魔王国創世(7)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
覇王ディアボロスの口から語られたもの。
それは、魔王国の創世神話と呼ぶべき物語だった。
宗主と讃えられた、シャルバート・ウル・ヴァース。
彼女は、人々に生きる道を示した。
そして彼女を宗主と仰いだ第一使徒と第三使徒もまた、それぞれ異なる道を選びながら、未来へ希望を残した。
その先にあったのが、今の魔王国だった。
そこへ至るまでに、幾つもの命が失われた。
幾つもの選択があり、幾つもの願いが受け継がれた。
決して単純な歴史ではない。
それでも、命は途切れなかった。
姿を変えながらも、彼らは生き残った。
そして、言葉という文化もまた、受け継がれていった。
レオニスは、そこで初めて納得したように呟いた。
「だから、普通に言葉が通じるのか……」
魔王国の住人たちは、遠い祖先を辿れば、同じ人間を起源としている。
身体は変わった。
生きるために、人間ではなくなった者たちもいる。
それでも、言葉までは失わなかった。
レオニスは静かに考える。
(……それだけ多くの人を犠牲にしたのなら、勇者が魔王国で憎まれるのも頷ける)
当時の人々からすれば、何の理由も分からないまま、大勢の命を奪われたに等しい。
たとえ、その原因が邪悪の化身と呼ばれる存在にあったとしても。
残された者たちが、すべてを受け入れられるはずがない。
それほどの憎悪が、この国を満たしていても不思議ではなかった。
それなのに。
(それでも、今の魔王国の人々が人間そのものを憎んでいないのは……)
レオニスは、一枚の肖像画を見上げた。
そこに描かれているのは、シャルバート・ウル・ヴァース。
絶望を与えたのも、人間。
そして。
希望を与えたのも、人間だった。
だからこそ、魔王国の人々は彼女を憎めない。
自分たちを救ってくれた人間を、憎むことなどできないのだ。
(……しかし)
それでも、謎は残っている。
原初の勇者は、なぜあのような愚行を犯したのか。
人間だった勇者が、なぜ樹王という人ならざる存在へ変貌したのか。
その答えは、まだ分からない。
「しかし、シャルバートの名も、第一使徒の名も俺は知らない」
ロウガが腕を組む。
「ライガ様とシュレイ様の名なら知っていますが……」
レイラが静かに答える。
その表情には、僅かな感慨が浮かんでいた。
「まさか、ディアボロスが先祖と面識があったとはな……」
ロウガは、どこか納得しきれない顔をする。
一方、レイラは違った。
「シュレイ様は、本当に素晴らしい選択をされたのですね」
その声には、素直な感動が滲んでいた。
「そして、ライガ様も」
二人の反応を見ながら、レオニスは思う。
シャルバート・ウル・ヴァースが、なぜ命を懸けて人々を救ったのか。
それもまた、まだ分からない。
だが。
(……それで、いいのかもしれないな)
過去に残されたすべての謎を、今を生きる者たちが掘り起こす必要はない。
彼らが受け取ったのは、答えではない。
生き残った者たちが、何を選び、何を残したのか。
その事実だけだ。
そして今も。
その選択の先に生きる者たちが、ここにいる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、ディアボロス。そんなことよりも――〝冥王〟についてだ」
ロウガの言葉に、ディアボロスの片眉が僅かに動いた。
「……冥王」
「そうだ」
ロウガの表情から、先ほどまでの穏やかさが消える。
「先だって、俺は冥王配下を名乗る〝死王〟と戦った」
その話を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。
ロウガが戦ったのは、ノクスとレヴェナント。
二人の死王。
彼らは自らを不死身と称し、その言葉に違わぬほどの異常な生命力を持っていた。
傷を負っても倒れない。
それだけではない。
身体能力そのものが高く、まともに戦えば魔王にも届きかねないほどの戦闘力を備えていた。
だが。
ロウガが最も恐ろしいと感じたのは、そこではない。
「……俺が戦慄したのは、あいつらだけじゃない」
ロウガは低く言った。
「冥王の民を名乗る者たちがいた。兵士でもない。ただの人々だ」
その人々が。
子供が毒のナイフを携え、後ろからロウガを刺した。
「実際に手を合わせてみて、奴らは普通じゃない」
ロウガは拳を握る。
「俺は、奴らに魔王国を委ねることは出来ないと考えている」
そして、ディアボロスを見る。
「……ついに動いたということか」
ディアボロスの声は低かった。
その一言だけで、意味は十分だった。
覇王。
そして冥王。
魔王国を統べる者を決める戦い。
言い換えれば、魔王国そのものを懸けた頂上決戦だった。
室内を、重苦しい沈黙が満たしていく。
そんな中だった。
「ちょっと待って、ロウガ」
アウレリアが口を挟んだ。
「あたしは、これ以上の話は聞けないわよ」
「……アウレリア?」
「魔王国の戦争に参加するつもりはないから」
一瞬。
勇者一行の誰もが言葉を失った。
(確かに、そうなんだけど……)
レオニスも、フィデリアも。
その言葉を否定することは出来なかった。
アウレリアの判断は正しい。
魔王国を一つの国として考えるなら、これは明確な内政問題だ。
そこへ王国の勇者が介入すれば、内政干渉になる。
そして、それは王国と魔王国の間に、新たな戦争の理由を作りかねない。
おそらく。
アウレリア自身も、それを理解している。
だからこそ、率先して拒んだのだ。
ロウガに力を貸したくないわけではない。
むしろ、その逆だろう。
だからこそ、自分たちを戦争へ巻き込みたくない。
そして、自分たちの存在を理由に、ロウガが不必要な争いを背負うことも避けたい。
「とりあえず、ロウガはあたしたちを〝禁奈備〟に案内してよ」
アウレリアは、いつもの調子で言った。
「約束なんだから」
勇者一行が魔王国へ来た目的。
それは、巡礼の地へ向かうことだった。
〝勇者の儀〟を行う。
それこそが、今の彼らにとって最優先すべき使命だった。
だからこそ。
勇者たちは、魔王国の戦いから一歩退くことを選んだ。
それを無表情に受け止めながらも、フィデリアの胸中だけは穏やかではなかった。
彼女には、言えないことがある。
裁定者として定められた禁則。
そのために、彼らへ告げることが出来ない。
――まだ、会ってはならない。
勇者たちは。
樹王と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――“禁奈備”……だと?」
ディアボロスは、アウレリアを見た。
「あそこに行くのか、勇者」
「あのさ、勇者ってのやめてくれる? あたしはアウレリア」
アウレリアは不満そうに唇を尖らせる。
それを見ても、ディアボロスは特に気を悪くした様子を見せなかった。
「そうか。では、アウレリアよ」
白い瞳が、鋭く細められる。
「お前は、“樹王”の領域へ行くつもりか?」
「もちろんよ。もともと行こうと思ってたしね」
アウレリアは、あっさりと頷いた。
レオニスは、その言葉に僅かに目を伏せる。
(そういえば、そんなことを言っていたな……)
アウレリアは、勇者になる以前。
たった一人で魔王国へ辿り着いていた。
その目的は、遠くからでも見えるほど巨大な樹木。
後に“樹王”と呼ばれる存在を、自分の目で確かめることだった。
「忠告だ」
ディアボロスの声が低く響く。
「“樹王”を刺激するな」
「いや、だから戦わないって言ってるでしょ!」
「お前が戦わなくても、樹王が外敵を排除しに来ると指摘しただけだ」
「外敵? あたしたちがってこと?」
「そうだ」
ディアボロスは即答した。
「奴は、“禁奈備”に近づく存在を排除する」
「……」
アウレリアの表情が僅かに曇る。
(……忘れてはいないけど)
レオニスも、その危険性には気づいていた。
アウレリアが目的を果たしたい気持ちは分かる。
だが、今回の目的は別にある。
彼らが魔王国へ来た最大の理由。
それは、“巡礼の地”で勇者の儀を行うことだ。
樹王との戦いではない。
「そういえば、ディアボロス様は“樹王”に会ったことがあるんですよね?」
レオニスが口を開いた。
「どんな人物なのですか?」
室内の空気が、僅かに変わった。
ディアボロスは答えない。
ただ、レオニスへ視線を向けた。
(……やばいかな)
レオニスは内心で冷や汗を流す。
相手は魔王国三大勢力の一角。
その覇王に、踏み込んだ質問をしてしまった。
しかし――。
「俺も知りたい」
ロウガが口を挟んだ。
援護射撃だった。
「隠す必要はないだろ、ディアボロス」
「いや、そうではない」
ディアボロスの口元が、僅かに緩む。
「その人間は、先だって魔王国と和平を結びたいと言っていたのでな」
そして、レオニスを見据えた。
「俺に意見を言うとは、なかなかの胆力だと思っただけだ」
(……いえ)
レオニスは心の中で引きつった笑みを浮かべた。
(これはアウレリアで、少々耐性をつけただけです……)
そんな事情など知らぬディアボロスは、静かに告げる。
「よかろう」
重い声が響く。
「俺が見た限りでよければ、樹王について教えてやろう」
覇王ディアボロスは、樹王について語り始めた。
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