すべては、そこから始まる
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アインたちを見たであろう。元を正せば、俺も同じだ」
静かな声が広い謁見の間に響く。
「樹王を倒すために造られた」
「本来なら、魔王国に存在しない生命だ」
ディアボロスは自らの出生を隠そうともしなかった。
その横顔に、自嘲も悲観もない。
ただ、与えられた使命を受け入れた者だけが持つ揺るぎない覚悟があった。
フィデリアは静かにその姿を見つめる。
目の前に立つ覇王は、自らを卑しい存在だとは微塵も思っていない。
「憐れんでもらう必要はない」
「果たすべき目的があり、それが明確だ」
「自分が何者か分からぬ人生よりも、遥かに価値のある人生だ」
迷いのない言葉だった。
それは他者へ言い聞かせるものではなく、自らが百年抱き続けてきた信念そのものだった。
「……だから、神鋼を手に入れるために、私を攫ったと言うことですか……」
フィデリアは静かに問い返す。
「その通りだ」
ディアボロスは一切ためらわず頷いた。
勇者を討てば、姫巫女は消える。
姫巫女が消えれば、神鋼もまた失われる。
その理を知ったからこそ、ディアボロスはアウレリアたちとの戦いを最後まで続けなかった。
勝利よりも、神鋼を得る可能性を選んだのである。
「どうやれば神鋼を与えてくれる」
「どのような代償でも払う」
白い瞳が真っ直ぐフィデリアを射抜く。
「お前たち勇者を倒し続けたことが罪だと言うなら、ことが終われば殺されてもかまわん」
その声には打算も保身もなかった。
樹王を討ち、魔王国を解放する。
その使命さえ果たせるなら、自らの命など惜しくはない。
それが、人造魔王ディアボロスという存在だった。
「……神鋼は……」
フィデリアが答えようとした、その瞬間だった。
ディアボロスの表情が変わる。
対等の対話を交わしていた王ではない。
修羅の戦場を知る眼差し
「思ったよりも早いな」
低く呟き、扉の向こうへ意識を向ける。
フィデリアもまた、微かに感じ取っていた。
遠くから近づいてくる、よく知る気配を。
「……アウレリア……」
自然とその名が口をつく。
ディアボロスは静かに頷いた。
「返答は、あとで貰おう」
黒いマントを翻し、覇王はフィデリアへ背を向ける。
重厚な足音だけが静かに響いた。
「案ずるな。勇者は殺さん――いや、殺せんからな」
その背中へ、フィデリアは小さく言葉を送る。
「……アウレリアたちは、強いですよ……」
するとディアボロスは、わずかに口元を緩めた。
「知っておるさ。故に、手加減できなかったら許せよ」
その言葉を残し、覇王は部屋を後にする。
互いに討つ理由を持ちながら、互いに討つことのできない者たち。
勇者と魔王。
それぞれが譲れない使命を抱えた戦いが、今、再び幕を開けようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そろそろだと思うんだけど」
レオニスは手元の地図と目の前の景色を何度も見比べる。
距離も方角も間違っていない。
それにもかかわらず、目的地らしきものはどこにも見当たらなかった。
広がるのは、岩が点在するだけの荒涼とした平原。
砦も城も、集落すら存在しない。
身を隠せるような地形さえ見当たらず、風だけが乾いた大地を吹き抜けていた。
「……でも、何か変よ、ここ……」
アウレリアも周囲へ視線を巡らせる。
何がとは言えない。
だが、長年培った直感が、この場所の異質さを告げているような表情をしていた。
「……リアン、何かわかるかい?」
グラーディスが問い掛ける。
その頃には、イシュリアンはすでに探知魔法を展開していた。
淡い魔力が静かに周囲へ広がっていく。
やがて、その表情がわずかに変わる。
「隠蔽と人払いを兼ねた結界があります」
「かなり巧妙ですね……。知らなければ、そのまま素通りしてしまうでしょう。それほど高度な術式です」
感心したように呟きながら、細い指を顎へ添える。
「解呪できるんですか?」
レオニスが尋ねる。
しかしイシュリアンは静かに首を横へ振った。
「これほど大規模な結界を解除するのは簡単ではありません」
「じゃあ、あたりを聖剣で吹き飛ばす?」
悪びれもなく言うアウレリアに、イシュリアンは即座に顔をしかめた。
「物騒な手段を考えないでください。フィデリア様まで巻き込んだら、どうするつもりですか」
「じゃあ、どうすんのよ?」
互いに視線を交わした、その時だった。
「その魔法使いの言うことは正しいぞ、勇者よ」
低く重い声が、何もない荒野へ響き渡る。
同時に、空間そのものがゆっくりと歪み始めた。
陽炎のような揺らぎが広がり、見えなかった景色が姿を現していく。
「……転移魔法」
イシュリアンは反射的に聖杖を構えた。
揺らぎは次第に輪郭を持ち、一人の巨躯を映し出す。
巨大な存在感が空気を押し潰す。
銀白の髪。
黒き長衣。
戦場に立つ王そのものの威容。
覇王ディアボロス。
「ずいぶんと潔く出て来たわね」
アウレリアは一歩前へ出る。
その瞳は一瞬たりとも覇王から逸れない。
「そちらも隠れず来たのだ。こちらも、それに倣ったまで」
「この地を守護する者として、出迎えは当然だろう」
静かな口調だった。
しかし、その一言一言には揺るがぬ威圧感が宿っている。
ディアボロスは勇者一行を一人ずつ見据える。
誰一人、油断していない。
迎え撃つ側も、迎える側も。
互いに、この一戦の重みを理解していた。
アウレリアが静かに聖剣の柄へ手を伸ばす。
空気が張り詰める。
戦いは、一触即発だった。
「待ってください、覇王ディアボロス!」
その緊張を切り裂くように、レオニスの声が平原へ響いた。
誰も予想していなかった叫びだった。
勇者も。
仲間たちも。
そして覇王でさえ、その声へ静かに視線を向けるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇者でもない。
魔王でもない。
ただ一人の文官、レオニスが戦場の中央へ一歩踏み出した。
その細身の体は、覇王ディアボロスと比べればあまりにも小さい。
それでも、その足は止まらなかった。
「私たちは、あなたと戦いに来たわけではありません!」
静まり返った平原へ、凛とした声が響く。
「フィデリア様さえ返していただければ、戦う理由はありません!」
「どうか、魔王国のために戦うことをやめていただけませんか!」
その言葉は、恐怖に震えた懇願ではない。
戦いを避けるために考え抜いた、一人の人間の答えだった。
覇王を倒しても、勇者一行に利益はない。
ロウガは語っていた。
冥王に対抗するためには、覇王ディアボロスという存在が必要なのだと。
その言葉が真実かどうか、レオニスには判断できない。
だが、アウレリアが信じた者の言葉ならば、一度は信じる価値がある。
そう考えていた。
「もし、フィデリア様に望みがあり、それが邪悪なものでないのであれば……」
「私たちも協力します」
「フィデリア様を説得することも約束します」
「だから、どうか魔王国のために刃を収めてください」
レオニスは深く頭を下げた。
命を懸けた交渉だった。
相手は覇王。
力を至上とする魔王である。
それでも、言葉で終わらせられる可能性があるなら、その道を選びたかった。
ディアボロスは、かつてロウガの同盟提案を受け入れた。
ならば、この魔王は暴力だけを信じる存在ではない。
その確信が、レオニスをここまで立たせていた。
風だけが吹く。
誰も口を開かない。
勇者一行も。
魔王も。
荒野を支配したのは、重苦しい沈黙だった。
やがて、その静寂を破るように低い笑い声が漏れる。
「……面白いことを言うものだな」
「その胆力は認めよう!」
ディアボロスは肩を震わせる。
そして豪快に笑った。
笑い声は大地へ響き渡る。
「ここまで来て、戦う理由がないと言うか!」
その姿を見て、レオニスはわずかに胸をなで下ろしかけた。
まだ話は通じる。
そう思った、その瞬間だった。
「だが――」
笑みが消える。
覇王の白い双眸が、勇者一行を射抜いた。
「その言葉に、覇王は頷けん」
空気が変わる。
目に見えぬ圧力が大地を震わせ、呼吸さえ重く感じられる。
「勇者とは、魔王国に破壊をもたらす者だ!」
「長き歴史の中で、その聖剣が流した血を、魔王国は決して忘れはせん!」
その一言には、数百年を超える歳月が積み重なっていた。
個人への憎悪ではない。
魔王国そのものが刻んできた歴史の叫びだった。
ディアボロスの魔力がさらに膨れ上がる。
何者をも屈服させる王者の気迫。
まさしく覇気。
その右手に、節状の金属が金属が音を立てて連なる武器が収まる。
天裂鞭。
「魔王国の魔王として、勇者は討つべき存在」
ゆっくりと鞭を構え、覇王は告げる。
「この魔王国で何かを語りたければ、まず強さを示せ!」
「すべては、そこから始まる!」
それはレオニスの和平を、力の理で退ける宣告だった。
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