理由を知りたいものだ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ディアボロスは常世樹斬を静かに下ろした。
白い瞳は揺らがない。
そのまま、目の前の勇者を真っ直ぐ見据える。
「お前から見て、俺は魅力的な主君ではないということか……」
重々しい声が戦場に響く。
「……何故だ。理由を知りたいものだ」
風だけが吹いた。
誰も口を挟まない。
アウレリアは少しだけ考えるように空を見上げると、小さく肩をすくめた。
「そんな大層な理由じゃないわよ」
そして、一本だけ指を立てる。
「あたしの今の一番の目的は、フィデリアと一緒に旅をすること。そのために勇者なんて変なものになっちゃった」
迷いのない声だった。
次の指を立てる。
「ゼルが行けって言った巡礼の地に行く約束を果たすこと」
「みんな、それが目的で魔王国まで来た」
さらに続けて一本。
「いざとなれば、ヴァルド師匠ですら止められる力を身につけるって約束もある」
少しだけ苦笑する。
「正直、これが一番きついかもしれないけどね」
最後にもう一本、指を立てた。
「ロウガとの約束もある」
四本の指を立てたまま、アウレリアは笑う。
「全部、あたしにとっては捨てられない約束なの」
「それを反故にするなんて、あたしにはできない」
握った拳を胸の前へ持っていく。
「これだけでも、あたしの胸の中はいっぱいなんだ」
「だからさ」
真っ直ぐディアボロスを見返した。
「そういう勧誘は、この約束を全部果たした後で考える!」
その言葉に、戦場は再び静まり返る。
権力も。
魔王国という玉座も。
アウレリアにとっては、約束一つより重くはなかった。
その姿を見つめながら、レオニスは胸の奥で静かに納得していた。
アウレリアは、強いから誰かを守れるのではない。
守りたいものを決して手放さないから、誰よりも強くあろうとする。
それが、自分の知る勇者だった。
「……約束のため、か」
ディアボロスは低く呟く。
その声に嘲りはない。
あるのは、理解だけだった。
覇王にもまた、決して折れぬ誓いがある。
魔王国を解放する。
だからこそ分かる。
何を差し出されても譲れないものが、人にはあるということを。
「……それは確かに、譲れんな」
ディアボロスは静かに頷く。
そして、常世樹斬の切っ先をゆっくりと持ち上げた。
その切っ先は、再び勇者アウレリアへと向けられる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グラーディスはゆっくりと息を吐いた。
傷は深い。
それでも、その双眸はなお戦場を見据えている。
「どうやら、決着は近いらしいな」
「グラーディス様、ご無事で」
安堵の色を滲ませながら、レオニスは駆け寄った。
「これでも人間としては頑丈な方なのでね」
軽く肩をすくめる余裕まで見せるが、その足元には血が滴っていた。
レオニスの目から見ても、その負傷は決して軽くない。
「リアンも、命に別状はなさそうだな」
「ええ、大丈夫です」
答えたイシュリアンは、まだレオニスに抱きかかえられたままだった。
無理に立とうとはしない。
今、自分たちが前へ出ることは、かえって足手まといになると理解しているからだ。
「また、アウレリアに任せてしまうことになったな」
その言葉に、誰も否定しなかった。
最初から、この戦いはただ勝敗を決めるためのものではない。
勇者一行が望む結末は一つ。
覇王ディアボロスを討つことではなく。
フィデリアを取り戻すこと。
そして、この戦いを終わらせることだった。
だからこそ。
最後に立つべきなのは、勇者だった。
「……今のあたしの全力を出す」
静かな声が響く。
その声に迷いはない。
「……その御大層な剣が折れたら、あんたの負けを認めろ」
アウレリアは真っ直ぐ常世樹斬を見据えた。
「あんたに死なれたら、フィデリアがいる場所がわからないからね……」
命を奪うためではない。
勝ち、生かして終わらせるための勝負。
それは互いに一切の退路を残さない、
互いにこの一撃で剣士として積み上げたものすべてを賭ける魂を削る戦いだった。
「……よかろう。これが折れねば、お前が負けを認めろ……」
覇王は静かに応じる。
その声にも、偽りはない。
「……二言はないよね」
「お互いにな」
二人は同時に目を閉じた。
深く息を吸う。
吐く。
風が止む。
空気が張り詰める。
誰も動かない。
いや、動けない。
世界そのものが、この一瞬を見届けようと息を潜めていた。
やがて。
二人は同時に武器を構える。
白銀の聖剣。
樹王を断つ魔剣。
互いに、その切っ先だけを相手へ向けた。
――聖剣極刑。
(その太刀筋は見た)
ディアボロスは確信する。
一度見た剣は通じない。
その極意こそ、自らが幾年積み重ねた剣術の証。
対する覇王の手にも。
常世樹斬が静かに応えた。
――常世樹斬。
一歩。
一振り。
ただ、それだけ。
その刹那。
十の軌跡が世界を裂いた。
不滅すら断ち切るために鍛え上げた、覇王渾身の一太刀。
だが。
アウレリアは、その刃へ向かって踏み込む。
「……これが、今のあたしの全力……」
聖剣極刑が眩く輝いた。
これまでの一撃とは違う。
ヴァルドとの果てなき修練。
積み重ねた技。
磨き抜いた才能。
守りたい約束。
そのすべてが、一振りの剣へ収束していく。
勇者は、さらなる高みへ。
己の限界、その先へ踏み出した。
白銀の輝きが、戦場の色を塗り替えた。
「……聖剣、全霊解放!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇者にのみ許された儀式。
――神卸。
選ばれた者は、その身に神を迎える。
人の器へ神威を降ろすことで、初めて聖剣という神具は真の力を貸し与える。
だが。
アウレリアが今、解き放とうとしている力は、それとは違った。
"全霊解放"。
己の意思で神威を押さえ込み、限界まで圧縮する。
溢れようとする力を、なお押さえ続ける。
そして、そのすべてを一瞬だけ聖剣へ流し込む。
圧縮された神威は爆発的な推進力となり、"聖剣極刑"を本来の域を超えた一撃へ昇華させる。
次の瞬間。
"常世樹斬"と"聖剣極刑"が真正面から激突した。
「「……おおおおっ!!」」
轟音。
白銀と黒鉄の光が噛み合い、空間そのものを軋ませる。
剣と剣ではない。
魂と魂が削り合っていた。
その余波だけで大地は揺れ、岩肌が砕ける。
暴風が戦場を吹き抜け、砂塵が天高く巻き上がった。
レオニスは、その光景から目を離せなかった。
(……なんて戦いだ……)
目の前で繰り広げられているのは、人の歴史ではない。
神話の一頁を現世へ引きずり出したような光景だった。
勇者と覇王。
二つの時代を背負う者だけが立てる場所。
そこには憎悪も、邪悪さも存在しない。
あるのは、譲れない信念だけだった。
グラーディスも。
イシュリアンも。
誰一人として動こうとはしない。
加勢すれば均衡は崩れる。
それは勝敗ではなく、この戦いそのものを穢すことになる。
「……私たちに出来ることは、もう……」
グラーディスが静かに呟く。
「……アウレリアを信じることだけです……」
イシュリアンも小さく頷いた。
レオニスもまた、無言でその言葉に応える。
その瞬間。
ディアボロスが笑った。
武人だけが浮かべられる、歓喜の笑みだった。
「しかし!」
"常世樹斬"へ、さらに力が込められる。
「俺が斬ろうとしている者は、お前より遥かに強い!」
「お前を斬れずして、どうして、それを斬れるものか!」
咆哮に応えるように、刃が震えた。
対するアウレリアも、一歩も引かない。
「あたしが、いつか止めようとしてる相手は!」
聖剣がさらに白銀へ輝きを増す。
「あんたより、ずっと強い!」
「あんたを止められないで、あたしがそれを果たせるなんて思わない!」
光が膨れ上がる。
互いが見据える未来は違う。
だが、その先には、自分では届かないほど巨大な存在が待っている。
だから負けられない。
だから、この壁を越えなければならない。
その想いだけが、二人を立たせていた。
限界を超えた力が流れ込み続ける。
そして――。
"常世樹斬"が、小さく悲鳴を上げた。
樹王を討つために生まれた試作品。
なお完成へ届かなかった刃は、使い手の覚悟には応えられても、その力のすべてまでは受け止めきれなかった。
刃の表面へ無数の亀裂が走る。
一閃。
交差。
風だけが遅れて吹き抜ける。
二人は互いに背を向けたまま立ち止まる。
静寂が戦場を包んだ。
――勝敗は、決した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




