樹王
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……最終、巡礼?」
レオニスが、思わず呟いた。
最終巡礼。
つまり、ここは勇者一行が最後に訪れる場所ということになる。
「どういうことでしょうか、フィデリア様?」
イシュリアンが問いかける。
「ここは巡礼の地です。ですが、最後の場所になります」
フィデリアは湖の向こうにそびえる樹王を見つめたまま、淡々と答えた。
「第二の巡礼を終えることができれば、ここで選定の儀の最終選択を行います」
「つまり、ここは目的地だけど、最後に来るべき場所ってこと?」
アウレリアが確認する。
フィデリアは、一度だけ頷いた。
「はい」
「……無駄足というわけではないが」
グラーディスが顎に手を当てる。
「旅は暗礁に乗り上げた、ということになるな」
最終的な目的地が判明した。
その事実そのものは喜ばしい。
しかし、今すぐそこへ進めるわけではない。
「……しかし、どうしたものか……」
グラーディスが唸る。
(そうだよな)
レオニスも頷いた。
ここまで来た。
それなのに、次へ進むための手掛かりがない。
完全に道が途切れてしまった。
――そう思った、そのときだった。
(……ん?)
レオニスの視線が、湖面へ向く。
水面に、小さな波紋が広がっていた。
(風かな?)
あるいは、鳥が水を飲んだのか。
レオニスは、最初、それほど気に留めなかった。
周囲に変化はない。
鳥の囀りも聞こえる。
木々の間から差し込む光も変わらない。
穏やかな湖面。
グラーディスも。
イシュリアンも。
アウレリアも。
武器を構えてはいない。
三人とも、一流と呼ばれる者たちをさらに越えた力量を持つ。
周囲への警戒を怠るはずがなかった。
だからこそ、レオニスは気に留めなかった。
湖面を見続けていたのは、ただの気紛れだった。
たまたまフィデリアが、その方向を見ていた。
レオニスは、彼女の視線を追っていただけだった。
湖面に、また波紋が生まれる。
一つ。
二つ。
三つ。
それは、こちらへ向かっていた。
水の上を、何かが進んでいる。
ゆっくりと。
まるで――誰かが、水の上を歩いてくるように。
「……」
レオニスの呼吸が止まった。
(何だ、あれは……)
レオニスは声を出せなかった。
波紋だけが、ゆっくりと近づいてくる。
そして、その正体を理解したフィデリアが呟いた。
「……樹王……」
その名が、静かな湖畔に落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一見すれば、人間だった。
長身の男。
細身の身体。
長い手足。
人間と同じような形をしている。
だが。
皮膚がない。
そこにあるのは、透明な身体だった。
人間の筋肉や皮膚にあたる部分は、透き通った水晶のような素材で構成されている。
まるで、巨大な彫刻だった。
その透明な身体の奥には、黄金色の骨格が浮かんでいる。
肋骨。
背骨。
腕の骨。
脚の骨。
人間ならば身体の内側に隠されているものが、すべて透けて見えていた。
顔も同じだった。
人の顔に似た輪郭。
しかし、鼻や耳といった人間らしい造形は希薄だった。
頭蓋骨を思わせる顔。
その二つの眼窩にあたる暗闇の奥で、冷たい光だけが宿っている。
明らかに、人ではない。
それどころか。
生き物なのかどうかすら、判別できなかった。
「皆!樹王です!」
レオニスは、ようやく声を絞り出した。
その声に、初めて仲間たちが反応する。
アウレリア。
グラーディス。
イシュリアン。
三人とも、レオニスが指し示した方向を見る。
だが。
そこにいるはずの存在を、誰も捉えられていなかった。
殺気がない。
魔力の揺らぎもない。
そもそも、そこに何かがいるという感覚そのものが希薄だった。
見えている。
それなのに。
認識できない。
まるで幽霊だった。
「あそこです!」
レオニスが指を伸ばす。
ようやく三人の視線が、透明な身体を捉えた。
「……全然、木じゃないじゃない」
アウレリアが、ほんの少しだけ残念そうに呟く。
「そんなことを言っている場合ですか!」
イシュリアンが思わず声を荒らげる。
アウレリアは肩をすくめた。
「だって、樹王っていうから、もっとこう……大きな木を想像するでしょ」
「しかし……」
グラーディスは、静かに前へ出る。
湖面を歩き、こちらへ近づいてくる存在を見据えた。
「会話もできそうにないが……」
それでも。
グラーディスは盾を構えなかった。
剣にも手をかけない。
「魔王国の樹王よ!」
静かな湖に、声が響く。
「我々は戦うために、ここへ来たのではない!」
返事はない。
「話ができるのであれば、話をさせていただきたい!」
その言葉が届いたのか。
樹王の足が止まった。
(止まった?)
レオニスが息を呑む。
樹王は、ゆっくりと湖面へしゃがみ込んだ。
そして。
右手を、水の中へ沈める。
しばらくして。
樹王が立ち上がった。
その手には、一振りの剣が握られていた。
その意匠を見た瞬間。
アウレリアの表情が変わる。
見覚えがある。
それは、彼女が持つ聖剣と同じ形だった。
違いがあるとすれば。
樹王の手にある剣は、刀身そのものが黄金の輝きを放っている。
(やはり……聖剣……)
レオニスの背筋を、冷たいものが走った。
樹王。
魔王国に伝わる、原初の勇者。
その存在は今。
聖剣を携え、勇者一行の前に立ち塞がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(えっ!?)
次の瞬間。
レオニスの視界から、樹王の姿が消えた。
いや。
消えたように見えただけだった。
認識が追いつかなかったのだ。
「レオニス!」
グラーディスの叫び。
その巨体が、レオニスの前へと割り込む。
ほとんど同時だった。
黄金の光が走る。
ギィィンッ!
樹王の聖剣を、グラーディスの聖盾が受け止めた。
「何!?」
受け止めた。
しかし、それだけだった。
衝撃を完全に殺すことはできない。
グラーディスの足が地面を削る。
そのまま後方へと押し込まれた。
レオニスも巻き込まれる。
ふたりの身体が、まとめて吹き飛ばされた。
(何たる怪力……!)
グラーディスは空中で身体をひねる。
レオニスを抱え込んだまま、どうにか着地した。
だが、聖盾を握る腕が痺れている。
たった一撃。
それだけで、腕の感覚が鈍くなっていた。
「レオニス、無事か」
「……申し訳ありません。何とか……」
レオニスは息を整えながら答える。
グラーディスは彼を下ろすと、すぐに聖盾を構え直した。
樹王は、すでにこちらを見ていない。
その黄金の聖剣は、別の相手へと向けられていた。
「とりあえず、樹王とは会話は不可能らしいな」
「フィデリア様と避難します」
「ああ。頼む」
レオニスは頷く。
すぐにフィデリアのもとへと駆け出した。
「これが……原初の勇者」
グラーディスは低く呟く。
「一体、何が起きたというのだ」
その視線の先。
すでにアウレリアと樹王が斬り結んでいた。
白銀。
黄金。
二本の聖剣が激突する。
キィンッ!
鋭い金属音が、湖畔に響き渡った。
奇しくも。
勇者と勇者。
ふたりの聖剣使いが、互いの剣をぶつけ合う構図となっていた。
「アウレリア!」
イシュリアンが聖杖を掲げる。
魔力が樹王へと向かった。
防御力低下。
速度低下。
攻撃力低下。
弱体化の魔法を、矢継ぎ早に叩き込む。
効いているかどうかは分からない。
だが、手を止めるわけにはいかなかった。
その間にも。
アウレリアは樹王と斬り結ぶ。
一合。
二合。
三合。
金属音が連続する。
だが。
剣を打ち合わせるたび。
アウレリアの表情が、少しずつ険しくなっていった。
そして。
唐突に。
アウレリアが大きく後ろへ跳んだ。
「アウレリア!?」
「……回復。頼める……?」
イシュリアンの驚きに、アウレリアは短く答えた。
その両腕には。
赤黒い痣が、いくつも浮かんでいた。
「どうしたんですか!?」
「……あいつの剣、とんでもなく硬い」
アウレリアは自分の腕を見た。
「まるで、壊れない壁でも叩いてるみたいよ……」
「剣を打ち合っただけで、腕がやられているんですか?」
「そういうこと」
アウレリアは肩を回す。
痛みを確かめるように。
だが、その目は樹王から離さない。
「あいつ、強いわよ」
一度。
言葉を切る。
「聞いてた以上にね」
それは、決して弱音ではなかった。
アウレリアは敵の強さを認めたのだ。
だからこそ。
いつものように、笑ってみせる。
「……面白くなってきたじゃない」
だが。
その軽口とは裏腹に。
白銀の聖剣を握る手には、わずかな震えが残っていた。
魔王と勇者。
原初の勇者と、今代の勇者。
その戦いは――。
勇者一行の劣勢から、始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




