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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
勇者の旅編
173/235

旅の記録(5)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



そして。


二人は、同時に踏み出した。


地面を蹴る。


一瞬で距離が消える。


互いに構えた剣が、一直線に伸びた。


二人が選んだのは、同じ技だった。


必殺の突き。


寸分の狂いもない。


二本の剣が、まったく同じ軌道を描いて交差する。


互いの意思が、剣先に宿っていた。


そして――。


強い方が勝った。


「……ぐっ……!」


レオンハルトの身体が僅かに揺れる。


次の瞬間。


鋼の刃が兜を貫いた。


さらに、その奥へ。


肉体へと届く。


血が噴き出した。


赤い雫が、闘技場の石床へ落ちる。


一滴。


二滴。


やがて、その数を増やしていった。


……ガシャ。


重い音が響いた。


地面へ落ちたのは、レオンハルトの兜だった。


沈黙が、闘技場を支配する。


誰も声を上げない。


石床を染める血だけが、静かに広がっていく。


だが。


それはレオンハルトの血ではなかった。


レオンハルトの突きは、相手の剣を僅かに弾き飛ばしていた。


そのまま進んだ鋼の刃は、セレグナスの鎧を貫通している。


胸から。


背中まで。


「……勝負あった」


審議官の声が響いた。


「……刮目して見よ。神は裁定をくだされた」


レオンハルトの勝利。


その言葉が告げられる。


――勝った。


――これで、リオネーラを守れた。


レオンハルトは、観客席を見上げた。


そこにいるはずの彼女を。


「……リオネーラ」


だが。


彼女の顔を見た瞬間。


レオンハルトの胸に、冷たいものが走った。


違う。


その表情は、彼が望んでいたものではない。


喜んでいない。


安堵もしていない。


そこに浮かんでいたのは。


ただ一つ。


――何故。


そんな問いだった。


――どうしたんだ、リオネーラ。


――どうして俺を、そんな目で見る?


その時だった。


兜の中から、声がした。


「……私に刃を向けたな、レオンハルト」


低い声。


呪詛のような響きだった。


「……それを確かめたかったのだ」


「……セレグナス……?」


レオンハルトの顔から血の気が引く。


セレグナスは倒れない。


貫かれた身体のまま、ゆっくりと顔を上げる。


「この国に混乱をもたらしたのは誰なのか」


静かな声だった。


「今、わかった」


レオンハルトは剣から手を離した。


無意識に、一歩後ずさる。


何が起きている。


何を言っている。


そしてセレグナスは、レオンハルトではなく審議官へ顔を向けた。


「……審議官よ」


闘技場に、その声が響く。


「貴様は言ったな。〝勝敗は神が決める〟、と」


セレグナスの声には、もはや迷いがなかった。


「では、今から――」


一瞬の静寂。


「本物の〝神〟の言葉を聞かせてやろう」


その言葉が。


闘技場全体へと広がった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「何を言っている、セレグナス!」


レオンハルトの叫びが、闘技場に響き渡った。


目の前にいる男。


それは、本当に自分の知るセレグナスなのか。


疑わずにはいられなかった。


公正で。


明大で。


誰よりも世界の平和を願っていた男。


今の言葉は、そんな友から出るものではない。


「刮目して見よ」


セレグナスは静かに告げる。


「この地に降りた、神の姿を!」


その直後だった。


鋼の鎧が、内側から大きく膨れ上がった。


――バキッ。


背中の装甲を突き破り、何かが姿を現す。


「……!」


最初に見えたのは、白い翅だった。


一枚ではない。


巨大な翅が、幾重にも開いていく。


そこには、蝶の斑紋を思わせる幾何学的な文様が浮かんでいた。


見る者によっては、美しいと思っただろう。


神々しい、と感じた者もいたかもしれない。


だが。


レオンハルトには、それが恐ろしいものにしか見えなかった。


まるで蛹の殻が割れるように、鎧そのものが砕けていく。


金属片が床へ落ちた。


その中心に、人の姿があった。


細身の身体。


人間離れした美貌。


そして、蝶や妖精を思わせる巨大な翼。


複数の翼が、その背に広がっている。


その顔だけは。


どれほど異形になろうとも。


見間違えるはずがなかった。


「……セレ……グナス……?」


レオンハルトの声が震える。


八枚の巨大な翅が、大きく開いた。


『……復活した神の力の一端を見せよう……』


声が響く。


セレグナスは、ゆっくりと天へ昇っていった。


人々は動けなかった。


あまりにも現実離れした光景に、逃げることさえ忘れている。


その周囲に、小さな炎が灯った。


一つ。


二つ。


三つ。


数は瞬く間に増えていく。


百を超える。


さらに増える。


そして。


無数の火球が、一斉に地上へ降り注いだ。


まるで、炎の流星だった。


轟音。


爆炎。


悲鳴。


逃げ惑う人々。


闘技場は一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄へと変わった。


「リオネーラ!」


レオンハルトは走った。


自分が何者になったのか。


セレグナスが何をしようとしているのか。


今は考えている暇などない。


せめて彼女だけでも。


その一心で、観客席へ向かう。


「無粋な真似は止め、黙ってみていたまえ」


だが。


その進路を遮る者がいた。


「何者だ、貴様!」


レオンハルトは足を止める。


「お前こそ邪魔をするな!そこをどけ!」


近くに落ちていた剣を拾う。


迷いはなかった。


一閃。


黒い仮面をつけた男の身体が、真っ二つに斬り裂かれた。


――だが。


血は流れない。


裂けた身体が、まるで時間を巻き戻すように修復されていく。


「……!?」


レオンハルトが息を呑む。


黒い仮面の奥から、笑い声が漏れた。


「そんな鉄くずで、ボクに傷一つ残せはしない」


完全に元へ戻った男が、楽しそうに告げる。


「ボクはノクス」


その仮面の笑みが、さらに深くなった。


「偉大なる冥王様の僕だ」


死王ノクス。


その異形の存在が、レオンハルトの前に立ち塞がった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



――“冥王”だって……!?


聞こえてきたその名に、レオニスは驚愕した。


それは、レオニスたちの生きる時代に台頭している魔王の一人。


まさか。


その名を、原初の勇者の記憶の中で聞くことになるとは思わなかった。


(こんな昔から活動していたのか……。しかもノクスまでいる。ロウガ様が言っていた魔王の一人まで……)


レオニスは、ただ見ることしかできない。


それでも、その記憶は容赦なく続きを見せてくる。


『……ノクスよ。通してやると良い……』


「御意」


ノクスは一礼した。


そして、大きく後ろへ退く。


その先にいる存在。


セレグナス。


否。


今や、そう呼ぶべきではない。


――冥王。


「貴様……」


レオンハルトが睨み上げる。


冥王は、地面に立っていなかった。


空中に浮かんでいる。


まるで地上にいる者すべてを見下ろすかのように。


レオンハルトは剣を握り直した。


せめて一撃。


そう考え、剣を投げようとした、その瞬間だった。


『……誰の許しを得て動こうとしている……』


声が響く。


同時に、レオンハルトの足元へ魔法陣が浮かび上がった。


光が走る。


それだけだった。


それだけで――。


レオンハルトの身体が止まった。


「……っ」


指一本、動かない。


声すら出せない。


最強の戦士。


数多の戦場を生き抜いてきた男。


そのすべての自由が、たった一つの魔法陣によって奪われた。


できるのは。


見ることだけ。


『……これで終わりだ……』


冥王の視線が動く。


向けられた先にいたのは、リオネーラだった。


「!?」


彼女の身体も、動かない。


見えない力に引かれ、冥王の傍らへと引き寄せられる。


「レオンハルト……!」


その声さえ、届かない。


冥王は、静かにリオネーラへ手を伸ばした。


そして――。


彼女の唇を、強引に奪った。


――。


――――。


声にならない慟哭が、レオンハルトの中から溢れた。


叫ぶことすら許されない。


身体も動かない。


ただ、目の前で起きている現実だけを見せつけられる。


『……セレグナスよ。余から褒美をとらせよう……』


その言葉とともに。


『神の寵愛を授けた、誉れとしろ。神に仕えた娘よ』


次の瞬間。


リオネーラの身体が、弾け飛んだ。


レオニスは息を呑んだ。


レオンハルトの目の前で。


世界が変わっていく。


信じていたものも。


守ろうとしていたものも。


積み重ねてきた誇りさえも。


すべてが、理不尽という名の現実に塗り潰されていく。


(どうして、こうなった……)


(俺は……何をすればよかったんだ……)


答えはない。


ただ、冥王だけがそこにいた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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