魔王との出会い
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアたちは、覇王ディアボロスの軍勢を追いながら、深い森を進み続けていた。
木々は鬱蒼と生い茂り、昼なお薄暗い。
その森を支配するように、一本の巨大樹が天へと伸びていた。
「だいぶ、近づいたなぁ」
アウレリアは足を止め、思わず見上げる。
「"樹王"……やっぱり迫力があるなぁ」
その声には警戒よりも純粋な感動が混じっていた。
「確かにすごい。どうしてこんなものが存在できるんだ」
隣に立つレオニスも、自然と息を呑む。
周囲を囲む木々も十分に巨木と呼べる高さだった。
しかし、それらと比較すること自体が間違いだった。
"樹王"だけが、まるで世界の法則から外れた存在なのである。
幹は山岳のように太く。
枝は雲を抱くように広がり。
その姿は巨大という言葉だけでは到底足りない。
そこに立っている。
ただ、それだけで世界の中心であるかのような圧倒的存在感を放っていた。
「アウレリア。くれぐれも根本まで行かないように」
イシュリアンが釘を刺す。
「た、旅には寄り道とか、一期一会も醍醐味よ」
「駄目です。後にしてください」
即座に却下された。
アウレリアは頬を膨らませ、不満そうに肩を落とす。
「はーい……」
その返事には納得の色がまるでない。
レオニスは思わず苦笑する。
(止められなかったら、本当に行くつもりだったな)
その横顔を横目で見ると、案の定、未練たっぷりに巨大樹を見上げ続けている。
一方で、フィデリアだけは静かに樹王を見つめていた。
青い瞳は祈るように細められている。
(……近づいたからこそ理解できます)
(これは……)
理解してしまった。
樹王とは何なのか。
この巨大樹が、どのような存在なのか。
その答えの、確信を得た。
「どしたの、フィデリア?」
アウレリアが不思議そうに覗き込む。
フィデリアは一瞬だけ表情を曇らせた。
だが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべる。
「想像以上の大樹ですね。驚きました」
「そうよね!やっぱりそう思うよね!」
アウレリアは嬉しそうに笑う。
「後でしっかり一緒に見に行こうね!」
無邪気な誘いだった。
だからこそ、その言葉は少しだけ胸に刺さる。
(……それは叶わない願いです)
裁定者としての自分が、静かに告げてくる。
未来は、それを許さない。
それでもフィデリアは、その悲しみを誰にも見せなかった。
「そうですね。それも良いかもしれません」
そして、アウレリア、グラーディス、イシュリアンへと順番に視線を向ける。
「その時は、皆で一緒に見ましょう」
返事を待つことなく、アウレリアはふいに顔を横へ向けた。
先ほどまでの柔らかな笑顔が消えている。
鋭い黒い瞳が、森の奥を真っ直ぐ射抜いていた。
「……いいところだったのに、邪魔しないでよね」
呟きは誰へ向けたものでもない。
だが、その言葉だけで十分だった。
アウレリアは森の気配に紛れた敵意を見逃さない。
静まり返った森の空気が、一瞬で張り詰めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森に満ちていた静寂が、わずかに揺れた。
「……戦う、モガッ!?」
アウレリアが声を上げようとした瞬間、イシュリアンが素早く口を塞ぐ。
何するの、と抗議する視線。
それに対し、イシュリアンは「黙っていろ」とでも言うように静かに首を振った。
その間に、グラーディスが一歩前へ出る。
聖盾を構え、森の奥へ向かって澄んだ声を響かせた。
「……警告する。何者かは知らないが、私たちに敵意も戦う意思もない」
「しかし、そちらが戦うというのであれば、こちらも相応の対処をする」
凛とした声音だった。
威圧ではない。
王族として幾度も人前に立ってきた者だけが持つ、自然と人を従わせる響きである。
「十数えるまで待つ。沈黙すれば敵対者とみなす」
「敵対者でなければ姿を見せるといい」
「話があるなら応じよう」
返答はない。
森を渡る風だけが葉を鳴らしていた。
その横で、アウレリアは仕方ないというように肩をすくめると、森の二方向を指差した。
イシュリアンは即座に探知魔法を展開する。
「右に七名、左に八名。私は左を」
「そんじゃ、あたしが右ね」
自然に役割が決まる。
グラーディスはフィデリアとレオニスを背に庇う位置へ移動した。
「残り五……四……三……二――」
静かに数を刻みながら、周囲への警戒を一切緩めない。
イシュリアンは聖杖を握り直す。
アウレリアも聖剣の柄へ手を掛け――そして、不意に背後へ視線を向けた。
「それと……後ろのお姉さんも、関係ないなら動かないで」
その一言で空気が変わる。
「えっ!?」
レオニスは思わず振り返った。
そこには、一人の女性が立っていた。
音もなく。
気配すら残さず。
腰まで届く赤紫の長髪が木漏れ日に妖しく輝き、頭上には人狼の証である狼耳が静かに揺れている。
漆黒のバイザーが瞳を覆い、その奥の視線だけは誰にも読めない。
白磁のように白い肌。
細身でありながら均整の取れた肢体は、黒と紅を基調とした戦装束に包まれていた。
露出は決して少なくない。
それでも艶めかしさより、研ぎ澄まされた刃のような危うさが先に立つ。
右手には、鎖の先へ三又の穂先を備えた異形の短剣。
静かに立っているだけで、その場の空気が張り詰める。
まるで森そのものが彼女を恐れて息を潜めているようだった。
「敵対はしません」
女性は淡々と告げる。
「ですが、彼らは私の標的です」
それだけ言うと、小さく息を吐いた。
次の瞬間。
姿が消えた。
「おぅ! はや!」
アウレリアの口元が楽しげに吊り上がる。
称賛の声だった。
レオニスには何が起きたのか理解できない。
目で追うどころか、消えたとしか思えなかった。
直後。
森へ潜んでいた獣人たちが悲鳴を上げながら飛び出してくる。
猿型。
熊型。
虎型。
種族も体格も様々だった。
「馬鹿な……“麗王”だ!」
誰かが絶叫した。
獣人たちの顔から血の気が引く。
その声と同時に、一閃。
横から。
さらに背後からもう一撃。
誰一人として、その姿を捉えられない。
見えるのは振るわれた刃だけ。
攻撃が終わった時には、彼女はすでに別の場所へ立っている。
影が獲物を狩るような神速。
森にいた獣人たちは、それだけで完全に戦意を失っていた。
アウレリアだけが、その動きを心底楽しそうな笑みで見つめている。
これが、アウレリアと“麗王”の最初の邂逅だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦士ではないレオニスに浮かんだ感想は、ただ一つだった。
――強い。
それ以外の言葉が見つからない。
"麗王"と呼ばれた女戦士の戦いは、まさしく圧倒だった。
森に潜んでいた十四名の獣人たちは、抵抗する間もなく斬り伏せられていく。
逃げる者にも容赦はない。
攻撃は一閃。
次の瞬間には別の敵が倒れている。
姿を捉えたと思えば、すでに別の場所へ移っていた。
まるで闇そのものが獲物を狩っているような戦いだった。
そして最後の一人。
武器を放り捨てた獣人は、地面へ這いつくばる。
「ち、違うんだ! "麗王"! 誤解なんだ! 話を聞いてく――」
言葉は最後まで続かなかった。
銀色の刃が首筋を走る。
次の瞬間には首が宙を舞っていた。
「聞く必要もない」
淡々と告げられた言葉だけが、静かな森へ残る。
当然、その返事をする者はいない。
"麗王"は倒れた賊の懐を探り、小さな革袋を取り出した。
中身を一瞥すると、それだけを回収し、遺体にはもう興味を示さない。
その姿は、この魔王国で生きる者の価値観を、そのまま体現しているようだった。
敗者に弁明の時間は与えられない。
そこに情けも、言い訳も存在しない。
それが魔王国だった。
夜の静寂をまとった長身の女戦士。
漆黒と紅の戦装束。
月明かりを受けて揺れる赤紫の長髪。
目元を覆う黒いバイザーの奥からは視線すら読めない。
その美しさは幻想的だった。
だが、その奥底には、人ならざる獣の本質が静かに息づいている。
"麗王"。
その二つ名に、これ以上ないほど相応しい存在だった。
「加勢の必要すらなかったな」
グラーディスは大剣を下ろし、敵意がないことを示すように聖盾も構え直す。
イシュリアンも杖を下げる。
アウレリアも聖剣の柄から手を離した。
「この賊の首が欲しければ、持っていくといい」
それだけを告げると、"麗王"は踵を返す。
(……なんだろう)
レオニスは妙な既視感を覚えた。
以前にも、こんな風に颯爽と去っていく人物がいた気がする。
だから今度も、その背中を見送れば終わる。
そう思っていた。
――だが、この一行には、それで終わらせない人物がいる。
「ねぇ、お姉さん、名前は?」
案の定だった。
自分の興味が向いた相手には、空気など一切読まない。
それがアウレリアという少女だった。
「これも何かの縁と思うの。あたしはアウレリア」
屈託なく笑う。
「あなたに、名乗る必要が、私にあるのですか」
返ってきた声は冷たく平坦だった。
歩みも止めない。
(その通りです。"麗王"、どうかそのまま帰ってください)
レオニスは心の底から願う。
余計な騒ぎだけは避けたかった。
しかし、奇妙な縁を引き寄せるのもまた、アウレリアだった。
「お姉さんって、人狼族でしょ?」
その一言で、"麗王"の狼耳がぴくりと震える。
アウレリアは気付かないまま続けた。
「あたしね。"ロウガ"っていう人狼族と知り合いなんだけど」
その名が発せられた瞬間だった。
「……今、"ロウガ"と言いましたか」
初めて感情が混じった声だった。
"麗王"はゆっくりと振り返る。
その全身から放たれる空気が、一変する。
静かな湖面が、一瞬で氷結したかのような威圧感。
それを隠そうともせず、真っ直ぐにアウレリアへ向けられていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




