勇者と覇王
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアとディアボロス。
互いの間合いは、ついに限界まで縮まった。
踏み込めば届く。
避ければ隙になる。
そんな紙一重の距離。
「――聖剣乱舞!」
アウレリアの声と同時に、白銀の剣閃が爆発した。
一撃ではない。
二撃でもない。
幾重にも重なる斬撃が嵐となって吹き荒れる。
聖剣の軌跡をなぞるように、大地は無数の立方体へ切り裂かれ、砕けた岩塊が宙へ舞い上がった。
その光景を見たレオニスは、思わず拳を握る。
(決まった!)
ディアボロスの《天砕柱》は絶大な威力を誇る。
だが、その巨大さゆえに振りは聖剣より遅い。
この距離では迎撃は間に合わない。
誰もが、そう思った。
その瞬間だった。
アウレリアが、不自然なほど素早く後方へ跳んだ。
次の瞬間。
耳を裂く斬撃音が遅れて響く。
一閃。
二閃。
三閃――。
つい先ほどまでアウレリアが立っていた空間そのものが、目に見えぬ刃で刻まれていく。
「……凄いね」
アウレリアは静かに息を吐いた。
束ねた黒髪が一房、宙を舞う。
白銀の籠手から覗く腕には浅い裂傷が走り、赤い血が一筋だけ流れ落ちた。
「アウレリア!」
レオニスの叫びが平原に響く。
致命傷ではない。
だが、確かに斬られていた。
「十回、斬られた」
致命傷になる九撃は紙一重で外し、最初の一撃だけが腕を掠めた。
アウレリアは目を細めた。
見えた。
ディアボロスは一度だけ剣を振るったわけではない。
極限まで時間すら圧縮された十の斬撃。
そのすべてを寸分違わぬ軌道へ重ね、一つの斬撃として放っていた。
だから音が遅れた。
だから一撃にしか見えなかった。
さらに恐ろしいのは、その速度だった。
後から放たれたはずの反撃が、アウレリアの《聖剣乱舞》を追い越して届いたのである。
「あれを初見で防ぐか」
ディアボロスは静かに目を細める。
「初撃のみが、僅かに届いた程度か……」
その声音には驚きと賞賛が混じっていた。
後の先。
相手の攻撃へ割り込み、すべてを制する反撃の極致。
これまで対峙した敵なら、自らが斬られた事実さえ理解できず倒れていた。
「師匠から受けた稽古の成果みたいなものよ」
アウレリアは剣先をゆっくり持ち上げる。
口元には悔しさと楽しさが入り混じった笑みが浮かんでいた。
「まだまだ、稽古不足みたいだけどね」
そう言って聖剣を構え直す。
傷を負ったにもかかわらず、その瞳から闘志は少しも失われていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まさか、あのアウレリアが近接戦の攻撃の速さで競り負けるなんて……」
思わず漏れたイシュリアンの声には、隠しきれない驚愕が滲んでいた。
近接戦だけを切り取れば、アウレリアに並ぶ者は王国には存在しない。
その剣は誰よりも速く、誰よりも鋭い。
それでもアウレリアは、自ら距離を取って回避した。
その事実だけで、目の前の覇王が常識の外にいることを物語っていた。
「いや……実際は、想像以上に覇王は手強い」
グラーディスは低く呟く。
戦士だからこそ、その異質さが理解できた。
「あれは、人の戦い方ではない」
視線の先では、ディアボロスが左右の武器を自在に操り続けている。
左手には、鋼の大蛇のように暴れ回る《天裂鞭》。
右手には、山を削り出したような巨兵《天砕柱》。
「まったく異なる武器を、両手で同時に操り、攻撃を繰り出すなど不可能だ」
グラーディスもまた、剣と盾を扱う戦士である。
盾で受け止める。
敵の勢いを殺す。
その後に剣を振るう。
防御に一動作。
攻撃に一動作。
それが戦場の理であり、誰もが従う身体の法則だった。
しかし、覇王ディアボロスはその理そのものを踏み越えている。
左右の腕が、それぞれ独立した戦士のように動く。
鞭が敵陣を制圧すると同時に、巨兵が勇者を押し潰しにいく。
防御も攻撃も、一つの動作の中で同時に成立していた。
単純な話ではない。
戦場で常に一手多く行動できるということだ。
その差は、一瞬で勝敗を分ける。
「しかも、斧剣と鞭だぞ……」
グラーディスは思わず息を呑む。
重さと破壊力で制圧する武器。
速度と間合いで支配する武器。
本来なら相反する二つを、実戦の最中に最適な形で使い分けている。
決められた型を演じる演武ではない。
一瞬ごとに変化する実戦で、その場の最善を選び続けているのだ。
「これが……魔王を名乗り、魔王国の統一を目指す魔王の力か」
「帝国の勇者殺しと恐れられた戦闘種族たちも、決して劣らぬ強者だったが、それと同等か、あるいは…」
感嘆を漏らしながらも、グラーディスの腕は止まらない。
唸りを上げて迫る《天裂鞭》を、盾で受け流し続ける。
ディアボロスは決してアウレリアだけを見てはいなかった。
グラーディスも。
イシュリアンも。
一瞬たりとも軽視していない。
暴れ回る《天裂鞭》は三人を分断し、それぞれの立ち位置を強制的に崩していく。
しかも、それは牽制では終わらない。
触れれば命を奪う、一撃必殺の武器だった。
そのため、前へ出るアウレリアも無視できない。
グラーディスの目には分かっていた。
アウレリアの踏み込みが浅いのではない。
踏み込みたい場所を《天裂鞭》が先に砕き、地面を抉っているのだ。
進路を塞がれた、その一瞬。
頭上から《天砕柱》が容赦なく振り下ろされる。
二つの武器が互いの死角を埋め合い、勇者へ逃げ場を与えない。
覇王ディアボロスは、その圧倒的な戦術をもって、勇者一行へ新たな一枚の札を静かに突きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ディアボロスが、静かに「天砕柱」を振りかぶる。
その構えを見た瞬間、戦場の空気が変わった。
武に疎いレオニスでさえ、その意図だけは理解してしまう。
(嘘だろ……!?)
あれほどの質量を持つ武器を。
まさか、投げるつもりなのか。
「受けよ!」
覇王の一喝とともに、右腕が振り抜かれた。
爆音。
空気そのものが破裂したような衝撃が辺りへ広がる。
「天砕柱」は超重量武器でありながら、矢よりも速く宙を翔けた。
激しく回転しながら迫るその姿は、巨大な岩山を削り出した特大の円刃。
まるで大地を薙ぎ払う破壊そのものだった。
避ければ助かる。
誰もがそう思う。
だが、グラーディスは退かなかった。
長身をわずかに沈め、聖盾を正面へ掲げる。
さらに一歩。
自ら破壊へ踏み込む。
「聖盾解放――星砦の盾!」
黄金の光が盾から迸る。
太陽を思わせる神聖な輝きと、隕石のような天砕柱が正面から激突した。
轟音。
衝撃波が大地を走り、足元の岩盤が蜘蛛の巣状に砕け散る。
地面が割れ、土砂が舞い上がった。
「グラーディス様!」
思わずレオニスが叫ぶ。
雄叫びを上げたグラーディスは、両脚で地を踏み砕きながら押し返した。
ついに天砕柱の軌道が変わる。
回転を保ったまま、今度はディアボロスへ向かって飛び返った。
(やった……!)
レオニスは拳を握る。
だが、その期待は一瞬で砕かれた。
ディアボロスは微動だにしない。
迫る天砕柱へ当然のように右手を差し出した。
「まさか……あれは……!?」
轟音とともに戻ってきた超重量武器を、片手で受け止める。
衝撃で地面が陥没する。
それでも覇王の巨体は一歩たりとも揺るがない。
握った瞬間。
戻ってきた回転。
速度。
質量。
そのすべてを、自らの膂力へ取り込むように右腕へ集約していく。
筋肉が異様なまでに膨れ上がる。
柄は悲鳴を上げ、砕けそうな音を立てた。
「いくぞ!」
再び放たれる天砕柱。
一投目とは比較にならない。
回転は倍。
速度は倍。
威力さえも倍加した、純粋な破壊の塊だった。
再び聖盾へ激突する。
グラーディスは盾を構えたまま踏みとどまろうとする。
しかし今度は耐えきれない。
身体ごと大地を削りながら、遥か後方へ吹き飛ばされた。
なおも天砕柱は弧を描き、主人の元へ戻っていく。
三度、その武器はディアボロスの右手へ収まった。
その時だった。
――ぴしぃぃぃっ。
乾いた亀裂音が戦場へ響く。
ディアボロスは静かに掌の武器へ目を向けた。
灰黒色の刀身。
その表面へ、一筋の亀裂が走っている。
「ほう……」
覇王は目を細める。
怒りではない。
落胆でもない。
強敵に出会った武人だけが浮かべる、満足げな称賛だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




