何をしに来たと言われても
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何をしに来たと言われても……」
アウレリアは本気で困ったように眉を寄せた。
問いの意味が分からない。
そんな表情だった。
「わかった。質問を変える」
ロウガは一歩も引かない。
琥珀色の瞳が、まっすぐアウレリアを見据える。
「アウレリア。お前は『勇者』というものが何か分かっていて、なったのか?」
その眼差しには、偽りも取り繕いも許さない強さがあった。
「え!?別にそんなのになりたかった覚えないわよ」
即答だった。
「みんなはそう呼ぶけど、あたしはそんな称号みたいなの興味ないし」
肩をすくめる。
「……わりと、なりゆき、かな」
その答えに、ロウガは思わず額へ手を当てた。
真剣な顔が、次第に呆れ顔へ変わっていく。
「……アウレリア。俺は結構真剣なんだぞ」
「だから、嘘なんかついてないって」
アウレリアは唇を尖らせる。
「こんな聖剣だって、当時のあたしには副賞みたいなものだったし。どーでもよかったのよ」
腰の黒銀の鞘を軽く叩く。
「フィデリアを旅に誘って、一緒に世界を見られれば、それでよかったの。後のことなんて、あんまり考えてなかったし」
その言葉に、フィデリアは静かに目を細める。
「……アウレリア」
二人の出会いは、今でも鮮明だった。
売り言葉に買い言葉。
勇者の選抜会に出場し、優勝したら一緒に旅をする。
そんな勢いだけで交わした約束だった。
そしてアウレリアは、本当に優勝した。
結果として、勇者という称号まで手に入れてしまっただけだった。
「でもね」
アウレリアの声が少しだけ柔らかくなる。
「そこから先は、結構変わったと思う」
旅を思い返すように空を見上げる。
「本当に色んなことがあったし。今まで知らなかったことも、見たこともない景色も、いっぱい見た」
その言葉に、レオニスも、グラーディスも、イシュリアンも静かにうなずく。
誰一人、旅立つ前のままではなかった。
アウレリアという少女と出会い。
共に歩いた日々が、それぞれの価値観を少しずつ変えていた。
「だから、あたしが魔王国へ来た理由は二つかな」
アウレリアは人差し指を立てる。
「一つは、あたしの友達。ゼルが、目的地は魔王国だって言ったこと」
今はこの場にいない聖槍士ゼルハイン。
仲間が示した道を、自分の意思で選んだ。
「そして、もう一つ」
今度は二本目の指を立てる。
その視線は、まっすぐロウガへ向けられていた。
「ロウガとの約束を果たさないとね」
そう言って、拳ほどの大きさの革袋を差し出す。
「はい。香辛料の種」
袋の中からは、乾いた種が小さく音を立てた。
「育てれば、魔王国の味気ない料理も少しはマシになるよ」
屈託のない笑顔。
昔と何一つ変わらない笑みだった。
その笑顔を見つめるロウガは、しばらく何も言えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
つい先ほどまで肌を刺していた殺気は、もうどこにもなかった。
ロウガは、アウレリアから受け取った革袋を静かに見つめる。
その重みは、香辛料の種だけではない。
数年前の約束、そのものだった。
短い旅だった。
それでも、あの少女は商隊の誰とでも笑い、子どもたちと駆け回り、見知らぬ景色を見るたびに目を輝かせた。
魔王国だからと恐れず。
種族が違うからと壁を作らず。
まるで最初から同じ家族だったかのように。
だからこそ、戦争の気配が濃くなった時、ロウガは決断した。
異邦人であるアウレリアを、この国の争いへ巻き込むわけにはいかない。
飯に一味足りないと文句をいっていたアウレリアに、ヒトの国で香辛料の種を仕入れてこいと送り出した。
あれが、最善だと信じて。
別れ際。
少女は満面の笑みで大きく手を振った。
「また帰ってくるから! 戦争なんかで命を無駄にしないで、どんなことしてでも皆で生き残りなさいよ!」
その声は、今でも鮮明に耳へ残っている。
送り出した後は大変だった。
商隊の面々は口々に文句を言い、年少の子どもたちは泣きながら「いつ帰ってくるんだ」と何度も尋ねてきた。
そのたびにロウガは苦笑しながら誤魔化していた。
そして今。
時間を越え、約束を果たすためだけに、少女は本当に帰ってきた。
ロウガは目の前のアウレリアを見つめる。
昔と変わらない笑顔。
変わらない真っ直ぐさ。
そして少しだけ、あの頃より強くなった眼差し。
自然と肩の力が抜ける。
ロウガは小さく息を吐いた。
苦笑とも安堵ともつかない笑みが浮かぶ。
「……本当に、アホな妹分だな」
呆れたような声だった。
だが、その響きはどこか温かい。
(こっちの気持ちも知らないで)
続く小さな独り言は、風にさらわれ、誰の耳にも届かなかった。
「……何よ、アホはないでしょ!」
アウレリアは腰へ手を当て、不満そうに頬を膨らませる。
その仕草まで昔のままだ。
思わずロウガは笑ってしまう。
張り詰めていた空気が、音もなくほどけていく。
「……よく戻ってきたな、アウレリア」
「当然でしょ」
それだけで十分だった。
互いに、それ以上の言葉はいらない。
再会は、ようやく本当の意味で果たされた。
ロウガはゆっくりとレイラへ向き直る。
「レイラ」
ロウガは真っ直ぐにレイラを見た。
「アウレリアは"勇者"じゃない。俺が保証する」
静かな声だった。
しかし、その一言には魔王としての覚悟が宿っていた。
レイラは何も答えない。
ただ、じっとロウガを見つめ続ける。
「もし、その判断が間違っていたなら」
ロウガは深く息を吸う。
迷いなく続けた。
「魔王としてアウレリアを殺す。そして責任を果たすため、俺は自害する」
その場から音が消えた。
誰も軽々しく口を挟めない。
命を懸けた保証。
それは言葉ではなく、誓約だった。
「……ロウガ」
レイラの声は小さい。
納得しきれない感情が滲んでいた。
それでも。
誰よりロウガを知る彼女だからこそ、その覚悟の重さも理解していた。
やがて静かに武器を下ろす。
短剣が鞘へ収まる音だけが響いた。
それを見届けたグラーディスとイシュリアンも、警戒を解く。
ようやく全員の肩から力が抜けた。
(何が何だか、最後までよく分からなかったけど……終わったんだな)
レオニスは胸の奥で安堵の息を吐く。
剣を抜くこともなく、誰一人倒れることもない。
剣ではなく言葉で終わる戦いもある。
勇者一行と魔王たち。
両者の戦端は、ついに開かれることなく静かに閉じられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
重苦しかった空気は、ひとまずロウガが矛を収め、お互いが退いたことで和らいだ。
だが、それは緊張が消えたわけではない。
牙王ロウガは勇者一行を順に見渡し、最後にフィデリアへと視線を止める。
「しかし、勘違いしないで欲しい、ヒト族の一行よ」
低く響く声には、魔王としての責任が滲んでいた。
「俺が信じたのは、アウレリアという一個人に対してだけだ」
その言葉に、一同の空気が再び張り詰める。
「"勇者"という存在を認めることはない」
ロウガはまっすぐアウレリアを見据えた。
「もし、彼らが勇者の関係者として魔王国を害する存在だと判断したなら、俺は問答無用で排除する」
一拍置く。
「その時、お前が立ち塞がるなら、容赦はしない」
琥珀色の瞳には迷いがなかった。
「魔王国の人間として、民を守る魔王として、そこだけは譲れない」
その覚悟は、脅しではない。
命を預かる者の責務だった。
アウレリアはその言葉を静かに受け止め、小さく頷く。
「……わかった」
短く息を吸う。
「あたしが、させない……」
その返答に、ロウガも余計な言葉は返さなかった。
アウレリアは振り返り、仲間たちを見る。
「それでいいよね、皆!」
「……そうですね」
最初に答えたのはフィデリアだった。
穏やかな声だった。
しかし、その瞳だけは静かに揺れている。
「私たちは、もしアウレリアが間違えるようなことがあれば、最初から貴方を止めるつもりでした」
「ちょっ、なんか酷いよ、それ」
思わず抗議するアウレリアに、フィデリアは淡く微笑む。
「はい。そうならないようにしてくださいね、アウレリア」
その笑みは優しかった。
だからこそ、どこか切なかった。
グラーディスとイシュリアンだけは、その意味を知っている。
三聖者。
それは勇者を支える守護者であると同時に、勇者が道を踏み外した時には止めるための抑止力でもあった。
"勇者の儀"によって課された禁則。
その役目を拒むことは許されない。
アウレリアだけは、その事実を知らない。
そして、誰も口にすることはできなかった。
「そうですね。アウレリアと戦うことなど、ないようにしたいものです」
イシュリアンが穏やかに微笑む。
「リアン、本気で言ってるの?」
「本気です」
イシュリアンは迷いなく答えた。
「アウレリア次第です。貴方が間違わなければ、問題のない話です」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
苦笑するアウレリアとは対照的に、イシュリアンの手は無意識に聖杖を握り締めていた。
決してそんな日が来ないことを願いながらも、その覚悟はしていなければならない。
グラーディスも静かに口を開いた
「そうだな。アウレリア、間違わないでくれよ」
「わかってるわよ、グラディ」
グラーディスは柔らかく笑みを返した。
だが、その胸中では別の願いを抱いていた。
決して、アウレリアと剣を交える未来だけは訪れないでくれ。
その祈りは誰にも届かない。
静かに胸の内へ沈んでいく。
張り詰めていた空気が、ようやく落ち着きを取り戻した頃だった。
「……あの、ロウガさん」
遠慮がちにレオニスが手を挙げる。
全員の視線が集まった。
「よければ、魔王国の勇者について、教えていただけませんか?」
彼は真っすぐロウガを見つめる。
「私たちが貴方たちと敵対しないようにするためにも、その存在を知らなければならないと思うのです」
その問いを聞いた瞬間、ロウガの表情は険しさを増す。
そこにいたのは、魔王国を背負う一人の魔王だった。
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