禁断の目的地
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ロウガは静かに腕を組み、全員の顔を見渡した。
その表情には先ほどまでの敵意はない。
だが、魔王として語るべきことを語る覚悟があった。
「……"勇者"と名乗る輩は、魔王国では"破壊者"と呼ばれ、民に恐れられる」
低く落ち着いた声が響く。
「そして、魔王の名を冠する者にとっては、古の時代から倒すべき敵として定められている」
勇者一行は誰一人として口を挟まなかった。
ロウガは、そのまま続ける。
「勇者は数十年、あるいは百年ほどの周期で”魔の森”から現れる」
「そして魔王国各地を襲い、宝物や秘宝を奪い去る」
「抵抗する者がいれば、"破壊の剣"の力を振るい、容赦なく命を奪う」
その声には怒りよりも、語り継がれてきた歴史を淡々と述べる響きがあった。
「勇者が通った後には、今も傷跡が残っている」
「山は砕かれ、大地は抉られ、草木一本生えない土地となった場所もある」
その光景を思い浮かべたのか、レイラが静かに口を開く。
「……鬼畜。まさに外道の所業です」
冷え切った声だった。
「生きるためではありません」
「まるで娯楽であるかのように民を虐げ、命を弄ぶ」
「勇者によって滅亡した種族すら存在します」
その言葉には、嫌悪と憎悪が滲んでいた。
勇者という名を口にすることさえ忌むようだった。
しかし、そのままレイラは少しだけ表情を和らげる。
「ですが、私たちもただ虐げられていただけではありません」
「力ある者たちが、弱き者を守るため立ち上がりました」
隣に立つロウガへ静かに視線を向ける。
「ロウガのご先祖様も、その一人です」
「勇者を討ち、魔王国へ再び平穏を取り戻しました」
どこか誇らしげな声音だった。
「そして民は、自らを守ってくれた王たちを讃え始めます」
「最古の"樹王"にならい、魔王国を守護する王――"魔王"という称号が受け継がれるようになったのです」
それが魔王という称号の始まり。
民を支配する王ではなく、民を守る王。
その思想が、長い年月をかけて魔王国の文化となっていった。
「別に俺が誇る話じゃない」
ロウガは肩を竦め、小さく笑う。
「成し遂げたのはご先祖様だ」
「その名にあやかりたくて、魔王国の有力者たちは皆、魔王を名乗るようになっただけさ」
気負いのない言葉だった。
己を飾る気配はない。
ただ受け継いだ責任だけを背負っている。
そしてロウガは改めて勇者一行を見る。
「話は逸れたが、魔王国にとって勇者とは、そういう存在だ」
「レイラがお前たちに問答無用で斬りかかった理由も、それで分かっただろう」
レイラは何も言わず、小さく目を伏せる。
「勇者が現れたというだけで、魔王国には混乱が走る」
「だから俺たちは、民を守るため勇者を討つ」
「それが、魔王の名を受け継ぐ者の責務だからな」
静かな言葉だった。
だが、その重みは誰の胸にも深く響いた。
レオニスは拳をゆっくりと握る。
王国で語られてきた勇者像とは、あまりにも正反対の歴史。
だからこそ、胸に浮かんだ疑念は確信へと変わっていく。
(やはり……こういう裏があったのか)
勇者と魔王。
どちらが正義で、どちらが悪なのか。
それは立つ場所によって、まるで違う物語になっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオニスも、イシュリアンも、グラーディスも。
三人とも表情だけは崩さなかった。
だが、その胸中は決して穏やかではない。
これまで語られた話は、王国で伝えられてきた歴史とは正反対だった。
魔王国へ現れる"勇者"。
その侵入経路は、決まって魔の森。
そして、その事実は歴代の魔王たちにとって、疑いようのない常識となっている。
もしロウガがアウレリアを信じていなければ。
もし彼女がここにいなければ。
自分たちもまた、過去の勇者と同じ存在として断罪されていた。
それは決して仮定ではない。ほんの数分前まで現実だった。
そう考えるだけで、背筋に冷たいものが走る。
重苦しい沈黙が、その場を包み込んだ。
そんな空気を破ったのは、やはりアウレリアだった。
「それでなんだけど、ロウガ。本題に戻ってよ」
「ん? 本題?」
「ほら、あたしたちの目的地の心当たり。途中で話が止まったでしょ!」
ロウガは「ああ」と短く漏らし、頭を掻く。
「悪い。忘れてたわけじゃないんだがな」
少しだけ考えるように視線を落とし、静かに口を開いた。
「……禁奈備」
その一言で、空気が再び張り詰める。
レイラの表情が、わずかに変わった。
「……ロウガ。それは……」
言葉を選ぶように視線を向ける。
ロウガは頷き返した。
「こいつらが目指すのが、魔力が最も濃い場所だっていうなら、最有力候補はそこしかない」
断言に近いその言葉だった。
レイラは小さく息を呑み、複雑そうに口を閉ざす。
そんな緊張など気にも留めず、アウレリアだけは目を輝かせていた。
「"キンナビ"って何!」
勢いよく一歩踏み出す。
「どんな場所なの? 何があるの?」
今にも続きを話せと言わんばかりに身を乗り出す姿は、流石はアウレリアと呼ぶべきものだった。
その無邪気さに、思わずロウガは苦笑した。
レオニスも肩の力が少し抜ける。
深刻な話題が自然と途切れたことに、内心では安堵していた。
もっとも。
話の行き先が、さらに厄介なものへ変わっただけなのだろうという予感も消えない。
ロウガは大きく息を吐いた。
「魔王国で最も古い森。それを俺たちは"禁奈備"と呼んでいる」
その声色は、先ほどまでよりも慎重だった。
「魔王国で一番神聖で……一番危険な場所だ」
「どんな魔王でも、あそこだけは手を出さない」
いや、とロウガは首を横に振る。
「正確には、手を出せない」
その言葉を引き継ぐように、レイラが静かに口を開いた。
「過去には、禁奈備へ踏み込んだ愚か者もいました」
感情を抑えた声だった。
だからこそ、その内容が重く響く。
「ですが……誰一人として、生きて帰ってきた者はいないとされています」
その場にいた誰もが息を呑む。
ロウガは静かに頷き、最後の言葉を告げた。
「"樹王"――あいつの支配領域。その最奥が、禁奈備だ」
その名を口にしたロウガでさえ、わずかに表情を引き締めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「"樹王"って、昔、ロウガが絶対に行くなって言ってたよね?」
アウレリアが懐かしそうに尋ねる。
ロウガは「ああ」と頷き、小さく笑った。
「初めて会った時だったな。お前がいきなり『樹王のところへ行く』なんて言い出したから、本気で危ない奴だと思って止めた」
その頃のアウレリアは、ただの旅人だった。
魔王国にそびえ立つ巨大な樹。
その存在が気になる。
それだけの理由で、危険地帯とも知らずに向かおうとしていたのである。
(……確かに、それだけの理由で禁地へ向かう人間なんて)
レオニスは思わず苦笑する。
(アウレリアくらいしかいないだろう)
魔王国では、禁奈備は神聖な地として恐れられている。
誰一人、生きて帰った者がいない場所へ、物見遊山で向かう者など常識では考えられない。
レイラが静かに口を開いた。
「"樹王"は決して暴君ではありません」
「縄張り意識の強い魔王たちの中では、むしろ寛大……あるいは無関心と言うべき存在です」
淡々とした口調で説明を続ける。
「森の恵みを採取することは許されています」
「生活に必要な間伐程度であれば問題ありません」
「小さな集落を作り、そこで暮らすことさえ許容されています」
その話を聞く限りでは、とても魔王とは思えない。
レオニスには、樹王だけは他の魔王とはまったく違う存在のように感じられた。
だが、レイラの声音がわずかに低くなる。
「ですが、禁奈備を汚す者だけは決して許しません」
「相手が何者であろうと例外はありません」
「勇者も、魔王も、その禁を犯して挑みました」
「そして……誰一人として帰ってきた者はいません」
静寂が落ちる。
その沈黙を破ったのは、イシュリアンだった。
「では、一つ疑問があります」
冷静な口調で問いかける。
「誰も帰還していないのであれば、なぜ、そこが私たちの目的地だと言えるのでしょうか」
もっともな疑問だった。
帰還者がいない以上、最奥の様子を知る者もいないはずである。
ロウガは苦笑しながら肩をすくめた。
「レイラも言っただろ」
「汚さなければいい」
「樹王の……何が逆鱗なのかは誰にも分からんが、それに触れなければ近くまでは行ける」
「もしかして、ロウガは行ったことがあるの?」
アウレリアが身を乗り出す。
その問いに、ロウガとレイラは顔を見合わせ、そろって気まずそうな表情を浮かべた。
「……若気の至りだ」
ロウガは頭を掻く。
「レイラと一緒に、『樹王がどんな奴か見てやろう』って話になってな」
隣のレイラは小さく咳払いをしただけで否定しない。
「で、どうなったの?」
興味津々のアウレリアに、ロウガは苦笑を深める。
「樹王と出会った瞬間――」
「二人そろって、死に物狂いで逃げ出した」
その一言だけで十分だった。
勇者一行の誰も言葉を失う。
目指す先には。
魔王と呼ばれる者が二人がかりでも戦わず、逃げるしかなかった存在が待っている。
その事実だけが、重く胸にのしかかった。
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