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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
133/137

真の姿

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



全身の気配が、静かに張り詰めていく。


それは魔力の奔流ではない。


戦場そのものが、一人の戦士を中心に息を潜めるような圧力だった。


空気が震える。


地面に映るロウガの影が、不自然に揺らぎ始めた。


「――刮目して見よ!」


低く響く声と同時に、影が膨れ上がる。


そして影と現実が入れ替わるように、ロウガの肉体が変貌した。


銀白色の鬣が背中まで流れる。


琥珀の瞳は獣の輝きを宿し、瞳孔は鋭く細まる。


口元からは白い牙が伸び、閉じたままでも覗いていた。


だが、それは獣ではない。


理性を失った怪物でもなかった。


獣性を受け入れながらなお、人としての知性を宿した戦士の顔だった。


全身の筋肉は鎧のように膨れ上がる。


長身だった体躯はさらに五十センチ近く巨大化し、肩から先は銀灰色の毛皮に覆われた。


五本の鉤爪は剣よりも鋭く伸びる。


下半身は完全に獣へと近づき、逆関節の脚が地面を掴む。


一歩踏み出すだけで、大地が軋んだ。



「……牙狼転化」



静かな宣言だった。


「……これが牙王の真の姿だ」


人と獣。


本能と理性。


相反する二つを一つへと昇華した、純血の人狼族だけが可能な究極の姿だった。


「レヴェナント!」


ノクスが即座に命じる。


漆黒の甲冑が疾走した。


巨大なハルバードが頭上高く掲げられ、そのまま大地ごと断つ勢いで振り下ろされる。


しかし。


甲高い金属音が響いた。


ロウガは右腕一本。


いや、巨大な獣腕だけで、その一撃を受け止めていた。


鋭い爪が刃を噛み、微動だにしない。


ロウガが息を吸っただけで、周囲の砂塵が渦を巻く。


「この姿になった俺は……今までと同じではない」


次の瞬間だった。


前蹴り。


ただ、それだけ。


凄まじい衝撃がレヴェナントの胸部装甲を陥没させ、黒い巨体を砲弾のように吹き飛ばした。


さらにロウガは地を蹴る。


空中へ。


吹き飛ぶレヴェナントへ、一瞬で追いつく。


そして身体を捻り、追撃の蹴りを放った。


甲冑の巨体はまるで球のように弾かれ、そのまま一直線にノクスへ飛んでいく。


「意味の無いことを」


ノクスは慌てない。


足元の影が大きく広がる。


影は生き物のようにうねり、飛来したレヴェナントを飲み込んで回収した。


その余裕ある口調も変わらない。


「力を増したことは認めましょう」


「しかし、ただそれだけでは、ボクたちは殺せない」


不死への絶対的な自信。


その笑みは、仮面の奥で少しも揺らがなかった。


だが、ロウガは静かに首を振る。


「いや」


「俺は、お前たちを倒さない」


その言葉に、ノクスが初めて沈黙する。


仮面の奥の視線だけが、一瞬だけ鋭く細まった。


「そのために、この姿になった」


黄金の獣眼が二人を見据えた。


そこに宿るのは怒りでも焦りでもない。


勝利を確信した者だけが持つ静かな自信だった。


牙王が隠していた真の切り札。


それが、いま戦場へ姿を現そうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



牙王と化したロウガが、大地を砕く勢いで踏み込んだ。


一直線。


獲物を見つけた狼のように、迷いなくノクスへ迫る。


「肉弾戦に持ち込むための変身ということか」


ノクスは静かに後退した。


同時に、その前へ漆黒の甲冑が躍り出る。


「レヴェナント!」


黒い影が波打つ。


次の瞬間、影の中からさらに五体のレヴェナントが姿を現した。


六体の処刑人が、一斉にロウガを包囲する。


「舐めるな!」


咆哮が戦場を震わせた。


牙王の進撃は止まらない。


振るわれた鉤爪が一体目を引き裂く。


返す拳で二体目の甲冑を砕き、蹴りで三体目を吹き飛ばす。


まるで何枚も重ねたパイ生地を、一枚ずつ食い破るようだった。


しかし、レヴェナントもただでは倒れない。


砕かれる寸前にハルバードを振るい、爪を突き立てる。


浅い傷。


それでも確実な傷。


ロウガの身体には、少しずつ血が刻まれていく。


そして倒れた影から、新たな甲冑が現れる。


終わりの見えない消耗戦だった。


すべてのレヴェナントを突破し、ノクスへ届くのが先か。


それとも物量が牙王を削り切るのが先か。


「……これが牙王か」


初めてだった。


ノクスの声から余裕が消える。


「計算が狂い始めた」


目の前にいるのは戦士ではない。


傷つきながらも獲物だけを見据え、決して勢いを失わない魔獣そのものだった。


しかも弱体化した状態で、この強さ。


「……それだけに危険だよ」


「……確実に仕留める必要がある」


ノクスは腰の刺突剣を静かに抜いた。


決して自ら傷つこうとしなかった処刑人が、初めて前へ出る。


その瞬間だった。


最後のレヴェナントが砕け散る。


だが、新たな甲冑は現れない。


「……品切れか。在庫は客が満足するくらい、十分用意しておくんだったな」


ロウガが荒い息を吐きながら笑う。


「商人としては失格だ。やり直してこい!」


その挑発に、ノクスは応えない。


ロウガもまた、無傷ではなかった。


全身に傷が刻まれ、呼吸は重い。


ついに膝がわずかに揺らぎ、動きが止まる。


「……終わりだよ、ロウガ君!」


黒い外套が翻る。


ノクスは一気に間合いを詰め、刺突剣を真っ直ぐ突き出した。


鋭い刃がロウガの胴を貫く。


「残念だったね。弱体化していなければ、もしかしたら君の勝ちだったかもしれないのにな!」


勝利を確信した声だった。


だが、その瞬間。


ロウガの口元が、不敵に吊り上がる。


「いいんだよ」


「これが狙いなんだからな」


ノクスの笑みが止まる。


「戯言を!」


刺突剣を引き抜こうと力を込める。


しかし、動かない。


剣が抜けない。


腕も動かない。


さらに足までもが、その場へ縫い付けられたように固定されていた。


「この距離が、ちょうどいいんだよ」


牙王は静かに笑う。


その黄金の瞳には、勝利を確信した光だけが宿っていた。


「王手だぜ、死王たち」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「なんだ……どうなっている」


初めて、ノクスの声に焦りが混じった。


刺突剣はロウガの身体を貫いたまま、まるで見えない鎖で繋がれたように動かない。


それだけではない。


ノクス自身の足も、レヴェナントも、徐々に動きを失っていく。


「お前たちは、傷つくこと、壊れることに意味を持たないから気が付かない」


ロウガは肩で荒く息をつきながら、それでも口元に笑みを浮かべた。


「痛みに鈍感だ。そして、その痛みが知らせる異変の意味を忘れている。だから気付くのが遅い」


「……まさか」


その一言で、ノクスはようやく違和感の正体へ辿り着く。


レヴェナントの表面が、白く曇っていた。


いや、曇りではない。


薄く張り付いた氷だった。


自分の腕にも、白い結晶が静かに広がっている。


指先から感覚が失われていく。


周囲を漂う空気さえ、白い息となって凍り始めていた。


大気中の水分が、音もなく固体へと姿を変えていく。


「"お前たちを倒さない"と言ったはずだ」


ロウガは静かに言う。


「殺せないなら、止めればいいだけだ」


それこそが、牙王ロウガが最後まで隠していた切り札だった。


世間では、風を操る魔王として知られている。


だが、それは半分だけ正しい。


風は結果に過ぎない。


空気へ熱を与えれば気流が生まれ、暴風となる。


熱を奪れば、あらゆる物質は活動を失う。


ロウガが真に支配しているのは、熱そのものだった。


「我が――『凍結牙』は、すべてを凍らせる」


その宣言とともに、周囲の空気がさらに冷え込む。


半径五メートル。


その領域に存在するものから、生命を動かす熱が容赦なく奪われていく。


肉も。


鉄も。


空気すらも。


例外はない。


「俺も例外じゃない」


牙狼転化した腕から、白い霜がゆっくりと広がっていく。


「この姿で身体を強化していなければ、俺自身が先に凍り付く」


まさしく諸刃の剣。


敵も、自分も等しく蝕む絶対零域だった。


「……おのれ……!」


仮面に霜が走る。


ノクスは最後の抵抗とばかりにロウガへ手を伸ばす。


しかし、その腕は途中で止まる。


指先から肩へ。


肩から全身へ。


氷は一瞬で全身を覆い尽くした。


レヴェナントもまた、巨体のまま凍り付き、微動だにしない。


二体の死王は、巨大な氷像となって戦場に立ち尽くした。


「これで、お前らの再生も意味がなくなっただろ」


静まり返った戦場へ、ロウガの低い声だけが響く。


そして張り詰めていた力が、ようやく尽きた。


「……まったく、手こずらせやがって」


そう呟くと、ロウガはゆっくりと片膝をつく。


荒い呼吸。


凍傷で震える腕。


白い吐息だけが、凍てつく空気の中へ静かに溶けていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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