透明な怪物
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「グラディ、防御を!」
「心得た」
イシュリアンの声と同時に、グラーディスが前へ出た。
アウレリアとイシュリアン。
その二人を背にかばい、黄金の瞳が樹王を見据える。
樹王は相変わらず、何も言わなかった。
表情もない。
呼吸もない。
ただ、透明な身体の奥で黄金の骨格だけが、湖面の光を反射している。
(……本当に意思があるのか)
疑問を抱く暇はなかった。
樹王が踏み込む。
黄金の聖剣が振り下ろされた。
グラーディスは聖盾を掲げる。
轟音。
「……っ!」
盾を持つ腕から、衝撃が全身へと抜ける。
骨まで揺さぶられるようだった。
もし、手にしているものが聖盾でなければ。
一撃で砕かれていても、おかしくはない。
「これは……!」
樹王が、続けざまに剣を振るう。
横薙ぎ。
突き。
振り下ろし。
グラーディスは後退しながら、そのすべてを受け止めた。
しかし。
そこで、ある違和感に気づく。
(これは……剣術ではない)
樹王の攻撃には、組み立てがなかった。
牽制がない。
誘いもない。
次の攻撃へつなげるための一撃もない。
一撃。
また一撃。
そのすべてが必殺だった。
最初の一太刀で敵を殺す。
それだけを目的とした刃。
敵に防御されることも。
受け流されることも。
まるで考慮していない。
防がれようと、構わず次の全力を叩き込む。
(人間なら、できる戦い方ではない)
全力の斬撃を、何度も繰り返す。
そんなことを続ければ、先に自分の肉体が壊れる。
筋肉が裂ける。
骨が軋む。
呼吸も乱れる。
体力は尽きる。
だが。
目の前の存在には、そのすべてが存在しなかった。
透明な身体。
黄金の骨格。
呼吸する必要もない。
疲労する必要もない。
(確かに、この姿ならば……筋肉も、体力も必要ないということか)
根本から違う。
同じように剣を握っていても。
人間とは、まったく別の存在だった。
正面から戦えば。
先に限界を迎えるのは、人間の方だ。
(ならば!)
グラーディスは、一歩踏み込んだ。
聖盾を大きく振り抜く。
盾打。
常人であれば、それだけで吹き飛ぶ。
グラーディスの膂力なら、体勢を崩すだけでは済まない。
だが。
ゴンッ!
鈍い音だけが響いた。
樹王は、動かない。
まるで巨大な岩を殴ったような感触だった。
「……っ!」
逆に。
衝撃がグラーディスの腕へ返ってくる。
「まったく……自信を喪失するよ」
苦笑した。
だが、その視線は笑っていない。
人間の中でも、常識を超えた筋力を持つグラーディス。
その彼でさえ。
今は力で、どうにか防ぐだけで精一杯だった。
(しかし……こいつは、本当に勇者なのか?)
樹王の手にある剣を見る。
間違いない。
聖剣だ。
アウレリアのものと、ほとんど同じ意匠。
だが。
聖剣解放は使わない。
いや。
使えないのか。
あるいは、使う必要がないと思っているのか。
判断できない。
「グラディ!」
イシュリアンの声が飛んだ。
グラーディスは振り返らない。
しかし、それだけで理解した。
アウレリアの回復が終わった。
「……そうか」
グラーディスは、聖盾を構え直す。
今の勝ち筋は、一つ。
樹王を押し切る。
自分たちの体力が尽きる前に。
魔力が尽きる前に。
人間である自分たちが、限界を迎える前に。
「ならば、やるしかあるまい!」
再び。
グラーディスは、透明な怪物へと踏み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グラーディスと樹王の戦いは、なおも続いていた。
だが、それは攻防とは呼べない。
一方が攻め。
一方が受ける。
ただ、それだけだった。
黄金の聖剣が振るわれる。
グラーディスは聖盾を構える。
轟音。
再び。
また一撃。
樹王は止まらない。
攻撃の合間すら存在しなかった。
グラーディスも反撃できない。
いや、しない。
今の彼は、自ら攻めることを捨てていた。
聖盾による防御。
回避。
そして、時間を稼ぐ。
それだけに徹している。
それでも。
樹王の異常な攻撃力は、少しずつグラーディスの体力を削っていた。
一撃ごとに腕が震える。
足元が湖面を滑る。
聖盾を持つ腕には、すでに疲労が蓄積しているはずだった。
その背後。
アウレリアは剣を構えたまま、樹王を見ていた。
ただ眺めているわけではない。
黄金の聖剣。
踏み込み。
腕の動き。
身体の傾き。
一つ一つを見逃さない。
太刀筋を。
樹王という存在そのものを。
観察していた。
一方でイシュリアンも、静かに呼吸を整えている。
アウレリアの回復を続けながら。
次の魔法を使うために。
魔力を整えていた。
(……アウレリアたちは、攻勢に出る気だ)
離れた場所から、レオニスは戦いを見つめていた。
勇者一行には、戦う役割がある。
グラーディスが防ぐ。
アウレリアが斬る。
イシュリアンが支える。
だが今。
その二人がすぐに攻撃へ加わらない。
ならば。
何かを準備している。
一撃で。
樹王を戦闘不能へ追い込むための攻撃を。
(けれど……)
レオニスの脳裏に、覇王の言葉が蘇る。
樹王は倒れない。
傷つかない。
疲労しない。
どれほどの攻撃を受けても。
その歩みを止めることがない。
仕組みは分からない。
しかし。
覇王ですら、そう断言していた。
無敵に限りなく近い存在だと。
その攻略のために生み出されたもの。
常世樹斬。
少なくとも。
樹王の武器と互角以上の力がなければ、戦いにならない。
そして。
聖剣を無力化すること。
それが、勝利するための最低条件だった。
(果たして……可能なのか)
勇者一行と渡り合った覇王。
その覇王ですら勝てなかった相手。
樹王。
魔王国最強。
そう呼んでも、間違いではないだろう。
同時に。
聖剣を持つ、原初の勇者。
レオニスは拳を握る。
けれど。
何もできなかった。
剣は使えない。
魔法もない。
あの戦いの中へ飛び込めば、守られる側になるだけだ。
(……見ているしかできない)
無力だった。
勇者ではない。
超越した力を持つ戦士でもない。
あの場所は。
自分の立てる世界ではない。
恐怖が喉を締めつける。
次の一撃で。
誰かが死ぬかもしれない。
それでも。
レオニスは目を閉じなかった。
(だから、目を逸らさない)
何もできないからこそ。
見届ける。
逃げない。
恐怖を必死に押し殺しながら、レオニスは戦いを見つめ続けた。
その隣で。
フィデリアもまた、樹王を見ていた。
青い瞳は、静かだった。
「やはり……このままでは」
小さな声だった。
だが。
レオニスには届いた。
「フィデリア様?」
彼女は答えない。
ただ、戦いの向こうを見ていた。
グラーディス。
アウレリア。
イシュリアン。
そして。
止まることのない樹王を。
「アウレリアたちが」
一度。
フィデリアは言葉を止めた。
「……死にます」
黄金の聖剣が、再び振り下ろされた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「リアン!」
アウレリアの声が飛ぶ。
その瞬間、イシュリアンはすでに動いていた。
「分かっています」
聖杖の先端にある赤い宝玉が輝く。
同時に、グラーディスも動いた。
「グラディ!」
「ああ!」
これまでのように守るだけではない。
グラーディスは聖盾を構えたまま、樹王へと踏み込んだ。
後のことなど考えない。
体力も。
防御も。
次の一撃に耐えられるかどうかも。
今、この瞬間。
樹王を押し返せなければ勝機はない。
(ここで押し返せねば、勝機はない!)
しかし。
渾身の力を込めた聖盾が、樹王を押しても。
透明な巨躯は、微動だにしなかった。
まるで大地そのものを押しているようだった。
それでも、グラーディスは退かない。
(それで上等だ)
勝つために前へ出る者がいる。
敵を倒す者もいる。
ならば自分の役目は違う。
(私の役目は、皆を守る盾だ!)
グラーディスが聖盾を掲げた。
「聖盾解放――挑発の聖域!」
大地に魔法陣が広がった。
グラーディスを中心に、巨大な光の円が展開する。
その領域に存在する敵意。
殺意。
攻撃の意思。
すべてが一つへと引き寄せられていく。
――聖盾へ。
仲間へ向けられるはずだった攻撃を。
グラーディスが一人で引き受ける。
その瞬間。
樹王の黒い瞳が、グラーディスを捉えた。
無言のまま。
ただ、次の攻撃対象を決定する。
「拘束!」
イシュリアンが杖を振り下ろした。
樹王の足元に光の輪が浮かぶ。
鎖ではない。
何かを巻き付けるものでもない。
魔力そのものが、空間ごと樹王の動きを縛りつける。
樹王の足が止まった。
(いかに樹王と言えど、単純な力だけで魔力拘束は解けないはずです)
完全な停止ではない。
だが一瞬でいい。
それだけあれば十分だった。
「グラディ!」
「ああ!」
イシュリアンの合図と同時に、グラーディスが攻勢へ転じる。
大剣が唸りを上げた。
狙うのは、無防備な足。
横薙ぎの一撃が、樹王の脚部を捉える。
――だが。
甲高い音が響いただけだった。
透明な肉体には。
傷一つない。
血も流れない。
ひびすら入らなかった。
あまりにも硬い。
いや硬いという言葉だけでは説明できない。
(……人の武器では届かないか)
グラーディスは内心で舌打ちする。
だが、予想の範囲内でもあった。
(ならば、お前の持つ聖剣と、同等のものならどうだ!)
グラーディスの視線が動く。
樹王の背後。
そこにアウレリアがいた。
白銀の鎧を纏った少女は、すでに聖剣を振りかぶっている。
完全な死角。
完全な間合い。
そして。
仲間たちが作り出した、たった一度の好機。
聖剣の刀身へ、光が集まっていく。
周囲の光さえ吸い込むように。
収束する。
圧縮される。
その一撃だけに。
すべての力が集められていく。
アウレリアの黒い瞳が、樹王を真っ直ぐ捉えた。
「――聖剣極刑!」
最大の攻撃が。
樹王へと放たれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




