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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
レックス立志編
13/131

襲撃事件

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



――気配が、うまく掴めねえ。


ガロードはグラスを持ったまま、わずかに眉を寄せた。


夜会は続いている。


貴族たちは笑い、音楽が流れている。


だが。


その裏側で、何かが動いている。


さっきからずっとだ。


捕えたと思った瞬間、消える。


また別の場所に現れる。


まるで――獣だ。


しかも、相当慣れてやがる。


「……ちっ」


鼻を鳴らす。


なら、待つのは性に合わない。


捕まえに行く。


ガロードはアルベリオの横に寄った。


「アルベリオ様、外します」


声は小さい。


表情も変えない。


グラスを軽く揺らすだけ。


「敵か」


アルベリオも同じように小声で言う。


ガロードは頷いた。


事前に打ち合わせていた。


もし何かあれば、ガロードが動く。


アルベリオはそのまま自然に歩き出す。


グレイヴァスの近くへ寄ると、軽く耳打ちした。


その流れで、特使がガロードへ視線を向ける。


「ガロード君」


「騒ぎを大きくするな」


低い声。


だが、これは念押しだ。


分かってる。


「……了解」


ガロードは軽く肩をすくめた。


そして、ゆっくり歩き出す。


優雅に。


落ち着いた足取りで。


貴族たちとすれ違う。


「こんばんは」


挨拶される。


「どうも」


適当に返す。


師匠に叩き込まれた礼儀ってやつだ。


正直、面倒くさい。


だが今は助かる。


誰も怪しまない。


そのままテラスへ出た。


夜の空気が流れ込む。


そして。


すぐに気づいた。


男爵領の守護兵。


テラスの柱にもたれている。


「……おい」


近づく。


返事はない。


顔を覗き込む。


死んでいた。


首の傷。


一撃だ。


「……なるほどな」


ガロードの目が細くなる。


次の瞬間。


床を蹴った。


壁を駆け上がる。


屋根へ。


一気だ。


足場を蹴るたびに感覚が研ぎ澄まされる。


心拍を上げる。


呼吸を整える。


獣のスイッチを入れる。


屋根に出た。


月光が降りている。


その中央に――いた。


黒。


全身黒ずくめ。


豹の仮面。


静かに立っている。


逃げる気配はない。


「よう」


ガロードは言った。


「やっぱり来たな」


ゆっくり歩く。


距離を詰める。


「今度は逃がさん」


相手は動かない。


ただ、こちらを見ている。


仮面の奥の目。


冷たい。


計算してる目だ。


だが。


構わねえ。


踏み込む。


その瞬間。


屋敷の中から悲鳴が上がった。


「きゃあああっ!」


ほんの一瞬。


意識がそちらに向いた。


ほんの


―― 一瞬。


その瞬間。


豹が動いた。


消えた。


いや。


速すぎる。


「やべ――」


ガロードは悟った。


もう間合いだ。


カタールが閃く。


拳を叩き込む。


刃と爪が交錯する。


火花。


金属音。


ガロードはすぐに後ろへ跳んだ。


距離を取る。


構え直す。


その時。


違和感に気づいた。


痛み。


右手。


視線を落とす。


「……は?」


ガロードの爪。


狼の爪。


鉄を引き裂く硬さ。


その爪が。


半ばから、斬られていた。


血が、ぽたりと屋根に落ちる。


ガロードの口元がゆっくり歪む。


「……おもしれぇ」


低く笑う。


だが。


内心では理解していた。


こいつは。


強い。


自分と同格か――それ以上だ。


月の下で。


豹は何も言わない。


ただ、次の攻撃の姿勢を取っていた。


夜会の屋敷の中では。


まだ、悲鳴が続いている。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



夜会の広間は、まだ穏やかな空気を保っていた。


音楽。


笑い声。


銀器の触れ合う音。


だが、その空気は突然壊れた。


「……ぐっ」


一人の貴族が、食卓の横で体を震わせた。


手に持っていたグラスが床に落ちる。


次の瞬間。


男は喉を押さえ、苦しみながら崩れ落ちた。


「な、何事だ!」


周囲がざわめく。


男の口から血が流れ出した。


床に赤い染みが広がる。


その光景を見たアルベリオ・ヴァルディアの目が鋭くなる。


「医者を呼べ」


短く命じた。


護衛兵がすぐに走り出す。


アルベリオは倒れた男を見下ろした。


「……これは毒か」


その言葉が落ちた瞬間。


空気が凍りついた。


護衛兵たちの視線が一斉に動く。


異変。


明らかな異常。


そして。


二階の回廊にいたミレーネが眉をひそめた。


違和感がある。


兵の数。


減っている。


配置が崩れている。


「待て、警戒――」


言葉の途中だった。


ガラスが砕けた。


激しい破裂音。


窓が内側へ吹き飛ぶ。


黒い影が飛び込んできた。


一人。


二人。


三人。


十人。


全員が黒ずくめだった。


顔を覆い、体を布と防具で隠している。


そして手に持っているのは――弩。


連弩。


矢を連続して撃ち出せる機構を持つ殺戮兵器。


襲撃者たちは二階の回廊に着地すると、迷いなく下を向いた。


吹き抜けの下。


夜会の参加者たち。


その中心にいる人物。


侯爵。


アルベリオ。


そして。


エルディナ。


「守れ!」


ミレーネが叫んだ。


その声と同時に彼女は動いていた。


床を蹴る。


一瞬で一人目へ接近。


ショートソードが閃く。


黒装束の男の喉を裂いた。


だが。


敵は止まらない。


弩が持ち上がる。


照準は、すでに下の広間。


「まずい……!」


ミレーネの背筋を冷たいものが走る。


ドアの外にいた兵では間に合わない。


その時。


廊下の奥から駆け込む足音。


「退け!」


ルシアン・ヴァルツァーだった。


外の警備から戻ってきたのだ。


しかし。


遅い。


弩が一斉に撃たれた。


弦の震える音。


空気を裂く矢。


数十本。


鏃の雨が降る。


「父上!」


レオナルト・ヴァルディアが叫んだ。


彼は腰の剣を抜く。


夜会でも帯刀を許された数少ない人物だった。


刃が閃く。


一。


二。


三。


矢を叩き落とす。


だが、数が多すぎた。


数本が抜ける。


矢が肉を裂く音。


「ぐっ……!」


レオナルトの腹。


そして足。


矢が深く突き刺さった。


「レオナルト!」


アルベリオが叫ぶ。


だが。


息子は倒れない。


むしろ前に出た。


父を庇う。


その瞬間。


もう一本の矢が飛ぶ。


アルベリオの左肩に突き刺さった。


血が飛び散る。


「エルディナ!」


レオナルトの叫び。


襲撃者の矢の大半。


それは侯爵へ。


そして。


その射線上にいるエルディナへ向かっていた。


エルディナは剣を持たない。


帯刀していない。


防ぐ術はない。


だが。


侯爵が倒れれば。


ヴァルディアは終わる。


エルディナの決断は早かった。


前に出る。


自分の体で、侯爵を守る。


それしかない。


だが。


その瞬間だった。


さらに前に出る影があった。


ミレーネの目が見開かれる。


「レックス君」


少年が立っていた。


赤褐色の髪。


細い体。


だが、その手には剣。


レックスは一歩前へ出た。


そして、静かに構える。


視線の先には。


降り注ぐ矢の雨。


逃げない。


退かない。


ただ。


真正面から、それを迎え撃とうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



レックスは考える余裕なんて、なかった。


ただ。


剣を握っていた。


目の前の光景だけが、やけに鮮明に見えていた。


空気を裂く音。


無数の矢。


雨のように降り注ぐ鏃。


普通なら、恐怖で足がすくむはずだった。


だけど。


レックスの目には、違うものが見えていた。


――あの感覚だ。


ガロードの兄貴と戦うときの、あの感覚。


怒涛の連撃。


本来なら見えるはずのない拳。


それでも。


稀に入ることができる感覚。


究極の集中状態。


視界の中で、矢が動いている。


ばらばらではない。


順番がある。


――届く順番が、見える。


最初の一本。


次に来る二本。


少し遅れて三本。


まるで未来を先読みするように、矢の軌道が頭の中に描かれていた。


「……っ」


剣を振るう。


一本。


弾く。


金属音。


二本目。


叩き落とす。


三本目。


剣を返して弾く。


だが。


遅い。


見える。


見えるけれど。


体がついてこない。


このままでは ――間に合わない。


レックスは迷わなかった。


奥の手。


刻印魔法。


心臓の上に刻まれた、もう一つの刻印。


身体強化。


オルグラードに止められている力だった。


「これは諸刃の剣だ」


師匠の言葉が蘇る。


「実戦では使うな」


普通の刻印魔法なら、五分。


身体能力を二割ほど強化する。


だが。


レックスの刻印は違う。


持続は、一分。


その代わり。


身体能力を


――二倍。


「……行くぞ」


刻印が脈打つ。


心臓が爆発するように鼓動する。


血が全身を駆け巡る。


世界が一瞬、ゆっくりになった。


体が、ついてくる。


剣が走る。


一つ。


二つ。


三つ。


矢が砕ける。


四つ。


五つ。


六つ。


金属音が連続して鳴り響く。


レックスの足元に、矢が落ちていく。


だが。


最後の一本が残った。


「――ラスト!」


剣を振るう。


刃と鏃がぶつかる。


その瞬間。


乾いた音が響いた。


ぱきん。


レックスの剣が折れた。


弾かれた矢。


軌道が変わる。


その先にいるのは


――エルディナ。


「……っ!」


レックスは迷わなかった。


剣を捨てる。


前へ出る。


腕を突き出す。


「まだだ!!」


矢が肉を貫いた。


鈍い衝撃。


骨まで響く痛み。


それでも。


矢は止まった。


エルディナには届かない。


レックスは小さく息を吐いた。


「……間に合った」


その瞬間。


身体強化の刻印が限界を迎えた。


全身の筋肉が悲鳴を上げる。


心臓が焼けるように痛む。


レックスは膝をついた。


床に落ちる血。


それでも。


彼は前を向いていた。


 


エルディナは、動けなかった。


矢が降ってくる。


分かっていた。


避けられない。


自分が前に出なければ、侯爵が危ない。


だから。


盾になるつもりだった。


そのはずだった。


なのに。


その前に。


少年が立っていた。


レックス。


細い背中。


まだ十五歳の少年。


それなのに。


彼は一歩も退かなかった。


矢が降る。


剣が舞う。


まるで嵐の中で戦っているみたいだった。


そして。


最後の矢。


剣が折れる。


エルディナの心臓が止まりそうになる。


次の瞬間。


レックスの腕が、矢を受けていた。


血が飛ぶ。


それでも。


彼は笑った。


「……間に合った」


エルディナの胸の奥が、強く揺れた。


政治でも。


計算でもない。


ただ一人の人間として。


自分を守った少年。


「……どうして」


小さく呟く。


答えは、まだ分からなかった。


ただ一つ。


確かなことだけがあった。


――この少年は。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



屋敷の中が騒がしくなっているのは分かっていた。


悲鳴。


兵の怒号。


ガラスが割れる音。


夜会が襲撃された。


そう理解するのに時間はかからない。


だが。


ガロードは一歩も動けなかった。


背を向けた瞬間。


――殺される。


目の前の男。


覆面の暗殺者。


豹。


こいつは躊躇なくナイフを投げる。


あのときと同じように。


隙を見せた瞬間に、確実に仕留めてくる。


「……ちっ」


ガロードは小さく舌打ちした。


豹の手が動く。


両手に、新しい武器。


細い鎖。


その先に光る金属。


「何だ……?」


次の瞬間。


風を切る音。


何かが飛んできた。


ガロードは反射的に身を捻る。


だが。


その“何か”は空中で軌道を変えた。


「なっ――」


金属の塊が肩に食い込む。


肉が抉れた。


熱い痛みが走る。


「……っ!」


血が流れる。


豹の手の中で、鎖が揺れていた。


先端には金属の錘。


鎖の両端に、二つ。


双流星。


流星錘。


鎖武器だ。


振り回すことで遠心力を生み、錘を叩きつける。


単純だが、恐ろしく危険な武器。


しかも、二本。


豹はそれを交互に操っていた。


鎖が唸る。


錘が弧を描く。


屋根の瓦を砕きながら、ガロードへ迫る。


ガロードは後ろへ跳んだ。


また一歩。


また一歩。


気づけば。


背後は、もう屋根の端だった。


「……強いな、あんた」


思わず口から出た。


背中を汗が伝う。


だが。


恐怖ではない。


いや。


正確には。


恐怖はある。


だが。


それに飲まれていない。


ガロードは知っている。


本当の恐怖を。


一度目。


オルグラード。


あの師匠は、まるで山だった。


遠すぎて。


高すぎて。


頂が見えない。


自分の力なんて、塵のように思えた。


二度目。


忘れるはずがない。


あいつ。


父を殺した。


母を殺した。


一族を皆殺しにした。


あの日。


ガロードは逃げた。


夢中で。


ただ生きるために。


「……だが」


ガロードは息を吐いた。


「俺はもう逃げない」


鎖が唸る。


錘が迫る。


「俺は」


ガロードは一歩踏み込んだ。


「魔王にも」


足に力を込める。


「勇者にも」


自分に言い聞かせる。


「牙を突き立てる!」


ドンッ!!錘を蹴り上げた。


衝撃が足に響く。


骨が軋む。


だが。


錘の軌道が逸れた。


豹の目がわずかに揺れた。


その一瞬。


ガロードは距離を詰めた。


手刀が走る。


豹のカタールに叩きつける。


金属が砕けた。


続けざまに腕を振るう。


覆面が裂けた。


その奥の顔が、一瞬だけ見えた。


「くらえ!」


三連打。


拳。


肘。


膝。


豹はそれを避けるように体をひねった。


そして。


屋根の上を転がる。


瓦を割りながら。


そのまま。


迷いなく屋根の端から落ちた。


「……は?」


ガロードは思わず呟いた。


慌てて屋根の端へ走る。


下を覗く。


その瞬間。


金属音。


豹の流星錘が壁に突き刺さっていた。


鎖が垂れる。


それを滑るように降りる黒い影。


軽やかに地面へ着地する。


一度だけ振り返ると。


豹はそのまま闇へ走り去った。


「……馬鹿な」


ガロードはしばらく動けなかった。


追うか。


だが。


右肩が熱い。


足も痛む。


この状態では追えない。


ガロードは屋根の上に座り込んだ。


荒い息を吐く。


夜風が汗を冷やした。


「……ちっ」


逃げられた。


だが。


分かったこともある。


あの暗殺者。


――強い。


そして。


また会うことになる。


そんな確信が、なぜかあった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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