旅の記録(3)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
謂れのない監禁だった。
レオンハルトは、薄暗い牢の中で膝を抱えていた。
――俺は、どうなるんだ……。
すでに、二度。
太陽が沈んでいる。
食事は運ばれてきた。
だが、それに手をつけることはできなかった。
毒を盛られている可能性がある。
そんな状況で、無警戒に口へ運ぶことなどできない。
空腹だけが、少しずつ身体を蝕んでいく。
「誰もいないのか!」
レオンハルトの声が、牢の中に響いた。
返事はない。
しばらくして。
外が、にわかに騒がしくなった。
足音が近づいてくる。
やがて、牢の前で止まった。
「……レオンハルト……」
「リオネーラ!?」
レオンハルトは顔を上げた。
そこに立っていたのは、深くフードを被ったリオネーラだった。
その隣にも、同じように顔を隠した人物がいる。
「……ごめんなさい。こんなことになって……」
「なぜ、君が謝る?」
レオンハルトは立ち上がった。
「いや、そんなことはいい。それより、今何が起こっているんだ!」
抑えていた感情が、一気に溢れた。
「君は、俺に力を貸して欲しいと言った。あれが、今の状況と関係があるのか!」
「……ええ」
リオネーラは頷いた。
そして、声を落とす。
「少しだけ。声を小さくして」
「……わかった」
リオネーラは周囲を確認してから、静かに話し始めた。
事の発端は、この街を統治する領主の不穏な動きだった。
結界の力が弱まったこと。
魔物が増えたこと。
それらも偶然ではない可能性がある。
「……証拠はあるのか?」
「今は、まだ不足しているわ」
リオネーラは苦しそうに目を伏せた。
「でも、領主様が先手を打ってきたの」
「何?」
「領主様は、父である大神官に逆に断罪を仕掛けたのよ」
「……そんなことがあったのか」
レオンハルトは項垂れた。
状況が、ようやく見え始めていた。
その時だった。
「そうだ、レオンハルトよ」
「……!」
聞き慣れた声。
「大神官様!?」
レオンハルトが顔を上げる。
隣にいた人物が、ゆっくりとフードを外した。
現れたのは、この街の大神官だった。
「時期が時期だけに、お前にいらぬ疑いをかけた。お前を領主の間者だと思ったのだ。許せ」
「はっ。私は、疑いさえ晴れば良いのです」
レオンハルトは静かに答えた。
「今、我々は窮地に立っている。このままでは手遅れになる」
「はい」
「そこで、お前の力を借りたい」
「私の力……?」
レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せる。
その隣で、リオネーラが口を開いた。
「レオンハルト。あなたには――」
そこで、一度だけ息を吸う。
「“神明決闘”に出て欲しいの」
――■■■■■■■■■■■■■■。
まただった。
レオニスには、その声だけが聞こえない。
レオンハルトの胸の内に何が生まれたのか。
何を恐れ、何を決意したのか。
その答えだけが、霧の向こうに隠されている。
レオンハルトと景色を共有するレオニスでさえ、この先に何が待っているのかを予想することはできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……神明決闘?」
レオンハルトには聞き覚えのない言葉だった。
大神官が語った内容は、単純なものだった。
当事者同士が神の前で決闘する。
そして、神が正しいと認めた者に勝利を与える。
この場合の当事者は、領主と大神官。
だが、本人が戦う必要はない。
互いに代理人を立てることも認められている。
「神は正しい者に味方をする。神が味方をした方が必ず勝つ。古き時代から続く、決着の方法だ」
大神官は静かに説明した。
「そして、レオンハルト。あなたは最強の戦士。私たちがこの状況を覆すには、これしかないの」
リオネーラが言葉を引き継ぐ。
「レオンハルトが出てくれば、領主に勝つ方法はない。彼は、神明決闘では負ける」
「……受けなければ、自分の非を認めることになる、ということか」
レオンハルトの言葉に、リオネーラが頷いた。
「そうよ。だからこそ、あなたを試したの」
大神官が続ける。
「お前が領主と繋がっていない。その証拠が欲しかった」
――それなら、最初から打ち明けてくれても良かったのだが。
(まったくだ。同意するよ)
レオニスは、レオンハルトに心底同情した。
「しかし、それならば最初からセレグナスに伝えていただければ、私も迷うことなく協力――」
レオンハルトが言い終える前だった。
二人の表情に、暗い影が落ちた。
「……レオンハルト」
リオネーラの声が震える。
「セレグナスは、行方不明なの」
「な!?」
「領主様の調査を行うと言って、そのまま……」
「何故だ!」
レオンハルトの声が牢に響く。
「そんな大事なことを、黙っていたのか!」
「違うわ!」
リオネーラが顔を上げる。
「セレグナスに口止めされたの。レオンハルトには話すなって!」
その目には、涙が浮かんでいた。
それを見た瞬間、レオンハルトは自分の言葉を後悔した。
「……いや」
声が静かになる。
「セレグナスのことだ。心配はいらん」
レオンハルトは、迷いなく言った。
「奴は、俺でも簡単には勝てない強者だからな」
――そうだ。
セレグナスが死ぬはずがない。
(大神官に比べて、随分と信じているんだな)
その感情は、レオンハルトの記憶を共有するレオニスにも伝わった。
疑いのない信頼だった。
「受けてくれるか、レオンハルトよ」
「はい」
迷いはなかった。
レオンハルトはリオネーラにも頷いてみせる。
こうして、神明決闘の準備が始まった。
彼らは予想していた。
レオンハルトが代理人として出れば、領主は決闘を避ける。
それほどまでに、レオンハルトは強い。
だが――。
領主は、神明決闘を了承した。
予想とは、まったく違う答えだった。
何故、受けたのか。
何を勝算としているのか。
その謎を残したまま、レオンハルトは戦いへ挑むことになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして――。
神明決闘の日が訪れた。
「これより、神明決闘を執り行います」
決闘場に、審議官の声が響く。
「この決闘で敗北した陣営は、素直に己の罪を認めること」
静かな宣言だった。
観覧席には、領主側と大神官側の人々が並んでいる。
誰もが息を潜めていた。
「ルールは一対一」
「勝敗の判断は、審議官が行います」
「この決闘は、神の御前において己の潔白を示すものです」
審議官が、両陣営を見渡す。
「つまり、決着は死。あるいは意識を失い、審議官が戦闘続行不能と判断した場合も敗北となります」
ざわめきが起きた。
だが、すぐに消える。
誰もが理解していた。
これは儀式であると同時に、本物の決闘なのだ。
レオンハルトは兜の隙間から、正面に立つ対戦者を見ていた。
決闘に使われる武器は、双方とも同じものが用意されている。
公平性を保つためだ。
そして今回は、双方が代理人を立てている。
そのため、代理人は密閉式の兜を着用していた。
互いの素顔は分からない。
二人とも白銀の甲冑を身につけている。
違いは、装甲に入った色だけ。
レオンハルト側には青。
対戦者側には赤。
それだけだった。
――だが。
レオンハルトは感じ取っていた。
目の前にいる男は、ただの代理人ではない。
立ち方。
剣を持つ位置。
重心。
呼吸。
どれも隙がない。
相当な実力者だった。
「両者、神の前へ」
審議官の声が響く。
レオンハルトと対戦者は、同時に歩き出した。
そして、神を祀る祭壇の前で片膝をつく。
「両者への最後の確認です」
「互いの身の潔白を証明するため、正々堂々とした決闘を」
「そして、如何なる結果となっても、それは神の御心によるもの」
審議官は二人を見つめる。
「神の定めた結果を遵守することを誓いますか?」
次に、当事者である領主と大神官へ視線を向ける。
「誓う」
大神官が答える。
領主も同じ言葉を返した。
そして二人の代理人は、沈黙したまま一度だけ頷いた。
「では、代理人は定位置へ」
「そして、運命を共にする者たちは観覧席へ」
二人が立ち上がる。
レオンハルトは決闘場へ戻った。
剣を抜く。
鋭い銀色の刃が、陽光を反射した。
――恨みはない。
だが、俺も負けるわけにはいかない。
静かに剣を構える。
相手も同じように構えた。
互いの顔は見えない。
それでも、敵意だけははっきりと感じられた。
「それでは――」
審議官が手を上げる。
「始め!」
声が決闘場に響き渡った。
その瞬間。
レオンハルトは踏み込んだ。
だが――。
レオンハルト自身は、まだ知ることができなかった。
――■■■■■■■■■■■■■■。
(また聞こえない……)
レオニスは息を呑む。
これまでにも何度か聞いた、途切れた声。
その先に何があるのか。
なぜ聞こえないのか。
それすら、分からない。
ただ一つだけ。
レオニスには、この先に待つ結末だけが見えていた。
レオンハルトの決まってしまった未来を。
これから、自分は見ることになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




