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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
レックス立志編
15/50

想いを込めた剣は――

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ギルベルト・ヴァルハイトも、そういう愚かしい輩だよ」


アルベリオ様の言葉で、俺は現実に引き戻された。


そうだった。


勇者だの王国の思惑だの、衝撃的な話を聞いていたが ―― 目の前の問題は別にある。


ギルベルト・ヴァルハイト。


俺と戦うことになった、あの侯爵の孫だ。


「ギルベルト・ヴァルハイトは強いんですか」


俺は率直に聞いた。


正直なところ、情報がまったくない。


するとアルベリオ様は軽く笑った。


「それなら、私より詳しい者がいる」


俺は自然とエルディナ様の方を見る。


だが彼女は小さく首を振った。


「私はあまり詳しくありません」


……となると。


この流れは。


「失礼します、アルベリオ様」


やっぱり来た。


いつの間にそこにいたのか、ミレーネさんだ。


「ギルベルト・ヴァルハイトは、腕力と剣技については王国中央でもそれなりに有名です」


淡々と説明を始める。


「王都の剣技会でも、かなり良い成績を収めています」


「そうなの?」


エルディナ様が少し驚いた顔をする。


「はい」


「騎士隊長クラスとまでは言いませんが」


ミレーネさんは肩をすくめた。


「剣の腕は、普通に出来る部類です」


普通に、か。


王都基準の普通は、地方とは結構違う気がする。


「実際、王都の剣術大会でレオナルト様を負かしています」


「え」


それはちょっと驚いた。


レオナルト・ヴァルディア様。


アルベリオ様の息子さんだ。


以前、僕も手合わせしたことがある。


あの人、かなり強かった。


その人を負かしているなら。


「結構強そうですね」


僕が素直に言うと。


ミレーネさんは少しだけ笑った。


「ですが」


そして、ちらっと俺を見る。


「夜会で見せたレックス君の離れ業は出来ないでしょう」


……それは僕もそう思う。


あれは奇跡みたいなものだった。


もう一回やれと言われても、出来る自信はない。


心の中で苦笑する。


「ともあれ」


ミレーネさんは腕を組んだ。


「油断はしない方がいいですよ、レックス君」


「はい」


それは、もちろん。


僕は軽く息を吐いた。


そして、もう一つ。


聞いておかなければならないことがある。


「あの、アルベリオ様」


「グレイヴァス様」


「使者様」


三人を見る。


「今回の場合、僕は勝ち、負け、どれをすればいいんですか」


部屋が少し静かになった。


政治の問題だ。


これは剣の勝負以上に大事なことだ。


もう説教されるのは、正直ごめんだ。


すると。


「勝ってもらって構わない」


使者様が即答した。


「いいんですか?」


思わず聞き返す。


「君も聞いた通りだ」


使者様は静かに言った。


「ギルベルト・ヴァルハイトがセルディアを侮辱するなら」


「我々が許容する理由はない」


その言葉は、はっきりしていた。


つまり。


遠慮はいらない。


「……分かりました」


なら、やることは一つだ。


俺は隣にいるガロードを見る。


「兄貴、少し付き合ってくれない?」


体を温めておきたい。


模擬戦とはいえ、相手は強いらしい。


だが。


「いや、俺は別で動く」


珍しくガロードが断った。


「豹の件だ」


短い言葉。


なるほど。


昨日の襲撃。


豹がすぐ動くとは思えないが、警戒しておきたいらしい。


兄貴らしい判断だ。


「なら――」


と言いかけた時だった。


「私が手伝ってあげます」


声がした。


エルディナ様だ。


俺が驚いている間に。


彼女は、すっと俺の手を取った。


「少し付き合ってください」


柔らかく微笑む。


そのまま、ぐいっと引っ張られた。


「え、ちょ、エルディナ様」


気づいたときには。


俺は部屋の外に連れ出されていた。


廊下の空気は少し冷たい。


だけど。


不思議と緊張は和らいでいた。


「レックス」


エルディナ様が言う。


「頑張ってね」


その言葉に、俺は少しだけ笑った。


「はい」


やるしかない。


廊下の向こうから、貴族たちのざわめきが聞こえてくる。


「聞きましたか? 今日の公開試合」


「侯爵家のギルベルト様が、平民を叩き潰すとか」


……どうやら、もう噂は広がっているらしい。


今日の夕方。


公開試合が始まる。


ギルベルト・ヴァルハイトとの戦いが。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



試合前に、一つ問題が出た。


「棍棒は使用不可、ですか?」


案内役の人が申し訳なさそうに頷く。


「はい」


「今回はあくまで剣技を競う公開試合という名目ですので」


……なるほど。


つまり、僕のいつもの武器は使えない。


まあ、異存を言える立場でもない。


「分かりました」


そう言って、背負っていた棍棒を外す。


するとエルディナ様が手を差し出した。


「それはわたしが預かります」


「え? あ、ありがとうございます」


ちょっとだけ名残惜しい。


この棍棒は唯一無二の大事な武器だ。


だけど、今は仕方ない。


問題はその後だった。


「レックス様、こちらへ」


侍女さんたちに連れて行かれる。


そして ―― なぜか着替えさせられた。


「侯爵様がご覧になる試合です」


「セルディアの代表として出場されるのですから」


「それなりの装いが必要です」


侍女さんたちは妙に真剣だ。


そしてその横で。


エルディナ様が、うんうんと頷いている。


……止めてくれる人はいないらしい。


数分後。


鏡の前に立たされた。


「……え」


思わず声が出る。


いつもの旅装束じゃない。


軽い試合用の騎士服。


白いシャツに濃紺の上着。


動きやすいけど、妙に整っている。


「レックス様」


侍女の一人がうっとりした顔で言った。


「これからも、その格好でよろしいのでは?」


「ええ」


エルディナ様が小さく頷く。


……なんだろう。


その頬、ちょっと赤くないですか。


「はい」


そしてエルディナ様は、一本の剣を差し出した。


鞘に収まった剣だ。


「これを使ってください」


「ありがとうございます」


僕は剣を受け取る。


すっと鞘から引き抜く。


金属音が小さく響く。


競技用の剣らしく、刃は潰されている。


だけど。


素材は明らかに良い鋼だ。


当たれば ―― 普通に大怪我する。


「……重さは、軽い」


僕は剣を振る。


空気を切る音。


でも。


どうにも手に馴染まない。


いつもの棍棒とは重心が違う。


感覚がずれる。


それでも。


短い時間で慣れるしかない。


僕はゆっくり体を動かす。


いつもの型。


先生に叩き込まれた動き。


踏み込み。


体幹。


腕の連動。


剣でも、基本は同じだ。


「……うん」


少しだけ感覚が掴めてきた。


その時。


扉がノックされた。


「お時間です」


案内人の声だ。


「分かりました」


僕は剣を鞘に戻す。


……緊張するな。


そう思いながら立ち上がる。


その瞬間だった。


ふわり、と。


とても良い香りがした。


次の瞬間。


背中に柔らかい感触。


「……え?」


振り向こうとする。


でも。


背中から腕が回された。


エルディナ様だ。


後ろから抱きしめられている。


完全に背後ハグ。


「エ、エルディナ様?」


心臓が、すごい音を立てる。


すると。


耳元で、小さな声。


「レックス」


吐息がかかる距離。


「必ず勝ってください」


……無理です。


これ、別の意味で心臓止まりそうです。


周りを見る。


侍女たちが。


全員。


口を押さえていた。


「尊い……」


誰かが小声で言った。


僕は今。


試合とはまったく別の理由で。


緊張の限界に達していた。


その時。


外から歓声が聞こえた。


大きな声。


「ギルベルト様だ!」


「おおおおお!!」


……どうやら。


もう始まっているらしい。


僕はゆっくり息を吐いた。


「……行こう」


剣を握る。


公開試合。


ギルベルト・ヴァルハイトとの戦いが。


今、始まる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



男爵領の訓練場。


石畳の床が広がる室内空間には、普段とは違う緊張が満ちていた。


左右には簡素な観覧席が設けられている。


左側には、ヴァルディア家の者たち。


エルディナ・ヴァルディア。


アルベリオ・ヴァルディア。


そしてグレイヴァス・ヴァルディア。


右側には、ヴァルハイト侯爵家の一団が並んでいる。


その中央。


試合場の中央に立っているのは、一人の老貴族だった。


アルドリック・ヴァルハイト侯爵。


白髪混じりの髪を後ろに流し、鋭い眼光で場を見渡している。


「私が望んだのだ」


静かな声だった。


だが、場の全員に聞こえる声量だった。


「当然、私が判定を行う」


「公平にな」


その言葉に、観覧席がざわめく。


侯爵自らが立会人。


それはつまり ―― この試合が、侯爵の公認であるという意味だった。


誰も口出しはできない。


アルドリックはゆっくりと視線を動かす。


「では両者、前へ」


石畳の上に、二人の剣士が進み出る。


レックス。


そしてギルベルト・ヴァルハイト。


赤褐色の髪の少年と、金髪の貴族剣士。


対照的な二人だった。


ギルベルトは余裕の笑みを浮かべている。


一方、レックスは静かに剣を構えた。


緊張はある。


だが、視線は揺れていない。


アルドリックが言った。


「互いの剣を軽く合わせよ」


「それが開始の合図だ」


レックスが一歩前に出る。


ギルベルトも同じように剣を差し出す。


金属が、軽く触れ合う。


―― カン。


乾いた音が、訓練場に響いた。


次の瞬間だった。


動いたのはギルベルト。


踏み込みが速い。


長身から繰り出される鋭い斬撃。


一直線の斬り下ろし。


だが。


レックスは一歩横に滑った。


剣が弾く。


火花が散る。


流すように防ぐ。


ギルベルトの目が細くなった。


すぐに二撃目。


横薙ぎ。


レックスは剣を回し、受け流す。


三撃目。


今度は突き。


それも、体を半歩引いて外した。


剣先が空を切る。


観覧席がざわめいた。


ギルベルトは攻撃を止めない。


四撃目。


五撃目。


連続の斬撃。


だが、そのすべてを。


レックスは受け流していた。


力ではない。


角度。


距離。


最小限の動き。


剣が触れるたびに、攻撃の軌道が逸れる。


「……」


ギルベルトの表情が変わった。


そして。


小さく舌打ちした。


攻め続けていた足が止まる。


一歩。


後ろへ下がる。


攻勢の立て直し。


その瞬間だった。


今度はレックスが動く。


地面を蹴る。


低い姿勢から踏み込む。


剣が振り上げられる。


右斜め下からの ―― 切り上げ。


鋭い軌道。


ギルベルトは慌てて後退した。


だが。


一瞬、遅れた。


銀色の刃がかすめる。


ふわりと。


金色の前髪が宙に舞った。


数本の髪が、石畳へ落ちる。


訓練場が静まり返る。


ギルベルトの目が見開かれていた。


その表情は、驚愕から。


すぐに怒りへと変わる。


「……平民が」


低い声だった。


だが、次の瞬間。


怒声に変わる。


「平民が!」


目の前の少年を睨みつける。


一度下がった相手。


それなのに。


反撃してきた。


それは、ギルベルトの誇りを傷つけるには十分だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルディア男爵家の観戦席。


石造りの観覧席の最前列で、レオナルト・ヴァルディアは腕を組んでいた。


視線は試合場へ向けられている。


石畳の中央。


レックスとギルベルト・ヴァルハイトの剣が何度もぶつかり合っていた。


乾いた金属音が響く。


レオナルトの表情は、いつもの自信に満ちたものではない。


むしろ、わずかに苦い色が混じっていた。


その理由は単純だ。


あの二人。


どちらにも、彼は負けている。


「従弟殿、どうかね。


調子は」


横から声がした。


アルヴィン・ヴァルディアだ。


細い目を楽しそうに細めながら、試合を眺めている。


その視線はどこか軽い。


試合の行方を本気で見ているというより、娯楽でも見ているようだった。


その時、試合場で動きがあった。


ギルベルトの剣が振り下ろされる。


レックスはそれを受け流す。


さらに二撃、三撃。


ギルベルトの攻撃は続く。


「ほら見ろ」


アルヴィンが笑った。


「さすがはギルベルト殿だ」


彼は顎をしゃくる。


「棍棒がなければ、田舎の平民などこの程度だろう」


その言葉に。


レオナルトの眉がわずかに動いた。


「……何だと」


「ふん?」


アルヴィンは肩をすくめた。


「従弟殿は、あの武器でしてやられたのだろう?」


軽い口調だった。


「ならば使えなくすればいい」


レオナルトは黙る。


口には出さない。


だが理解した。


今回の試合。


レックスが棍棒を使えない理由。


―― この男か。


レオナルトの胸に、じわりと不快感が広がる。


アルヴィンは続ける。


「ギルベルト殿には勝っていただかないとな」


細い目が愉快そうに細まる。


「我らヴァルディア男爵家は王国貴族だ」


「セルディアの輩に肩入れする理由などない」


そして、小さく笑う。


「ついでに、従弟殿が味わった屈辱もな」


「……」


「例の失礼な平民と」


「エルディナにも味わってもらうとしよう」


もちろん。


夜会で恥をかかされたこと。


アルヴィンは忘れていなかった。


心の中で、密かに毒づく。


レオナルトはしばらく黙っていた。


そして、小さく言った。


「……感謝するよ、アルヴィン」


アルヴィンが胸を張る。


「当然だ」


誇らしげだった。


「私はアルヴィン・ヴァルディアなのだからな」


まるで崇めよと言わんばかりの態度。


その姿を見て。


レオナルトは、ふっと笑った。


「勘違いするな」


「……何?」


冷たい笑みだった。


「今の私は未熟だ」


「小者だろう」


淡々とした声だった。


「だが」


レオナルトは横目でアルヴィンを見る。


「アルヴィン」


「お前は、その私より遥かに劣る」


「下衆だ」


沈黙。


次の瞬間。


「なっ……!」


アルヴィンが立ち上がった。


「私を下衆だと!?」


だが、レオナルトは相手を見ていなかった。


視線は、試合場へ。


その瞬間、戦況が変わった。


ギルベルトが後退している。


レックスが踏み込む。


剣が鋭く振り上げられる。


レオナルトは静かに言った。


「ギルベルト殿は強い」


だが。


「レックス殿には劣る」


小さく息を吐く。


「……悔しいがな」


恐らくもし剣で戦っていたとしても自分は負けていた。


それを認めるのは苦い。


だが。


剣士としては、認めるしかない。


姉 ―― エルディナの言葉が思い出される。


「レオナルト」


「あなたはまだ強くなれます」


レオナルトは目を細めた。


―― ヴァルディアのために。


まだ、精進が足りない。


その時だった。


試合場では完全に形勢が変わっていた。


攻めるレックス。


後退するギルベルト。


それを見てアルヴィンが叫んだ。


「何をやっているギルベルト!」


怒声が観覧席に響く。


「遊んでいないで押し返せ!」


顔には焦りが浮かんでいた。


アルヴィンにとってこの試合は単なる娯楽ではない。


レックスが棍棒を使えないように兵士に伝言を出したのは、彼自身だった。


さらに。


ギルベルトとも密かに話をつけている。


もしアルベリオが男爵家を継げば、エルディナを押さえれば政治的影響力を持てる。


もし父グレイヴァスが勝てば、アルヴィンがギルベルトの後ろ盾になる。


どちらに転んでも勝つのは自分。


そう考えていた。


―― お膳立てはしてやった。


アルヴィンの指が震える。


―― それで負けるなど、あり得ない。


ギルベルトが敗れれば。


アルヴィンの立場も終わる。


だから、その光景を彼は信じることができなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「平民が!」


ギルベルトの怒声が響いた。


鋼の剣が振り下ろされる。


火花が散った。


―― ああ、なるほど。


レックスは静かに分析していた。


―― 筋力は、ギルベルトの方が上か。


衝撃が腕を伝う。


重い。


純粋な膂力だけなら、完全に向こうが上だ。


だが。


―― 口だけじゃない。


技量もある。


剣筋は素直だが、迷いがない。


実戦経験もある。


だが。


―― ガロードの兄貴に比べれば、遅い。


レックスは半歩だけ体をずらす。


最小の動き。


剣が空を切る。


剣という武器は重い。


大きく振れば、それだけ体力を使う。


だからレックスは動かない。


必要な分だけ。


必要な角度だけ。


すべてを受けるのではなく、流す。


逸らす。


かわす。


ギルベルトの剣が三度、四度と振るわれる。


そのたびに、レックスは半歩だけ動く。


やがて。


「……それで終わりですか」


レックスが静かに言った。


「ふざけるなッ!」


ギルベルトの顔が歪む。


「平民!」


剣を構える。


その目は怒りで濁っていた。


「ここからが本当の実力差だ」


ギルベルトの指が胸元へ触れる。


ネックレス。


指輪。


そして耳元のピアス。


刻印が淡く光った。


―― 奥の手を使うことになるとはな。


ギルベルトは内心で舌打ちする。


―― だが、侯爵家の前で負けるなどあり得ない。


ギルベルトの口元が歪んだ。


「光栄に思え」


剣を構える。


「貴族に敗れることをな」


次の瞬間。


ギルベルトの姿が消えた。


「速い……!」


レックスの目が見開かれる。


剣が横から来る。


レックスは腰を落とした。


体幹を使って回転する。


刃が頬をかすめる。


さらに追撃。


振り下ろし。


レックスが跳ぶ。


その瞬間。


ギルベルトの剣が石畳を叩いた。


―― 砕けた。


床石が粉々に砕ける。


観客席がどよめいた。


「馬鹿な!」


ミレーネ・クラウディアが立ち上がる。


上から見ていた彼女には分かっていた。


ギルベルトは、さっきまでガス欠だった。


それなのに。


剣速。


威力。


そして体力。


すべてが回復、強化されている。


「……アイテム型の刻印魔法」


エルディナ・ヴァルディアが呟く。


彼女はすぐに理解した。


「複数使っている……」


ネックレス。


指輪。


ピアス。


すべて刻印アイテムだ。


それぞれに身体強化の魔法が刻まれている。


「……」


エルディナは手元を見る。


レックスの棍棒。


彼が預けた武器。


彼女はそれを強く抱きしめた。


試合場では。


レックスが後退している。


ギルベルトの剣は、さっきまでとは別物だった。


「勝てばいいのか」


観客席でレオナルトが奥歯を噛みしめる。


ルール違反ではない。


だが。


―― 貴族の誇りはないのか。


その時。


高笑いが響いた。


「そうだ!」


アルヴィンだった。


椅子から身を乗り出す。


「やれギルベルト!」


目は狂喜していた。


「そのまま押し潰せ!」


勝利を確信している顔だった。


だが。


ただ一人。


まったく別の反応をしている男がいた。


ガロードだ。


腕を組んで、試合場を見ている。


口元には、わずかな笑み。


「そんなもんじゃねーだろ」


ぽつりと言った。


「レックス」


その声は静かだった。


だが、迷いがない。


「お前はな」


ガロードは鼻で笑う。


「俺から三本取れる男だ」


そして。


まるで結論のように言った。


「そんな奴」


「さっさとやっちまえ」


その言葉だけが。


試合場の空気の中で、妙に静かに響いていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ギルベルトの剣が唸る。


空気を裂く鋭い音。


レックスは身体を大きく反らして、それを避けた。


刃先が頬をかすめる。


赤褐色の前髪が、数本宙に舞った。


「所詮、平民は平民だ」


ギルベルトは冷たい笑みを浮かべる。


鋼色の瞳が、見下すように細められていた。


「何をやってもいいんですか、ギルベルト!」


レックスの声が響く。


息は荒い。


だが、その目はまだ折れていない。


「ああ、そうだとも」


ギルベルトは即答した。


「貴族というのはな」


剣を肩に担ぐ。


「戦いの場で常に勝つことが約束されている存在なのだからな!」


再び剣が振り下ろされる。


上段からの一直線の斬撃。


その軌道が ―― レックスの目には、ゆっくりと見えていた。


まるでコマ送りのように。


刃が降りてくる。


空気の震え。


石畳に落ちる影。


すべてが、ゆっくりだった。


思考が加速する。


レックスは半歩踏み込んだ。


剣を構える。


次の瞬間。


―― ガンッ!!激しい金属音。


レックスの剣とギルベルトの剣がぶつかる。


そのまま力比べの形になった。


「終わりだ、平民!」


ギルベルトの顔が歪む。


腕に刻まれた魔力が脈動する。


元々の膂力。


そこに刻印の強化。


レックスの腕が、じりじりと押し込まれていく。


剣が下がる。


膝が震える。


―― 勝てるはずがない。


普通なら、そう思う状況だった。


だが。


レックスの心は妙に静かだった。


―― レックス。


―― よく覚えておきな。


ふと。


声が聞こえた気がした。


幼い日の記憶。


広い野原。


風の匂い。


その人は地面から石を拾い上げた。


そして。


剣を振った。


パキン。


固い石が真っ二つに割れた。


幼かったレックスは目を丸くした。


―― もちろん、剣の腕を磨くことは必要だ。


その人は言った。


―― でもな。


剣を軽く振る。


―― それだけじゃ足りない。


レックスの胸に手を当てる。


―― ここだ。


―― ここにあるものを、剣に乗せるんだ。


レックスは首を傾げた。


その人は笑った。


―― 同じ剣でもな。


―― ただ振ったものと。


―― 想いを乗せたものは、まるで違う。


風が吹く。


草が揺れる。


―― それはな。


―― 技の、その先にあるものだ。


記憶が消える。


視界が戻る。


目の前には。


ギルベルトの顔。


押し潰そうとする剣。


レックスは息を吸った。


「ギルベルト!」


叫ぶ。


腕に力を込める。


なら ―― 込めればいい。


剣に。


すべてを。


―― 必要なのは。


「今だ!」


鈍い音が響いた。


ギルベルトの眉が跳ね上がる。


「……な?」


剣に。


亀裂が入っていた。


細い線。


それが、刀身に走る。


レックスの声が低く響く。


「想いを込めた剣は――」


力を込める。


「何より、重い!」


―― パキン。


乾いた音。


ギルベルトの剣が砕けた。


刀身が空中に散る。


観客席がどよめいた。


「……!」


エルディナが思わず立ち上がる。


ガロードも目を見開いた。


次の瞬間。


口元がゆっくりと吊り上がる。


「はは……」


低く笑う。


「やっぱりな」


レックスの剣が振られる。


止まる。


ギルベルトの喉元。


あと一寸の距離。


ギルベルトは尻もちをついていた。


砕けた剣の柄だけを握りしめたまま。


目が揺れている。


信じられないものを見た目だった。


「ば、馬鹿な……」


声が震える。


「この私が……」


レックスを見上げる。


「平民に……?」


レックスは息を整えながら言った。


「勝負です」


ギルベルトに剣を突き付け勝負を決する。


その時だった。


重厚な声が観客席から響く。


「そこまで」


静まり返る闘技場。


宣言したのは。


アルドリック・ヴァルハイト侯爵だった。


ゆっくりと立ち上がる。


その声は低く、重い。


「勝者」


一瞬の沈黙。


そして。


「レックス」


静かな宣言だった。


だが。


その言葉は、闘技場全体に深く響いた。


試合は。


完全に終わった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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