。
「力を持つ者は、彼らを救わなければなりません」
一瞬だけ、テレサは言葉を選ぶように黙った。
「それは、責任であると思います」
遥か西。
その先にいる人々を思うように、テレサは空を見つめていた。
「そうは思いませんか、レオンハルト?」
問いかけられたレオンハルトは、しばらく黙っていた。
やがて、一度だけ頷く。
「……ああ」
「帝國には力があります」
テレサは俯いた。
「それでも帝國は保守的で、苦しんでいる無垢な人々がいるにもかかわらず、動こうとはしませんでした」
その言葉に、僅かな悔しさが滲む。
「レオンハルトが皇妃様の御心を動かしてくださらなければ、まだ多くの人々の命が、意味もなく奪われ続けていたでしょう」
テレサはレオンハルトへ向き直った。
そして、深々と頭を下げる。
「これで、多くの人々が救われます」
「貴方には最大の敬意を持って、お礼を言わせてください」
顔を上げた少女は、微笑んだ。
「本当にありがとう」
「遠き場所から来た、異邦人よ」
そこに、偽りの感情は見えなかった。
感謝。
慈愛。
そして、人を救いたいという純粋な願い。
まるで、それらが一人の少女の姿を借りて現れたようだった。
「まだ、実際に救われてはいない」
レオンハルトは淡々と答える。
「冥王も滅びていない」
「感謝の言葉は、それが果たされてからでいい」
テレサは目をぱちぱちと瞬かせた。
それから、口元を綻ばせる。
「そうですね」
「レオンハルトの仰る通りです」
小さく頷く。
「まだ、果たされてはいない」
そして――。
「ですが、大丈夫です」
テレサは目を閉じた。
「私には、わかります」
両手を胸の前で合わせる。
「――『勇者』が誕生する鼓動を」
(……勇者?)
レオニスは息を呑んだ。
勇者。
その言葉を、レオンハルトの記憶の中で初めて聞いた。
だが、この時代にはまだ勇者の儀は始まっていない。
それなのに。
テレサは、まるで確信しているようだった。
祈る少女の顔には、一片の迷いもない。
「テレサ!どこだ?」
その時だった。
遠くから、少女を呼ぶ声が響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「セシル、私は、ここです!」
テレサは嬉しそうに振り返った。
少し離れた場所へ向けて、大きく手を振る。
それから、もう一度レオンハルトへ向き直った。
「お話ができて光栄でした、レオンハルト」
「……いえ」
「貴方の旅の先が、良き事になるよう。微力ながら、祈っております」
テレサは柔らかく微笑んだ。
そして丁寧に頭を下げる。
そのまま、彼女は声の主がいる方へ歩いていった。
レオニスは、その光景を黙って見送った。
(……なんだ?これ?)
どうして、レオンハルトはテレサに負の感情を抱いているのか。
それが分からない。
テレサは、どう見ても無害な少女だった。
むしろ、レオンハルトの旅を案じ、彼のために祈ろうとしている。
(……いや、違うな……)
レオニスは、ふと考え直した。
レオンハルトの記憶に残っている、この強烈な感情。
それは、当時のレオンハルトが抱いていたものとは限らない。
記憶を見ている現在のレオニスが、断片的な情報から意味を見出そうとしている。
つまり、その感情は後から付け加えられたものなのかもしれない。
ならば――。
もし、本当にテレサが危険な存在だったなら。
今のレオンハルトなら、どうするのか。
答えは明白だった。
彼にとって、現在の最優先事項は冥王の打倒。
その障害となるものは、たとえ誰であろうと排除する。
テレサも例外ではない。
だが。
記憶の中のレオンハルトは、何もしなかった。
ただ、彼女を見送った。
(……だとすれば、これからテレサがレオンハルトにとって危険な存在になる?)
その考察は、あまりにも危険だった。
(……やはり、ピースが足りない)
結論を出せないまま、レオニスの意識が揺らぐ。
次の瞬間。
景色が切り替わった。
再び、室内。
目の前にはシャルバートが立っている。
「写本の閲覧が終わりました」
その声に、レオンハルトが顔を上げる。
だが、シャルバートの表情は明るくなかった。
「……どうした?」
「……レオンハルト」
シャルバートは、僅かに言葉を選んだ。
「良い知らせと、残念な知らせがあります」
「……」
「どちらから確認したいですか?」
レオンハルトは、迷わなかった。
「良い知らせの方を頼む」
その返答に、シャルバートが静かに目を伏せる。
レオンハルトにとって、今以上に状況を悪化させる要素など、すでに残っていない。
だからこそ。
先に知るべきなのは、良い知らせだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、良い知らせです」
シャルバートは、静かに口を開いた。
「写本には、力を使う方法が記されていました」
「……!」
「おそらく、アウレリアに与えた聖弓すら、問題にならないほどのものです」
その言葉に、レオンハルトは黙り込んだ。
求めていた答えだった。
冥王を傷つけることができる。
しかも、聖弓を遥かに上回る可能性がある。
ならば――。
「そして、悪い知らせです」
「……」
続く言葉は、レオンハルトの期待を冷やした。
「これを引き出すには、強大な儀式が必要です」
シャルバートは一つずつ、問題を挙げていく。
「膨大な魔法力。そして時間。言うなれば、莫大な資源が必要です」
「……」
「しかも、所々の術式に曖昧な部分があります」
それを正しく動作させるには、検証が必要だった。
「つまり……写本の情報だけでは、不完全なのです」
沈黙が落ちた。
レオンハルトは、仮面の奥で絶句していた。
力はある。
方法も記されている。
だが、それを引き出す術がない。
そして何より。
レオンハルトには、悠長に時間を費やしている余裕がなかった。
蘇った身体は、決して完全ではない。
いつまで生きていられるのかさえ分からない。
希望と絶望。
その二つが、同時に突きつけられていた。
(……しかし)
レオニスには、その先が分かっていた。
レオンハルトの未来を知っているからだ。
後の時代。
樹王となったレオンハルトは、黄金の聖剣を手にしていた。
ならば。
シャルバートの言葉には、まだ続きがある。
レオニスは、黙って待った。
「ですので……」
シャルバートが、僅かに微笑んだ。
「私も、悪あがきをしてみることにしました」
「?」
「真には迫れなくても。限りなく、それに近しいモノであれば……出来るでしょう」
レオンハルトが顔を上げる。
「それは、つまり、どういうことだ」
「レオンハルト」
シャルバートは、まっすぐ彼を見つめた。
「貴方が望むのであれば、その力を授けましょう」
「……」
答えに迷う理由などなかった。
「……考えるまでもない」
レオンハルトは、シャルバートを見つめる。
「シャルバート」
低く、揺るがぬ声だった。
「俺に、その力を授けてほしい」
シャルバートは静かに頷いた。
「……その力の名前を、〝聖剣〟」
その言葉を、確かめるように告げる。
「そして、〝聖剣〟の力を引き出す――神卸」
シャルバートの瞳に、強い決意が宿った。
「その力を限定的に、貴方へ授けます」
一拍。
「私の全身全霊をもって」
こうして。
原初の勇者の時代に――。
聖剣が、顕現しようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




