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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
131/136

……ならば試してみるか

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「音に聞こえた魔王ロウガが、逃げの一手とは拍子抜けの限りですな」


「それとも、噂だけで実力がなかったので、覇王についたのですか」


背後から届くノクスの挑発。


軽薄で愉快そうな口調とは裏腹に、その一言一言には相手の心を揺さぶるための棘が隠されていた。


だが、ロウガが舌打ちした理由は、その挑発ではない。


自分自身の状況だった。


人狼族は魔王国でも屈指の脚力を誇る。


風を纏って大地を駆ける種族。


純粋な走力だけなら、同じ獣人族の中でも並ぶ者はほとんどいない。


それがロウガであれば、なおさらだった。


しかし。


背後の二人を振り切れない。


むしろ、わずかずつ距離を詰められている。


敵が速いこともある。


だが、本来のロウガであれば、この程度で追いつかれることは決してない。


原因は腹部を貫いた刃にあった。


仕込まれていた毒。


最高速度は三割以上も削がれ、身体は思うように応えてくれない。


(思った以上に、厄介な毒を盛られたらしい)


ロウガほどの実力者ともなれば、鍛え上げた生命力と気功によって毒の巡りを抑え込み、時間を稼ぐことができる。


戦いながら解毒することさえ可能だ。


だが、この毒は違った。


浄化を試みるたびに進行は鈍る。


それでも確実に身体を蝕み続ける。


まるで、生き物のように。


(そして、あの二人も面倒だ)


視線だけで後方を探る。


ノクスは笑みを絶やさず追ってくる。


一方、レヴェナントには生物らしい気配がなかった。


呼吸。


心拍。


殺気。


戦士なら誰もが無意識に放つ生命の鼓動。


そのすべてが感じ取れない。


そこにいるはずなのに、感覚だけが存在を拒絶していた。


だからこそ、不気味だった。


(……頃合いだな)


ロウガは不意に足を止めた。


土煙が舞い上がる。


ノクスも歩みを緩め、レヴェナントも無言のまま左右へ散開する。


三角を描くように、ロウガを挟み込んだ。


「諦めたという目ではないようだね」


ノクスが楽しげに首を傾げる。


「……当たり前だ」


ロウガは口元だけを吊り上げた。


その笑みには焦りも恐怖もない。


「少し本気になるには、周りに迷惑がかからねぇ場所まで来る必要があっただけだ」


その一言に、ノクスは肩を揺らして笑う。


「強がりはよしたまえ」


「ボク特製の毒は、君の身体を確実に蝕んでいる。もうじき立っていることさえ難しくなるよ」


仮面の奥から向けられる視線は、勝利を確信した処刑人そのものだった。


しかし。


ロウガは一歩も退かない。


「……策士気取りも、そこまでにしておくんだな」


その瞬間。


空気が変わった。


静かだった風が唸りを上げる。


ロウガの全身から、圧倒的な闘気が噴き上がった。


銀髪が風に逆立ち、大地の砂礫が独りでに震え始める。


ノクスの笑みが消えた。


レヴェナントも無言のまま巨大なハルバードを構え直す。


両者とも理解した。


ここからが、本当の牙王なのだと。


ロウガは琥珀色の瞳で二人を見据え、低く言い放つ。


「……ならば試してみるか」


「牙王の力を」


そして、さらに一歩踏み出す。


「貴様らから――冥王のことを、すべて吐かせてやる」


静寂が戦場を包む。


次の瞬間、その均衡は破られる。


魔王同士による死闘の幕が、ついに切って落とされた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ロウガは、防御の構えを取らなかった。


武器すら抜かない。


ただ静かに立ち、吹き抜ける風だけが銀の髪と衣を揺らしている。


黒い甲冑をまとったレヴェナントは、一切の躊躇なく間合いへ踏み込んだ。


重い一歩。


次の瞬間には、巨大なハルバードがロウガの頭上へ振り下ろされる。


その刹那だった。


「……獣人変化……部分解放……」


低く響く声と共に、地面へ落ちた影が膨れ上がる。


獣だった。


巨大な狼のような影が牙を剥き、ロウガの右腕だけが本来の姿を解放する。


筋肉は膨張し、銀灰色の体毛が生え、鋼鉄すら引き裂く鉤爪が現れた。


その右腕が、振り下ろされたハルバードを軽々と受け止める。


甲高い衝突音。


そして、一拍遅れて暴風が炸裂した。


衝撃波だけでレヴェナントの巨体が弾き飛ばされる。


轟音と共に地面を転がり、黒い甲冑が土煙の中へ消えた。


間髪入れない。


ドンッ、と地面が砕ける。


ロウガは大地を蹴り、その勢いのまま風そのものを足場にした。


空を駆ける。


人狼族の王たる力。


風を従える牙王だけが到達できる領域。


「……潰れろ……」


上空から振り下ろされた拳が空気を圧縮する。


暴風は巨大な槌となってレヴェナントへ叩きつけられた。


轟ッ――!


黒い甲冑が軋み、地面を何十メートルも削りながら大地へ押し潰される。


鋼鉄のような鎧の表面へ幾筋もの亀裂が走り、余波だけで周囲の地面が大きく陥没した。


一撃で巨大なクレーターが生まれる。


土煙が舞い上がる中、ロウガはゆっくりと振り返った。


琥珀色の瞳が、仮面の道化を射抜く。


「……次は、お前だ」


その瞬間だった。


風が止む。


森を揺らしていた葉擦れも消えた。


静寂。


世界から音だけが切り取られたような一瞬。


ロウガの手刀が振り抜かれる。


目では追えない速度。


空気そのものが刃となり、一直線に走った。


ノクスの右腕が肩口から音もなく切断される。


黒い腕が地面へ転がった。


「……牙王ロウガくん」


「……弱体化していて、ここまでやるとはね」


仮面の奥から感嘆とも取れる声が漏れる。


怒りも焦りもない。


まるで舞台を楽しむ役者のようだった。


「油断はしていなかったが、さすが魔王を冠する存在だ」


「しかし、ボクは芸達者でね」


ノクスは何事もないように落ちた腕を拾い上げる。


そのまま肩の断面へ押し当てた。


血は流れない。


肉も見えない。


ただ、不気味なほど自然に腕が繋がっていく。


指が動く。


手首が回る。


何事もなかったかのように右腕は元へ戻っていた。


「この程度、どうということはない」


ロウガは表情を崩さない。


だが、その瞳だけが鋭さを増した。


(……これは長引くかもしれんな……)


猛毒による弱体化。


正体不明の再生能力。


そして、感情も生気も感じさせない黒き死神。


目の前の敵は、これまで相対してきたどの強敵とも異なる。


互いに切り札の一端を見せたに過ぎない。


それでもロウガは、この戦いが容易には終わらないことだけは確信していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……立て、レヴェナント……」


ノクスが軽く指を弾く。


その音だけで、大地に半ば埋もれていた黒き巨体がゆっくりと身を起こした。


漆黒の甲冑は至る所がひび割れ、肩当てはひしゃげている。


先ほどロウガが叩き込んだ一撃の凄まじさを物語る傷だった。


だが、レヴェナント自身には苦しむ様子も、動きが鈍る気配もない。


まるで、その損傷に意味などないと言わんばかりだった。


次の瞬間。


ノクスの足元から伸びた影が、生き物のように蠢く。


影が液体のように流れ黒い帯となって地面を走り、レヴェナントの全身を飲み込んだ。


「……レヴェナント」


静かな呼びかけと共に、影は再びノクスの足元へ戻る。


そして、その影の中から黒い甲冑がゆっくりと姿を現した。


「……なんだと……」


ロウガは思わず唸る。


そこに立っていたレヴェナントには、先ほどまで刻まれていた亀裂が一つもなかった。


砕けた装甲は完全に修復されている。


まるで最初から傷など負っていなかったかのように。


(……こいつは脅威だ……)


レヴェナントは傷を再生する。


ノクスは腕を斬られても平然としていた。


二人とも、常識の埒外にいる。


(この謎を解かない限り、短期決戦は無理か)


決定打にならない攻撃を繰り返すほど愚かな戦いはない。


毒に蝕まれた身体では、なおさらだった。


ロウガの狼耳が小さく動く。


風に乗る音。


空気の流れ。


敵の呼吸。


その全てを拾い上げながら、静かに戦況を組み立てていく。


(……策がないわけではないが、まだ避けたい)


思考を巡らせる時間すら敵は与えない。


「行きたまえ!」


ノクスの軽い号令が響く。


レヴェナントは迷いなく地を蹴った。


一直線。


踏み込みだけで地面が沈む。


巨大なハルバードを携えた黒い死神が再び迫る。


(やはり、こいつが来るか)


ノクス自身は前へ出ない。


それはレヴェナントが盾だからか。


あるいは、別の理由があるのか。


断定はできない。


虚実を織り交ぜる相手だ。


一つの結論に飛びつく方が危険だった。


(ならば、一枚ずつ剝いでいく)


ロウガは重心を落とす。


巨大な右腕だけに頼るつもりはない。


腰を捻り、一閃。


鋭い蹴りが空気を裂いた。


さらに追撃。


二段。


三段。


連続する回し蹴りが暴風を伴い、レヴェナントの巨体を吹き飛ばす。


しかし、その着地点には黒い影が待ち受けていた。


光を吸い込むようにノクスの影が広がり、レヴェナントを飲み込む。


そして次の瞬間には、無傷の黒き処刑人が再び姿を現し、何事もなかったかのようにロウガへ突進してきた。


(ノクスを何とかしない限り、逃げることすらままならんか)


ロウガは静かに息を吐く。


その琥珀色の瞳には迷いはない。


勝つために必要ならば、次の切り札を使う。


その覚悟だけが、静かに固まっていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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