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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の旅編
174/235

旅の記録(6)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レオンハルトは、失っていく。


無二の親友と、心の底から信じた男を。


誰よりも愛しいと思った女性を。


守りたかった人々を。


平和を。


そのすべてを奪われても、身体は動かない。


拘束されたまま、膝をつくことすら許されない。


気を失うこともできない。


目を閉じることさえ許されない。


人々が冥王の前で、まるで玩具のように砕かれていく。


その光景を。


ただ見続けることだけを強要される。


(なぜだ……)


(なぜ、こんなことをする!)


普通ならば、とうに心が壊れていてもおかしくない。


レオンハルトは、それでも耐えていた。


だが、耐えることすら苦痛だった。


地面を這い、許しを請う者たち。


慈悲を求める者たち。


その姿を、冥王は塵芥を見るような目で見下ろしている。


命そのものが、取るに足らないものとして扱われていた。


(こんなことに……何の意味がある!)


その問いが、胸の奥で燃え上がる。


恐怖よりも。


絶望よりも。


怒りが強かった。


劫火のような憎悪が、レオンハルトの心を焼き尽くしていく。


『ははは!己の身の程を思い知れ!!』


冥王の嘲笑が響いた。


レオンハルトは顔を上げる。


「……答えろ!」


声が震える。


それでも、言葉は止まらない。


「“冥王”っ!」


その瞬間だった。


レオンハルトの身体を縛っていた力が、わずかに揺らいだ。


そして――。


人間であるレオンハルトが、自らの力だけで拘束の一部を打ち破った。


『意味だと!?』


冥王の声が響く。


『何も分からぬくせに!』


拘束が一気に強まった。


骨が軋む。


身体が捻じ切られそうになる。


それでも。


レオンハルトは悲鳴を上げなかった。


『“意味”という言葉の意味すら分からぬくせに!』


「……っ!」


レオンハルトは睨み返す。


『これは――“神饌(しんせん)”だ』


「……なに……?」


『余だけに許された、人の差し出す生命という供物』


冥王は笑う。


『それを神食(かむじき)する。当然の行いだ』


「……き……さま……」


レオンハルトの瞳に、再び炎が宿る。


「それが……貴様の……本当の……」


言葉が続かない。


だが、心は決まった。


動かない右手。


その拳を、レオンハルトは握り締める。


震える腕を、強引に動かす。


そして――。


右足を、一歩。


地面へ踏み出した。


『逆らうというのか!?』


冥王が叫ぶ。


『勝てぬぞ!』


(こいつだけは……許せん)


(すべてを失っても――屈するわけにはいかん!)


レオンハルトは、さらに左足を前へ出した。


一歩。


また一歩。


天上にいる冥王へ、届かないことなど分かっている。


それでも。


レオンハルトは前へ進む。


勝つためではない。


逃げるためでもない。


ただ――反逆するために。


『ははは!バカめ!』


冥王は、その姿をただ嘲笑した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



そして――。


レオンハルトに、当然の結果が訪れた。


「――風?」


周囲を、穏やかな風が流れている。


強くはない。


むしろ、奇妙なほど静かな風だった。


だが。


レオンハルトは、それを感じ取った瞬間、喉の奥から込み上げてきたものを耐え切れず吐き出した。


「――がっ……!」


口から溢れたのは、ドス黒い液体。


血だった。


「……なんだ、これは……毒か……」


レオンハルトは理解する。


天から舞い落ちている。


鱗粉にも似た、微細な何か。


それが空気へ混じり、周囲そのものを毒へ変えていた。


口だけではない。


目からも。


耳からも。


黒い血が流れ落ちる。


それでも、レオンハルトの目だけは死んでいなかった。


冥王を睨みつける。


屈服しない。


それを嘲笑うように、冥王は何もしなかった。


ただ、風が変わる。


「――ぐっ!?」


次に吹き抜けたのは、熱風だった。


呼吸するだけで、喉の奥が焼ける。


肺が焼ける。


レオンハルトの鎧が、急激に熱を持ち始めた。


熱が鎧を通り抜ける。


服が燃える。


そして――。


皮膚が焼けた。


肉が焼けた。


全身が、一斉にどす黒く焼け爛れていく。


炎がレオンハルトの身体を包み込む。


「――め……冥王……」


焼け落ちていく肉体。


その瞳だけが、最後まで冥王を睨んでいた。


これまで積み重ねてきた修練。


幾多の戦場を生き抜いた経験。


最強の戦士と呼ばれるに至った肉体。


そのすべてが。


ただの炎によって、炭へと変えられていく。


(……レオンハルト)


レオニスには、分かっていた。


これは記憶の中の出来事だ。


何もできない。


手を伸ばすことも。


声を掛けることも。


この運命を変えることもできない。


(……しかし、この状況は……)


レオニスから見ても、起死回生など存在しない。


完全な敗北。


死を待つしかない。


――それでも。


レオニスは知っている。


目の前にいる男が、後世で“原初の勇者”と呼ばれる存在だということを。


この男が、ここで終わるはずがない。


それは、既定の事実だった。


だからこそ――。


異変が起こった。


『ぐおっ!?』


遠くから、一条の光が飛来した。


それは瞬きよりも速く、空を裂き――。


冥王の身体を貫通した。


初めてだった。


それまで何者をも見下していた冥王の貌に。


苦悶の表情が浮かんだ。


(……誰だ!?)


レオニスは、光が飛んできた先を見る。


だが。


レオンハルトの視界からは、その人物の姿を確認することができなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



そして――。


目の前が、闇になった。


「――ここは、俺は……」


そこまで呟いたところで、意識が途切れる。


次にレオンハルトが目を覚ました時。


そこには、見知らぬ天井があった。


「……?」


視線を動かす。


身体は重い。


まともに動かすことすらできない。


「ああ、目を覚ましたんだ」


不意に、女の声が聞こえた。


「怪物のような生命力だね、君。あれで助かるなんて」


「…………」


レオンハルトは声のした方を見る。


だが、その瞬間だった。


レオニスの中に、奇妙な感覚が走った。


(……この声……?)


聞き覚えがある。


いや。


正確には――。


知っている。


そう思った瞬間、レオニスの背中から汗が噴き出したような錯覚が走った。


(……知っている)


(だけど、ありえない……)


(……あってはならない。そんなことは……)


レオニスは知っていた。


この声を。


この気配を。


忘れることなど、できるはずがない。


それほどまでに、その人物はレオニスにとって大きな存在だった。


感じるはずのない動悸が、激しくなる。


そして――。


声の主が、レオンハルトの前へと歩いてくる。


レオンハルトの黒い瞳が、その少女へ向けられた。


その顔が、はっきりと見える。


レオニスにも、その貌が映った。


(……何だよ、これ……)


知らない顔だった。


少なくとも、レオニスの知る当人ではない。


だが。


それでも理解できてしまう。


あまりにも似ている。


目元。


輪郭。


表情。


細かな違いこそある。


それでも――。


(……アウレリア……!?)


レオンハルトを覗き込んでいる少女。


それは、レオニスの生きる時代で聖剣を授かり、勇者となった少女と瓜二つと言ってもいい存在だった。


「……どうして、俺は生きている……」


レオンハルトが、ようやく声を絞り出す。


自分が生きている理由など、分からない。


セレグナス。


否――。


冥王に致命傷を負わされたはずだった。


それなのに、自分は生きている。


そして目の前には、見知らぬ少女がいる。


「……お前は、誰だ?」


「うん?」


少女は少しだけ首を傾げる。


「ああ。名乗らないと失礼だね」


そして――。


少女は、にっと笑った。


「あたしの名前は――アウレリア」


(……な!?)


今度こそ。


レオニスは、息が詰まるほどの驚愕を覚えた。


原初の勇者の記憶。


その中でレオニスは――。


もう一人のアウレリアと、出会ってしまった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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