予期せぬ介入者
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
激しい金属音が、禁奈備の湖畔に響き渡った。
キィン――という甲高い音。
次の瞬間。
黄金の聖剣が宙を舞った。
レオニスの目の前で、投擲された聖剣は大きな放物線を描く。
そして。
――ザブン。
湖の中へと落ち、そのまま深く沈んでいった。
「……」
フィデリアは、聖剣を投げた姿勢のまま動かない。
一方の樹王も。
片足だけで、湖面に立っていた。
両者の間。
そこに、一人の男が立っている。
(……まさか)
レオニスは、言葉を失った。
フィデリアの投擲。
先ほどまで、あの樹王すら防ぐことのできなかった一撃。
それを横から割って入り、弾き飛ばした者がいた。
男の右手には、漆黒の刀身の聖剣。
光を吸い込むような黒い刃が、静かに湖面を映している。
「ヴァルド様!?」
思わず、レオニスは叫んだ。
いるはずがない。
いや。
この場所にいるなど、考えたことすらなかった人物だった。
帝國最強の男。
ヴァルド。
長い銀髪を後ろへ流した男は、何事もなかったかのように立っていた。
そして。
傷だらけの樹王を背に庇うように、フィデリアの前へ立ち塞がる。
「もうよせ、裁定者」
静かな声だった。
「この戦いに意味はない。終わりだ」
まるで最初から、この場に何が起きるか知っていたかのような口調だった。
ヴァルドは、わずかに顔を横へ向ける。
その先には樹王がいた。
「お前もだ。この場は私に任せて、役目に戻れ」
樹王は動かない。
しばらく、ヴァルドを見つめていた。
やがて。
ゆっくりと頷くような動作をする。
そして、現れた時と同じように。
その身体が湖の中へ沈んでいった。
「……!」
フィデリアの腕が動いた。
逃がさない。
そう言っているようだった。
再び、聖剣を投げる。
その直前。
ヴァルドの手が、フィデリアの腕を掴んだ。
「――!」
止められた。
フィデリアは振り払おうとする。
だがヴァルドの腕は、まったく動かない。
(なんて……強さだ)
レオニスは息を呑んだ。
樹王を一方的に破壊していたフィデリア。
その攻撃を。
ヴァルドは、発動する前に止めている。
フィデリアはなおも抵抗した。
掴まれた腕を引く。
身体を捻る。
それでも、外れない。
「八つ当たりをしたいのであれば」
ヴァルドは、淡々と言った。
「私が相手をしよう」
次の瞬間。
フィデリアの身体が宙に浮いた。
「――っ」
ヴァルドは、まるで重さなど感じていないかのように。
その小さな身体を、無造作に空高く放り投げる。
フィデリアの赤いマントが大きく翻った。
そしてヴァルドは。
手にしていた漆黒の聖剣を、ゆっくりと腰の鞘へ戻した。
カチリ。
小さな音。
それだけだった。
まるで。
フィデリアを相手にするために、聖剣など必要ない。
そう言っているようにも見えた。
空中でフィデリアの身体が止まる。
落ちない。
赤いマントを風に揺らしながら、ヴァルドを見下ろしている。
対するヴァルドは、ただ一人。
湖畔に立っていた。
「かかってこい」
低く。
ヴァルドは、フィデリアに告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオニスの前で、ヴァルドとフィデリアの戦いが始まった。
だが、それは先ほどまでの戦いとはまるで違っていた。
勇者一行と樹王。
そして、樹王とフィデリア。
どちらも、ただ相手を打ち倒すための戦いだった。
しかし今、目の前で繰り広げられているものは違う。
まるで、美しい舞踏を見せられているようだった。
周囲には音楽など流れていない。
それでもレオニスには、どこからともなく雄大な音楽が聞こえてくるような気がした。
フィデリアが腕を振るう。
ヴァルドは避けない。
その腕を柔らかく受け止めた。
次の瞬間。
フィデリアの身体が、ふわりと横へ流れる。
まるで差し出された手を取った相手を、そのまま自然に導くように。
二人の距離が近づく。
「その程度か」
静かな声だった。
ヴァルドはフィデリアの身体を導くように腕を動かす。
すると、少女の身体がくるりと回った。
戦闘の最中だというのに。
それはまるで、ダンスのターンだった。
「すごい……」
レオニスは思わず声を漏らした。
フィデリアは明らかに不本意そうだった。
攻撃している。
そのはずだった。
だが、何度攻撃を仕掛けても、ヴァルドはそれを受け流す。
避ける。
身を引く。
そして、フィデリアが次の攻撃へ移ろうとする前に、すでにその先へ移動している。
主導権を渡さない。
何をしても無駄だとでも言うように。
フィデリアが一歩踏み込んだ。
攻撃の間合い。
その瞬間だった。
ヴァルドが半歩だけ身体をずらす。
それだけだった。
フィデリアの身体は勢いを失わず、そのまま横へ流れる。
だが倒れない。
ヴァルドの手が背に添えられていた。
次の瞬間には、また一回転していた。
受け流す。
導く。
回避する。
そのすべてによって、フィデリアの攻撃は少しずつ形を変えていく。
戦いのための動きが。
美しく舞うための動きへと。
まるで、ステップを踏むように。
華麗に。
そして、否応なく。
「――!」
フィデリアの身体が再びヴァルドへ向かった。
その瞬間。
これまで攻撃を受け流すだけだったヴァルドが、突然その腰を抱き寄せた。
フィデリアの動きが止まる。
そのまま、上半身を大きく後ろへ倒した。
足元をすくうような強引な動き。
ヴァルドが覆い被さるように距離を詰める。
「あ……っ」
そこで初めて無言だったフィデリアが声を上げた。
このままでは倒れる。
そう判断したのか、フィデリアは反射的にヴァルドへしがみついた。
その瞬間だった。
ヴァルドの動きが止まる。
「……戻ってこれたようだな」
静かな声だった。
フィデリアの身体から、先ほどまでの異様な緊張が抜けていく。
ヴァルドは倒れないように、その身体を確かに抱き止めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フィデリアは、状況を理解できていないようだった。
自分の身体を支えているヴァルドを見上げる。
「え!?い、いえ。今のは、その……えーと……」
珍しく言葉がまとまらない。
普段のフィデリアならば、どのような状況でも取り乱すことはなかった。
穏やかで。
冷静で。
そして、いつも自分の役目を理解していた。
そんな彼女が、今は完全に困惑していた。
「自分で立てるか?」
「は、はい」
ヴァルドはそれ以上何も言わなかった。
フィデリアを丁寧に抱き起こす。
少女が自分の足で立てることを確認すると、自然な動きで距離を取った。
フィデリアは自分の両手を見つめる。
「……私は、一体何を……」
「今のお前が、今の事態を引き起こしたわけではない」
フィデリアが言葉を続ける前に、ヴァルドが遮った。
静かな声だった。
「裁定者としてのお前が、正しく動作しただけに過ぎん」
フィデリアが顔を上げる。
「その結果が、あれだ」
視線の先には、無残に破壊された地面があった。
先ほどまで、そこには樹王がいた。
圧倒的な力を持ち。
勇者一行を追い詰め。
誰も傷を付けることすらできなかった存在。
それをフィデリアは、一方的に破壊した。
「フィデリア様!」
そこへ、レオニスが駆け寄ってきた。
だが、途中で足が止まった。
「……ご、ご無事ですか?」
慎重な声だった。
先ほどまで目の前にいたのは、レオニスの知るフィデリアとは思えなかった。
樹王の聖剣に身体を貫かれた。
確かにそう見えた。
だというのに。
今、フィデリアの身体には傷跡すら残っていない。
血もない。
痛みの痕跡すらない。
目の前にいる少女が、本当に自分たちと同じ存在なのか。
そんな疑問が、一瞬だけレオニスの胸をよぎった。
「はい。心配をかけました」
返ってきたのは、いつもの声だった。
柔らかく。
穏やかな声。
それを聞いた瞬間、レオニスの身体から力が抜けた。
「……よかった」
思わず、そう呟いていた。
そして、すぐにヴァルドの方を向く。
「あ、あの……!」
次の瞬間。
レオニスはその場で両膝をついた。
「フィデリア様を助けていただき……ありがとうございます!」
そのまま、深く頭を下げる。
地面に額を付けるほどに。
他に方法を思いつかなかった。
これほどの感謝を、どうすれば形にできるのか。
レオニスには分からなかった。
本来ならば、ヴァルドは敵になるかもしれない存在だった。
それでも関係ない。
今、この男がフィデリアを救った。
それだけで十分だった。
今にも零れ落ちそうになる涙を隠すためにも、頭を上げることができなかった。
「君のためにやったわけではない」
ヴァルドの声が落ちる。
「だから、立ち上がりたまえ」
レオニスは動かなかった。
するとヴァルドは、わずかに視線を禁奈備の奥へ向ける。
「私は、この儀式を崩さないために介入した」
静かな声だった。
「それだけの話だ」
「……え?」
レオニスは、ゆっくりと頭を上げた。
その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。
儀式。
今、自分たちが進めているもの。
勇者の儀。
「まさか……」
ヴァルドは答えなかった。
ただ、静かな黄金の瞳でこちらを見ていた。
それだけで十分だった。
ヴァルドという男は。
勇者の儀を知っている。
いや。
知っているだけではない。
この男は――その儀式そのものに関わっている。
レオニスは、ようやくその事実に気付いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




