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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
164/236

勇者の姿

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



何が起きているのか。


レオニスには、まったく理解できなかった。


目の前では、信じがたい光景が続いている。


フィデリアの身体を伝っていた血が、ゆっくりと逆へ流れ始めていた。


地面へ落ちた赤い雫も同じだった。


まるで時を巻き戻すように。


血は地面から浮かび上がり、フィデリアの身体へと戻っていく。


そして。


びくり、と。


一度だけ、その身体が痙攣した。


明るい金髪が顔を覆っている。


だから、その表情は見えない。


しかし次の瞬間。


白い腕が動いた。


フィデリアの手が、己の胸を貫いていた黄金の聖剣を掴んだ。


強く。


まるで、それが自分を傷つけているものだと、今になって初めて理解したかのように。


「……何だ?」


レオニスの口から、声が漏れた。


樹王が動いた。


その透明な顔が、ゆっくりと上を向く。


何かを感じ取った。


そうとしか思えない動きだった。


次の瞬間。


樹王はフィデリアごと、聖剣を投げ捨てた。


大地に叩きつけられる小さな身体。


だが、樹王は追撃しない。


逆だった。


明らかに距離を取った。


まるで恐れているかのように。


レオニスの背筋を、冷たいものが走った。


フィデリアが動く。


ゆっくりと。


本当に、ゆっくりと。


彼女は立ち上がった。


胸には、まだ黄金の聖剣が突き刺さっている。


それを見下ろすこともない。


フィデリアは片手を伸ばし、自らその柄を握った。


そして。


引き抜く。


ずるり、と。


血が零れた。


だが、次の瞬間には止まっていた。


まるで傷そのものが、存在しなかったかのように。


(……何が起きている)


レオニスには、フィデリアの背中しか見えない。


助かった。


本来なら、そう思うべきだった。


安堵するべきだった。


だというのに。


胸の奥から湧き上がったのは、喜びではない。


恐怖だった。


目の前にいる存在は。


本当にフィデリアなのか。


そんな疑いが、どうしても消えなかった。


フィデリアの肩が、僅かに揺れる。


その瞬間だった。


轟音が響いた。


「――っ!?」


勇者一行の攻撃を受けても。


微動だにしなかった樹王の身体が。


まるで風に舞う木の葉のように、宙へ吹き飛んだ。


(……馬鹿な)


レオニスの思考が止まった。


樹王は湖面へ叩きつけられる。


一度。


二度。


三度。


水切りで投げられた石のように、水面を跳ね続けた。


あれほどの強者が。


勇者たちを一方的に叩き伏せた魔王が。


今は。


フィデリアの前で、ただの小石のようだった。


湖の上で樹王が立ち上がる。


透明な外殻の奥で、黄金の骨格が揺らいだ。


右手を天へ掲げる。


すると。


湖面が盛り上がった。


一本。


二本。


三本。


黄金の聖剣が水中から姿を現す。


十本。


それらは樹王の周囲に浮かび、静かにフィデリアへと切っ先を向けた。


樹王が指を差す。


それだけだった。


十本の聖剣が、一斉に放たれる。


凄まじい速度だった。


だが。


フィデリアは動かない。


避けることすらしなかった。


黄金の刃が、次々とその身体を貫く。


一本。


二本。


そして、十本。


それでも。


フィデリアは悲鳴を上げなかった。


ただ自分が持っていた黄金の聖剣を、樹王へ向ける。


そして。


投げた。


甲高い音が響き渡った。


硝子が砕けるような音だった。


「……そんな」


レオニスは、言葉を失った。


勇者たちが何度攻撃しても。


傷一つ付かなかった、あの樹王の身体。


それなのに、フィデリアが投げた聖剣は。まるで紙を破るように容易く、その身体を貫通していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



それから。


フィデリアによる、樹王への一方的な攻撃が続いた。


自身の身体に突き刺さった黄金の聖剣を引き抜く。


そして。


投げる。


一本。


また一本。


聖剣は、狙い違わず樹王の右腕を貫いた。


続けて左腕。


右足。


左足。


黄金の刃が、その透明な身体を次々と穿っていく。


硝子が割れるような音が、禁奈備に響いた。


樹王は反撃する。


だが、届かない。


フィデリアは避けることすらしなかった。


攻撃を受けても。


聖剣に貫かれても。


何事もなかったかのように、その身体から剣を引き抜く。


そして、また投げる。


「も、もう……止めてください、フィデリア様!」


耐えかねたレオニスが叫んだ。


しかしフィデリアは動きを止めなかった。


「もう、勝負は決まっています!」


返事はない。


背を向けたまま。


振り返ることすらしない。


風が吹く。


長い金色の髪が揺れた。


赤いマントが、大きく靡く。


いつもなら、その姿は高潔だった。


誰かを導く者の姿に見えた。


だが今は違う。


レオニスには、その背中がひどく遠いものに見えた。


フィデリアは、また胸元に刺さった聖剣を掴む。


躊躇いもなく引き抜いた。


血が流れる。


それすら、彼女は気にしていない。


聖剣を構える。


投げるために。


樹王は、すでに満身創痍だった。


傷一つなかった透明な肉体には、無数の罅が走っている。


両腕は使えない。


左足も失われていた。


残された右足だけで。


それでも、樹王は立っていた。


次の一撃で終わる。


誰の目にも明らかだった。


樹王の死という結末で。


それでも。


樹王は逃げなかった。


フィデリアを見据えている。


レオニスには、その顔から何を考えているのかは分からない。


そもそも人間のような感情があるのかさえ、分からない。


だが。


その姿を見た瞬間。


レオニスは気付いた。


樹王の背後。


そこには、あの巨大な樹があった。


樹王は。


まるでそれを守るように。


一歩も退かず、その前に立っていた。


「……あれは」


思わず、声が漏れる。


盾だった。


自分の身を守るためではない。


背後にある何かを守るために。


樹王は、そこに立っている。


その姿は、レオニスが知る、勇者の姿そのものだった。


どれほど傷つこうとも。


どれほど勝ち目がなくとも。


守ると決めたものの前から、退かない。


最後まで。


絶対に守り抜く。


そんな揺るぎない意志が。


確かに、そこにあった。


先ほどレオニスは思った。


こんなものが、勇者であってたまるものか、と。


仲間が傷ついた。


フィデリアが殺されたと思った。


だから。


樹王を、ただの怪物だと決めつけた。


目を曇らせていたのは。


樹王ではない。


自分の方だったのかもしれない。


「待って――」


レオニスが叫ぶ。


しかし遅かった。


フィデリアは樹王へ向かって黄金の聖剣を投擲した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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