確かに、不都合はありませんね
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔王国の片隅にある小さな村。
石造りの家々が並ぶその集落は、一年前と大きく変わっていなかった。
変わったことがあるとすれば、旅人や商人の往来が少し増えたことくらいだろう。
その村の一角。
以前、牙王ロウガと共に訪れた商店の扉を開き、アウレリアは懐かしい顔と再会していた。
「おや、アウレリアじゃないか?」
亜人の店主が目を丸くする。
なぜか、イシュリアンも驚いた顔をしている。
「あ、覚えてたんだ」
「そりゃ覚えてるさ。ヒト族の娘がロウガ様と一緒に来たんだからな」
「久しぶりだね!」
アウレリアが笑うと、店主も豪快に笑った。
しばらく近況を語り合う。
旅の話。
村の話。
最近の商いの話。
そんな世間話がひと段落したところで、アウレリアは本題を切り出した。
「それでさぁ、ロウガなんだけど。今どこにいるか知ってる?」
「ロウガ様か?」
店主の表情が少しだけ曇る。
「今は、覇王の下で色々やっているなぁ」
「覇王?」
アウレリアが首を傾げる。
店主は頷いた。
そして現在の魔王国の事情を語り始める。
アウレリアと別れた後。
牙王ロウガと覇王ディアボロスは激突寸前までいったらしい。
互いに名を持つ魔王。
どちらも退けない。
ディアボロスが示した選択肢は単純だった。
服従か。
敵対か。
その二つだけ。
一触即発。
誰もが戦いになると思った。
だが、そこでロウガは第三の道を提示した。
――同盟。
自らを配下ではなく協力者とする提案だった。
ディアボロスを盟主として認める。
だが、その器がないと判断した時は反旗を翻す。
そんな条件付きの同盟。
普通なら侮辱とも取られかねない言葉だった。
しかし。
ディアボロスはさらにその上をいった。
「では、お前は今日から盟友だ」
「俺に器なしと判断すればいつでも討て」
そう言って背を向けたという。
剣ではなく。
信頼で応えたのだ。
「その条件で受けたの?」
「ああ、受けたとも」
「なんかロウガらしいじゃない」
アウレリアは素直に感心した。
レオニスたちも無言になる。
王として育ったグラーディスだからこそ、その決断の重みが理解できた。
力だけでは出来ない。
相手を認め、自らの器を示さなければ成立しない関係だった。
「そんな経緯があってな。ロウガ様は今、覇王と一緒に動いてる」
店主は笑った。
「正直助かってるよ。ロウガ様がディアボロスの威光を使って品物を流してくれるからな。昔より商売しやすいくらいさ」
「そっか。ロウガ、変なことになってるんだね」
アウレリアは何度か頷いた。
だが店主の表情は再び引き締まる。
「それでも不穏だよ」
「不穏?」
「覇王は統一を狙っている」
その一言で空気が変わった。
「次の相手を目指しているからな」
「次? “樹王”と戦うの?」
「いや。“樹王”様じゃない」
店主は首を振る。
「覇王の後に現れた新興勢力がある」
「え、そんなのが出てきたの?」
アウレリアが驚きの声を上げた。
店主は静かに告げる。
「ああ。“冥王”と呼ばれる奴だ」
その名を聞き、誰もが息を呑む。
「今の魔王国はな」
店主は窓の外へ視線を向けた。
「“樹王”様。“覇王”。そして“冥王”」
「三つの巨大な勢力が睨み合っている」
「今は――三巨頭の時代さ」
店主の言葉は、今の魔王国そのものを表していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「“冥王”って、どんな奴なの?」
アウレリアは興味津々といった様子で身を乗り出した。
未知の強者。
未知の勢力。
未知のモノ。
そういう話になると、彼女は妙に目を輝かせる。
店主は腕を組みながら首を捻った。
「詳しくは知らんが、噂に聞くと妙な奴らしい」
「妙? 何が?」
「かつて魔王を名乗っていた連中がな。負けたわけでもないのに、自分から従ったって話だ」
「そんなことあるの?」
アウレリアは素直に驚いた。
魔王国の理屈は単純だ。
強い者が上。
弱い者が下。
力がすべて。
だからこそ理解できない。
負けたから従うなら分かる。
だが、自ら従うというのは別の話だ。
それが成立するなら。
その“冥王”という存在は、戦うまでもなく圧倒的な何かを持っていることになる。
「いや、それが妙なんだ」
店主は肩を竦めた。
「“冥王”は戦ったことがないらしい」
「え?」
アウレリアは瞬きを繰り返した。
「一回も?」
「少なくとも俺は聞いたことがないな」
「“樹王”みたいな、でっかい木なの?」
「いや、噂じゃ亜人らしい」
「亜人?」
「それも確かな話じゃない。見た者が少なすぎるんだ」
店主は困ったように笑う。
「だから皆よく分からん奴だと言ってる」
「そうなの。ありがと」
聞きたいことは聞けた。
アウレリアは礼代わりに店の商品をいくつか手に取る。
干し肉や保存食。
旅で使えそうな雑貨。
会計を済ませるため、腰の袋から硬貨を取り出した。
「おお、いい銅が使われてるな」
店主が感心したように硬貨を眺める。
「まぁね。ありがとう」
そうして情報収集は終わった。
店を出る。
村の通りを歩く。
そこで不意にイシュリアンが足を止めた。
「奇妙ですね」
その声音はいつも以上に真面目だった。
「ん? リアンどうしたの?」
アウレリアが振り返る。
イシュリアンは額に手を当てていた。
何かを考え込んでいる。
「アウレリアは不思議というか、不自然に感じなかったのですか?」
「何が?」
「全部です」
即答だった。
アウレリアは首を傾げる。
グラーディスも。
レオニスも。
フィデリアだけは静かに耳を傾けていた。
「ここが魔王国だということを、皆さん理解していますか?」
「それは分かってるけど?」
「そして先ほど話していた相手が亜人だということも」
「それも分かってるわよ」
アウレリアはますます分からないという顔になる。
イシュリアンは深く息を吐いた。
そして周囲を見渡す。
行き交う人々。
店先の呼び込み。
遠くから聞こえる雑談。
「私たちは今まで、その事実を誰一人疑問に思いませんでした」
その全てを確認してから口を開いた。
「では、なぜ言葉が通じるのですか?」
その瞬間。
レオニスの表情が変わった。
「――あ」
声が漏れる。
ようやく気付いた。
「言葉が……理解できる?」
「そうです」
イシュリアンは静かに頷いた。
「彼らは私たちの世界で使われている共通語を話しています」
誰も言葉を返せなかった。
当たり前すぎて気付かなかった。
旅を始めてからずっと自然に会話していた。
買い物もした。
道も聞いた。
世間話までした。
だが、それは本来おかしい。
人間の国と魔王国。
長い歴史の中で閉ざされ続けていた別の文化圏。
別の種族。
本来なら言語が違っていても何ら不思議ではない。
それなのに。
誰一人として疑問に思わなかった。
あまりにも自然だったからだ。
だからこそ。
その事実は簡単でありながら、恐ろしいほど衝撃的だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イシュリアンの言う“共通語”とは、人間社会における最も古い統一言語のことである。
王国も。
帝国も。
根源を辿れば、その言葉から派生した。
一説では神々が人へ授けた最初の言葉とも伝わっているが、その真偽を証明できる者はいない。
ただ一つ確かなことがある。
王国の人間と帝国の人間が普通に会話できるのは、この共通語という土台があるからだ。
同じ人類圏だからこそ、誰も疑問に思わない。
当たり前のことだった。
だからこそ。
イシュリアンは額を押さえていた。
「最初にアウレリアから魔王国の話を聞いた時は、そこまで気にしていませんでした」
紫色の瞳がじっとアウレリアへ向けられる。
少し恨めしそうですらあった。
「アウレリアのことですから」
「なによ、それ」
「身振り手振りで意思疎通したか、現地で言葉を覚えたのだと思っていました」
「あたしを何だと思ってるのよ」
「否定できないでしょう」
「うっ」
反論しかけたアウレリアが言葉に詰まる。
実際、やりそうだからだ。
レオニスも思わず心の中で頷いた。
アウレリアなら本当にやる。
常識の外側を平然と歩く少女である。
「私は念のため、異種族の言語に関する資料も持参していました」
イシュリアンは淡々と続けた。
「ですが、現実はどうですか」
「普通に喋ってるな」
グラーディスが腕を組む。
「そうです」
イシュリアンは深く頷いた。
「普通すぎるのです」
その一言が妙に重かった。
「彼らは共通語を理解している」
「私たちも彼らの言葉を理解できる」
「そして何より――」
そこで言葉を切る。
「人間を見ても驚かないのです」
その場に短い沈黙が落ちた。
言われてみれば、その通りだった。
店主もそうだった。
村人たちもそうだった。
確かに珍しそうには見てくる。
だが、それだけだ。
恐怖もない。
敵意もない。
警戒も薄い。
まるで遠方から来た旅人を見るような反応だった。
魔王国。
人間社会から隔絶された未知の大地。
魔の森の向こう側にある異界。
そう聞かされてきた。
それなのに。
実際に来てみれば、人々は普通に暮らし、言葉も通じる。
人種、文化の差こそあれ、意思疎通に困ることはない。
「よく考えると、不思議ですね」
レオニスも小さく呟く。
魔の森は人類未踏の地だ。
普通なら交流など成立するはずがない。
それなのに言語体系が繋がっている。
偶然で済ませられる話ではなかった。
「確かに指摘されると答えを思いつかないな」
グラーディスも眉をひそめる。
王族として数多くの土地を巡ってきた。
だが、この状況を説明できる知識は持っていなかった。
むしろ考えれば考えるほど疑問が増える。
魔王国とは何なのか。
樹王。
覇王。
冥王。
三人の魔王が覇を競う国。
しかし実際に足を踏み入れてみると、そこは想像していた魔境とは大きく違っていた。
未知の謎が次々と現れる。
答えは一つも見つからない。
そんな空気を。
一人だけあっさり吹き飛ばした者がいた。
「でもさ」
アウレリアが首を傾げる。
「今考えても分からないんだから仕方なくない?」
全員が振り返る。
「あたしたち困ってないでしょ?」
「それは……」
「言葉が通じるなら便利じゃない」
あっけらかんと言い放つ。
「つまり好都合ってことよ」
満面の笑みだった。
実にアウレリアらしい。
深刻な謎も。
世界の秘密も。
目の前の問題にならなければ後回し。
ある意味では勇者らしく。
ある意味では大雑把だった。
「確かに、不都合はありませんね」
イシュリアンは小さくため息を吐いた。
理屈では納得できない。
だが実害もない。
だから今は進むしかない。
それでも。
レオニスの胸には引っかかりが残り続けていた。
魔王国とは何なのか。
なぜ言葉が通じるのか。
なぜ人間を恐れないのか。
それらは全て、どこかで一つの答えに繋がっている気がした。
だが今はまだ。
その正体を誰も知らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




