……表現するなら
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝の森には薄い霧が残っていた。
木々の隙間から差し込む光は柔らかく、昨日までの激しい戦闘や疲労が嘘だったかのような静けさを作り出している。
もっとも、その静けさの裏側で行われた出来事は、決して笑い話ではなかった。
アウレリア、グラーディス、イシュリアン。
三人は朝一番でフィデリアへ頭を下げていた。
「申し訳ありませんでした」
「弁解の余地もない」
「まさか寝落ちするとは……」
普段は冷静なグラーディスとイシュリアンが、揃って肩を落としている。
本来、フィデリアの護衛は最優先事項だ。
それを戦闘で敗北したわけでもなく、負傷したわけでもなく、眠ってしまった。
理由が理由だけに余計に堪える。
前代未聞と言ってよかった。
もっとも、当のフィデリアも途中から眠っていた。
レオニスも例外ではない。
だから責めるつもりなどなかった。
むしろ問題は別にある。
昨夜、誰が歩哨をしていたのか。
その答えは一人しかいない。
「昨夜はありがとうございました」
フィデリアが丁寧に礼を述べる。
その言葉に対する返答は、実に簡潔だった。
「かまわん」
ヴァルドはそれだけ言った。
恩着せがましさもない。
疲れた様子もない。
まるで夜通し起きていた事実そのものが存在しないかのようだった。
その後、一行は再び森を進む。
ヴァルドの選ぶ道は驚くほど歩きやすかった。
危険な地形を避け。
魔物の縄張りも外し。
必要なら立ち止まり、レオニスが地図を書き込む時間まで作る。
説明は少ない。
だが助言は的確だった。
まるで長年この森を管理している案内人のようである。
「何なのでしょうか、あの方は……」
ぽつりと漏らしたのはイシュリアンだった。
少し前を歩く銀髪の背中を見ながら呟く。
「悔しいが、今の私達では量れそうにない」
グラーディスも同意した。
理解できない。
それが率直な感想だった。
彼らにとってヴァルドは敵だ。
帝國最強。
王国を脅かす存在。
そう認識していた。
だが実際に接した男は違う。
圧倒的な力を持ちながら傲慢さがない。
敵である自分たちを見下さない。
礼節を失わない。
そして弱者を見捨てない。
何より恐ろしいのは、その力だ。
もし本気になれば王国一つ滅ぼせる。
それは決して誇張ではない。
アウレリアの聖剣解放。
あれと同等の力を扱える存在なのだから。
だが、そんな男が王国を攻める気配はない。
王国は帝國を敵視している。
それでもヴァルドは王国を敵とは見ていない。
その温度差が理解できなかった。
「……表現するなら」
イシュリアンが考え込む。
そして慎重に言葉を選んだ。
「“勇者”というものなのでしょうか」
強さを持ちながら驕らない。
敵にさえ敬意を払う。
弱きを助ける。
物語に出てくる理想の英雄。
そう呼ぶしか思いつかなかった。
「その表現は勘弁してもらいたいがな」
グラーディスは苦笑した。
だが否定もしない。
心のどこかで同じことを考えていたからだ。
その時だった。
「いえ」
静かな声が響く。
フィデリアだった。
珍しく自分から会話に加わる。
皆の視線が集まった。
「あの方は、おそらくそういうものではないと思います」
言葉は穏やかだった。
だが断定に近い響きがあった。
理由を説明することはなかった。
ただ金色の瞳を持つ男の背中を見つめる。
フィデリアにはわかる。
ヴァルドは勇者ではない。
英雄でもない。
あまりにも高い場所に立っている。
強いから孤独なのではない。
誰も隣に立てないほど遠くへ行ってしまった。
だから孤独なのだ。
誰かを守れる。
誰かを導ける。
それでもなお、誰とも並べない。
そんな在り方。
森の中を歩く銀髪の背中は近い。
手を伸ばせば届く距離にいる。
それなのに。
その姿だけが、どこまでも遠く見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「結局、こうなるのか」
レオニスは半ば呆れながら呟いた。
朝の訓練の時間。
ヴァルドがアウレリアに行う稽古が始まろうとしていた。
だが、昨日とは状況が違う。
「私も参加させてもらいたい」
「私もです、お願いします」
グラーディスとイシュリアンが揃って名乗りを上げたのである。
その瞬間、アウレリアが露骨に顔をしかめた。
「あたしの貴重な稽古なんだぞ!」
珍しく不満を口にする。
よほど昨日の経験が刺激になったらしい。
もっとも、その抗議に意味はなかった。
ヴァルドは拒否しなかったからだ。
結果として三人同時の訓練となった。
「出来るんですか?」
レオニスは純粋な疑問を口にした。
昨日まで、この訓練はアウレリアだけが使える特殊な技術だと思っていた。
すると二人は平然と答えた。
「昨日、練習したから問題ない」
「問題ありません」
息の合った返答だった。
レオニスは思わず額を押さえる。
よく考えれば当然だった。
グラーディスもイシュリアンも王国最高峰の才人である。
一度見ただけで理解しても不思議ではない。
むしろ、それが出来ない方がおかしいのかもしれなかった。
訓練は始まった。
昨日と同じ。
向かい合って立つだけ。
傍から見れば何も起きていない。
だが、その場に流れる空気だけが異様だった。
ヴァルドは片手を剣の柄に添える。
三人は武器を構えた。
そして静寂。
最初に崩れたのはイシュリアンだった。
わずか一分。
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
続いてグラーディス。
三分。
額から汗を流しながら聖盾を杖代わりにして耐えるが、それ以上は持たなかった。
最後まで立っていたのはアウレリアだった。
しかし七分後。
ついに聖剣へ体重を預ける。
昨日より二分長い。
「……ありがとう、ご……ざいました……」
それだけだった。
礼を言い切るのが限界。
それ以上の言葉は出ない。
肩は大きく上下し、呼吸を整えることすら苦しそうだった。
グラーディスとイシュリアンに至っては声も出せない。
ただ必死に酸素を求めている。
一方で。
ヴァルドだけは何も変わらない。
今日は昨日と違う。
聖剣ではない方の剣を抜いていた。
もう一本の剣。
それだけ段階を上げたのだろう。
それでも息一つ乱れていない。
剣を鞘へ収める動作すら流麗だった。
髪も乱れていない。
衣服にも乱れがない。
まるで散歩でもしていたかのようだった。
(……強すぎる)
レオニスの感想は、それ以上の単語が出てこなかった。
理解の範囲を超えている。
分析も比較も意味がない。
王国最強クラスの三人が揃って挑み。
その結果がこれだ。
強さという概念そのものが違う。
そんな感覚だった。
だからこそ。
レオニスは別の疑問を口にした。
戦いではなく。
知識ならば聞けるかもしれないと思った。
「魔王国は、なぜ魔王国と呼ばれるのでしょうか?」
何気ない質問だった。
期待もしていない。
単なる好奇心だった。
ヴァルドも特に秘密でもないように答えた。
「かつて魔王がいて、魔王が建国した国だからだ」
あまりにも当然のような口調だった。
だが、その一言に全員の視線が集まる。
魔王が建国した国。
王国では伝承の中にしか存在しないの謎の異国。
その名が、まるで歴史上の王のように語られたからだ。
レオニスは思わず息を呑む。
それは単なる魔王国の歴史ではない。
おそらく王国。
そして帝國。
自分たちが生きる世界そのものに繋がる話なのだと、直感的に理解していた。
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