決して、痛くはしませんから
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レイラがひとまず冷静さを取り戻したところで、グラーディスはこれまでの経緯を簡潔に説明した。
王国を旅立った理由。
巡礼の地を巡っていること。
そして、ロウガと合流する予定であること。
レイラは途中で口を挟まず、静かに話を聞いていた。
話が一区切りついたところで、イシュリアンが一歩前へ出る。
「レイラ様は、"巡礼の地"や"魔力霊脈点"という言葉をご存じでしょうか?」
魔導師らしく、確認すべき点を真っ先に尋ねる。
しかし、レイラはわずかに首を横へ振った。
「……聞いたことのない言葉ですね」
迷いのない返答だった。
知らないからこそ、即座に否定できたのだろう。
「となると、やはりロウガ殿に会う必要があるな」
グラーディスが静かに呟く。
「そうですね」
レオニスも同意した。
ロウガは魔王国内を長く旅している。
巡礼の地や魔力霊脈点について、何らかの手掛かりを知っている可能性は十分にあった。
「フィデリア。この近くではなさそう?」
アウレリアが尋ねる。
フィデリアはしばらく意識を巡らせるように目を閉じた後、小さく首を横へ振った。
少なくとも、この近辺には目的地は存在しないらしい。
「じゃあさ」
アウレリアは何でもないことのように笑う。
「レイラさんもロウガに会いに行くなら、あたしたちと一緒に行かない?」
あまりにも自然な誘いだった。
だからこそ、返ってきた答えもまた自然だった。
「なぜ、私があなた方と?」
「行動を共にする理由はありません」
声音は穏やか。
だが、その拒絶は明確だった。
(……当然だ)
レオニスは内心で頷く。
レイラから見れば、自分たちは正体も目的も完全には分からない集団だ。
しかも魔王国に不慣れなのは明らか。
同行すれば足手まといになる危険すらある。
強者である彼女にとって、利点が見当たらない。
むしろ負担しかない提案だった。
少し考え込んでから、グラーディスが口を開いた。
「私たちもロウガ殿に会うことが目的なのだ」
「しかし現状、この魔王国を旅するのは容易ではない」
「ロウガ殿と合流するまでで構わない」
「私たちの道案内として、雇われてはいただけないだろうか」
「無論、可能な限りの謝礼は支払おう」
王族らしく誠実な申し出だった。
だが。
「お断りします」
即答だった。
一切の迷いがない。
交渉の余地すら感じさせない拒絶だった。
その後もイシュリアンが魔王国内の情報交換や相互協力を提案する。
だが返事は同じ。
短く。
そして揺るがない。
「お断りします」
森に、その言葉だけが何度も響いた。
(……正攻法では駄目だ)
レオニスはレイラを見つめる。
彼女は理不尽に拒絶しているわけではない。
必要がないから断っている。
つまり、こちらの利益を語っても意味はない。
(なら、逆に考える)
必要なのは、自分たちの都合ではない。
レイラにとって利益がある提案だ。
彼女の目的は最初から一つ。
ロウガを捕まえること。
そこへ、自分たちを結び付けられれば――。
レオニスは意を決して口を開いた。
「レイラさん」
「私たちを同行させていただけないでしょうか」
レイラの耳が僅かに動く。
「……同行?」
「はい」
「私たちは、レイラさんに協力したいのです」
「協力?」
初めてレイラの声に戸惑いが混じった。
レオニスは静かに続ける。
「私たちも、レイラさんがロウガさんを捕まえるお手伝いをします」
思いつきに近い提案だった。
それでも、これまでの交渉とは違う反応が返ってきた。
レイラは黙ったまま、じっとレオニスを見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森を渡る風が、張り詰めていた空気を揺らす。
その静寂の中で、レオニスは穏やかな口調を崩さず言った。
「レイラさん。あなたが近づいたら、ロウガさんは、おそらく逃げます」
「そんなことはありません! 私が来れば、きっと嬉しいはずです!」
間髪入れず返ってきた否定だった。
さきほどまで冷静だった麗王とは思えないほど、感情が表に出ている。
レオニスは内心で、小さく息を吸った。
ここが勝負どころだった。
「私も男だからわかります」
「男が約束をすっぽかしているんですよ。しかも長期間です。言い訳も用意できていないなら、まず逃げます」
根拠はない。
だが、勢いだけは本物だった。
「逃げません!」
「逃げます!」
レオニスも負けじと断言する。
「男なら突然、"好きな"相手が現れたら、"照れて"逃げます!」
わざと、「好きな」と「照れて」を強く言った。
その瞬間だった。
レイラの狼耳がぴくりと震える。
「え、えぇ……て、照れて……」
今までの鋭さが嘘のように、その声は弱々しくなった。
「た、確かに……ロウガはシャイだし……」
彼女は胸元で指を絡め、視線をさまよわせる。
「私がいきなり現れたら……驚くわよね」
「ええ、きっと驚く」
「驚いて……その、逃げる可能性は……あるかも……」
完全に想像の世界へ入り込んでいた。
普段の冷徹な戦士の姿はどこにもない。
レオニスは心の中で、小さく拳を握る。
(よし、通った)
「そ、そうです」
勢いを逃さず、さらに畳みかける。
「そんな方なら、照れて中々姿を見せなくなるかもしれません」
「そ、そうよね」
レイラは何度も頷く。
「それは……一理あるわ」
もはや先ほどまでの警戒心は薄れていた。
ロウガのことになると、驚くほど素直である。
横ではアウレリアが肩を震わせて笑いをこらえていた。
(絶対笑ってる……)
レオニスは見ないことにした。
今笑われて話が壊れるのだけは避けたい。
「そこでです」
レオニスは姿勢を正す。
「ロウガさんが照れて逃げないよう、私たちがお手伝いします」
「……どういうこと?」
レイラが首を傾げる。
「ここにいるアウレリア、グラーディス様、イシュリアン様は、ヒト族の中でも一流の実力者です」
その紹介を受け、レイラは三人へ視線を向けた。
戦士として相手を測るような鋭い視線。
だが、それは一瞬だった。
「……たしかに、かなりの強さね」
率直な評価だった。
グラーディスは静かに一礼し、イシュリアンも軽く会釈する。
一方のアウレリアは胸を張っていた。
「でしょ?」
などと言いたげな表情である。
「レイラさんの慧眼、恐れ入ります」
レオニスは自然な笑みを浮かべた。
「彼らがロウガさんの逃走を防ぎます」
「照れて逃げようとしても、しっかり捕まえます」
「そうすれば、レイラさんは安心して話ができます」
レイラは腕を組み、黙って考え込む。
その姿には、先ほどまでの敵意はほとんど感じられなかった。
レオニスは最後の一押しを口にする。
「その報酬として」
「私たちにも、ロウガさんと話す機会をいただけませんか」
「もちろん、お二人のお話の邪魔はいたしません」
穏やかで、人当たりの良い笑み。
相手へ利益を示しつつ、自分たちの目的も隠さない。
文官として身につけた交渉術だった。
森に、再び静寂が戻る。
レイラは返事をせず、じっとレオニスを見つめていた。
その沈黙は、先ほどまでの拒絶とは、どこか質の違うものへ変わりつつあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レイラの頭上に揺れる狼耳が、小さく震えていた。
まるで、その揺れが彼女自身の迷いを映しているかのようだった。
「たしかに……私の使命は、ロウガを連れ戻すことが第一優先」
腕を組み、静かに呟く。
「でも、ロウガは私のことが好き。思わず逃げたくなるくらいに好き……」
真剣な表情で続けるその言葉に、一行は誰も口を挟めなかった。
「逃がしては駄目よ。ちゃんと一緒に帰らないといけない」
「長老たちとの約束もあるし、これは絶対に譲れない」
一つ一つ、自分へ言い聞かせるように確認していく。
「でも、一対一だと逃げられてしまうかもしれない」
「だから逃げないようにしないと」
「そう、ロウガを逃がしては駄目。それだけは絶対条件」
そこでレイラは、ちらりとアウレリアたちへ視線を向けた。
「そのために、ヒト族の彼らを利用する」
「たしかに、一瞬でもいい。ロウガとの間に壁があれば……」
「私からは逃げられないし、逃がさない」
そこまで言うと、無意識に唇を舐める。
その仕草は妖艶でありながら、どこか獲物を前にした獣の本能を思わせた。
しばし沈黙が流れる。
フィデリアが無言で、珍しくグラーディス視線を交わす。
やがてイシュリアンが、小声で呟いた。
「あの方、見た目に反して、かなり凄いですね」
「そうね」
アウレリアも真顔で頷く。
「あたしも認める。かなりの複合属性ね。強いわ」
レイラ本人は思考を整理しているつもりなのだろう。
しかし、その独り言は一言一句、周囲へ筒抜けだった。
恋心を素直に認められない強情さ。
想像だけで暴走する思考。
そして、目的のためなら一直線になる執着。
「……ツンデレに、ヤンデレに、恋愛ポンコツ」
アウレリアがぽつりと総評する。
「見事な三重奏ね」
「正直、私は彼女と敵対するのは御免こうむります」
イシュリアンは珍しく苦笑を浮かべた。
「あたしも同意」
「なので、私は温かい目で見守ろうと思います」
「奇遇ね。あたしも、見てる方が楽しそうって思った」
「はい。これは、かつてない娯楽です」
「見逃せないわね」
好き勝手に評価されていることなど露知らず、レイラは真剣な表情で考え込んでいた。
そして、意を決したように顔を上げる。
「そこの、あなた!」
不意に指を差されたのはレオニスだった。
「は、はい!」
反射的に背筋が伸びる。
「あなたの提案を受け入れます」
「ありがとうございます……!」
安堵しかけた、その瞬間だった。
「ただし」
空気が変わる。
森の温度が、一気に下がったような錯覚。
「あなたにも、それなりのものを賭けてもらいます」
「へっ?」
レオニスの声が裏返る。
「ロウガを捕まえ損ねたら」
レイラは一歩近づいた。
黒いバイザーの奥から放たれる殺気は、獲物を逃がさぬ捕食者そのものだった。
「あなたを地の果てまでも追いつめ、制裁を加えます」
「……」
誰も笑えなかった。
レイラはふっと唇を緩める。
「安心してください」
「決して、痛くはしませんから」
その笑みは美しかった。
だからこそ恐ろしい。
レオニスは本能的に悟る。
――痛くしない、という言葉ほど信用できないものはない。
こうして、人狼族の麗王レイラは、一行と行動を共にすることを了承した。
そしてレオニスは、静かに決意を固める。
(これは、王国のためだけじゃない)
(自分の身の安全のためにも……何としてでもロウガさんを捕まえなければ)
その決意だけは、誰よりも切実だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




