新たなる縁
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そしてヴァルドは去った。
別れの言葉もなかった。
旅の無事を祈る言葉も。
再会を約束する言葉も。
本当に何一つ残さなかった。
ただ静かに、その場から姿を消しただけだった。
あれほど強烈な存在感を放っていた男なのに。
いなくなる時だけは拍子抜けするほどあっさりしている。
誰も気付かないうちに風が通り過ぎたような感覚だった。
「確かに、そういう約束だったけど、一緒に行ってくれたら……」
思わず漏れたレオニスの言葉に、誰も反論しない。
それほどまでにヴァルドという存在は頼もしかった。
魔の森という危険地帯を案内し。
勇者たちを鍛え上げ。
夜は一人で歩哨を務める。
その背中は、まるで絶対に折れない柱のようだった。
だが同時に思う。
――あの人は敵なのだ。
王国と帝國。
立場だけを見れば、それは変わらない。
次に会う時は剣を交えるかもしれない。
そんな可能性もある。
だからこそ複雑だった。
正直なところ。
レオニスには、もはやヴァルドが敵には見えなくなっていた。
むしろ願う。
本当のことを言えば。
アウレリアたちと戦う日など来なければいい。
そんな考えが頭をよぎる。
しかし現実は感傷を許してくれない。
レオニスは小さく息を吐いた。
そして、より現実的な問題を思い出す。
ヴァルドという存在は羅針盤だった。
道を示し。
危険を排し。
必要な時には答えまで与えてくれた。
その至高とも呼べる案内役がいなくなった。
つまり。
ここから先の羅針盤は別の人物になる。
全員の視線が一人へ向いた。
「あたしに任せてよ」
アウレリアは胸を張った。
根拠は不明。
自信だけは十分だった。
レオニスは思った。
――すごく不安だ。
おそらく全員が同じことを考えていた。
そんな空気を断ち切るように、グラーディスが咳払いをする。
「まず確認しよう」
王子らしい落ち着いた声だった。
「私たちが目指す場所は変わらない。魔王国にある“巡礼の地”だ」
その言葉で全員の意識が引き戻される。
そうだった。
ゼルハインが別れ際に残した言葉。
巡礼の地。
それこそが今回の旅の目的地である。
問題は。
誰も場所を知らないことだった。
「問題は場所ですね」
イシュリアンが顎に指を添える。
思考する時の癖だった。
「おそらく魔力霊脈点なのでしょう。しかし、それが何処にあるのかが分からない」
理論は推測できる。
だが目的地の座標までは分からない。
導師であるイシュリアンでも、それ以上は答えを出せなかった。
やがて視線がフィデリアへ向く。
「近付けば分かるのではありませんか?」
「……近くに行けば分かります」
フィデリアは静かに答えた。
「ですが、今は方向も分かりません」
そして小さく首を横に振る。
手掛かりはない。
振り出しだった。
沈黙が落ちる。
その空気の中で、レオニスは何気なく尋ねた。
「アウレリアは知らないのか?」
旅人として魔王国を訪れた経験がある。
何か知っていても不思議ではない。
だがアウレリアは唸った。
「うーん……」
腕を組む。
眉を寄せる。
そして素直に答えた。
「ロウガから聞いたこともないなぁ」
その言葉に全員が少しだけ肩を落とした。
期待していたわけではない。
だが期待していなかったわけでもない。
そんな微妙な反応だった。
ところが。
その直後。
アウレリアの表情が突然明るくなる。
何かを思いついた顔だった。
レオニスの背筋に嫌な予感が走る。
経験上。
アウレリアが名案を思いついた時は大体ろくなことにならない。
「そうだ!」
勢いよく手を叩く。
満面の笑み。
まるで世界の謎を解いたかのような顔だった。
「ロウガを探して聞いてみよう!」
アウレリアは名案と言わんばかりに言い放った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ロウガ」
その名が出た瞬間、場の空気がわずかに動いた。
アウレリアと面識のある魔王。
それも、ただの支配者ではない。
魔王国を巡り歩く商人でもある存在だ。
「確かに、適切な人物かもしれません」
最初に口を開いたのはイシュリアンだった。
細められた瞳には、冷静な計算の色が浮かんでいる。
「アウレリアの話が事実であれば、ロウガは各地を移動しながら商いをしているのでしょう」
「当然、地理にも詳しいはずです」
「むしろ詳しくなければ商売など成立しません」
淡々とした説明だった。
だが筋は通っている。
巡礼の地の手掛かりを探すのであれば、これ以上に有力な情報源は少ない。
「可能性は十分あります」
「一理あるか」
グラーディスも頷いた。
王族として多くの情報を扱ってきた経験からか、彼もまた合理性を重視する。
アウレリアは満足そうに胸を張った。
「でしょ?」
「ロウガは商人だったから、交易路にも詳しいし、人脈もあるから大丈夫」
「集落もいっぱい知ってるしね」
「前に立ち寄った村だって覚えてるはずだから、そこへ行けば今どこにいるか聞けるかもしれないわけ」
自信満々に語る姿は頼もしく見える。
少なくとも本人はそう思っている。
その様子にレオニスは微妙な表情になった。
内容はまともだった。
驚くほどまともだった。
だからこそ少し驚いてしまう。
そんな失礼な感想を抱きながらも、口には出さない。
「どうでしょうか、フィデリア様」
グラーディスは最後にフィデリアへ視線を向けた。
勇者一行の中心ではない。
しかし誰もが自然と意見を求める存在だった。
フィデリアは静かに全員を見渡す。
そして小さく微笑んだ。
「貴方方の良いと思うように」
それだけだった。
否定もない。
懸念もない。
つまり同意だった。
「よし、じゃあ行こうか!」
アウレリアが勢いよく宣言する。
その声には迷いがない。
先頭に立ち、歩き出そうとする姿を見ながら、レオニスはふと思った。
今回は違う。
以前とは明らかに違う。
誰かが命令しているわけではない。
誰かが従属しているわけでもない。
それぞれが考え、それぞれが選び、それでも同じ方向を向いている。
そんな空気があった。
(本当に物語に出てくるような勇者一行みたいだ)
少し前なら考えられなかった。
天才肌で自由奔放な勇者。
実直な王子。
理知的な導師。
神秘を纏う姫巫女。
そして、それを見届ける自分。
不思議な組み合わせだ。
それでも今は、一つの集団として成立している。
レオニスは少しだけ嬉しくなった。
だが同時に、胸の奥に小さな寂しさもあった。
(ゼルハイン様もいればな……)
自然とその名が浮かぶ。
聖槍士ゼルハイン。
豪快で。
強くて。
誰よりも前を歩く男。
こういう場には、あの男がよく似合う。
くだらない冗談を言いながら。
面倒そうに頭をかきながら。
それでも誰よりも頼もしく笑っているだろう。
しかし、ここにはいない。
その事実だけは変わらない。
(願わくば、今回の旅で、あのようなことはないように)
レオニスは胸中で祈る。
失う痛みは、一度味わえば十分だった。
もう誰も欠けてほしくない。
そして同時に、別の願いも浮かぶ。
(やらかさないでくれよ、アウレリア)
ちらりと勇者を見る。
先頭を歩く少女は機嫌良さそうに鼻歌まで歌っていた。
自由人。
問題児。
天才。
勇者。
色々な呼び方がある。
だがレオニスにとっては、厄介事を引き寄せる中心人物でもあった。
アウレリアは人を引き寄せる。
善人も。
変人も。
英雄も。
怪物も。
まるで磁石のように。
その力は本人の意思とは関係なく働く。
だからこそ不安だった。
平穏な旅になればいい。
余計な騒動など起きなければいい。
そう願う。
だが、その願いが簡単には叶わないことを。
そしてアウレリアという存在が、再び新たな縁を引き寄せることを。
この時の彼らは、まだ知らなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアとヴァルドの一戦。
それは一瞬の出来事だった。
しかし、その余波は決して小さくなかった。
魔王国の遥か彼方。
強者たちが割拠する大地のどこかで、一人の男がゆっくりと目を開く。
「遠くで強い力を感じた」
低く重い声だった。
その男は巨大な岩のような体躯を持っていた。
鍛え抜かれた筋肉。
百戦錬磨の武人だけが持つ威圧感。
静かに座っているだけで、周囲の空気が張り詰めているように見える。
「凄まじい力だ」
白い瞳が遠くを見据える。
「この国に、また俺に立ち塞がるものが現れたということか」
「面倒な話だな」
そう言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。
退屈ではない。
むしろ逆だ。
彼は強さを求めていた。
己を高めるために。
己の信念を証明するために。
現れる者が敵ならば打ち倒す。
その過程で自分もまた強くなる。
味方となるならば迎え入れる。
その力をもって理想へ近づく。
そして、もし敗れるのならば。
それは相手が強かったのではない。
自分に足りなかっただけだ。
ただそれだけの話だった。
「さて、そいつは、どんな奴だろうな」
男は愉快そうに笑った。
獣のように。
戦士のように。
覇者のように。
その笑い声が響いた直後だった。
「ずいぶんご機嫌じゃないか、“ディアボロス”」
聞き慣れた声が届く。
振り返れば、そこには一人の青年が立っていた。
「“ロウガ”か」
ディアボロスは視線を向ける。
「お前も感じただろう」
「……まあ、な」
ロウガは頭を掻いた。
どこか居心地が悪そうな顔をしている。
それを見てディアボロスは口角を上げた。
「お前も、そういう相手なら歓迎ではないのか?」
「俺は、あんた程強敵を求めてねぇ」
ロウガは肩を竦める。
「守りたいもんのために戦う。それだけだ」
即答だった。
迷いはない。
それが牙王ロウガという男だった。
強さを否定しない。
だが、強さそのものを目的にはしない。
大切なものを守るために振るう力。
それが彼の信条だった。
「はは、そうであったな」
ディアボロスは豪快に笑った。
否定する気配はない。
むしろ、その在り方を認めているようですらあった。
ロウガはそんな男を静かに見つめる。
覇王ディアボロス。
魔王国に現れた異端の覇者。
わずか三年。
それだけの年月で魔王国の三分の一を支配下に置いた男。
出自は誰も知らない。
どこから現れたのかも知らない。
だが、その名を知らぬ者はいない。
(この男の覇気は、本物だ)
近くにいれば分かる。
力だけではない。
器量。
統率力。
信念。
そして、それらを支える圧倒的な実力。
どれか一つではない。
すべてを兼ね備えている。
だからこそ多くの者が従う。
だからこそ多くの者が恐れる。
(魔王国を統一する風格は確かにある)
ロウガはそう認めていた。
認めているからこそ警戒もしている。
その時だった。
先ほど感じた力の余韻が脳裏をよぎる。
(まさかなぁ)
ふと、一人の少女の顔が浮かんだ。
黒髪を揺らし。
真っ直ぐ前を向く人間。
目の前の覇王とは違う。
だが同じように、人を惹きつける力を持つ存在。
アウレリア。
その名が心に浮かぶ。
偶然か。
それとも運命か。
まだ答えはない。
だが確かなことが一つだけあった。
かつて結ばれた縁は、まだ終わっていない。
アウレリアの縁は。
牙王ロウガを通じて。
静かに、覇王ディアボロスへと繋がっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




