……手間が省けた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオニスは、目の前で繰り広げられる戦いから目を離せなかった。
ただ強い。
そんな言葉では到底足りない。
「……強い。いや……これが当然、なのか」
思わず漏れた声は震えていた。
力がすべてを決める魔王国。
その頂点に立ち、統一を掲げる魔王が弱いはずなどない。
覇王ディアボロス。
圧倒的な武力。
揺るがぬ風格。
敵を見下すことなく、正面から勇者一行を迎え撃つ王者の姿。
もし王国に生まれていれば、偉大な王として歴史に名を刻んでいただろう。
そんな風格があった。
(覇王を……殺さずに止めることなんて、本当にできるのか……)
レオニスは、その難しさが奇跡に近い領域であることを理解していた。
それでも絶望はしない。
目の前には、絶望という言葉を知らない勇者がいる。
そして、その勇者を信じて戦う仲間がいる。
「次は、どうだ……」
低く響く声とともに、ディアボロスが天砕柱を構え直した。
白い双眸が射抜く先。
その標的は後衛のイシュリアンだった。
聖杖を胸の前に掲げたイシュリアンは、静かに魔力を集め続けている。
(……イシュリアン様!)
叫びたくても声にならない。
グラーディスなら聖盾で受け止められる。
しかしイシュリアンは違う。
魔導師の防御力など、あの超重量武器の前では紙同然だ。
一撃でも受ければ終わる。
ディアボロスが大きく身体を捻る。
投擲の構え。
同時に、イシュリアンの周囲へ無数の光粒が集まり始めた。
まるで戦場を満たす魔力そのものが、一点へ吸い寄せられていくようだった。
光は圧縮される。
さらに圧縮される。
やがて胸の前には、小さな恒星を思わせる純白の光球が浮かび上がった。
(まさか……正面から受けるつもりか!?無茶だ!)
レオニスは思わず手を伸ばす。
届くはずのない距離へ。
しかし。
完成は一瞬遅かった。
「受けよ!」
爆音。
空気を引き裂き、天砕柱が回転しながら一直線に飛来する。
地面が悲鳴を上げるほどの破壊力。
普通なら恐怖で身体が竦む。
だがイシュリアンの表情は変わらない。
むしろ口元には、小さな笑みすら浮かんでいた。
「来るとわかっていました」
その瞬間だった。
一筋の白銀が視界を横切る。
「そこ!」
アウレリアが割って入る。
聖剣が閃き、飛来する天砕柱を真正面から受け止めた。
甲高い衝撃音。
押し返されながらも、一歩も退かない。
「こいつを投げた瞬間だけ、鞭が一瞬止まる!」
見逃さなかった。
巨大な投擲へ全身全霊を込めた、その一瞬だけ。
攻防一体だった天裂鞭の制圧が、ほんの僅かに鈍る隙を。
その刹那を、勇者は踏み込む機会へ変えていた。
押し留められた天砕柱の向こう側で、イシュリアンが静かに聖句を紡ぐ。
集束した光は、限界まで圧縮される。
「――聖杖解放。天断閃」
解き放たれた。
純白の光条が天地を貫く。
戦場は一瞬にして白く染まり、すべての色が光の奔流へ飲み込まれていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イシュリアンが解き放った《天断閃》は、白銀の奔流となって戦場を貫いた。
圧縮された光球は真正面から《天砕柱》へ激突する。
激しい衝突音。
そのまま天砕柱を押し返し、灼熱の奔流ごと覇王ディアボロスへと叩き返した。
「ぬぅ!」
さすがのディアボロスも片膝を沈ませる。
飛来する天砕柱を右手で掴み、そのまま盾代わりに構えた。
轟音。
光と熱が爆発し、周囲の岩盤を赤く焼き裂いていく。
この戦いで初めて。
覇王は、攻めではなく受けへ回った。
天砕柱の表面へ無数の亀裂が走る。
鋼が悲鳴を上げ、破片が火花と共に飛び散った。
「まさか、あれを受け止めるだけじゃなく、耐えるなんて!」
レオニスは息を呑む。
覇王自身が投げ放った超重量兵器。
そこへイシュリアンの《天断閃》が重なった。
常識なら、受け止めた瞬間に肉体ごと焼き砕かれて終わる。
それでもディアボロスは立っていた。
全身の筋肉を軋ませながら。
歯を食いしばりながら。
それでも口元には笑みを浮かべている。
光の奔流が、少しずつ押し返され始めた。
(化け物だ……)
レオニスの知る武人の尺度では測れない。
これこそ魔王国最強を名乗る資格を持つ者。
その圧倒的な暴力だった。
しかし、その笑みが不意に消える。
白い瞳が、一点を射抜いた。
そこには眩い光を纏った少女がいた。
聖剣を掲げ、一直線に踏み込むアウレリア。
天断閃への対処に全力を割いたことで、《天裂鞭》の軌道がわずかに鈍る。
その一瞬。
勇者は迷わず飛び込んだ。
「もう一発!」
叫びと共に間合いへ入る。
ディアボロスの反撃はなお健在だった。
極限まで研ぎ澄まされた後の先。
一つの軌跡へ収束した十の斬撃が迎え撃つ。
だが。
聖剣の輝きが一点へ凝縮される。
眩い刃は太陽を細く研ぎ澄ませたような光となった。
「聖剣極刑!」
アウレリアが放つ、自身最大最強の一撃。
収束した聖光が、十重の斬撃へ真正面から叩きつけられる。
激突。
世界が白く染まる。
互いの姿だけが、その中心に浮かび上がった。
聖剣と天砕柱が火花を散らし、凄まじい衝撃波が戦場を薙ぎ払う。
そして。
天砕柱が悲鳴を上げた。
すでに刻まれていた幾筋もの亀裂が、一気に全体へ広がる。
耐え切れなくなった魔王の武器は、鈍い破砕音を響かせながら砕け散っていく。
鋼片が雨のように降り注ぐ。
誰もが息を止めた。
ついに。
覇王の武器の一つを、勇者たちは完全に攻略したのだと。
だが、その光景を見つめるディアボロスだけは違った。
砕けた武器を惜しむでもなく。
静かに口元を吊り上げる。
「……手間が省けた」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオニスの目の前で、魔王の武器「天砕柱」に一本の亀裂が走った。
乾いた音とともに、表面の一部が剥がれ落ちる。
それを合図にしたように、厚い外殻は次々と崩れ始めた。
岩壁が風化するように。
積み重ねられた鋼が、その役目を終えるように。
誰もが、それが魔王の武器の最期なのだと思った。
「……」
だが、アウレリアだけは違った。
黒い瞳が、さらに鋭さを増す。
確かに聖剣極刑は「天砕柱」を正面から打ち破った。
手応えもあった。
鋼を断つ確かな感触も伝わってきた。
それでも、刃は途中で何か別のものに触れた。
鋼ではない。
もっと硬く、もっと澄み切った何か。
聖剣の一撃を受けてもなお、揺るがない存在。
その違和感だけが、腕に残っていた。
「流石は聖剣」
ディアボロスが低く笑う。
「おかげで、こじ開ける手間が省けた」
次の瞬間。
覇王は砕けゆく「天砕柱」を大地へ叩きつけた。
轟音。
鋼の殻が砕け散る。
「……まだ早いが、これを使う時が来るとはな」
レオニスは息を呑んだ。
――まだ、何かある。
その一言だけで理解できた。
覇王は、この戦いですら切り札を隠していたのだ。
完全に崩れ落ちた「天砕柱」の中心。
そこには、長い年月を封じられていたかのような、一振りの刃が眠っていた。
「『天砕柱』は、これを封じる器に過ぎぬ」
静かな声が響く。
「魔王国でも屈指の鋼を幾重にも重ね、封印のためだけに鍛え上げたものだ」
ディアボロスは、その柄を右手で握った。
姿を現したのは巨大な魔剣ではない。
一本の巨大刀。
緩やかな反りを描く刀身。
鏡のように澄んだ刃文。
白銀の輝きは禍々しさではなく、神聖さすら漂わせていた。
武器というより、一つの到達点。
鍛冶師が生涯を費やしてなお辿り着けるか分からない、奇跡の一振りだった。
「……見よ、勇者よ」
覇王は静かに告げる。
「これが、我が生涯をかけて造り出した覇王の専用武器」
白銀の刃が月光のような光を放つ。
「銘を――『常世樹斬(とこよのきぎり)』」
一拍の静寂。
そして。
「不滅の存在を断つための剣だ」
ディアボロスは左手に握っていた「天裂鞭」を迷いなく手放した。
金属の鞭が地面へ落ちる。
その左手もまた、「常世樹斬」の柄を握る。
両手持ち。
純粋な斬撃だけを求める構え。
「……っ!」
レオニスは思わず後ずさる。
攻防一体を捨てた。
いや、違う。
もう守る必要がないと判断したのだ。
ここからは、この一振りだけで全てを斬り伏せ勝てるという意思表示。
覇王は、ついに切り札を抜いた。
ゆっくりと。
あまりにも静かに。
「常世樹斬」が天へ掲げられる。
その瞬間だった。
空を覆う雲が音もなく広がる。
吹き荒れていた風が止む。
木々は葉擦れ一つ立てない。
戦場を包んでいた喧騒さえ、世界から消え失せた。
まるで、この剣が振るわれる瞬間を、大地そのものが息を潜めて待っているかのようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




