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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
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馬鹿なのは……

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……魔王が、逃げた?」


レオニスは呆然と呟いた。


戦場には、先ほどまで激突していた魔力の余韻だけが残っている。


抉れた大地。


砕けた岩。


そして、フィデリアの姿だけが消えていた。


覇王ディアボロスは決して追い詰められてはいなかった。


むしろ戦況は、なお互角以上だったと言える。


それでも、覇王ディアボロスは一切の躊躇なく戦場を捨てた。


勇者を討ち取れるかもしれない機会さえ切り捨て、自らの目的だけを果たして去っていった。


「……してやられた……」


その言葉しか出てこない。


昔話では、勇者は魔王城へ挑み、魔王は決して逃げない。


逃げ場のない決戦。


それが勇者と魔王の戦いだと信じていた。


だが現実は違う。


魔王は逃げる。


しかも、自らの目的を果たした上で。


敵ながら、その徹底ぶりは見事だった。


「リアン!」


グラーディスが鋭く呼びかける。


言葉を交わさずとも、その意味は一つしかない。


イシュリアンは目を閉じ、周囲へ探知魔法を広げた。


静寂。


やがて、ゆっくりと首を横へ振る。


「……完全に見失いました」


悔しさを押し殺すように、聖杖を強く握り締める。


転移の痕跡は残っている。


だが、その先は辿れない。


追跡は完全に断ち切られていた。


「……フィデリア……」


アウレリアは小さく名を呼ぶ。


そして行き場のない怒りをぶつけるように、拳を地面へ叩きつけた。


鈍い音が響く。


白い拳が震えていた。


その背中は、いつもの堂々とした勇者の姿よりも、ずっと小さく見えた。


守ると決めた仲間を守れなかった。


その事実だけが、重く胸へ圧し掛かる。


グラーディスも。


イシュリアンも。


誰一人、今回の判断を誤りだったとは言えない。


あの状況で、敵が迷いなく撤退を選ぶなど予想できる者はいない。


だからこそ、責める言葉は誰の口からも出なかった。


重苦しい沈黙だけが流れる。


しかし、その空気を破ったのはレオニスだった。


「まだ、手遅れじゃない」


三人が同時に振り向く。


「……覇王の行方は、追えるかもしれない」


その一言に、沈みかけていた空気がわずかに揺れる。


「知っている人がいる……」


レオニスは静かに視線を向けた。


その先には、苦々しい表情のまま立ち尽くす一人の魔王。


牙王ロウガ。


覇王ディアボロスと同盟を結ぶ男。


事情を知る立場である彼ならば、フィデリアが連れて行かれた先へ辿る手掛かりを握っているかもしれない。


失われた希望は、まだ完全には途絶えていなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場に残された静寂は重かった。


フィデリアを奪われたという事実は、勇者一行の胸に重くのしかかっている。


それでも、レオニスは一つだけ確信していた。


少なくとも、フィデリアは今すぐ命を奪われる状況にはない。


その考えは願望ではない。


先ほどまでの覇王ディアボロスの行動、そのすべてが根拠になっていた。


もし排除だけが目的ならば、戦闘中に実行できたはずだ。


あれほどの実力差があれば、無手であってもフィデリアの命を絶つことなど造作もない。


実際、勇者一行を相手にしながらなお余裕を失ってはいなかった。


さらに不可解なのは、覇王自らが動いたことだ。


魔王国統一を掲げ、大軍勢を率いる王が前線へ姿を現した。


その事実は、フィデリアの奪取が誰にも任せられない重要任務だったことを示している。


ロウガほどの実力者ですら託せない。


だからこそ、覇王自身が動いた。


そこには偶然などない。


最初から明確な目的があり、そのためにはフィデリアを傷一つなく確保する必要があった。


理由までは分からない。


だが一つだけ言える。


もし最終的に命を狙うつもりだったとしても、それは今ではない。


目的を果たす前に処分する意味がないからだ。


ならば、まだ間に合う。


追いつきさえすれば、奪還できる可能性は残されている。


だが、その猶予は決して長くない。


今この瞬間こそが、黄金よりも価値のある時間だった。


「ロウガ、教えて!」


アウレリアが勢いよく踏み出す。


「フィデリアはどこに連れて行かれたのよ!」


「……あいつは、どこへ行ったの!」


鬼気迫る表情だった。


怒りというより、仲間を失う恐怖が滲んでいる。


レオニスはその横顔を見つめる。


言葉にしなくとも伝わってきた。


――答えて。


――でなければ、あなただって許せない。


そんな強い感情だった。


グラーディスも。


イシュリアンも。


二人の視線もまた、ロウガへ向けられている。


勇者一行にとって、今頼れる手掛かりは彼しかいない。


その一本の糸を失えば、フィデリアへ辿り着く術はなくなる。


しかし、ロウガは唇を結んだままだった。


苦しげに拳を握る。


助けたい。


だが答えられない。


覇王ディアボロスと結んだ同盟。


それを破ることは、人狼族全体を戦火へ投げ込むことに等しい。


一人を救うために、一族すべてを滅ぼす選択はできない。


重苦しい沈黙だけが流れる。


誰も次の言葉を発せない。


その膠着を破ったのは、思いもよらぬ人物だった。


「おそらく、覇王の本拠地です」


静かに響いた女性の声。


全員が一斉に振り向く。


そこに立っていたのは、麗王レイラ。


救いの糸は切れていなかった。


その糸を差し出したのは、敵になるかもしれない、もう一人の魔王だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「レイラ!」


ロウガの鋭い制止の声が響く。


しかし、レイラは振り返ることなく静かに言葉を続けた。


「覇王の本拠地は、ここから南へ二十キロほど進んだ場所です」


「そこまで辿り着けば、あなたの魔力探知で見つけられるでしょう」


漆黒のバイザー越しの視線が、イシュリアンへ向く。


「はい」


イシュリアンは力強く頷いた。


「その距離まで近づければ、捕捉できます」


その一言で空気が変わる。


終わったと思われた戦いは、まだ終わっていない。


フィデリアを救い出す道は、まだ閉ざされてはいなかった。


勇者一行の瞳へ、再び光が宿る。


「ありがとう、レイラ!」


アウレリアが迷いなく礼を告げる。


その真っ直ぐな言葉に、レイラの口元がほんのわずかだけ緩んだ。


それは一瞬だった。


次の瞬間には、再び静かな表情へ戻る。


「レイラ!」


ロウガの怒声が飛ぶ。


先程は自分を止めたレイラが裏切った。


「お前、自分が何をしたのか分かっているのか!」


怒りというより、悲鳴に近い声だった。


レイラは静かに頷く。


「分かっています、ロウガ」


「この件の責任は、すべて私が負います」


そう言うと、腰の武器を静かに地面へ置いた。


そして躊躇なく膝をつく。


深く頭を垂れる。


「私は人狼族とは関係ない裏切者」


「私が独断で判断し、勝手に話したことです」


凛とした声は少しも震えない。


「どうぞ、この首をお取りください」


「麗王の首ならば、裏切りではない証として相応の価値があるでしょう」


その場の空気が凍りつく。


命乞いではない。


自ら死を差し出す覚悟だった。


レイラは静かに続ける。


「ロウガが正しいと思う道こそ、人狼族の進むべき道です」


「その決断を責める者など、人狼族にはおりません」


「私たちは、義と自由を何より尊ぶ一族なのですから」


ロウガは言葉を失った。


レイラは最初から分かっていたのだ。


ロウガが助けたいと思っていることも。


だが、一族を背負う立場ゆえに動けないことも。


だからこそ、自らが罪を背負う役目を選んだ。


ロウガの迷いを断ち切るために。


すべてを引き受ける覚悟で。


「……くそ」


漏れた声は、自分へ向けたものだった。


「馬鹿なのは……俺の方だ」


大きな手で顔を覆い、ゆっくりと天を仰ぐ。


胸に去来するのは、安堵でも怒りでもない。


己への情けなさだった。


「一族を守ると言いながら……」


「俺は、一族を信じ切れていなかった」


人狼族は義を重んじる。


それを誰より知っているはずなのに。


王である自分が、その誇りを疑ってしまっていた。


ロウガは跪いたレイラを見つめる。


そして、小さく自嘲した。


「……俺は」


叱ることも、止めることもできなかった。


「魔王失格だな」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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