尊敬するわ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアは静かに一歩踏み出した。
レオニスの横を通り過ぎ、そのまま勇者一行の先頭へ出る。
「レオニス、リアンの後ろへ」
短く、それだけを告げる。
「……アウレリア、ごめん……」
和平を願った言葉は届かなかった。
その悔しさを隠しきれず、レオニスは視線を落とす。
すると、アウレリアは肩をすくめて笑った。
「ああいう頑固で頭の固いのは、一発殴らないとわからないタイプよ」
まるで気負いのない口調だった。
戦いを前にしているとは思えないほど、いつもの彼女らしい笑み。
その笑顔に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らぐ。
そして、アウレリアはレオニスにだけ聞こえる小さな声で続けた。
「でも、いつも和平をあきらめない姿勢、尊敬するわ」
「……そうでもないよ」
レオニスは苦く笑う。
その言葉を、自分が受け取る資格などないと思ったからだ。
胸に浮かんだのは、遠い日の記憶だった。
かつての自分は、和平など夢物語だと思っていた。
敵と味方は分かり合えない。
価値観の違いは争いで決着をつけるしかない。
そう信じて疑わなかった。
その考えを変えたのは、目の前に立つ少女だった。
勇者でありながら、神から授かった聖剣を絶対の正義とはしない。
敵にも理由があることを知ろうとする。
戦う必要がなければ、相手が樹王ですら、迷うことなく戦わない。
その在り方が、レオニスの世界を少しずつ変えていった。
さらに思い出す。
帝國最強の戦士、ファイ。
和平を否定しながらも、最期にレオニスへ言葉を残した。
『帝國と和平を結びたいとほざいたな』
皮肉にも聞こえるその言葉の奥には、信念を貫けという意思があった。
最後まで己を曲げなかった武人。
その生き様は、今もなおレオニスの胸に焼き付いている。
だからこそ。
せめて爪痕だけでも残したかった。
ファイに笑われないために。
そして、アウレリアの願いを無駄にしないために。
「……後は頼むよ、アウレリア」
その声に、アウレリアは振り返らない。
ただ、小さく頷いた。
風が吹く。
黒髪のポニーテールが揺れ、白銀の鎧が陽光を受けて淡く輝く。
「……頑張って。こんなことで死んではだめだよ、アウレリア」
「……当たり前でしょ!」
迷いのない返事だった。
その一言だけで十分だった。
アウレリアの全身から闘気が静かに立ち上る。
空気が震え、大地がかすかに鳴る。
「……こんなところで、あたしは旅を終える気はない」
視線の先には、覇王ディアボロス。
「……だから、あいつがそういうやり方で問うなら――」
ゆっくりと聖剣の柄へ手を添える。
「魔王国流儀で答えてくる」
その姿を、レオニスは黙って見送った。
細い背中は決して大きくない。
それでも、誰よりも頼もしく映る。
(アウレリアは否定するかもしれない)
(それでも君は、間違いなく勇者だ)
少なくとも、レオニスの目にはそう見えていた。
聖剣を携え、自らの信じる道を貫くその少女は、誰よりも、その名に相応しい存在だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
覇王ディアボロスが手にする武器――《天裂鞭》。
節状の鋼が幾重にも連なったその武器は、ただ敵を打ち砕くという一点だけを極限まで突き詰めた存在だった。
間合いという概念はない。
敵が見えている。
それだけで、すでに射程の内側だった。
鞭が振るわれる。
鋼の大蛇が牙を剥くようにうねり、大地を砕きながら一直線に襲いかかる。
速さ。
広さ。
重さ。
そのすべてが規格外。
百の敵に囲まれようとも、踏み込んだ瞬間にまとめて薙ぎ払う。
攻撃であり、防御でもある。
覇王の領域とは、そのまま天裂鞭の届く世界を意味していた。
だが。
その死地へ、アウレリアは迷いなく飛び込む。
足を止めない。
迫る鋼を紙一重でかわし、受けきれない一撃は聖剣で弾く。
砕けた岩片が舞い、衝撃が白銀の鎧を叩く。
それでも速度は落ちない。
むしろ、一歩ごとに覇王との距離を縮めていく。
「……称賛すべき胆力だ」
ディアボロスは感嘆を隠さなかった。
これまで相対した勇者たちは、この領域を死地と悟った。
踏み込むことすらできず、鞭に叩き伏せられてきた。
だが目の前の勇者だけは違う。
危険を理解した上で、それを乗り越えることを選んでいる。
前衛であるアウレリアが天裂鞭を引き受ける。
その間に、後方ではイシュリアンが静かに聖杖を掲げていた。
「……天星弾!」
澄んだ詠唱とともに、杖の先へ光が収束する。
圧縮された魔力は一本の光条となり、一直線にディアボロスへ走った。
しかし。
鋼の鞭が閃く。
乾いた衝撃音とともに光弾は砕け散り、夜空の星屑のように霧散した。
(……それでかまいません)
イシュリアンの表情は変わらない。
続けざまに第二射。
さらに第三射。
休むことなく光弾を撃ち込み続ける。
狙いは覇王を討つことではない。
天裂鞭へ選択を迫ること。
迎撃に意識を割かせ、その一瞬だけでもアウレリアへ向かう攻撃を鈍らせる。
無数の光が戦場を駆け巡り、鞭の軌跡をわずかに乱していく。
「……やりおる」
ディアボロスは低く呟いた。
魔導士としては正しい判断だった。
勇者一人では、この領域は突破できない。
だから後衛が間合いを削り、前衛へ道を作る。
見事な連携だった。
その間にも、アウレリアは止まらない。
あと一歩。
あと一太刀。
確実に覇王へ迫ってくる。
「……ならば、こちらもギアを上げるとしよう」
ディアボロスは天裂鞭を操る左手とは別に、空いた右手をゆっくりと前へ差し出した。
その瞬間。
何もなかった空間が、水面のように静かに揺らぐ。
波紋は幾重にも広がり、その中心に黒い裂け目がゆっくりと口を開いた。
覇王は勇者一行を認めた。
ゆえに、自らが許した新たな力を戦場へ招き入れる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……何だ、あれ?」
レオニスは思わず息を呑んだ。
覇王ディアボロスが右手に握る武器。
それは剣とも斧とも違う。
あえて名付けるなら、斧剣。
そんな言葉が最も近かった。
刃に華美な装飾はない。
灰黒色の刀身は艶すらなく、まるで巨大な岩石をそのまま削り出したような無骨な造りだった。
鋭く斬るためではない。
ただ圧倒的な質量で、敵を粉砕する。
その一点だけを追求した武器。
「――《天砕柱》!」
ディアボロスが咆哮すると同時に、その巨兵が唸りを上げた。
本来なら持ち上げることすら困難な質量。
だが覇王の規格外の膂力は、それを軽々と振り回してみせる。
迎え撃つアウレリアも一歩も引かない。
白銀の聖剣が閃き、《天砕柱》と真正面から激突した。
轟音。
火花が爆ぜる。
衝撃は蜘蛛の巣のように地面へ走り、大地そのものを陥没させた。
力と力。
質量と質量。
互いに一歩も譲らない。
聖剣の斬撃は確かに《天砕柱》の表面を削っていた。
だが、その巨大な武器を断ち切るには至らない。
「固いし、重いし、強いな!」
アウレリアはむしろ楽しげに笑った。
その声に恐れはない。
あるのは、強敵と巡り会えた高揚だけだった。
両者の一撃は、どちらも必殺。
軽い探り合いなど存在しない。
一振りごとに、生死が決まる。
「久しぶりに血が騒ぐぞ!」
ディアボロスの口元が豪快に歪む。
武人としての歓喜が、その白い双眸に宿っていた。
「これも受けられるか、勇者!」
《天砕柱》が頭上高く掲げられる。
次の瞬間、山が落ちてきたかのような一撃が振り下ろされた。
「当たり前でしょ!」
アウレリアも叫ぶ。
聖剣を大きく振りかぶり、真正面から迎え撃つ。
金属が悲鳴を上げる。
凄まじい衝撃波が周囲へ弾け、砂塵が一気に巻き上がった。
それでもアウレリアは踏み止まり、聖剣で《天砕柱》を押し返してみせる。
「……強い」
レオニスはその光景に息を忘れた。
覇王ディアボロス。
圧倒的な膂力と武器の質量で、敵も地形も区別なく叩き潰す。
それだけではない。
左手では《天裂鞭》を自在に操り、グラーディスとイシュリアンへ絶え間なく牽制を送り続けている。
二つの巨大武装を同時に扱いながら、戦場全体を掌握していた。
力任せではない。
戦況を俯瞰し、一瞬たりとも隙を見せない武人だった。
《天砕柱》が地面へ落ちるたび、大地が震える。
砕けた岩塊が嵐のように飛び散る。
避ければ済む攻撃ではない。
余波だけでも、人を吹き飛ばすほどの破壊力。
それでも。
アウレリアは一歩も退かなかった。
舞い散る瓦礫を駆け抜け、さらに覇王との距離を詰める。
その瞳は、ただ目の前の強敵だけを真っ直ぐに見据えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




