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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
139/143

何をしにきた

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



張りつめていた空気が、一瞬で凍りついた。


ロウガの琥珀色の瞳が、普段では考えられないほど大きく見開かれる。


その視線の先には、いつの間にかフィデリアの背後へ立つ、一人の巨躯があった。


誰一人、その接近に気付けなかった。


「……ディアボロス……」


ロウガが低く名を漏らす。


その名を聞いた男は、静かに視線だけを向けた。


「無事に麗王レイラと合流できたようだな」


感情をほとんど乗せない重厚な声。


しかし、その一言だけで、この場の空気が支配される。


「……何? あんた?」


緊張感など意にも介さず、アウレリアが率直に尋ねる。


男はゆっくりと答えた。


「ディアボロス。魔王国では、覇王で通っている」


その名乗りを聞いた瞬間、レオニスの背筋に冷たいものが走る。


(覇王だって!?)


魔王国を席巻する存在。


ロウガ、レイラに続く、三人目の魔王。


しかも、その中でも統一を掲げる覇王が、何の前触れもなく目の前へ現れた。


「……何をしにきた、ディアボロス」


ロウガの声音は低い。


だが敵意よりも、警戒が勝っていた。


ディアボロスは肩をわずかに揺らす。


「……魔王国で、俺が移動するのに許可が必要か、ロウガ」


返答になっていない。


それでも覇王は平然としていた。


そして白い瞳を、勇者一行へ向ける。


「俺が用事があるのは、お前ではない」


ゆっくりと掌が持ち上がる。


向けられた先は、アウレリアたちだった。


「皆!」


危険を察したアウレリアが叫ぶ。


その瞬間、魔力をまとった掌圧が放たれた。


轟音。


空気そのものが押し潰される。


グラーディスは即座に聖盾を掲げる。


鈍い衝撃が盾全体へ走った。


イシュリアンは聖杖を掲げ、魔力障壁を展開する。


透明な壁が激しく軋み、火花のような魔力が散った。


そしてレオニスへ向かう一撃を、アウレリアが割って入る。


聖剣が銀光を描き、掌圧を真正面から断ち砕いた。


衝撃波が四方へ吹き抜ける。


「…やるではないか」


ディアボロスは感心したように呟いた。


だが、その視線は最初からアウレリアには向いていない。


「しかし、お前たちなどどうでもよい」


次の瞬間だった。


ディアボロスの指先が、フィデリアの額へ静かに触れる。


フィデリアの身体から力が抜け、次の瞬間、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。


ディアボロスは倒れ込むより早く、その華奢な身体を傷つかないように抱き留めた。


「っ!」


同時に鋼がぶつかるような音が鳴る。


アウレリアの聖剣が一直線に閃く。


それを、ディアボロスは武器すら持たず、片腕だけで受け止めていた。


剣圧で大地がひび割れる。


それでも覇王の腕は微動だにしない。


「……邪魔をするな」


「……フィデリアを解放しろ!」


「断る」


短い応酬。


それだけで二人の気配が膨れ上がる。


まるで空間そのものが軋むような圧力だった。


(何が起こっているんだ!?)


レオニスには理解が追いつかない。


覇王から殺気は感じられない。


怒りもない。


敵意すら希薄だった。


それなのに、この場にいる誰よりも恐ろしく見える。


覇王ディアボロスという存在は、その場に立っているだけで戦場そのものだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「リアン、レオニス、私の後ろへ!」


グラーディスが一歩前へ踏み出し、聖盾を構える。


「フィデリア様を解放しなさい!」


イシュリアンも一歩前へ出る。


聖杖を覇王ディアボロスへ向け、その先端に光が集束していく。


「――聖撃砲!」


轟音とともに、眩い光の奔流が一直線に放たれた。


貫通力を極限まで高めた聖杖の能力。


並の魔物なら、直撃した瞬間に消し飛ぶ一撃だった。


しかし。


ディアボロスは片手だけをゆっくりと持ち上げる。


掌底が光を受け止める。


轟音と共に衝撃が弾け、聖撃砲はあらぬ方向へ弾き飛ばされ、爆風だけが周囲へ吹き荒れた。


「……なんたる反応の速さ」


イシュリアンが思わず舌打ちする。


フィデリアを巻き込まぬよう威力は抑えていた。


それでも、高速度で放った魔法を見切られ、受け流された事実は変わらない。


覇王ディアボロス。


その防御能力、あるいは防御本能は、常識を超えていた。


イシュリアンは続けざまに魔法を構築しようとする。


だが、その手は止まる。


ディアボロスは意図的にフィデリアを身体の前へ抱え込み、盾のような位置へ移していた。


撃てば、フィデリアを巻き込む。


それはアウレリアも同じだった。


聖剣は何度も閃く。


しかし、その剣筋は普段より明らかに鈍い。


刃の軌道上には、常にフィデリアの姿がある。


斬れば助ける相手まで傷つけてしまう。


本来なら絶大な威力を誇る聖剣が、今は足枷となっていた。


一方のディアボロスも、片腕でフィデリアを抱えたまま戦っている。


本来の実力を発揮できる状態ではない。


それでもなお、押されているのはアウレリアだった。


「……くそがっ」


ロウガが歯を食いしばり、一歩踏み出だそうとする。


その腕を、レイラが静かに掴んだ。


「レイラ!」


「まだ駄目です、ロウガ」


強い口調ではない。


「覇王と彼らの争いに干渉してはいけません」


それでも、決して譲らない声音だった。


ロウガは鋭く睨み返す。


レイラも視線を逸らさない。


しばらく無言が続き、やがてロウガは奥歯を強く噛み締めた。


王である前に、一人の男としては今すぐ飛び込みたかった。


拳が震えている。


それでも動けない。


レイラが止めた理由を、誰より理解しているからだ。


現在、人狼族と覇王軍は同盟関係にある。


ここでロウガがディアボロスへ刃を向ければ、それは同盟の破棄を意味する。


その先に待つのは、人狼族と覇王軍との全面戦争。


戦力差は明白だった。


人狼族は滅びる。


アウレリアは、ロウガにとって妹のように大切な存在だ。


だが、一族すべての命を彼女のために天秤に掛けることはできない。


王である以上、その選択だけは許されなかった。


(何を考えている、ディアボロス……)


ロウガは白銀の覇王を見据える。


(そのヒト族に、一体何がある)


長い付き合いだからこそ分かる。


ディアボロスは、意味もなく他者を攫う男ではない。


だからこそ、フィデリアを求める理由、その目的だけが、この場で唯一読めなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ディアボロスは静かに息を吐いた。


「……想像以上に手強い。素手では対抗できないと認めよう」


その低い声に、余裕は失われていない。


ただ、相手を正当に評価した武人の響きだけがあった。


ディアボロスが片手を前へ差し出す。


次の瞬間、その空間が水面のように揺らぎ、小さな裂け目が生まれた。


そこから現れたのは、一振りの柄。


「……こちらも遠慮なく武器を使わせてもらう」


ゆっくりと柄を握り、引き抜く。


空間の裂け目から姿を現した武器を見て、レオニスは思わず息を呑んだ。


「……何だ、あれは!?」


剣でも槍でもない。


巨大な漆黒の鞭。


だが、革でできた武器とは似ても似つかない。


太い金属の節が幾重にも連なり、生物の脊椎のようにうねっている。


まるで、巨大な鉄の蛇が一本、そのまま武器となったような異形だった。


「我が『天裂鞭』の力に耐えられるか、勇者」


ディアボロスは軽く腕を振る。


その動作はあまりにも小さい。


しかし放たれた一撃は、小さくなどなかった。


漆黒の大蛇が地を這うように暴れ狂い、土が砕け、大地を引き裂きながら勇者一行へ襲いかかる。


最初に受け止めたのはグラーディスだった。


聖盾を正面に掲げ、真正面から迎え撃つ。


轟音。


「……何たる威力だ。鞭とは思えん……まるで鉄槌だ」


衝撃だけで両足が地面へ沈み込む。


踏み締めた踵が土を割り、砂煙が舞い上がった。


しかし、それで終わらなかった。


天裂鞭は一本ではない。


否。


一本の鞭が無数の軌跡へと分かれ、空そのものを漆黒に染め上げた。


四方八方から襲い来る一撃。


逃げ場は存在しない。


「天城の大盾!」


グラーディスが聖盾の力を解放する。


巨大な光の結界が仲間全員を包み込み、その上へ暴風雨のような鞭撃が降り注ぐ。


一撃ごとに大地が揺れた。


盾が軋み、結界が震える。


それでもグラーディスは一歩も退かなかった。


「面倒な!」


同時に、アウレリアへも無数の鞭が迫る。


「聖剣乱舞!」


銀閃が幾筋にも走る。


聖剣の軌跡が壁となり、漆黒の鞭と激しく火花を散らした。


金属同士が激突する甲高い音が連続し、周囲へ衝撃波が広がる。


だが、その迎撃こそが致命的だった。


仲間を守るため、アウレリアは一瞬だけディアボロスとの間合いを離してしまう。


その一瞬。


覇王は見逃さなかった。


「な!?」


誰もが目を見開いた。


フィデリアを抱えたディアボロスの姿が、陽炎のように揺らぐ。


空間そのものが歪み、その巨体が輪郭から薄れていく。


「……転移魔法!? そんなものまで!」


イシュリアンが叫ぶ。


理解した時には、すべてが遅かった。


空間の歪みは静かに閉じる。


そこに残ったのは抉られた大地と、重苦しい静寂だけだった。


勇者一行は、フィデリアを奪われるという目的を許し、覇王ディアボロスの完全勝利を見届けることしかできなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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