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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
120/131

まだまだ、高くて、遠い

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……そうだな」


魔王国へ続く草原を風が吹き抜ける。


依頼終了の言葉を告げたあと、ヴァルドは少しだけ考える素振りを見せた。


だが、その様子はレオニスを余計に不安にさせる。


(正直、何か求めてくれないと困る)


金貨でもいい。


名誉でもいい。


王国への便宜でもいい。


むしろ、その方が安心できる。


相手は帝國最強の男。


常識では測れない存在だ。


何を要求されても不思議ではなかった。


「我々に出来ることなら、何でも言っていただいてかまいません」


グラーディスが一歩前に出る。


王族としての責任感が言葉に滲んでいた。


今回の旅で受けた恩は大きい。


それを曖昧なまま終わらせる方が問題だった。


「大変お世話になりましたので、遠慮なさらずお願いします」


イシュリアンも続く。


敵対する可能性がある相手であっても、それとこれとは別だ。


受けた恩義を踏み倒す理由にはならない。


ヴァルドは何も言わない。


ただ静かに視線を動かした。


その先にいたのはフィデリアだった。


(やっぱりフィデリア様関連か!?)


レオニスの心臓が嫌な音を立てる。


道中、ヴァルドは何度かフィデリアへ視線を向けていた。


そこに敵意はない。


だが興味はあった。


少なくともレオニスにはそう見えていた。


だからこそ嫌な想像が膨らむ。


そんな空気を読んだのか読んでいないのか。


アウレリアが口を開いた。


「うん、フィデリアにキスして欲しいなら、何とか説得する。できなかったらゴメン」


沈黙。


見事なまでの沈黙だった。


風の音だけが聞こえる。


誰も反応できない。


グラーディスは固まり。


イシュリアンは目を閉じ。


レオニスは頭を抱えたくなった。


そして当のアウレリアも数秒後には自分の失言に気づいたらしい。


空気を読まない鋼鉄のアウレリアも、素直に謝罪する。


「……ごめん、無かったことにしてください」


声が小さい。


珍しく本気で反省しているのが分かる。


ヴァルド相手に言う冗談ではなかった。


「私に出来ることであれば、何でもどうぞ」


フィデリアは穏やかに言った。


アウレリアの発言を気にした様子もない。


ただ依頼主として、礼を尽くそうとしているだけだった。


再び沈黙が落ちる。


ほんの数秒。


しかし妙に長く感じられた。


やがてヴァルドが口を開く。


「……試させてもらおう」


その瞬間。


黄金の瞳が真っ直ぐアウレリアへ向けられた。


空気が変わる。


アウレリアも自然と表情を引き締めた。


「今のお前の本気を私に見せてもらうことを報酬として貰おう」


誰も予想していなかった答えだった。


ヴァルドは腰の剣へ手を伸ばす。


そして二振りのうちの一本。


聖剣を静かに抜き放った。


陽光すらすべて吸収するような漆黒の刀身。


(ちょ、ちょっと待ってくれ)


レオニスの思考が追いつかない。


何でもいいとは言った。


だが、こんな報酬を想像した者など一人もいなかった。


王国最強の勇者。


そして帝國最強の男。


その二人が再び向かい合う。


「あたしの全力でいいんでしょ」


アウレリアは笑った。


迷いはない。


三日間の稽古。


何度も叩き潰された。


それでも立ち上がった。


その成果を見せる機会が来たのだ。


「いいよ。あたしの今出来る全力をみせる」


黒銀の鞘から聖剣が抜かれる。


澄んだ音が草原に響いた。


互いに正面へ立つ。


勇者アウレリア。


そしてヴァルド。


二人は再び剣を交えることになる。


アウレリアの目には恐れよりも期待が宿っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「おい、アウレリア」


「報酬じゃ、拒めないでしょ」


レオニスの制止は、ほとんど反射のようなものだった。


だが、返ってきた答えもまた即答だった。


迷いなど欠片もない。


「しかし、アウレリア」


「そうです、アウレリア」


グラーディスとイシュリアンも続く。


二人とも最後まで言葉にはしなかった。


だが言いたいことは分かる。


今のアウレリアでは勝てない。


いや、勝負にすらならない。


それは誰よりも、この数日で思い知らされた。


イメージ訓練。


剣技。


経験。


精神。


あらゆる面でヴァルドは常識の外側にいた。


運が味方しても覆らない。


奇跡に祈っても届かない。


そう断言できるほどの差があった。


だが、アウレリアは肩をすくめる。


「そういう細かい理由はいらないのよ」


口調はいつも通りだった。


むしろ妙に晴れやかですらある。


負けることを理解していないわけではない。


理解した上で立っている。


それが彼女だった。


戦いは好きではない。


面倒事も嫌う。


出来ることなら昼寝でもしていたい。


だが。


退くべきでない時に退くことはない。


挑むべき相手から逃げることもない。


レオニスは苦笑した。


忘れかけていた。


勇者としてではない。


アウレリアという少女の本質を。


誰よりも理不尽を嫌い。


誰よりも納得を重んじる。


だからこそ。


自分が認めた相手の期待からは逃げない。


ヴァルドは稽古をつけてくれた。


力の差を見せつけながらも、決して見下さなかった。


その男が望む。


ならば応える。


それだけの話だった。


「みんな、ちょっと離れてて。やりにくいから」


軽い調子で言いながら、アウレリアは歩き出す。


白銀の鎧が陽光を反射した。


腰まで伸びた黒髪のポニーテールが風に揺れる。


一歩。


また一歩。


距離を詰める。


その歩みに迷いはない。


恐怖もない。


緊張すら感じられなかった。


対するヴァルドは動かない。


黒き聖剣を静かに構えたまま、その場に立っている。


見上げる先にいるのは、未だ届かぬ理想そのものだった。


威圧しているわけではない。


殺気を放っているわけでもない。


それでも圧倒される。


ただ存在しているだけで、周囲の空気が支配される。


そんな理不尽な強さ。


グラーディスは無意識に息を呑んだ。


イシュリアンも黙ったまま見守る。


フィデリアは静かに二人を見つめていた。


そして。


ヴァルドが口を開く。


「来い、勇者……」


そこで言葉が止まる。


黄金の瞳がアウレリアを真っ直ぐ捉える。


ほんのわずか。


呼吸一つほどの間。


それから静かに言い直した。


「……いや、アウレリア」


その一言に、空気が変わった。


勇者ではない。


選ばれた存在でもない。


聖剣の担い手でもない。


目の前にいる一人の少女。


その人間に向けられた言葉だった。


アウレリアの口元が少しだけ上がる。


「そう来なくっちゃね」


楽しそうですらあった。


彼女の前に立つ男は、この世界の天井。


誰も届かない高み。


完膚なきまでの敗北を刻まれた相手。


剣を交えたあの日。


力量の差を思い知らされた。


価値観の差を教えられた。


そして今。


再び、その背中に挑む。


勇者アウレリアではない。


アウレリアという一人の人間が。


誰も届かぬ頂へ向かって、剣を構えた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



アウレリアとヴァルド。


教えを受けた者と教えた者。


挑む者と立ち塞がる者。


だが、その場に立つ二人にとって、そんな言葉はもはや意味を持たなかった。


草原を吹き抜ける風が静かに揺れる。


誰も声を発しない。


まるで二人の周囲だけ、別の時間が流れているかのようだった。


レオニスは無意識に息を呑む。


目の前にいるのは、自分たちと同じ旅をしてきた少女だ。


それなのに今、アウレリアは遥か遠い場所に立っているように見えた。


踏み込めない。


理解すら追いつかない。


ただ見届けるしかない。


それはグラーディスもイシュリアンも同じだった。


勇者。


そんな肩書は関係ない。


あそこに立っているのは、アウレリアという一人の人間だった。


フィデリアは静かに目を閉じる。


そして再び開いた。


裁定者としてではない。


選定者を見る存在としてでもない。


ただ一人の少女として。


アウレリアを見届けるために。


胸の前で指を組み、祈るように視線を向ける。


沈黙の中で鼓動だけが大きく響いていた。


アウレリアはゆっくりと息を吸う。


肺を満たし。


吐き出す。


何度も繰り返した呼吸。


何度も繰り返した構え。


両手で聖剣を握り締める。


正眼。


最も基本的な構え。


だからこそ誤魔化しが利かない。


その口元に小さな笑みが浮かんだ。


小細工はいらない。


今の自分に出来る全てをぶつける。


その意思が瞳に宿っていた。


強者への敬意。


越えるべき壁への挑戦。


善も悪もない。


ただ純粋に強さを求める心。


それこそがアウレリアだった。


王国が認めた勇者。


フィデリアが選んだ少女。


そして何より。


自らの意志で前へ進み続ける人間。


対するヴァルドは微動だにしない。


黄金の瞳が静かにアウレリアを映している。


試すようでもない。


見下すようでもない。


ただ真っ直ぐに。


一人の剣士として向き合っていた。


次の瞬間。


アウレリアが踏み込んだ。


地面が弾ける。


白銀の軌跡が走る。


それに応じるように、黒き聖剣が振るわれた。


二つの剣が衝突する。


轟音。


空気が震えた。


衝撃波が草原を駆け抜ける。


グラーディスたちは反射的に目を見開いた。


互いの剣は空中で停止していた。


つばぜり合い。


かつての戦いではあり得なかった光景。


最初に剣を交えた時。


アウレリアは何も出来なかった。


受けることも。


抗うことも。


剣ごと叩き伏せられた。


だが今は違う。


真正面から受け止めている。


押し負けてはいない。


ほんの一瞬。


それだけの時間。


それでも確かに届いた。


ヴァルドの黄金の瞳が僅かに細められる。


「……報酬はもらい受けた」


静かな声だった。


同時に力が消える。


ヴァルドは剣を引き、自然な動作で鞘へ納めた。


戦いは終わった。


あまりにも短い。


だが誰も軽い戦いだったとは思わない。


アウレリアは大きく息を吐く。


全身が悲鳴を上げていた。


思わず聖剣を杖代わりにする。


それでも膝はつかなかった。


顔を上げる。


そして目の前の男へ笑みを向けた。


「……まだまだ、高くて、遠いな……」


悔しさはある。


だが敗北感はない。


越えるべき壁が、まだそこにある。


だから前に進める。


そんな笑顔だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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