魔王国創世(3)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第三使徒の視線の先には、小さな子供たちがいた。
第三使徒は、子供たちを見つめたまま、長い沈黙を置いた。
「理由は、一つだけだ」
静かな声だった。
しかし、その一言には、何年もの葛藤が積み重なっていた。
第一使徒たちの計画が始まる以前、この箱庭で生まれた幼い命である。
まだ何も知らない。
この世界が滅びへ向かっていることも。
大人たちが命を賭して未来を選ぼうとしていることも。
彼らは無邪気に笑い、眠り、泣き、生きている。
だが、その命はまだ幼すぎた。
第一使徒の計画に加わることもできない。
未来へ種を繋ぐ役目を担うには、あまりにも幼い。
「そんな彼らを、私まで見捨てたらどうなる」
その言葉に、第一使徒は返す言葉を失った。
その問題に気付いていなかったわけではない。
気付いていたからこそ、苦しかった。
生き残るという選択は、すべてを救うことではない。
救えない命がある。
切り捨てなければならない命がある。
その現実を受け入れなければ、一歩も前へ進めなかった。
彼らがいつか真実を知り、自分たちを憎むなら、それは受け入れる。
それもまた、自分たちが背負うべき罪なのだから。
だが、その時は戦わなければならない。
未来を守るために。
第一使徒がなおも口を開こうとした、その瞬間だった。
「……シャルバート様なら、きっとそうなさる」
その名を聞いた瞬間、第一使徒の言葉は喉で止まった。
反論できない。
いや、したくなかった。
「私は、シャルバート様の従者の一人だ」
「君たちを救う、そのずっと前から、あの方と共に歩いてきた」
「だからこそ、あの方への忠誠だけは、誰にも負けるつもりはない」
第三使徒は静かに笑う。
懐かしい日々を思い返すような、穏やかな微笑みだった。
「君たちを責めているわけではない」
「むしろ君は、私にとって最大のライバルだった」
第一使徒は誰よりも早く立ち上がった。
誰よりも早くシャルバートへ歩み寄り。
誰よりも早く魔法を学び。
そして、水魔法を。
魔法を学び続けてきた第三使徒の予想を遥かに超える速度で、自らのものにした。
その才能に驚き。
その努力に敬意を抱いた。
その想いは、今も少しも色褪せてはいない。
「私は、シャルバート様への献身だけは誰にも譲れない」
「だからこそ、君の背中を追い続けた」
第一使徒は唇を噛んだ。
言葉が見つからなかった。
「君は、何度も私を奮い立たせてくれた」
その言葉は、第一使徒の胸に深く届いた。
堪えていた涙が、一筋、静かに頬を伝う。
互いに競い合い。
互いに支え合ってきた。
だからこそ、この別れは苦しかった。
「そして私は、君たちとは違う道で、彼らを救いたい」
第三使徒は幼い子供たちへ視線を向ける。
その瞳には、迷いはなかった。
覚悟だけがあった。
第三使徒は静かに息を吸い、己が最後の役目を語り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第三使徒が示した計画は、まったく新しい発想ではなかった。
その原型は、かつてシャルバート・ウル・ヴァース自身が最後の希望として模索していた術式である。
骨子となるのは、凍結魔法。
人々を仮死状態に置き、呪いが薄れる未来まで眠らせる。
いわば、人類そのものを未来へ送り届ける箱舟だった。
しかし、この術は理論だけでは成立しない。
実現には、少なくとも四つの壁を越えなければならなかった。
一つ。
凍結そのものに、外界の呪いを遮断する力を持たせること。
二つ。
生命を奪うことなく、人を長期間凍結保存すること。
三つ。
安全な環境になった時だけ、自動で凍結を解除する術式を組み込むこと。
そして最後に。
そのすべてを支える、途方もない量の魔力を用意することだった。
「一つ目と二つ目については、シャルバート様が既に大部分を完成させていた」
第三使徒は静かに語る。
その言葉に、第一使徒は思わず声を荒らげた。
「そんな計画があったのなら……どうして私たちに協力してほしいと言ってくださらなかったの!」
責めるような問いだった。
だが、その声には怒りよりも悔しさが滲んでいた。
第三使徒はゆっくりと首を横に振る。
「無理だったのだ」
「三つ目と最後の課題が解決できなければ、それは救済ではない」
「眠ったまま二度と目覚めぬ、自殺と変わらぬ結末しか残らない」
重い沈黙が流れる。
三つ目の課題。
それは、外界の呪いが十分に薄れ、人が再び生きられる環境になったことを自ら検知し、自動的に凍結を解除する術式だった。
誰も解除する者がいない世界で、人を目覚めさせなければならない。
そのためには、未来を予測し続けるような魔法が必要になる。
第一使徒も、その困難さを理解していた。
いや、理解していたからこそ言葉が出ない。
短い年月で完成させられる術式ではない。
使徒全員が知識と魔力を注ぎ込んだとしても、成功する保証はどこにもなかった。
「……だが」
第三使徒は静かに続ける。
「偶然にも、三つ目の課題だけは解決できる見込みが生まれた」
「どうやって?」
第一使徒は息を呑む。
「術式そのものを完成させる必要はない」
「解除だけを行う術式へ限定すれば、間に合う」
その瞬間、第一使徒の表情が強張った。
第三使徒が何を考えているのか。
その全貌が見えてしまったからだ。
「……まさか」
その呟きに、第三使徒は静かに頷く。
「この術を解く役目を、君たちの子供へ託す」
「未来に生きる者が、未来で眠る者を目覚めさせる」
「それならば、三つ目の課題は成立する」
それは第一使徒たちとは異なる、人類の未来への賭けだった。
第三使徒は、人という種を未来へ託すため、自らもまた禁忌へ手を伸ばそうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第三使徒は、小さく息を吐いた。
「そして、最後の課題だが」
「こちらも、当初に比べれば、それほど困難ではない」
かつて、この箱庭に身を寄せた人々は五千人を超えていた。
結界を維持するだけでも莫大な魔力を必要とし、凍結魔法など夢物語だった。
だが今は違う。
この地に残された人の姿を保っている者は、わずか数家族。
人数にして四十人ほど。
あまりにも多くの命を失った代償として、必要となる魔力量は現実的な規模へと縮小していた。
「さらに言えば、三つ目の課題も解除術式だけに限定したことで、消費魔力は大きく減らせる」
理論上は、実行できる。
そこまで聞いてもなお、第三使徒の表情は晴れなかった。
第一使徒は、その違和感を見逃さない。
「問題はなくなった、という顔をしていない理由は?」
静かな問いだった。
第三使徒は、自嘲するように笑う。
「当然だ」
「君たちにとって、この計画は背信行為だからだ」
その一言に、第一使徒は目を伏せた。
人を捨て、新たな種として未来を目指す者たち。
一方で、人の姿を保ったまま未来へ命を繋ごうとする者たち。
二つの道は、同じ希望を目指しながらも決して重ならない。
「そうなれば……私たちは、さらに割れるでしょうね」
第一使徒の声は責めるものではなかった。
ただ、避けられない現実を口にしただけだった。
「それに」
第三使徒は続ける。
「あくまで理論上、可能というだけだ」
「成功する保証など、どこにもない」
その声は、まるで懺悔だった。
「君たちの計画を知った時、私は並行してこの計画を書き始めた」
「皆には責めるなと言いながら、私は別の未来を用意していた」
「私は、君たちに評価されるような人間ではない」
結界へ自らの命を捧げ、眠りについた仲間たち。
シャルバートの最後の願いを受け継ぐと決めた者たち。
その彼らへ、この計画を最後まで語ることはできなかった。
胸に抱え続けた罪悪感が、その言葉には滲んでいた。
「あなたは、どうするの?」
第一使徒は静かに尋ねる。
第三使徒は迷わず答えた。
「術には、発動させる術者が必要だ」
それだけで十分だった。
第一使徒には、その意味が痛いほど伝わる。
術式は誰かが最後まで維持しなければならない。
そして、その役目を終えた術者が目覚めることはない。
第三使徒は、自らを礎とする覚悟を決めていた。
だからこそ、この決意が揺らぐ前に。
ただ一人、第一使徒へ打ち明けたのだ。
第三使徒は、腕の中で眠る赤子へ視線を向ける。
「この子になるか」
「その子孫になるか……」
「いや、その期待すら抱いてはならんのだろうな」
赤子の小さな頭へ、そっと手を添える。
その指先に宿った感情は、一瞬だけ揺れた。
「大丈夫」
第一使徒は優しく微笑む。
「あなたの希望は、私が預かります」
第三使徒は静かに目を閉じた。
「……すまない」
「迷惑をかける」
二人は、それぞれ違う未来を選んだ。
もう同じ道を歩くことはない。
それでも。
遥か未来のどこかで、その二つの道が再び交わることを、互いに願わずにはいられなかった。
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