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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
134/138

よろしくやってね

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



肺の奥まで冷え切った息を、ロウガはゆっくりと吐き出した。


胸に突き刺さったままの細身の剣を握る。


「……っ」


鈍い痛みに顔をしかめながらも、一気に引き抜いた。


鮮血が噴き出す。


だが次の瞬間、傷口の周囲から白い霜が広がり、流れ出た血ごと凍りつく。


自ら熱を奪い、強引に止血する。


(血管は避けた。これなら……しばらくは持つ)


短く息を整えると、膨れ上がっていた肉体が静かに縮み始めた。


銀白の鬣は元の髪へ戻り、鋭い牙も獣の脚も消えていく。


凍結牙。


人と獣の境界を越え、はじめて使える切り札は、使うだけで術者自身の命を削る諸刃の力だった。


制御を誤れば、自分まで凍りつく。


だからこそ、滅多に使わない。


それでも今回は、使わなければ生き残れなかった。


「……まったく、洒落にならん戦いだったな」


視線を前へ向ける。


そこには、氷像となった二体が静かに立っていた。


死王ノクス。


そしてレヴェナント。


凍結した表面は白く曇り、まるで時間そのものが止まった彫像のようだった。


「こいつらは……何者なんだ」


獣人でもない。


亜人でもない。


少なくとも、今の魔王国に存在するどの種族にも当てはまらない。


そんな異形を従える冥王。


しかも、その存在は民衆から信仰まで集めている。


力だけではない。


思想までも広がっている。


「……軽く見ていい相手じゃないな」


低く呟き、踵を返す。


「一度戻って、覇王の奴と合流した方がよさそうだ」


氷漬けの二体を始末する方法は、今はない。


無理に砕いても意味がある保証はない。


ならば、このまま放置するしかない。


「“凍結牙”で止めた以上、そう簡単には動けまい」


そう言い聞かせるように呟く。


だが、自身の体も限界だった。


裂傷は全身に刻まれ、止血した胸の奥も焼けるように痛む。


「……ずいぶん、酷くやられたなぁ」


苦笑が漏れる。


その時だった。


ぴくり、と狼耳が震えた。


何かが来る。


それも、とてつもない速度で。


空気を裂き、大地を蹴り、一直線にこちらへ迫ってくる。


「……まずい、もう来た……」


尋常ではない力。


それだけでなく、その後方からさらに別の気配が追ってきている。


二つの強者。


しかも、どちらも迷いなくこの場所を目指していた。


「……さらに来る、だと?」


ロウガは苦く笑う。


「厄日だ、ちくしょう」


重い体に力を込め、ゆっくり立ち上がる。


戦える状態ではない。


それでも倒れるわけにはいかなかった。


そして、森を揺らす勢いで一つの影が着地する。


地面が震え、木々がざわめく。


そこに立っていたのは、一人の女だった。


腰まで届く赤紫の長髪が風に舞う。


黒と紅を基調とした装束。


目元を覆う漆黒のバイザー。


その全身から噴き上がる怒気と殺気は、大気すら震わせるほど濃密だった。


「私の、ロウガを傷つける奴は、許せません!」


透き通る声とは裏腹に、その言葉には凄絶な怒りが宿っていた。


「万死に値すると思いなさい!」


麗王レイラ。


牙王の前に現れたのは、誰よりも彼の身を案じる、一人の魔王だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……レ、レイラ……」


牙王ロウガが、珍しく頬を引きつらせた。


どれほど強大な敵を前にしても動じない男が、今だけは別だった。


(近づいていることは分かっていたが……)


レイラは何も答えない。


静かに歩み寄り、その視線をロウガへ向ける。


肩口の裂傷。


腕に走る深い切り傷。


そして、胸元に残る、鋭い刃で貫かれたような傷跡。


一つひとつを確認するたび、その周囲の空気が冷たく張り詰めていく。


やがて、端整な顔立ちは鬼神のような形相へと変わった。


「……生まれたことを後悔するくらい、何回も刻んでから……処刑してやる……」


低く漏れた声には、底知れない怒りが宿っていた。


「お、落ち着け、レイラ。もう終わっている」


さすがのロウガも一歩だけ後ずさる。


怒り狂ったレイラを相手にするくらいなら、両手両足を縛られたまま百人を相手に戦う方が気は楽だ。


本気で、そう思っていた。


「敵はもう無力化した。俺が勝った……」


「だから、気を鎮めてくれ。頼む」


ぴくり、とレイラの狼耳が揺れる。


「……ロウガの、お願い……」


小さく呟く。


「……それは、叶えてあげないと……」


その瞬間だった。


周囲を覆っていた凄まじい怒気と殺気が、嘘のように霧散していく。


木々を震わせていた圧力まで消え去り、森には静寂が戻った。


「……ふぅ」


ロウガは心の底から安堵の息を漏らす。


死王との死闘に勝利した時以上に、肩の力が抜けていた。


――だが、安心したのは早すぎた。


「……ロウガ!」


レイラが勢いよく飛び込み、そのままロウガへ抱きつく。


「ぐっ……!」


傷だらけの身体に衝撃が走る。


「ま、待て、レイラ!まだ、この近くに――」


制止の言葉は最後まで届かなかった。


「ロウガ……ロウガ……」


何度も名前を呼びながら、存在を確かめるように抱き締める。


さらに頬の傷へそっと顔を寄せると、優しく舌先で血を拭い取った。


「ああ……こんなに傷ついて……痛かったでしょう」


「いや、そのくらいは……」


安堵で理性の糸が切れたレイラの表情が変化する。


「ああ、ロウガの味……香り……」


恍惚とした声だった。


抱き締める腕にも、少しずつ力が入っていく。


「待て、ちょっと……いや、だいぶ方向が危ない……」


長い付き合いだからこそ分かる。


これはもう、普段の冷静な麗王ではない。


心配が行き過ぎて、どこか別の方向へ暴走し始めている。


その時だった。


森の奥から、もう一つの気配が近づく。


先ほどから感じていた、もう一人の追跡者。


木々の間から姿を現したその人物を見て、ロウガは目を丸くした。


「……ア、アウレリア?」


視線の先では、レイラがロウガにしがみついたまま離れない。


そして、その光景を目の当たりにしたアウレリアは。


頬をみるみる真っ赤に染め、その場で固まっていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……ア、アウレリア、なのか?」


ロウガは目を見開いた。


そこに立っていたのは、共に旅をしたヒト族の少女だった。


屈託なく笑い、どんな土地にも飛び込んでいく好奇心。


剣の腕も一流。


種族の違いなど気にも留めず、魔王である自分にも真っ直ぐ接してきた珍しい存在だった。


だからこそ。


これから訪れる戦乱へ巻き込みたくはなかった。


短い間とはいえ、実の妹のように思っていた少女だからこそ、別れを選んだのである。


本来なら。


時を越えた偶然の再会として、喜び合う場面だった。


だが、現実はあまりにも最悪だった。


今の光景だけを見れば、誰だって同じ結論にたどり着く。


ロウガは美女に抱きつかれ。


頬を舐められ。


互いに密着したまま離れない。


しかも昼間の屋外。


言い訳の余地が、まるでない。


沈黙が落ちた。


風さえ止まり、世界から音が消えたようだった。


やがてアウレリアは、ゆっくりとロウガへ視線を向ける。


その目は雄弁だった。


――乙女の前で、いきなり何を見せてるわけ?


一方のロウガも必死に視線で訴える。


――違う! 完全な誤解だ! そういう状況じゃない!


しかし、その必死さは届かない。


アウレリアは何も言わず、くるりと踵を返した。


「レイラさん。何もしてないけど、ロウガを捕まえるのに協力したから、後で協力してよね」


「二時間ほど、どっかにいってるから安心して」


妙に落ち着いた声だった。


対するレイラも、抱きついたまま即答する。


「不足です。三時間を要求します」


「二時間」


「三時間です」


一歩も譲らない。


その自然な応酬を見て、ロウガは別の意味で固まった。


(……知り合い、なのか?)


戦場で初めて会った者同士の空気ではない。


「待て、アウレリア! レイラとどこで知り合った!」


ロウガが思わず叫ぶ。


アウレリアは肩越しにひらひらと手を振った。


「後で教える。ロウガ、ちゃんとそこで待ってて。あたし、仲間連れてくるから」


「あ、おい!」


返事を待つことなく、少女は来た道へ駆け出す。


軽い足音だけが遠ざかっていった。


「もっとちゃんと説明しろ、アウレリア! 何がどうなってるのか、まるでわからん!」


必死の叫びが森へ響く。


すると遠くから、楽しそうな声だけが返ってきた。


「それも後で教えるー! レイラさんとよろしくやってね!」


「だから、その『よろしく』が何を意味してるんだ!」


叫びは虚しく空へ消える。


その間にもレイラは幸せそうにロウガへ頬を寄せたまま離れない。


戦場では決して見せない牙王の困り切った表情だけが、その場に取り残されていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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