旅の記録(8)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シャルバートという名を知らないレオンハルトは、当然のように問い返した。
「誰だ、それは?」
「あたしが言うより、実際に会ってみた方が早いよ」
アウレリアは、にっと笑う。
「呼んできてあげる」
そう言い残すと、少女はレオンハルトの視界から消えていった。
扉が開く。
そして、外へ出ていく足音。
残されたレオンハルトは、静かに天井を見つめている。
だが。
その記憶を見ているレオニスの頭の中は、静かではなかった。
(……シャルバート・ウル・ヴァース)
その名前を、レオニスは知っている。
肖像画でしか、その姿を知ることのできない謎の人物。
帝国の王族。
そして――。
後の魔王国、その礎を築いた救世主。
さらに。
目の前にいる、アウレリアと酷似した少女との関係。
ここまで情報が揃えば、否応なく予測してしまう。
(……原初の勇者、レオンハルトとも繋がりが生まれる)
知らなければならないことが多すぎる。
レオニスの頭が、処理しきれない情報で埋め尽くされていく。
(……この人物のことも、知ることができるのか……)
そう思った、その時だった。
扉が開く音がした。
「おーい、レオン。入るわよ」
(……そういうのは、入る前に言う台詞だ)
思わず、レオニスは心の中で突っ込んでしまう。
それだけのことだった。
だが――。
その瞬間。
レオニスの胸に、奇妙な感覚が生まれた。
(……まるで、アウレリア本人じゃないか)
二人分の足音が近づいてくる。
先に入ってきたアウレリアが、ベッドの上のレオンハルトを覗き込んだ。
「連れて来たよ」
そして。
その隣に立つ、もう一人の人物もレオンハルトを覗き込んだ。
(……フィデリア様!?)
レオニスは息を呑んだ。
そこにいたのは――。
フィデリアに酷似した女性だった。
ただし。
レオニスの知るフィデリアより、五歳ほど年上に見える。
顔立ちも。
瞳も。
その静かな雰囲気さえも。
あまりにも似ていた。
「……本当に目を覚ましている」
「いや、ちゃんと目を覚ましたって言ったじゃない」
アウレリアが呆れたように返す。
女性は答えず、レオンハルトを観察するように見つめた。
「……貴方が、シャルバート?」
「……そうですね」
女性は小さく頷いた。
「今更ですが、はじめまして。シャルバート。シャルバート・ウル・ヴァースと申します」
「……俺は……」
「アウレリアから聞いています。レオンハルトですね」
「……ああ」
レオンハルトは、わずかに息を整える。
「レオンハルトと呼んでくれ」
「……では、私もシャルバートで良いです」
「……分かった」
シャルバートは、それ以上を語らなかった。
無表情。
静かな応答。
それだけだった。
だが。
レオニスにとっては、それだけで十分だった。
原初の勇者になるはずの男。
現在の勇者アウレリアに酷似した、アウレリアを名乗る少女。
そして――。
現在の姫巫女フィデリアに酷似した女性。
シャルバート・ウル・ヴァース。
「…………」
レオニスは、ただ唖然としていた。
目の前で重なっていく三つの存在を。
何一つ理解できないまま――。
ただ、見つめることしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……シャルバートが、俺を助けてくれたのか?」
「……助けた、という表現には少し語弊があります。レオンハルト。あなたは、偶然助かった。そう表現した方が正しいでしょう」
「……?」
「アウレリアは、まだ話していないようですね」
シャルバートはそう言うと、レオンハルトの視界から姿を消した。
そして、しばらくして戻ってくる。
その手には、一枚の鏡があった。
「あなたは、生きていること自体が不思議な状態です」
そう告げて、シャルバートは鏡をレオンハルトへ向けた。
「!?」
鏡に映ったのは、確かにレオンハルトだった。
だが。
そこに映っていたのは、彼が知っている自分の顔ではない。
皮膚はほとんど失われていた。
頬の肉は焼け落ち、ところどころから骨が覗いている。
頭髪は完全に燃え尽きていた。
まぶたすら残っておらず、眼球だけが剥き出しになっている。
生者の顔とは、とても呼べない。
まるで、死体から無理やり命を引き戻したアンデッド。
「これが、俺の今の貌か」
レオンハルトは、鏡を見つめた。
驚きはなかった。
冥王に全身を焼かれた。
その記憶だけは、はっきりと残っている。
五体満足で済んでいるはずがない。
「……無様な男としては、似合いの姿だ」
自嘲するような言葉だった。
それでも、その声には動揺がない。
「これだけの損傷に痛みがないということは……感覚も失ったのか?」
「いいえ。痛覚遮断の魔法を使っています」
シャルバートは淡々と答える。
「効果がなくなれば、激痛に耐えることは難しいでしょう」
「そうか」
レオンハルトは、わずかに頷いた。
「痛みは感じられるのか。ありがたいな」
「……」
シャルバートは黙った。
「普通ではありませんね」
「何がだ?」
「そこまで冷静に、この状況を受け入れることです」
その言葉にも、レオンハルトは表情を変えなかった。
「ついでに教えてくれ。俺は、どうして助かった?」
そして、鏡に映った自分を見ながら続ける。
「普通の方法ではあるまい?」
「ええ」
シャルバートは静かに答えた。
「あなたの肉体で欠損した部分は、比較的損傷の少なかった死体から提供していただきました」
「……死体から?」
「それでも蘇生する可能性は、限りなくゼロに近かった。私なら、失敗する方に賭けるでしょう」
「なるほど」
レオンハルトは、わずかに笑った。
「俺は、ツギハギのパッチワークで蘇ったわけか」
その言葉に、シャルバートが目を細める。
「感謝する」
「……?」
「文字通り、俺は生き返った死体と言っていい」
レオンハルトは鏡から目を離した。
「ならば、失うことへの恐怖からは解放される」
「……」
シャルバートは鏡を静かにしまった。
「これを見て感謝されるとは、思っていませんでした」
「些末なことだ」
レオンハルトは、シャルバートを見る。
今の彼に必要なのは、自分の姿を嘆くことではない。
死体から与えられた肉体でもいい。
人間ではない姿でもいい。
まだ動く。
まだ考えられる。
そして――まだ戦える。
「教えてくれ」
鋭い黒い眼が、シャルバートを捉えた。
「アウレリアの聖弓の話を」
レオンハルトに残されたものは、たった一つだった。
冥王を倒す。
その方法を手に入れる。
それだけだった。
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