語られる歴史
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これで姫巫女を、そちらに無傷で返却するという約定は果たした」
ディアボロスは静かにアウレリアへ視線を向けると、続いてフィデリアへ向き直った。
「……そして、姫巫女よ。神鋼を授けてもらうことはできんか?」
「それは叶えられないものです。申し訳ありません」
フィデリアは迷いなく首を横に振り、深く一礼した。
その口調は柔らかい。
だが、その拒絶には一切の揺らぎがなかった。
(……勇者の聖剣。その力の源が神鋼なら、覇王が求める理由も理解できる……)
レオニスの脳裏に、勇者選抜予選会で見た光景が蘇る。
フィデリアの傍らに静かに置かれていた、鈍く輝く金属の塊。
あれこそが神鋼だったのだろう。
「なぜ、そこまでして必要なのですか?」
レオニスが問いかけても、ディアボロスは答えない。
代わりに一歩前へ出たのはイシュリアンだった。
「"常世樹斬"――それが答えでしょう」
淡々とした声音だった。
だが、その言葉は確信に満ちている。
「あの戦いで、覇王は武器の名をそう呼びました」
「ならば、あの剣は樹王を討つために、自ら鍛え上げた剣ではないでしょうか」
紫の瞳がまっすぐディアボロスを見据える。
数秒の沈黙。
やがて覇王は口元だけをわずかに緩めた。
「その通りだ」
否定はしなかった。
「あれは試作品の一つだ」
「理想には近づいた。だが、まだ届かん」
「試し打ちの段階に過ぎん」
(……試作品?)
レオニスの胸がざわつく。
あれほど圧倒的な一撃を放った武器でさえ、未完成だというのか。
ならば完成形とは、いったいどれほどの代物なのか。
その考えを見透かしたように、ディアボロスは静かに告げた。
「俺の目的は、樹王を討つことだ」
「それ以上でも、それ以下でもない」
短い言葉だった。
しかし、その一言に込められた執念は誰の耳にも重く響く。
「そのための武器を造った」
「勇者の聖剣は知っている限り、素材だけは理想に最も近い」
そこで初めて、ディアボロスはアウレリアを見る。
挑発でも敵意でもない。
純粋な評価の眼差しだった。
「だが、それだけでは勝てん」
「だから、お前のような強者を配下へ迎えたかった」
「勧誘した理由は、それだけだ」
覇王は実に当然のことのように言い切った。
己の野望でも、世界征服でもない。
ただ一体の魔王を討つため。
そのためだけに武器を鍛え、人材を求め、国を率いている。
(……覇王が、そこまで言う相手なのか)
レオニスは無意識に唾を飲み込む。
魔の森の彼方で何度か目にした、空を覆うほど巨大な樹。
あれが樹王。
遠目に見ただけでも自然そのものと錯覚する存在だった。
だが今、その巨大な怪物は、覇王ディアボロスですら勝利を断言できない相手だと知る。
その事実だけで、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グラーディスは静かに一歩前へ出た。
興味本位ではない。
王国の王族として、目の前の覇王に問わなければならないことがあった。
「覇王ディアボロス、なぜそこまで樹王を討つことに拘っているのだ?」
広間に静寂が落ちる。
ここへ来るまでに見てきた魔王国は、少なくとも戦乱に沈む国ではなかった。
多少の争いはあっても、人々は暮らし、市場は開かれ、子どもたちは笑っていた。
それでもディアボロスは、魔王国統一という旗を掲げ、自ら戦乱を起こした。
その先に待つのは、樹王との決戦。
平穏を捨ててまで挑む理由が、グラーディスには理解できなかった。
「……それは、俺も聞きたいものだ」
不意に、別の声が広間へ響く。
誰もいなかったはずの空間から、二つの人影が姿を現した。
牙王ロウガ。
そして、その後ろに控える麗王レイラ。
突然の登場にレオニスは息を呑む。
だが、ディアボロスだけは眉一つ動かさなかった。
「……流石だな。ここまで見事な隠蔽は見たことがない」
「……嘘つけ。気づいてただろ」
ロウガは呆れたように肩を竦める。
ディアボロスは口元だけを僅かに緩めた。
「いや、驚いているのは事実だ。どうやってここへ辿り着いた?」
「この宮殿には、隠蔽と阻害の魔法を何重にも施してある。その程度では突破できんはずだが?」
問いかけられたロウガは答えない。
沈黙だけが返る。
その反応を見て、ディアボロスは小さく息を吐いた。
「……まあいい。脆弱性対策はこちらで考える」
「今回は客として認めよう。だが次からは許可を取ってくれ」
「ああ、そうさせてもらう」
ロウガは苦笑しながら頷いた。
まるで長年の知人同士のような空気だった。
続いてディアボロスは視線を移す。
「そちらが麗王レイラか。先ほどは挨拶もできず、礼を欠いたな」
「気にしておりません、覇王ディアボロス」
レイラは静かな気配のまま一礼するだけだった
その一連のやり取りを見ながら、レオニスは内心で頭を抱える。
魔王が三人。
しかも、この国でも最強格と呼ばれる者たちが、一つの部屋で普通に会話をしている。
勇者一行まで含めれば、世界の勢力図そのものが、この部屋へ押し込められているような光景だった。
(……普通なら発狂してもおかしくない)
冷や汗が背中を伝う。
(もし誰かがこの場を物語にするなら、題名は『絶望』だな……)
胃の辺りが痛くなる。
そんなレオニスをよそに、ロウガは再びディアボロスへ向き直った。
「それで、どうなんだディアボロス」
「どうとは?」
「そこのヒト族の問いだ。まだ答えていない」
ロウガも旧知でありながら、その答えだけは知らない。
ディアボロスは、グラーディスとロウガの顔を順に見渡す。
その瞳に迷いはない。
だが、どこか諦めにも似た色が混じっていた。
「……知ってどうなるものでもない」
短く言い切る。
そして、ほんの僅かに目を伏せた。
「……それが、俺の存在理由だからだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ロウガ、お前の人狼族の歴史はどのくらいのものだ?」
ディアボロスは、まるで昔話でも始めるような口調で問いかけた。
突然の問いに、ロウガは腕を組み、少しだけ考え込む。
「……真実かどうかは分からん。だが、伝承では千年近いはずだ」
そう答えながら、隣に立つレイラへ視線を送る。
確認を求められたレイラは、小さく頷いた。
「ええ。その認識で間違いありません」
ディアボロスは今度は勇者一行へ視線を向ける。
「……そこのヒト族よ。勇者という存在が、お前たちの歴史に現れたのはいつ頃だ?」
問いを受けたグラーディスは一歩前へ出る。
「できれば、グラーディスとお呼びください、覇王ディアボロス」
穏やかな微笑を浮かべながら続ける。
「彼女はイシュリアン。そして彼はレオニスです」
紹介され、二人は静かに一礼した。
「リアン。その辺りは分かるかい?」
「おそらく、法国の建国とほぼ同時期です。記録が正しければ、およそ千年前でしょう」
イシュリアンは淡々と答える。
その言葉を聞いたディアボロスは、まるで当然の事実を語るように口を開いた。
「俺が、この世界に生を受けたのも、その頃だ」
その場の空気が止まった。
誰もすぐには言葉を返せない。
最初に沈黙を破ったのはロウガだった。
「待て!そんな馬鹿な話があるか!」
怒鳴るような声が室内に響く。
「どれほど長命な種族でも三百年、長く見積もって四百年が限界だ!」
ディアボロスは、その反応を予想していたかのように薄く笑う。
「ロウガ。俺の種族を覚えているか?」
「……エルダードワーフだ」
「そうだ」
ディアボロスは頷いた。
「では、お前は今まで俺以外のエルダードワーフに出会ったことがあるか?」
ロウガは押し黙る。
長い沈黙の末、小さく首を横へ振った。
「……ない」
「そうだろう」
ディアボロスは静かに言い切る。
「そんな種族は、今の魔王国には存在しない」
「ディアボロス、お前……!」
ロウガの瞳が大きく見開かれる。
その言葉に込められた意味へ辿り着きかけた、その時だった。
「あなたは以前、私に、ご自身を『人造魔王』だとお話しくださいましたね」
静かな声が場を貫く。
フィデリアだった。
一同の視線が、一斉に彼女へ集まる。
驚きに目を見開く者。
言葉を失う者。
ディアボロスだけは穏やかな表情のまま頷いた。
「そうだ」
既に彼女には真実の一端を明かしていた。
フィデリアはゆっくりと肖像画へ視線を向ける。
赤い外套を纏った少女。
シャルバート・ウル・ヴァース。
「この方が……あなたを造られた方なのですか?」
その問いは静かだった。
しかし、その場にいた誰の胸にも重く響いた。
レオニスは無意識に肖像画を見上げる。
帝國皇族の名を持つ少女。
魔王国の宗主。
そして、人造魔王の創造主。
(……帝國皇族が、魔王を造った……?)
理解が追いつかない。
だが、その肖像画だけは、何も語らず静かに彼らを見下ろしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次回から魔王国の創世編になります




