私が彼らに望むことはない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「現状、アウレリアの意見で進むしかないな」
グラーディスは一度話を切り上げるように言った。
店の外では、魔王国の住民たちが何事もないように行き交っている。
だが、その光景が今は妙に不気味に思えた。
言葉が通じる。
文化もある。
商売も成立している。
それなのに、ここは人間社会から切り離された魔王国なのだ。
「気になりはするが、私たちの最優先は“巡礼の地”であることは変わりない」
静かな口調だった。
だが王族としての決断が込められている。
「……そう、ですね……」
イシュリアンは小さく息を吐いた。
納得したわけではない。
むしろ疑問は増えている。
だが、今ここで考え続けても答えは出ない。
冷静だからこそ、それを理解していた。
「今は保留にします」
そう言って視線を落とす。
グラーディスは頷いた。
「そして魔王ロウガに接触する件だが、事情が変わった」
空気が少し引き締まる。
「このままいけば、私たちは覇王ディアボロスとも接触する可能性が高い」
その名に反応したのはレオニスだった。
「そして王国から討伐対象として示されている魔王とは、おそらく覇王ディアボロスだろう」
重い言葉だった。
勇者一行が魔王国へ来た理由。
それは巡礼だけではない。
魔王への対処もまた含まれている。
だが。
レオニスは迷っていた。
今まで聞いた話と現実が噛み合わないからだ。
恐る恐る口を開く。
「覇王ディアボロスと争わないという選択は、できないでしょうか?」
グラーディスが目を向ける。
「どういうことだい、レオニス」
その視線を受け、レオニスは背筋を伸ばした。
逃げるわけにはいかない。
専任首席文官として、自分の考えを述べる責任がある。
「王子の専任首席文官として申し上げます」
「細かい前口上はいい。率直に言ってくれ」
「あ、はい」
少し慌てながら咳払いをする。
そして言葉を選んだ。
「今回の件は、本来であれば魔王国の内政問題です」
「内政問題?」
アウレリアが首を傾げる。
「はい。覇王は魔王国の統一を目指している。ですが、それは魔王国内部の権力闘争です」
レオニスは続けた。
「我々が介入する理由は本来ありません」
「……」
「むしろ勇者が武力をもって介入するのであれば、それは内政干渉です」
店の前に沈黙が落ちた。
誰も反論できない。
少なくとも今まで聞いた情報だけなら、レオニスの言葉は正論だった。
「そのような愚行は避ける努力をすべきだと思います」
「だから和平か」
グラーディスが呟く。
「はい」
レオニスは頷いた。
「最善は、まず対話を行うことです」
「我々は覇王と和平を結ぶべきだと考えます」
勇者一行が魔王と和平を結ぶ。
それは吟遊詩人の物語にはまず存在しない展開だった。
勇者は魔王を倒すもの。
誰もがそう信じている。
だからこそ、その意見は異質だった。
しかし――。
「いいんじゃない?」
真っ先に賛同したのはアウレリアだった。
「え?」
レオニスは思わず声を漏らした。
アウレリアは楽しそうに笑っている。
「だってさ」
肩をすくめる。
「まだ会ってもいない相手を倒すって決めるのも変でしょ」
まるで当たり前のことを言うような口調だった。
「覇王ディアボロスとも会ってみたいし」
「話もしてみたい」
黒い瞳がまっすぐ前を向く。
好奇心。
興味。
そして人を知ろうとする意志。
その全てが宿っていた。
「それで危ない奴なら、その時考えればいいじゃない」
勇者らしくない。
だが、どこまでもアウレリアらしい答えだった。
当代最強と謳われる勇者の少女は。
迷いなくそう宣言した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私も、レオニスの意見に賛成です」
イシュリアンが静かに口を開いた。
「たとえ、退けない戦いになる前提だとしても、大義のない戦いをすべきではありません」
淡々とした口調だった。
だが、その言葉には確かな意思がある。
勇者一行として旅を続けてきたからこそ分かる。
剣を振るう理由は必要だ。
力があるから戦うのではない。
戦わなければならない理由があるから戦うのだ。
イシュリアンはそう考えていた。
そして意見を求めるようにグラーディスを見る。
グラーディスは少しだけ目を伏せた。
長い黒髪が肩を滑る。
「だが、王国の命令に反する可能性がある」
重い言葉だった。
王国は魔王を警戒している。
勇者一行もまた、その意思を背負っている。
王子であるグラーディスにとって、それを無視することは簡単ではない。
「しかし、真偽は確かめなければならないな」
ゆっくりと顔を上げる。
「判断はそれからでもいいだろう」
王国の王子としては認め難い。
だが、一人の人間として考えるならば。
レオニスの意見には理がある。
少なくとも今の時点で、覇王ディアボロスが討たれるべき存在だとは断定できなかった。
その言葉に、場の空気が少し和らぐ。
そして自然と全員の視線が一人へ向いた。
フィデリアだった。
旅の始まりから共にいる少女。
だが、誰よりもその本心が見えない存在。
「……皆様が、そう考えるなら反対する理由はありま――」
「待って!」
言葉を遮ったのはアウレリアだった。
勢いよく身を乗り出す。
「どうしたのですか?」
フィデリアは小首を傾げた。
その仕草は穏やかだったが、どこか距離がある。
アウレリアは不満そうに頬を膨らませた。
「フィデリアも、ちゃんと意見を言って欲しい」
「ちゃんと?」
「そう」
即答だった。
「私はこう思うとか」
「それは違うんじゃないとか」
「そういうの」
フィデリアは一瞬だけ言葉に詰まった。
「必要あるのですか?」
本心からの疑問だった。
その問いに、アウレリアは呆れたように眉を上げる。
「あるわ!」
即答だった。
「だってフィデリアの考えてることも、あたしは知りたい」
当たり前のように言う。
まるでそれが当然の権利であるかのように。
「皆の意見を聞いてるんだから、フィデリアの意見だって聞きたいでしょ」
「……そう、ですか」
フィデリアは視線を落とした。
胸の奥が微かに揺れる。
だが、その揺れの正体をうまく言葉にできない。
何を求められているのか。
それが分からなかった。
フィデリアは人間ではない。
少なくとも、自分ではそう認識している。
彼らが願ったから召喚された。
彼らが望んだからここにいる。
自分が望んだから存在しているわけではない。
だから。
(……私に何を求めるのでしょうか)
静かに考える。
自分の役割は決まっている。
巡礼を導くこと。
儀式を進めること。
それだけだ。
(……私が彼らに望むことはない)
そう思っていた。
そうあるべきだと理解していた。
だからこそ。
(彼らが、次の巡礼の地へ辿り着けばいい)
それだけで十分なはずだった。
(ですが、それは……)
フィデリアは仲間たちを見る。
アウレリア。
グラーディス。
イシュリアン。
レオニス。
それぞれが悩み、考え、自分の意思で言葉を選んでいる。
その光景が、なぜか眩しく見えた。
だが。
その先の言葉を口にすることはできない。
それは禁じられている。
最初の巡礼の地で刻まれた禁則。
決して伝えてはならないこと。
決して語ってはならないこと。
だからフィデリアは黙るしかなかった。
フィデリアの唇がわずかに動く。
伝えたい言葉があった。
だが、その瞬間、胸の奥で禁則が警鐘を鳴らした。
静かに。
誰にも気付かれないように。
ただ一人、その言葉を胸の奥へ沈めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




