勇者の物語を聞く
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
襲撃犯は、結局一人も捕まらなかったらしい。
ミレーネさんとルシアンさんたちが制圧した時には、全員が毒を飲んでいたという。
捕縛される前に、自害。
つまり。
最初から捕まるつもりがない連中だったということだ。
「かなり組織だった相手でしょうね」
使者様はそう言って、深くため息をついた。
そんな大事件の翌日。
なぜか僕とガロードの兄貴は普通に歩いていた。
治癒の刻印魔法。
あれのおかげで、傷はほとんど塞がっている。
昨日の矢の痛みが嘘みたいだ。
……まあ。
体は治っても、別の意味で痛いことはあった。
「レックス君」
使者様の声は丁寧だった。
丁寧だったけど。
ものすごく怖かった。
「どうして、あんなことをしたんですか」
「す、すみません……」
僕はひたすら頭を下げていた。
守らないといけないと思った。
それだけだった。
でも、それを言い訳にする気にはなれなかった。
さらに。
別の意味で困った質問もあった。
「エルディナ嬢とは、本当に何もないんですね?」
「な、何もないです!」
念入りに確認された。
三回くらい。
そして最後に。
「しばらく目立つ行動は控えてください」
と、釘を刺された。
僕も、心からそう思った。
もう静かにしていたい。
そう決意した。
……のに。
それは、半日も持たなかった。
「アルベリオ様がお呼びです」
侍女さんにそう言われたからだ。
僕は使者様と一緒に、ヴァルディア男爵邸の執務室へ向かった。
扉を開ける。
中にいたのは三人。
アルベリオ・ヴァルディア様。
グレイヴァス様。
そして。
エルディナ様。
「昨日は迷惑をかけた」
アルベリオ様が静かに言った。
「ガロード君とレックス君がいなければ、最悪の事態になっていた」
思わず顔を上げる。
侯爵は無傷だった。
アルベリオ様も肩の怪我だけで済んでいる。
むしろ。
夜会の防衛は成功だった、と評価されたらしい。
……良かった。
心からそう思った。
だが。
アルベリオ様は頭を抱えるように額を押さえた。
「ただね」
嫌な予感がした。
「レックス君が、少し悪目立ちしてしまってね」
グレイヴァス様が咳払いをした。
「妙なことになった」
使者様が警戒する顔になる。
「ギルベルト・ヴァルハイトが」
グレイヴァス様は言った。
「君との公開試合を申し込んできた」
……え? 頭が止まった。
横で使者様が額を押さえている。
ガロードの兄貴は腕を組んでこっちを見ていた。
その顔は。
「お前またやったな」
と言っている気がする。
僕は首を振った。
「いや、本当に身に覚えが……」
エルディナ様だけが、涼しい顔をしていた。
アルベリオ様が説明を続ける。
「あの夜会での君の行動は、多くの人間が見ていた」
侯爵を守った。
エルディナ様を守った。
その姿が、噂になった。
「若いのに見事な騎士だった、とね」
恥ずかしくて顔を伏せたくなる。
でも。
それを面白く思わない人もいた。
ギルベルト・ヴァルハイト。
侯爵の孫。
王国内では、武の才能で知られる貴族。
「彼は、あの夜会で何も出来なかった」
アルベリオ様は静かに言った。
「それが、彼の周囲では失笑になったらしい」
……なるほど。
つまり。
「帳消しにしたい、と?」
特使様が言うと、グレイヴァス様が頷いた。
「その通りだ」
公開試合。
オルグラードの弟子と戦う。
そして勝つ。
それで評価を取り戻す。
「何ですか、それは……」
思わず口に出た。
アルベリオ様は苦笑する。
「もちろん、拒否する権利はある」
少し間を置いて。
「だが」
その目が真剣になる。
「臆病者だと言われるだろうな」
……それは。
かなり嫌だ。
「彼の評判があまり良くないことは」
アルベリオ様が言う。
「エルディナから聞いていると思うが」
エルディナ様が小さく肩をすくめた。
グレイヴァス様が続ける。
「問題はそれだけではない」
少し声が低くなる。
「アルドリック・ヴァルハイト侯爵も、この試合を後押ししている」
部屋が静かになった。
「王国中央では、勇者信仰が根強い」
グレイヴァス様は皮肉そうに言った。
「武は、何より尊ばれる」
つまり。
強さを見せる機会は。
歓迎される。
「……つまり」
使者様がゆっくり言う。
「断れない、と?」
アルベリオ様は何も言わなかった。
それが答えだった。
セルディアの体面。
エルディナ様の発言。
色々な事情が絡んでいる。
僕は。
言葉を失った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レックスは考える。
そういえば。
さっきから気になっていた言葉がある。
勇者。
王国では当たり前のように使われる言葉だ。
だけど。
僕には、いまいち実感がない。
思い出すのは、じいちゃんの顔だった。
レオニス。
僕の祖父。
あの人も、この護衛で家を離れる前に、勇者という言葉を気にしていた。
何かを考えるように。
何かを思い出すように。
だから。
僕は思い切って聞いてみることにした。
「あの」
部屋の空気が少しだけ静かになる。
「王国の勇者とは、どういうものなのですか」
言ったあとで、少しだけ不安になった。
常識的な話だったらどうしよう。
だけど。
アルベリオ様は笑わなかった。
むしろ、静かに頷いた。
アルベリオは立ち上がり、壁の方へ歩いた。
執務室の壁には、一枚の絵画が飾られている。
古い絵だった。
だが、大切に保存されているのが分かる。
絵の中央には、一人の女性。
赤い衣をまとった少女。
その周囲には、四人の人物が描かれていた。
剣を持つ若者。
盾を構えた騎士。
杖を掲げる術者。
槍を携えた戦士。
エルディナが静かに言う。
「王国の貴族には、必ず配られる絵よ」
レックスが少し驚いた顔をする。
「勇者様を象徴する絵なの」
そう言ってから。
エルディナは、少しだけ視線を遠くに向けた。
まるで、遠い昔を思い出すように。
そして。
ゆっくりと語り始めた。
天より、ひとりの姫巫女が降りたという。
雲は裂けず、雷も鳴らず。
ただ光が差した、とだけ伝えられている。
彼女は地に立ち。
名もなき祈りを捧げた。
すると。
空の彼方より。
神のつくりしとされる金属が招かれた。
それは火にも似て。
星にも似て。
触れれば音を立てぬ光を宿していたという。
姫巫女は、一人の若者を指し示した。
そして。
勇者とした。
さらに三人を選び、聖なる務めを授けた。
救世を望む勇者が願いを述べ。
姫巫女が目を閉じる。
そのとき。
金属は形を変えた。
刃は細く。
まっすぐに。
冷えた光が、静かに柄へと落ち着いた。
勇者の剣。
三人にも与えられた。
守るための盾。
導くための杖。
貫くための槍。
四人は姫巫女に伴われ。
荒れた地へ赴いた。
邪なるものは退き。
争いは鎮まり。
乱れた境は整えられたという。
やがて。
姫巫女は天へ帰った。
振り向かず。
言葉も残さず。
勇者も。
三人の仲間も。
この地を去った。
いつ。
どこへ向かったのかは分からない。
彼らの武具も残らなかった。
砕けたとも。
封じられたとも言われていない。
ただ。
何も残らなかった。
それだけが、伝わっている。
エルディナの声が静かに止まった。
部屋の中に、わずかな沈黙が落ちる。
――レックス視点僕は少しだけ首を傾げた。
話としては分かる。
勇者がいて。
邪なものを倒した。
王国の人たちが信じている、典型的な勇者の話だ。
でも。
曖昧だった。
誰と戦ったのか。
どこで戦ったのか。
どうして武具が残っていないのか。
よく分からない部分が多い。
それに。
気になるところもある。
姫巫女。
そして。
三人の仲間。
その話は、僕は初めて聞いた。
そんなことを考えていると。
アルベリオ様が口を開いた。
「だが」
声は静かだった。
「私の父――現ヴァルディア男爵が重んじている勇者像は、少し違う」
エルディナがわずかに視線を向ける。
グレイヴァスも黙って聞いている。
アルベリオ様は続けた。
「その話は」
少しだけ間を置く。
「ある人物と深く関わっている」
そして。
その名前が出た。
「オルグラード卿だ」
――先生? 思わず顔を上げた。
先生と。
勇者? 頭の中に疑問が浮かぶ。
いったい。
どんな関係があるんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アルベリオは、しばらく壁の絵を見つめていた。
だが、やがて視線を横へ移す。
同じ壁に、もう一枚の絵がかかっていた。
こちらは、さらに大きい。
だが。
その表面は、厚い布で覆われていた。
まるで、隠されているかのように。
アルベリオは静かに言った。
「これは伝説ではない」
その声は、先ほどまでとは少し違っていた。
「五十年ほど前に、実際に起きた戦争の絵だ」
レックスとガロードが顔を上げる。
アルベリオは立ち上がった。
布の前へ歩く。
そして。
ためらいなく、その布を引きはがした。
ばさり、と布が落ちる。
現れた絵を見て、レックスは思わず声を漏らした。
「……何だ、これ」
空が割れていた。
黒い雲が渦を巻き。
雷のような光が空を裂いている。
大地は裂け、炎が吹き上がる。
遠くの山々は崩れ。
黒煙が空を覆っていた。
そして。
その中心にいる存在。
巨大な影。
「『邪神』」
アルベリオが言った。
「あるいは『災い』」
少し間を置く。
「『蛇』だ」
絵の中央に描かれているのは、巨大な蛇だった。
だが。
蛇という言葉では足りない。
二つの頭。
巨大な胴体。
その体は海の中から突き出し、まるで島のように広がっている。
もし人間と比べれば。
それは、まさしく海から生えた巨大な塔のようだった。
だが。
絵の筆致は異様なほど細かい。
炎の形。
砕けた岩。
兵士の表情。
すべてが、生々しく描かれている。
そして。
その巨大な蛇に向かっていく者たちがいた。
剣を振るう兵。
槍を構える騎士。
牙をむく獣人。
魔法を放つ術者。
レックスは絵を見つめながら言った。
「……人間側に、二種類の姿があります」
鎧の形。
盾の紋章。
明らかに違う。
アルベリオが頷く。
「王国兵と帝国兵だ」
その言葉に、レックスの目が少し見開かれた。
「同じ戦場に?」
アルベリオは静かに言う。
「参加している」
ガロードが腕を組んだ。
「それだけじゃないな」
彼の視線は、別の部分を見ていた。
「これは人間じゃない」
絵の中には。
獣の耳を持つ戦士。
角を持つ者。
鱗の皮膚を持つ者。
様々な姿の者が描かれている。
「獣人たちや亜人たちも参加しているのか」
アルベリオはゆっくりと頷いた。
「魔王国の人々も、この戦いに協力した」
レックスは息をのんだ。
王国。
帝国。
魔王国。
三つの国。
普通なら、互いに争うはずの国々。
だが。
この絵では。
同じ敵に向かっている。
それは戦争というより。
むしろ。
災害だった。
人類すべてが立ち向かわなければならない災い。
そのような光景だった。
そして。
その軍勢の先頭に立つ人物がいる。
赤い衣。
青く長い髪。
祈るように手を掲げる女性。
アルベリオが静かに言った。
「姫巫女フィデリア様だ」
レックスはその名を繰り返した。
「三つの国を導き、この戦いに立ち向かった伝説の人物だ」
絵の中の蛇は、あまりにも巨大だった。
その口から吐き出される炎。
大地を砕く尾。
その力は。
想像をはるかに超えていた。
アルベリオの声は低かった。
「この蛇の力は、常識を否定したと言われている」
兵たちの武器。
術者たちの魔法。
人類が積み上げてきた叡智。
それらすべてが、通用しなかった。
彼らが信じていた力は。
次々と否定された。
戦いは長引いた。
三国の軍勢は、次第に疲弊していく。
そして。
ついに追い詰められた。
その時。
姫巫女フィデリアが立ち上がった。
彼女は三国を結束させた。
王国。
帝国。
魔王国。
すべての軍をまとめ。
『蛇』に挑んだ。
アルベリオはゆっくりと絵の中央を指した。
「この戦いの最終決戦の地」
少し間を置く。
「それが――」
彼の視線がレックスへ向く。
「現在の自由交易都市セルディアだ」
部屋の空気が、静かに揺れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「待った」
沈黙を破ったのはガロードだった。
腕を組み、壁の絵を睨んでいる。
「おかしいじゃねーか」
アルベリオがゆっくりと振り向く。
「何がだい?」
ガロードは指を伸ばした。
先ほど説明された、伝承の絵の方を指す。
「さっきの話だよ」
「勇者と、盾と、杖と、槍のやつ」
「そいつらがいないじゃないか」
部屋の空気が、わずかに止まる。
レックスも改めて絵を見た。
巨大な蛇。
その前に立つ無数の戦士。
そして軍勢の先頭にいる姫巫女フィデリア。
だが。
そこにいるはずの存在がいない。
伝承にあった四人。
勇者。
盾。
杖。
槍。
その姿は、どこにも描かれていない。
「……たしかに」
レックスは小さく呟いた。
「この絵に描かれるとしたら」
「姫巫女の隣にいるはずですよね」
アルベリオは少しだけ目を細めた。
そして。
静かに言った。
「いないのだ」
「勇者という存在は」
その言葉は、あまりにもあっさりしていた。
レックスは思わず聞き返す。
「……え?」
アルベリオは絵を見上げた。
「姫巫女フィデリア自身が言ったらしい」
「“勇者など存在しない”と」
部屋の空気が重くなる。
ガロードが眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「その真意は、私にも分からない」
アルベリオは首を振った。
「だが、それが彼女の言葉として残っている」
彼は再び絵へ視線を戻す。
巨大な蛇。
崩れる大地。
戦う兵たち。
「姫巫女フィデリアは」
アルベリオは続けた。
「オルグラード卿を含む数人の者たちに後のことを託した」
「そして」
一瞬、言葉を切る。
「『蛇』と相討ちになった」
レックスの喉が鳴った。
五十年前の戦争。
その結末。
世界を救った存在。
その人物が、そこで命を落とした。
「そして今の世界がある」
アルベリオの声は静かだった。
「託された者たち」
「オルグラード卿を始め、蛇と直接対峙した人々は」
「最終決戦の地から、その痕跡を消した」
レックスとガロードが顔を上げる。
「痕跡を……消した?」
アルベリオは頷いた。
「その場所を聖地のように扱い」
「そこに街を築いた」
レックスの胸に、ひとつの名が浮かぶ。
自由交易都市。
国家に属さない街。
様々な種族が行き交う都市。
セルディア。
「その街では」
アルベリオは言った。
「当時と同じように」
「国家の垣根を越えて協力する文化が育てられた」
王国。
帝国。
魔王国。
それぞれの民が集まり、共に暮らす場所。
それがセルディアだった。
「そして彼らは」
「姫巫女フィデリアの意思を尊重し」
「世界の復興に尽力したと言われている」
アルベリオはそこで言葉を区切った。
そして静かに続けた。
「オルグラード卿は、父に語っている」
レックスの視線が動く。
「世界が姫巫女フィデリアに受けた恩は、あまりにも大きい」
「その託されたものを少しでも返すこと」
「それが自分たちの贖罪であると」
部屋は静まり返った。
その沈黙を破ったのは、アルベリオだった。
「だが」
その声は、少し苦かった。
「愚かしいことが起きている」
レックスとガロードが顔を上げる。
アルベリオはゆっくりと言った。
「王国は主張している」
「蛇は、“王国から生まれた勇者”が主導して討ったと」
レックスの眉がわずかに動く。
「さらに」
アルベリオは続けた。
「新たな姫巫女を用意する計画を進めている」
ガロードが小さく舌打ちした。
「……くだらねぇ」
「それを阻止するため」
アルベリオの声は低くなった。
「帝国も動き出している」
王国。
帝国。
再び揺れ始める均衡。
アルベリオは最後に、絵を見上げた。
そこには、祈るように手を掲げる姫巫女フィデリアが描かれている。
「姫巫女フィデリアは」
アルベリオは、静かに絵を見上げた。
「さぞ、我々の行為を嘆いておられるだろう」
祈るように掲げられたその手は、まるで今も世界を見守っているかのようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




