禁奈備
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが、“禁奈備”?」
アウレリアが問いかけた。
「その参道と言ってよい場所です」
答えたのはレイラだった。
一行の前には、一本の道が伸びている。
道の両側には、鬱蒼とした木々。
その隙間から、巨大な樹木が見えていた。
あまりにも大きい。
樹冠は空を覆い、幹は山そのものに見える。
「……山にしか見えない……」
レオニスは呟いた。
視線の先にあるのは、広大な壁ではない。
それは樹王の幹だった。
あまりにも巨大すぎて、一本の樹木であるという認識すら薄れてしまう。
(……この先に、“樹王”がいる)
魔王国最強の魔王。
その存在が、道の向こうにいる。
何かが告げていた。
ここから先へ入るな、と。
まるで立ち入りを禁じるような空気が、道の奥から流れてくる。
レオニスは額を伝う汗を、腕で拭った。
「……レオニス。君は残ってもいい」
グラーディスが言った。
「……はい。私も、それがよいと思います」
イシュリアンも続ける。
二人もまた、この場所の異様さを感じ取っていた。
「……いえ」
レオニスは首を横に振った。
「私も行きます」
その声に迷いはなかった。
もちろん、命は惜しい。
怖くないわけでもない。
だが、ここでアウレリアたちと別れるという選択肢は、レオニスにはなかった。
彼らが敗れれば、自分も死ぬ。
魔王国から王国へ、一人で戻ることなどできない。
ならば。
最後まで共に行く。
それが、今のレオニスにできる選択だった。
「フィデリア、大丈夫?」
アウレリアが声をかける。
「私は問題ありません」
フィデリアの表情は変わらない。
だが、しばらく樹王を見つめた後、静かに口を開いた。
「……アウレリア」
「?どうかした?」
アウレリアが首を傾げる。
「もし……」
フィデリアの青い瞳が、アウレリアを捉えた。
「もし、どうすることもできないような出来事が、目の前にあれば……あなたは、どうしますか?」
「どういうこと?」
アウレリアには、その問いの意味が分からなかった。
フィデリアは少しだけ目を伏せる。
「私の言葉を覚えておいてください、アウレリア」
その声は穏やかだった。
けれど、妙に強かった。
「そうなった時は、まず自分を救うことを考えなさい」
「自分を……?」
「自分を救えない人は、結局、何も救えないのです」
フィデリアは、それだけを告げた。
そして再び、樹王へと視線を向ける。
その横顔には、決意があった。
アウレリアは、まだ知らない。
この時のフィデリアが、何を覚悟していたのか。
ただ、その言葉だけが。
静かに、アウレリアの胸に残った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私が連れて行けるのは、ここまでです」
レイラは、禁奈備へ続く道を見つめた。
「そして、私が手を貸せるのも」
「レイラ、ありがと」
アウレリアが振り返る。
「ロウガから頼まれたことを叶えたまでです」
レイラは一度、静かに息を吐いた。
そして、改めてアウレリアを見る。
「アウレリア。ディアボロスから言われたことを覚えていますか?」
「覚えているわよ」
「無理をせず、退くべき時は退きなさい」
「分かってるって」
即答するアウレリアに、レイラは念を押すように続けた。
「ロウガも、あなたのことを心配しています」
「……そっか」
アウレリアは一度だけ頷いた。
「行ってくるよ」
そう言って、彼女は前を向く。
勇者一行も続いた。
樹王の参道へ足を踏み入れる。
隊列は自然と決まっていた。
先頭は、聖盾の聖騎士グラーディス。
二番手に、聖杖の聖導師イシュリアン。
三番手に、フィデリアとレオニス。
そして最後尾に、聖剣を携えたアウレリア。
正面から敵が来れば、グラーディスが防ぐ。
イシュリアンが支援し、アウレリアが隙を埋める。
後方からなら、アウレリアが迎撃する。
イシュリアンが支援し、グラーディスが補助に回る。
単純だが、隙のない布陣だった。
(……なんか、息苦しいな……)
レオニスは、そう表現するしかなかった。
道は真っ直ぐだった。
なのに、進めば進むほど、地下へ降りているような感覚がある。
空気が重い。
呼吸するだけで、身体に何かがまとわりつく。
正面に見える樹王が、あまりにも巨大だからだ。
歩いている。
確かに近づいている。
それなのに、距離が縮まっているように感じられない。
先頭のグラーディスとイシュリアンも、無言だった。
背中しか見えない。
それでも、二人の緊張は伝わってくる。
レオニスは隣を歩くフィデリアを見た。
彼女の表情は変わらない。
いつも通り、淡々としている。
その落ち着きだけを見れば、何も感じていないようにも見えた。
そして、背後のアウレリア。
姿は確認できない。
だが、声は聞こえない。
普段なら何かしら口にする彼女が、今は一言も喋らない。
呼吸すら乱さないようにしている。
(……アウレリアも、緊張している)
そう気づいた瞬間。
レオニスの背筋に、冷たいものが走った。
グラーディスが足を止める。
「もうすぐ、道が終わる」
小さな声だった。
「全員、警戒を」
(いよいよ……樹王と対面か)
レオニスの緊張が、限界まで高まる。
そして。
勇者一行は、“禁奈備”へ到着した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここが、“禁奈備”?」
グラーディスは、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
木々の隙間から、天の光が差し込んでいる。
時折、鳥の声が聞こえる。
それだけなら、どこにでもある森の一風景だった。
しかし、その先に広がっていたものは違った。
森の奥にあるとは思えないほど、巨大な湖。
静かな水面。
その中心から、一本の巨大な樹木が天へ向かって伸びている。
樹王。
大地に根を張るのではない。
湖そのものを貫くようにして、天へとそそり立っていた。
「こんな森の奥に、湖が広がっているとは……」
グラーディスは慎重に湖へ近づく。
そして、湖面を覗き込んだ。
「しかも、深い……。底が見えない」
水は異様なほど透明だった。
そのため、水底へと伸びていく樹王の幹が見える。
だが、その先にあるはずの根は見えない。
どこまで続いているのか。
想像することすら難しい。
「すごい……」
アウレリアでさえ、そう呟くしかなかった。
かつて目指した場所。
その到達点は、想像していたものとはまるで違っていた。
静かだった。
美しかった。
そして何より、神聖だった。
人が踏み込むことを拒むような、圧倒的な自然がそこには存在している。
「……イシュリアン様?」
レオニスが隣を見る。
イシュリアンは口元を片手で押さえ、明らかに気分を悪くしていた。
「どうかしましたか?」
「……大丈夫です」
そう答えたものの、顔色は優れない。
「最初の巡礼の地とは比較にならない……異常と表現してよい魔力量です」
イシュリアンは湖と樹王を見つめる。
これまで経験したことのないほどの魔力が、この場所には満ちていた。
もし、この膨大な魔力を樹王自身が生み出しているのなら。
その存在が持つ力は、もはや常識では測れない。
「フィデリア様」
グラーディスが振り返る。
「ここが、“巡礼の地”で間違いないのですか?」
問われたフィデリアは、樹王を見上げた。
そして、ゆっくりと視線を左右へ向ける。
「……ここは間違いなく、“巡礼の地”です」
その言葉に、勇者一行は互いに顔を見合わせた。
ようやく辿り着いた。
そんな安堵が、一瞬だけ場を満たす。
だが。
フィデリアは、続けた。
「ですが、ここは“最終”巡礼の地です」
「……え?」
アウレリアが目を見開く。
「今の我々が目指す場所ではありません」
フィデリアは静かに告げる。
「……ここは、まだ来るべき場所ではありません」
その言葉と同時に。
辿り着いたはずの目的地は、再び彼らの前から遠ざかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




