ヴァルディア継承式、そして
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
礼拝堂の鐘が、重々しく鳴り響いた。
澄んだ音が城館の空へ広がる。
継承式の開始を告げる鐘だった。
ヴァルディア男爵領の運命を決める日。
アルベリオ・ヴァルディアか。
グレイヴァス・ヴァルディアか。
あるいは、まったく別の結末か。
ともかく――次のヴァルディア男爵。
いや。
王国が認めれば、ヴァルディア子爵となる人物が決まる。
城内の空気は張り詰めていた。
礼拝堂の外では、兵士と騎士が警戒を続けている。
レックスもその一人だった。
彼は礼拝堂を囲む回廊の影から周囲を見渡す。
豹。
ガロードですら苦戦した敵。
その存在を知っている者は、誰一人油断していない。
グレイヴァスの命令で、城内には戦時に近い警備体制が敷かれていた。
だが。
それでも不安は消えない。
そのときだった。
レックスの視線が、城門側の回廊で止まった。
「あれは……?」
現れた人物を見て、彼は眉をひそめる。
アルヴィン・ヴァルディア。
グレイヴァスの息子。
継承式の最中に外へ出てくる立場ではない。
だが。
アルヴィンは周囲を気にするように歩き、城壁の方へ向かっている。
その後ろを追う影があった。
ルシアン・ヴァルツァー。
エルディナの護衛隊長。
さらに三人の騎士。
明らかに尾行だった。
「怪しすぎる」
レックスは小さく呟いた。
本来なら、エルディナの近くを離れるべきではない。
だが。
この動きは見過ごせない。
レックスは足音を殺し、後を追った。
アルヴィンが止まったのは、内城壁の上。
城門を見下ろす石造りの通路だった。
振り返ったアルヴィンの顔には、露骨な苛立ちが浮かんでいる。
「ルシアン・ヴァルツァー」
声が鋭く響く。
「無礼だろうが!」
「なぜ私を尾ける!」
ルシアンは一歩前へ出た。
鎧の音が静かに鳴る。
「アルヴィン様」
冷静な声だった。
「もう見苦しい真似はおよしなさい」
その言葉に、アルヴィンの顔が歪む。
騎士たちが静かに動いた。
半円を描くように、アルヴィンを囲む。
そこへ、レックスも駆け上がってきた。
アルヴィンはルシアンを睨みつけた。
「貴様は父の部下だろうが!」
「その子に対する態度か!恥を知れ!」
だがルシアンは動じない。
「私はグレイヴァス閣下の命令で動いています」
そう言い、羊皮紙を掲げた。
正式な命令書。
「あなたを拘束せよ、と」
アルヴィンの顔から血の気が引いた。
「父上が……?」
信じられないという声だった。
ルシアンは静かに言う。
「グレイヴァス閣下が」
「あなたの動きに気づかないはずがないでしょう」
そして小さく溜息をついた。
「あなたが派閥の過激派を独断で動かし」
「アルベリオ様へ脅迫を行っていたこと」
「すべて証拠が上がっています」
騎士たちの包囲がさらに狭まる。
「すでに協力者も拘束済みです」
「あなたに味方はいません」
アルヴィンは後退した。
足が石壁に当たる。
逃げ場はない。
ルシアンが最後の言葉を告げた。
「そして」
「グレイヴァス閣下は、継承権を自ら放棄されました」
その瞬間。
アルヴィンの顔が絶望に染まる。
すべて終わった。
誰もがそう思った。
―― そのとき。
カラン。
鎖の音がした。
城壁の影から。
次の瞬間。
風を切る音が走る。
ガンッ!
騎士の一人の兜が砕け、男が倒れた。
「ぬっ」
ルシアンは瞬時に剣を抜いた。
視線が影へ向く。
そこに立っていたのは。
『豹』だった。
仮面の奥で笑うような気配。
両手には鎖付きの鉄球。
双流星。
鎖が回り始める。
風を巻くように。
威嚇するように。
「隙が無い」
レックスが低く言った。
次の瞬間。
鎖が放たれる。
蛇のようにうねり、レックスへ襲いかかる。
レックスは棍棒で一本を弾いた。
だが。
もう一本。
死角から迫る。
その瞬間。
「レックス!」
影が飛び込んだ。
ガロードだった。
彼は弾かれた鎖の先端を蹴り上げる。
もう一方の鎖と絡める。
鎖が空中で絡み、動きを失う。
「今度は逃がさねぇ」
ガロードが言う。
鋭い目。
豹を睨む。
三度目の対峙だった。
城壁の上に、戦いの気配が満ちる。
終章の戦いが、始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
豹は、手にしていた双流星を地面へ落とした。
金属が石畳に当たり、乾いた音が響く。
代わりに、腰から一本のナイフを抜いた。
その場にいる全員を見回す。
ガロード。
レックス。
ルシアン。
騎士二名。
完全な包囲だった。
だが豹の呼吸は乱れていない。
「やれ、豹!」
アルヴィンが叫ぶ。
「奴らを殺せ!」
その声は怒りよりも焦りに近かった。
ルシアンは剣を構えながら、状況を計算する。
豹は強い。
それは理解している。
だが。
アルヴィンを庇いながら戦うなら、こちらが有利だ。
騎士団の連携。
数の差。
この場で捕縛は可能
―― そのはずだった。
だが。
次の瞬間。
その前提が崩れた。
「もちろんだよ、アルヴィン様」
豹が言った。
静かな声だった。
「お約束通り――」
「“ヴァルディア男爵家の人間”は皆殺しにするよ」
その言葉に、ガロードの目が細くなる。
「あんた」
ガロードはじりじりと間合いを詰めた。
「喋れたのかよ」
豹はわずかに笑った。
仮面の奥で。
「今まで必要がなかっただけさ」
アルヴィンは苛立った声を上げる。
「ならさっさと――」
その言葉は最後まで続かなかった。
アルヴィンの体が止まる。
彼はゆっくりと視線を落とした。
胸。
そこから、鋼の刃が突き出ている。
いつの間にか。
豹のナイフが、アルヴィンの背中から胸を貫いていた。
「アフターフォローも万全です」
豹は淡々と言う。
まるで事務作業の報告のように。
「安心して、あの世で待っていなさい」
「“ヴァルディア男爵家の人間”は”君”を含めて皆殺しにするよ」
「サービスで代金は無料だ」
アルヴィンの口が震える。
何かを言おうとして。
声にならない。
数度、体が震えた。
そして。
力が抜けた。
床に崩れ落ちる。
「アルヴィン様!」
ルシアンが叫ぶ。
だがもう遅い。
ガロードが低く言う。
「貴様……」
豹を睨みつける。
豹は軽く肩をすくめた。
「そんな顔をするなよ、獣人の少年」
そして視線を向ける。
「いや――ガロード」
その言葉と同時に。
豹は覆面を外した。
黒い布が地面へ落ちる。
外套も脱ぎ捨てる。
現れた男は。
人間に似ていた。
だが、どこか違う。
鈍い青鉄色の髪。
肩まで流れる、重力に従うような直毛。
切れ長の氷青の瞳。
感情の薄い、痩せた顔。
猫背気味の姿勢。
長身だが細身。
静かな刃物のような存在感だった。
黒を基調にした軍装。
左肩には装甲の肩当て。
前腕には魔術刻印。
そして。
胸元に刻まれた紋章。
それを見て、ルシアンの顔色が変わった。
「……帝國軍」
思わず呟く。
男は微笑んだ。
口角だけが上がる。
「正解」
彼は軽く手を上げた。
「僕はデルタ」
「帝国の”戦闘種族”だ」
まるで旧友のような口調だった。
ルシアンは剣を強く握る。
「戦闘種族……」
低い声で言う。
「帝国の”対勇者兵器”だというのか」
デルタは小さく笑った。
「はは」
「そこまでじゃないさ」
肩をすくめる。
「“あいつら”と違って」
「僕は普通の戦争仕様だよ」
その軽さが、逆に不気味だった。
ルシアンは問う。
「何が目的だ」
デルタはゆっくりと周囲を見渡す。
レックス。
ガロード。
ルシアン。
騎士たち。
全員を順番に見た。
そして。
左の掌を城壁へ置く。
「決まっている」
デルタの瞳がわずかに光った。
「戦争をしにきたんだ」
その瞬間。
掌が光る。
圧縮された魔力が爆ぜた。
轟音。
爆発。
城壁が吹き飛ぶ。
石が弾け、巨大な穴が開く。
ヴァルディア城。
内側の城門が、破壊された。
風が吹き込む。
外の空気。
戦場の匂い。
デルタはゆっくり振り返った。
「さあ」
静かな声。
「ここからが本番だ」
レックスとガロードは理解した。
目の前の敵は。
これまでの戦いとは違う。
本物の戦争。
その先触れだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「戦いの狼煙としては十分だろう」
デルタが軽く言った。
崩れた城壁の穴から、冷たい風が吹き込む。
石片がまだ地面に転がり、粉塵が空気を漂っていた。
レックスはその光景を見ながら、息を呑む。
―― あの手袋。
デルタの掌。
前腕に刻まれた魔術紋。
恐らく刻印魔法。
だが。
威力が桁違いだった。
城壁を一撃で吹き飛ばすほどの爆破。
普通の魔導兵器ではありえない。
それでも、レックスは思考を止めなかった。
―― あの威力。
―― 連発は出来ないはずだ。
刻印魔法は魔力消費が激しい。
それが常識だ。
だからこそ。
使う隙を与えなければいい。
同じ考えに至った者がいた。
ガロードだ。
彼は低く息を吐く。
―― 一発の威力は確かにやばい。
―― だが、隙はある。
獣人の瞳がデルタを捉える。
二人の思考はすでに、敵をどう攻略するかに向かっていた。
だが。
次の瞬間。
その前提が崩れた。
デルタはくすりと笑う。
「どうやら」
静かな声だった。
「君たちは、少し勘違いしているみたいだね」
そして肩をすくめた。
「僕一人で」
「ヴァルディアの城塞を落とすなんて」
「流石に無理さ」
その言葉に、レックスの眉が動く。
デルタはゆっくりと腕を上げた。
外門の方向を指さす。
「君たちも多勢だ」
「だからこちらも」
「相応の援軍を呼んだ」
その瞬間だった。
遠く。
ヴァルディア城の外門。
城壁の一角が、突然爆発した。
轟音。
石壁が崩れ、巨大な穴が開く。
粉塵が空へ噴き上がった。
レックスの喉が鳴る。
ごくり、と。
嫌な予感が胸を締めつけた。
―― まさか。
デルタは楽しそうに言う。
「ヴァルディアの城塞は強敵だからね」
「だから」
「もう一人呼んでいる」
その笑みは、舞台の幕が上がる瞬間を楽しむ役者のようだった。
外壁の穴から立ち上る土煙。
その中。
何かが走ってくる。
速い。
人間の速度ではない。
煙を切り裂く影。
その進路は一直線だった。
城の中央。
礼拝堂。
継承式が行われている場所。
レックスの顔色が変わる。
―― エルディナ。
胸の奥で名前が響いた。
デルタに匹敵する敵が。
彼女の元へ向かっている。
そして。
それだけでは終わらなかった。
崩れた城壁の穴から。
黒い軍装の兵士たちが次々と侵入してくる。
帝国兵。
静かに。
だが確実に。
城内へ雪崩れ込んできた。
ガロードが舌打ちする。
「ちっ……」
そして叫ぶ。
「エルディナ様の所へ行け、レックス!」
レックスが振り向く。
ガロードはすでにデルタへ歩き出していた。
「ルシアンさん!」
ガロードは続ける。
「場外の帝国兵を何とかしてくれ!」
ルシアンは即座に理解した。
「了解した」
剣を構え、騎士たちへ命じる。
「城内への侵入を止めろ!」
騎士たちが動く。
その間に。
ガロードはデルタの前に立った。
「デルタは俺が斃す」
静かな宣言だった。
レックスは一瞬、言葉を失う。
一人では危険だ。
そう言いたかった。
だが。
今は時間がない。
ルシアンも同じ判断だった。
「レックス君」
低く言う。
「エルディナ様を」
レックスは頷いた。
次の瞬間。
走り出す。
デルタも当然、それを止めようと動いた。
だが。
ガロードが前へ出る。
完全に道を塞ぐ。
「通さねぇよ」
デルタが足を止める。
そして小さく笑った。
「なるほど」
氷青の瞳が細くなる。
「やはり」
「まずは君を排除すべきだな」
ガロードは拳を握る。
「やってみろ」
二人の距離が縮まる。
静かな殺気。
一対一の戦い。
望むところだった。
ガロードは一歩踏み出す。
ここから先には行かせない。
その意思が、全身から滲んでいた。
終章の戦いは。
今、二つの戦場へ分かれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
厳かな空気の中、礼拝堂では継承の儀式が粛々と進められていた。
祭壇の前に立つのは、王国有数の大貴族――アルドリック・ヴァルハイト侯爵。
彼はゆっくりと、蜜蝋で封をされた書状の封印を解く。
「次のヴァルディア男爵に――アルベリオ・ヴァルディアを指名する」
静かな宣言。
その一言は、重い歴史を持つ家の未来を決定づけるものだった。
アルベリオ・ヴァルディアが前に進み出る。
侯爵は祭壇に置かれた当主の杖を取り上げると、それを厳かに差し出した。
「受け取りなさい」
アルベリオは深く頭を下げ、その杖を受け取る。
瞬間。
礼拝堂に拍手が広がった。
ヴァルディアの新たな当主の誕生。
その事実を祝福する、貴族たちの形式的な喝采。
グレイヴァス・ヴァルディアもまた、兄に向かって拍手を送っていた。
だが――
その時だった。
ドォン!!礼拝堂の床が、突然揺れる。
重い衝撃。
しかも一度ではない。
二度、三度と続く振動。
ざわめきが広がる。
「な、何事だ?」
そして
――バンッ!!
礼拝堂の扉が勢いよく開いた。
「失礼します、閣下! 緊急事態です! 帝國兵が侵入しました!」
血相を変えた衛兵が叫ぶ。
「内と外の城壁に穴が開きました! 帝国軍が城内に展開しています!」
会場が一瞬で騒然となった。
「馬鹿な……」
誰かが呟く。
外から聞こえるのは剣戟の音。
怒号。
そして悲鳴。
その音の中に――
コツン。
金属の靴音が混じった。
コツン。
コツン。
礼拝堂の石床を踏む、鋭い音。
全員の視線が入口へ向く。
そこに立っていたのは――
一人の女だった。
黒鉄の鎧。
深紅の装飾。
長いマントが血の翼のように揺れている。
暗い赤紫の長髪。
その奥で、赤紫の瞳が妖しく輝く。
そして彼女の手には――
黒い魔剣。
その刀身の刃先から、まだ温かい血が滴り落ちていた。
女はそれを軽く振るう。
血飛沫が床に散った。
礼拝堂の空気が凍り付く。
誰の目にも分かった。
―― 人間ではない。
女は微笑む。
美しく。
そして狂気に満ちた笑みで。
「妾はシグマ」
柔らかな声。
だが、そこには絶対的な傲慢があった。
「帝国の”戦闘種族”」
ゆっくりと剣を持ち上げる。
「命令するわ」
「死ぬが良い」
その言葉に、怒号が返る。
「ふざけるな!」
前に出たのはギルベルト・ヴァルハイトだった。
「何が戦闘種族だ」
腰の剣を抜く。
刻印アイテムが一斉に発動する。
指輪が光る。
ピアスが輝く。
首飾りが魔力を放つ。
身体能力が一気に跳ね上がる。
「この私が相手をしてやる!」
だが――
シグマは小さく首を傾げた。
「……馬鹿なんじゃないかしら」
嘲笑。
「女であろうが容赦せん!」
ギルベルトが斬りかかる。
だが。
次の瞬間。
キィン!!
左の魔剣が振るわれた。
「ば、馬鹿な……この私が……」
ギルベルトの剣が――砕け散る。
「ねぇ、邪魔なの」
同時に右の剣が振り抜かれた。
一閃。
袈裟斬り。
「――っ!!」
声にならない悲鳴。
その身体が雷に撃たれたように痙攣する。
黒い雷が全身を走り――
一瞬で、炭化した。
崩れ落ちる。
沈黙。
誰も動けない。
「この敵は普通じゃない!」
レオナルトが剣を構える。
「逃げろ!」
参列者が裏口へ殺到する。
だが――
「逃がすと思う?」
シグマが剣を横に振る。
雷撃が走る。
天井が崩落。
裏口が瓦礫に埋もれた。
出口は ―― 彼女の背後の入口のみ。
「くそっ」
レオナルトが一瞬視線を逸らした。
その瞬間。
耳元で囁きが響く。
「脆弱な」
振り向く。
だが遅い。
剣が振るわれた。
レオナルトの右腕が――
剣ごと宙を舞う。
「がああああ!!」
悲鳴。
シグマは空中の腕を剣で貫く。
「邪魔」
雷が走り――
腕は消し炭になった。
さらに。
グレイヴァスが斬りかかる。
だが。
彼の視界からシグマが消えた。
次の瞬間。
血が舞う。
グレイヴァスは倒れていた。
シグマの視線が、ゆっくりと祭壇へ向く。
アルベリオ。
アルドリック侯爵。
そして――
エルディナ。
彼女は剣を握る。
だが。
足が動かない。
圧倒的な死の気配。
蛇に睨まれた蛙。
シグマが微笑む。
サディスティックに。
剣を振り上げる。
エルディナは目を閉じた。
―― 助けて。
その瞬間。
外から足音が響く。
駆け込む影。
エルディナは目を開いた。
シグマの背後に――
少年がいる。
金属がぶつかる音。
ガァン!!
次の瞬間。
シグマの身体が入口から壁際まで吹き飛んだ。
石壁が砕ける。
静寂。
そして。
息を切らした少年が立っていた。
レックス。
彼は剣を構え、エルディナの前に立つ。
「……遅れて、すみません」
礼拝堂の空気が、変わった。
戦いは――ここから始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




