けじめをつけてもらわねばならん
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シャルバート・ウル・ヴァース。
その名だけが、重く広間に残っていた。
「……ヴァース……帝國……」
イシュリアンは誰にも聞こえないほど小さく呟く。
魔王。
帝國。
そして、人造魔王。
頭の中で点と点は繋がり始めていた。
それでも、あと一つだけ足りない。
何か重要な記憶が、手の届きそうな場所で引っ掛かっている。
(何かを忘れています……それは……)
イシュリアンは静かに目を閉じる。
記憶を辿る。
思い返すのは、最初の巡礼の地へ向かった旅路。
勇者一行の前に立ちはだかった強敵たち。
あの敵は異常だった。
聖剣を持つ勇者であるアウレリアたちと真正面から渡り合えるほどの戦闘能力。
ただ強いだけではない。
まるで、生まれた時から戦うためだけに存在しているかのような完成度だった。
その瞬間、脳裏で全てが繋がる。
「……まさか、そういうことなのですか」
イシュリアンの顔から血の気が引いた。
その異変に気づいたレオニスが声を掛ける。
「どうかなさいましたか、イシュリアン様?」
イシュリアンはすぐには答えない。
確証はない。
あるのは、一つの仮説だけだった。
「……帝國の『戦闘種族』なのではないのでしょうか……」
静かな言葉だった。
だが、その一言は広間の空気を一変させた。
グラーディスとレオニスが同時に目を見開く。
その可能性を否定できなかった。
シャルバート・ウル・ヴァースは、人造魔王を生み出した。
それを可能にした背景に、戦闘種族を造る技術を持っていたとしたら不思議ではない。
戦闘種族。
覇王。
どちらも同じ技術から生み出された存在だとすれば――。
その目的は一つしか思い浮かばない。
目的の敵を討つため。
(……樹王とは、一体何なんだ)
レオニスは無意識に唾を飲み込む。
牙王ロウガほどの魔王が戦わず退き。
覇王ディアボロスが、自らでは勝てないと認める相手。
そんな存在が、この世界に見える姿で立っている。
想像するだけで背筋が冷えた。
グラーディスは静かにディアボロスを見据える。
「……覇王ディアボロス。樹王とは、一体何なのですか?」
問いは王族としての責務だった。
ロウガも腕を組みながら低く続ける。
「それは俺も知りたいぜ。その口ぶりだと、お前は奴と戦ったんだろう?」
視線が一斉にディアボロスへ集まる。
ディアボロスはすぐには答えなかった。
ゆっくりと肖像画へ目を向ける。
そこには、穏やかな微笑を浮かべるシャルバート・ウル・ヴァースの姿があった。
長い沈黙が流れる。
そして、ようやくディアボロスは口を開いた。
「樹王は――」
一度だけ息を吐く。
「千年前に現れた勇者だ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「樹王が、勇者?」
覇王ディアボロスの口から放たれた一言は、その場の空気を一変させた。
勇者一行だけではない。
ロウガやレイラまでもが、息を呑んでディアボロスを見る。
「……ディアボロス。それは流石に笑えない冗談だ」
低く唸るようにロウガが言う。
疑いの色を隠そうともしない視線だった。
レオニスも、その言葉に心の中で同意していた。
巨大樹の姿をした樹王。
あれが勇者だというなら、元は人間ということになる。
姫巫女から聖剣を授かり、人々を導く者。
それが王国に伝わる勇者の姿だった。
確かに勇者は常人を遥かに超えた力を持つ。
しかし、人が木へと変じ、山ほどの巨樹になるなど。
常識では到底考えられない。
荒唐無稽にも程がある話だ。
もし、この場で語っているのが覇王ディアボロスでなければ、一笑に付されて終わっていただろう。
だが、この男は虚勢も虚言も弄する人物ではない。
だからこそ、誰も即座に否定できなかった。
(……待てよ)
その時、レオニスの脳裏に、ある人物の声が蘇る。
魔の森を抜けた旅路。
帝國最強の男、ヴァルドが静かに語っていた昔話だ。
――『……"邪悪の化身"と呼ばれる存在と、原初の勇者は戦った』
――『……そして"一人"の、魔王と呼ばれる存在が誕生した』
あの時は気にも留めなかった。
だが今なら分かる。
ヴァルドは樹王を「一人」と表現していた。
巨大樹でも、怪物でもない。
一人の存在として。
つまり彼にとって、樹王は今なお人として数えられる存在なのだ。
「……"邪悪の化身"との戦いのあと、原初の勇者は……樹王になった、というのか」
思わず零れ落ちた独白。
その瞬間だった。
「……興味深いことを語る」
ディアボロスの声が低く響く。
その眼光が、一気にレオニスへ向けられた。
今までとは違う。
獲物を見定める猛獣のような鋭さだった。
「誰から、千年前の戦いのことを聞いた?」
「……ヴァルドという人です」
わずかな沈黙。
ディアボロスの表情が僅かに揺れる。
「……他には、何を言っていた?」
「"邪悪の化身"が汚した大地を隔てるため、その地を魔王国と名付け、管理し始めた……そう聞いています」
その答えを聞き終えた瞬間。
ディアボロスは初めて、隠しきれない驚きを顔に浮かべた。
「……驚きだ」
低く呟く。
「まるで、あの場で見ていた者のような言葉だ」
その一言に、部屋の空気がさらに重くなる。
ヴァルドという男は、一体何者なのか。
誰もが同じ疑問を抱きながら、言葉にはできなかった。
やがてディアボロスは再び、肖像画の少女へ視線を向ける。
その横顔には、決意にも似た静かな覚悟が宿っていた。
「だからこそ、樹王には、けじめをつけてもらわねばならん」
その言葉を境に。
覇王ディアボロスは、魔王国の始まりと。
シャルバート・ウル・ヴァースという人物について、自ら語り始めようとしていた。
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