お前が奴を何とかしろ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
覇王ディアボロスは、高台から戦場跡を見下ろしていた。
地面には無数の傷跡が残っている。
剣が刻んだ溝。
魔法が焼いた大地。
そして倒れた者たちの痕跡。
戦いは終わっていた。
だが、ディアボロスは飽きることなく、その光景を眺めている。
まるで何かを探しているようだった。
「底知れねぇな、お前の闘争心は」
背後に立つロウガが呟く。
「俺が会ったことがある中でも群を抜いている」
ディアボロスは答えない。
ただ静かに風を受けている。
その背中を見ながら、ロウガは無意識に拳を握った。
魔王国に生きる者は皆、力を求める。
ロウガも例外ではない。
むしろ魔王を名乗るほどの強者だ。
そして目の前に、自分を上回るかもしれない存在がいる。
ならば考える。
戦えばどうなるのか、と。
(さて、俺と奴ならどちらが強いか)
そんな思考が自然と浮かぶ。
ロウガですら勝敗を即答できない。
その瞬間だった。
「俺と戦いたいのか、ロウガ」
不意にディアボロスが言った。
「……そういう時もあるかもな」
苦笑しながら答える。
心を読まれたわけではない。
ただ、この男は強者の思考を理解している。
「そうか」
低い声が響く。
「そうなれば、さぞや血が湧く相手となる……な」
振り返らない。
だが、その背中は語っていた。
いつでも来い、と。
挑むなら受けよう、と。
盟主が盟友へ向ける態度ではない。
強者が強者へ向ける態度だった。
(……また力を増してやがるな)
ロウガは目を細める。
ディアボロスは戦うたびに強くなる。
まるで終わりがない。
積み重ねた経験も。
磨き続けた技も。
全てが次の戦いの糧になる。
それが覇王ディアボロスだった。
「そういえば、お前に恩賞を与えていなかった」
唐突にディアボロスが言う。
そして何かを放り投げた。
ロウガは反射的に受け取る。
ずしりとした重み。
一振りの大剣だった。
「また打ったのか?」
鞘から少しだけ刃を抜く。
鈍く輝く刀身。
鍛造技術に詳しくない者でも分かる。
業物だ。
間違いなく高値で売れる。
戦場に持ち込めば、多くの命を奪うだろう。
ディアボロスは暇さえあれば武器を打つ。
新たな土地を手に入れれば鉱脈を探す。
希少金属を見つければ喜ぶ。
ロウガが知る限り、この男が見せる唯一の私欲だった。
「俺には合わんからな」
ディアボロスは肩を竦める。
「売るなり好きにしろ」
「売り飛ばしたら敵に渡るぞ」
ロウガは呆れたように言った。
「その剣がお前を殺す武器になるかもしれん」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
ディアボロスは豪快に笑った。
「自分の鍛えた剣で俺を破るか」
白い瞳が愉快そうに細められる。
「ならば、更に剣をばらまく必要があるな」
「……正気か?」
「目の前に強敵が来ることは、望むべきことだ」
迷いのない言葉だった。
そこには恐れも後悔もない。
力を求める。
強者を求める。
そして自らを超える存在すら歓迎する。
ロウガは改めて思う。
この男は危険だ。
魔王として。
武人として。
そして何より、生き方そのものが。
だからこそ――。
覇王と呼ばれるのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「正直、俺には理解できん」
ロウガは腕を組みながら口を開いた。
「ディアボロス、お前は何を求めている」
白い瞳が静かに向けられる。
「魔王国の統一では不服か?」
「ああ、当然だ」
即答だった。
ディアボロスが眉を動かす。
ロウガは構わず続けた。
「魔王国を統一する」
「不毛な争いを終わらせる」
「その話に嘘はないと思っている」
それは確信だった。
この男は少なくとも、自らの掲げる理想に偽りを混ぜる性格ではない。
だが――。
「それだけじゃない」
ロウガは言い切った。
「お前は全部を語っていない」
風が止む。
わずかな沈黙が流れた。
「俺たちは盟友だ」
「お前が盟主で、俺が盟友」
「なら、真意を知る権利くらいあるはずだ」
覇王は答えない。
だからこそロウガは確信する。
図星なのだと。
「単なる統一が目的なら説明がつかん」
受け取ったばかりの大剣を軽く持ち上げる。
「武器をばら撒く発想にはならないからな」
戦争とは敵を削る行為だ。
敵を強くする行為ではない。
強者を育てる行為でもない。
だがディアボロスは違う。
まるで自ら困難を作り出している。
まるで自ら試練を求めている。
その在り方は統治者ではなく武人に近い。
いや、それ以上かもしれない。
しばらくして、ディアボロスが口を開いた。
「意味が必要か?」
低い声だった。
だが否定でも肯定でもない。
ただ問い返しただけだった。
ロウガは眉をひそめる。
「必要だから聞いてる」
「そうか」
ディアボロスは小さく笑った。
本当にわずかな笑みだった。
「ならば、後で考えてみるさ」
「何だそれは」
「答えなど後から誰かが付ける」
覇王は空を見上げる。
「俺が敗れ死んだ時でもいい」
「誰かが適当に考えても構わん」
その言葉にロウガは絶句した。
冗談ではない。
本気で言っている。
この男は自分の思想ですら、それほど重く扱っていない。
「それが本心と言い切る気か……」
呆れと苛立ちが混じる。
「もう少し信頼されていると思っていたんだがな」
ロウガの視線を、ディアボロスは真正面から受け止めた。
逃げない。
誤魔化さない。
だが答えもしない。
「気に入らんのなら、お前が決めればよい」
静かな声だった。
「出来るかよ、そんなこと」
思わず吐き捨てる。
ディアボロスは何も言わない。
ただ立っているだけだ。
それでも不思議と揺らがない。
大地に根を張る巨木のようだった。
ロウガは大きく息を吐いた。
気に入らない。
納得もできない。
だが認めざるを得ない。
この男と共になら、魔王国統一は決して夢ではない。
争いが終わるかもしれない。
種族同士の憎しみが減るかもしれない。
流れる血に意味が生まれるかもしれない。
だから今は問わない。
本心を暴くのは後でもいい。
まずは前へ進む。
その先に答えがあるのなら――。
確かめるのは、その時でいいとロウガは考えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
遠くでは軍勢が移動する音が響き、時折、角笛の音が空へ溶けていく。
その中で、ディアボロスは変わらず腕を組んだまま立っていた。
巨大な背中は山のようだった。
「さて、俺たちは“冥王”と直に戦うことになるだろう」
重々しい声が響く。
「“冥王”に送った使者は戻ってこなかったからな」
その言葉に、ロウガは小さく舌打ちした。
予想していた話ではある。
だが現実になると面倒だった。
現在の魔王国は三大勢力による均衡状態にある。
覇王。
冥王。
樹王。
互いが互いを牽制し、巨大な戦争だけは辛うじて避けられていた。
もっとも、その均衡も長くは続かない。
「“冥王”が最大勢力になっているからな」
ディアボロスは淡々と続ける。
魔王国全体への影響力で見れば、冥王が四。
覇王が三。
樹王が二。
残りがその他。
そんな構図になっている。
もちろん、単純な強さの比較ではない。
だが勢力という意味では、冥王が一歩先を行っていた。
ロウガは腕を組む。
正直なところ意外だった。
覇王の勢力拡大速度は異常だったからだ。
それを上回るとは思っていなかった。
「さて、ロウガよ。本格的に冥王と戦う前に、やってもらいたいことがある」
白い瞳が向けられる。
嫌な予感しかしない。
「なんだよ」
「お前には少数派の連中を何とかしてもらいたい」
その瞬間、ロウガの眉が動く。
「虐殺の類なら断るぞ」
即答だった。
覇王の配下になった今でも、その一線だけは譲る気はない。
弱者を蹂躙するために戦っているわけではないのだから。
だがディアボロスは鼻で笑った。
「お前に頼むのに、そんな無理なことは言わん」
「じゃあ何だ」
「その少数派の中に一人、“面倒”な奴がいるだろう」
その瞬間。
ロウガは相手を理解した。
理解してしまった。
そして盛大に顔をしかめる。
「……お前の言っているのは、“麗王”か」
「言うまでもなかろう」
短い返答だった。
だが十分だった。
麗王。
三大勢力の外にいながら、誰も無視できない。
それが麗王だった。
純粋な戦闘能力だけなら、誰もが指折りに数える強者だった。
そして何より。
面倒臭い。
ロウガにとって、それが最大の問題だった。
「ロウガ、お前が何とかしろ」
「いや、しかし」
珍しくロウガが言葉を濁す。
戦うことは恐れない。
強敵も歓迎だ。
だが麗王だけは別だった。
理屈では説明しにくい種類の厄介さがある。
「もし“麗王”が間違って“冥王”と結託などされると色々とやっかいだ」
ディアボロスは断言する。
そこに迷いはない。
「お前が奴を何とかしろ。盟主命令だ」
それだけ言うと、巨大な背中は踵を返した。
もはや話は終わったと言わんばかりだった。
「おい、待て」
呼び止めても振り返らない。
数歩。
十歩。
そのまま去っていく。
結局、返事すら返ってこなかった。
「面倒な宿題を出しやがって……」
ロウガは頭を掻いた。
だが理解もしている。
ディアボロス自身が麗王と衝突する事態だけは避けるべきだ。
あの二人が真正面からぶつかれば、周囲が無事では済まない。
それに。
覇王による統一という理想も遠のくだろう。
だからこそ、自分が行くしかない。
若き魔王は大きく息を吐く。
そして迷いを振り払うように顔を上げた。
穏やかな旅人の顔は消える。
そこにいるのは牙王。
数多の戦場を駆け抜けてきた魔王だった。
「仕方ないか」
低く呟く。
その瞳は既に次なる相手を見据えていた。
麗王。
最も関わりたくない相手と向き合うために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




