旅の記録(1)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(……ここは、どこだ)
レオニスの目の前には、見知らぬ街が広がっていた。
王都ほどではない。
しかし、その規模は地方の大都市と呼んでも差し支えない。
石造りの建物が並び、人々が行き交っている。
商人の声。
子供たちの笑い声。
街を歩く兵士たち。
――平和な街だった。
だが、レオニスは自分の意思で周囲を見渡すことができない。
身体がない。
声も出せない。
ただ、そこにある光景を見せられている。
(……追憶と言っていた)
(これは、原初の勇者が見ていた記憶なのか?)
その時だった。
「……また、さぼっているのか」
少し呆れたような声が聞こえた。
「なぁに。今の世の中は平和そのものだろ」
声を返した男が、街路の端に静かに立っている。
「見回りも、それほど急ぐ必要はなかろう」
長い黒髪。
背中へ流れる、柔らかな髪。
ゆったりとした黒衣が、細身の身体を包んでいる。
顔立ちは端正だった。
男性らしい骨格を持ちながら、不思議なほど中性的な美しさがある。
その瞳に宿るのは、戦士の鋭さではない。
静かな知性だった。
――セレグナス。
(……彼が、セレグナス)
その瞬間。
レオニスの中へ、知らない感情が流れ込んできた。
――親友。
(……今のは、心の声?)
常に聞こえるわけではない。
強く揺れた感情だけが、断片的に伝わってくる。
「……良くはあるまい」
セレグナスは、芝居がかった仕草で肩をすくめた。
「仮にもお前は親衛隊隊長なのだからな、レオンハルト」
(……レオンハルト)
その名を聞いて、レオニスは息を呑んだ。
(これが……原初の勇者の名前か)
「……さすが、神官長セレグナスの説教はもっともだ」
レオンハルトは苦笑した。
黒を基調とした甲冑。
長身の身体。
腰には剣がある。
見るからに鍛え上げられた戦士だった。
しかし。
その表情は、英雄と呼ばれる男のものには見えない。
ただ、友人に説教されて困っている男だった。
「……レオンハルト」
その時。
二人の背後から、別の声がした。
レオンハルトが振り返る。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
淡い金髪。
長く伸ばされた髪を後ろへまとめている。
白を基調とした古風な魔術衣装。
胸元や腰には紫の装飾が施され、その一つ一つに古い術式が刻まれている。
美しい女性だった。
そして、その姿を見た瞬間。
また、感情が流れ込んできた。
――昔から綺麗だった。
――ますます、綺麗になった。
(……リオネーラ)
名前が、自然と理解できた。
「レオンハルト、あなたも親衛隊長になったのですから」
リオネーラは静かに告げる。
「部下の模範となるようにしませんと」
「あ、いや。それは……」
「流石の親衛隊長も、幼馴染の言葉には逆らえんか」
セレグナスが笑う。
リオネーラも微笑む。
レオンハルトも、仕方なさそうに笑った。
三人の間に流れる空気は穏やかだった。
特別な英雄には見えない。
特別な神官にも見えない。
ただ、昔から共に過ごしてきた三人の人間だった。
レオニスは、その光景を見つめる。
そして思う。
――この時間が。
この三人にとって、最も幸せな時間だった。
それを。
この時の彼らは、まだ知らない。
やがて。
レオンハルトの心に、わずかな影が差した。
笑顔は変わらない。
言葉も変わらない。
それでも。
その奥にある感情だけが、少しずつ暗くなっていく。
レオニスには、それがはっきりと感じられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオンハルトは、公務に追われていた。
親衛隊隊長としての仕事は多い。
街の治安維持。
巡回。
そして、街の近くにごく稀に現れる魔物の討伐。
この日もまた、数匹の魔物を討ち果たしたところだった。
「隊長!すべての掃討、完了しました!」
「わかった。ご苦労。後の処理は後続に伝えるよう、伝令を頼む」
「了解しました!」
部下が駆けていく。
レオンハルトは、その場に残された魔物の死骸へ視線を落とした。
「……確かに最近、頻度が徐々に増えているな」
この街の周辺は、結界によって守られている。
本来なら、魔物が街の近くまで現れること自体が珍しい。
「……その割には、最近、街の近くで魔物が発見される報告がある」
偶然。
そう片づけるには、少しずつ数が増えている。
「……一度、セレグナスに相談してみるか……」
そう呟いた直後だった。
――俺は、間違っていたのだろうか。
「……?」
レオンハルトの心の中に浮かんだ言葉だった。
(……何を考えているんだ?)
レオニスには理解できなかった。
何を見せられているのか。
なぜ、この記憶を見ているのか。
その答えは、まだ与えられていなかった。
そして。
景色が切り替わる。
次に広がったのは、賑やかな酒場だった。
その一角で、レオンハルトとセレグナスが酒を飲み交わしている。
(……セレグナスの容姿が、少し変わっている?)
長い黒髪。
端正な顔立ち。
だが、以前に見た姿とは僅かに違う。
時間が経っている。
それだけは、レオニスにも理解できた。
二人は軽く近況を語り合っていた。
やがて、レオンハルトが口を開く。
最近、魔物が増えていること。
結界の周囲で異変が起きていること。
その話を聞いた瞬間。
セレグナスの目が、鋭くなった。
ほんの一瞬だった。
彼は周囲を見回す。
そして。
テーブルを指で二度、叩いた。
(……何かの合図か?)
レオンハルトの視線が、テーブルへ向く。
「さあ。そんなことは聞いたことがないな」
セレグナスは、何事もなかったように答えた。
その直後。
テーブルに置いた指が、静かに動く。
(……指文字?)
レオニスは気づいた。
二人は幼馴染だった。
秘密の会話をするとき、幼いころから指文字を使っていた。
二人だけで改造を重ねた、独自のもの。
第三者には、まず解読できない。
「そうなのか?神殿では、そのような報告はないな」
「そうか。少し俺が過敏に反応しすぎたか」
表面上は、ただの会話。
しかし。
(……周囲に監視がいる?)
(……会話が聞かれている?)
レオニスは息を呑む。
何が起きている。
なぜ、この二人は普通に話せないのか。
レオンハルトは表情を変えない。
不自然さを、一切見せない。
「レオンハルトは酒が入ると、慎重になるからな」
「そう言うなよ」
二人は笑う。
その笑顔すら、どこか不自然だった。
そして、再び指が動く。
(……もう少し調査したい?)
(……少し静観して欲しい?)
レオンハルトは、それを受け取った。
「そうだな。リオネーラも今度誘って、久しぶりに三人で食事でもしよう」
「そうだな」
セレグナスが頷く。
レオンハルトも、静かに頷き返した。
――俺は、判断を間違えた。
その言葉だけが。
最後まで消えなかった。
そこに込められていたのは、後悔。
強く。
深く。
取り返しのつかないほどの後悔だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




