表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
138/142

――戦わない

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「あの頃の自分たちの未熟さを差し引いても」


ロウガは静かに言葉を選ぶ。


「"樹王"という魔王を表現する相応しい言葉があるとすれば……」


その琥珀色の瞳は、遥か彼方にそびえる巨大な樹を見据えていた。


山脈と見紛うほどの大樹。


魔王国のどこからでも見える、あの神木。


「……『別格』だ。もし奴が、魔王国最強の王を名乗ったとしても、俺は何一つ不思議に思わん」


その声には虚勢も誇張もない。


朝になれば陽が昇る。


夜になれば星が出る。


それと同じくらい当然の事実として語っていた。


その一言だけで、場の空気は重く沈む。


(そんな存在が……"樹王")


レオニスは息を呑んだ。


魔王が恐れる魔王。


しかも二人揃って戦うことすら諦め、逃走を選んだ相手。


これから自分たちが向かう先には、そんな規格外の存在が待っている。


勝てない――そう本能が告げていた。


まだ姿すら見ていない。


それなのに、身体は本能的に危険を察していた。


指先が小さく震えている。


隣ではグラーディスも沈黙し、イシュリアンも表情を変えないまま言葉を失っていた。


三人とも思い出していた。


帝國最強の戦闘種族ヴァルド。


あの怪物を前に、アウレリアでさえ一方的に叩き伏せられた光景を。


樹王は、それにも匹敵する、あるいは凌駕する存在かもしれない。


常識の延長では測れない怪物だった。


その沈黙を破ったのは、当のアウレリアだった。


「ねぇ、ロウガ?」


どこか楽しげな声だった。


ロウガが視線を向ける。


「ロウガから見て、今のあたしの力って、どのくらいなの?」


アウレリアは口元を緩めた。


「"樹王"と比べて、どれくらい差がある?」


「……何だと?」


ロウガの目がわずかに見開く。


「お前は昔から、自分の強さそのものには興味がなかっただろう。どういう風の吹き回しだ?」


「禁奈備に行くんでしょ」


アウレリアは肩を軽く回しながら笑う。


「だったら、知らないまま行くより、知っておいた方がいいじゃない」


その言葉に迷いはなかった。


勝てるかどうかではない。


相手を知るため。


その一点だけだった。


ロウガは数秒だけ黙る。


やがて静かに頷いた。


「……いいだろう」


その声音は戦士のものだった。


「アウレリア。お前の今を見せてみろ」


「うん。遠慮なしでお願い」


アウレリアは一歩前へ出る。


ゆっくりと目を閉じる。


周囲の音が消えていく。


呼吸だけが静かに整えられる。


やがて腰の聖剣へ手を添えた。


「じゃあ――いくよ」


鞘から剣が抜かれる。


澄んだ金属音が辺りへ響いた。


その瞬間だった。


見えない圧力が周囲へ広がる。


風が揺れる。


草木がざわめく。


空気そのものが張り詰めた錯覚を覚え、レオニスは思わず息を止めた。


聖剣の鳴動が増す。


圧倒的な存在感。


以前よりも遥かに研ぎ澄まされた気配だった。


アウレリアは聖剣を静かに構えたまま尋ねる。


「……どうかな?」


ロウガはじっと見つめる。


そして、小さく笑った。


「……正直、驚いた。想像以上だ」


その一言に、勇者一行の表情がわずかに明るくなる。


「そこらの魔王なら、お前の相手にもならんだろう」


確かな称賛だった。


しかし、次の言葉は容赦がなかった。


「……だが」


ロウガは視線を大樹へ向ける。


「樹王には、遠く及ばん」


静かな断言。


その一言が、禁奈備への道がどれほど険しいものかを、何より雄弁に物語っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「そっか」


アウレリアは静かに聖剣を鞘へ収めた。


鍔が鞘口へ収まる乾いた音が、小さく響く。


「まぁ、思ったとおりだね」


どこか晴れやかな表情だった。


落胆でも強がりでもない。


答え合わせが終わったような満足げな笑みを浮かべ、腕を組む。


「うん、納得」


何度か頷くと、ふと思いついたように空を見上げた。


「そうかぁ……ヴァルド師匠とどっちが強いかなぁ」


興味津々といった様子で呟く。


「ちょっと比べてみたい気もするなぁ」


「比べてみたいけど、だからって挑みに行く気はないよ?」


その感想は、その場にいた誰も予想していなかった方向へ飛んでいった。


「あの、アウレリアさん?」


恐る恐る口を開いたのはレオニスだった。


「ん? 何、レオニス?」


「その……ロウガさんに樹王には絶対に勝てないって言われましたよね?」


「うん」


「それは……いいの?」


アウレリアは不思議そうに首を傾げた。


「え?」


そして、ごく当たり前のことを話すように答える。


「やっぱりなぁ、世界は広いからなぁって改めて思っただけだけど?」


あまりにも自然な返答だった。


深刻さは微塵もない。


レオニスは思わず言葉を失う。


「え、いいの? それで?」


「いいも何も」


アウレリアは肩をすくめた。


「だって、樹王と戦いに行くわけじゃないし」


その一言に、その場の空気が止まる。


「絶対に勝てないって太鼓判を押されたなら、あたしだって試そうなんて変なことはしないわよ」


あっけらかんと言い切った。


誰も返事ができない。


(……え?)


(それでいいのか?)


そんな戸惑いが、その場にいた全員の胸を同時によぎる。


アウレリアは最初から樹王を倒すつもりなどなかった。


目的は巡礼の地へ向かうこと。


その途中に、有名人が住んでいると聞いた。


なら会うこともあるかもしれない。


その程度の認識だった。


勇者だから魔王を倒す。


そんな発想自体が、彼女の中には存在していなかった。


「……ふっ」


小さく肩が震える。


やがて堪えきれなくなったように、ロウガが笑い出した。


「ははははは!」


豪快な笑い声が辺りに響く。


「やっぱりお前は変わらんな、アウレリア」


「何よ、急に笑って」


「生きるか死ぬか、そんな二択を突きつけられても、お前は平気な顔で第三の道を選ぶ」


ロウガは目尻に涙を浮かべながら笑う。


「空気なんて気にもせずにな」


「ロウガ」


アウレリアは唇を尖らせた。


「それ、空気読めないって言ってるだけじゃない?」


「違う」


ロウガは即座に首を振る。


「褒め言葉だ」


「素直に受け取っとけ」


「えぇー?」


納得できないというように頬を膨らませるアウレリア。


その様子に、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。


レオニスは、その光景を静かに見つめる。


そして、一つのことに気づく。


(そうか……)


王国では、勇者とは魔王を倒す者だと教えられてきた。


勇者だから魔王を倒す。


強敵が現れたなら、立ち向かわなければならない。


それが当たり前だと信じていた。


だが、アウレリアは違う。


必要がなければ戦わない。


倒す理由がなければ、剣を抜かない。


ただ、それだけのことだった。


その選択は迷いから生まれたものではない。


恐怖から逃げたわけでもない。


最初から、その発想そのものが存在していないのだ。


――戦わない。


その一見単純な選択は、勇者という言葉に縛られていた者たちの常識を、あまりにも鮮やかに覆してみせた。


アウレリアが勇者でありながら、誰よりも人間らしく在り続ける理由だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



重苦しかった空気は、不思議なほどあっさりとほどけていった。


その中心にいたのは、やはりアウレリアだった。


「本当に救われた気持ちになりますよ。私たちのアウレリアには」


グラーディスは苦笑を浮かべながら肩をすくめる。


その表情には呆れと安堵が半分ずつ混じっていた。


「まったくですね」


イシュリアンも小さく息を吐く。


「深刻に考え込んでいた自分が、少し馬鹿らしく思えてきました」


冷静な口調は変わらない。


だが、その頬はわずかに緩んでいた。


樹王という存在を知った瞬間、誰もが「どう戦うか」を考えた。


勝てるのか。


勝てないのか。


逃げるべきか。


そんな答えの出ない問いばかりが頭を埋め尽くしていた。


しかし、アウレリアだけは違った。


最初から戦うという前提を持っていなかった。


だからこそ、その一言は全員の思考を根底から覆した。


勇者だから魔王と戦う。


そんな運命を疑うことすらなく受け入れていた自分たち。


もし聖剣を授けられたのが自分だったなら。


きっと樹王へ剣を向けることしか考えなかっただろう。


戦わないという選択肢など、最初から存在しなかった。


だからこそ思う。


自分たちが勇者ではなく、アウレリアが勇者で良かったのだと。


「さすがは私たちの勇者です」


グラーディスが自然に口にする。


「ええ。本当に、その通りですね」


イシュリアンも静かに頷いた。


二人の声はほとんど重なっていた。


「えぇ?」


アウレリアは困ったように眉を下げる。


「なんか褒められてるような、そうでもないような、微妙な感想なんだけど」


頬をかきながら首を傾げる姿は、当の本人だけが自分のしたことの価値に気付いていないようだった。


そして、何か言葉を期待するようにフィデリアへ視線を向ける。


「フィデリアは?」


優しく問いかけられたフィデリアは、小さく息を呑んだ。


「私も……貴方のような選定者だからこそ――」


そこまで口にして、言葉が止まる。


喉が締めつけられる。


それ以上は言えない。


言葉にしようとするほど、胸の奥に鈍い痛みが走る。


選定者へ伝えてはならないこと。


裁定者として課せられた禁則事項。


その鎖は、今もなお彼女を縛り続けていた。


(どうしても……伝えられない)


心の中ではいくらでも言葉が浮かぶ。


それでも口にはできない。


それが、今のフィデリアには何より苦しかった。


「どうしたの? フィデリア?」


心配そうに顔を覗き込むアウレリア。


その無垢な眼差しに、フィデリアは微笑みを返した。


「大丈夫ですよ、アウレリア」


穏やかな声だった。


「貴方の御心のままに」


それだけを告げる。


それが今、自分に許された精一杯だった。


静かに目を閉じる。


もし、いつの日か。


何の制約もなく、自分の想いを伝えられる時が来るのなら。


それは"勇者の儀"が最後の段階へ進み、すべての裁定が終わる時だけだ。


その最終審判で。


アウレリアは、何を選ぶのだろうか。


その未来を思った瞬間だった。


不意に。


フィデリアの背後へ、何者かの気配が現れる。


誰一人、その接近に気付けなかった。


「魔王国で好き勝手に行動されても困るのだがな、勇者よ」


静かな、しかし圧倒的な存在感を伴う声。


その一言に、場の空気は再び一変した。


誰も予想していなかった者の介入だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ