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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
116/135

純粋な敗北感

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



時間が止まった。


世界が凍った。


少なくとも、その場にいた者たちはそう錯覚した。


グラーディスも。


イシュリアンも。


レオニスも。


そしてフィデリアでさえも。


勇者が最大の敵かもしれない男へ土下座している。


そんな光景を誰が想像できただろうか。


沈黙の中で、最初に口を開いたのは当事者ヴァルドだった。


「何と言った?」


声色は変わらない。


怒気もない。


威圧もない。


ただ確認するような口調だった。


レオニスは逆に感心してしまった。


この状況で平静を保てる精神力と胆力は、もはや尊敬に値する。


アウレリアは額を地面につけたまま答える。


「あたしに修行というか、稽古をつけて欲しい」


一度言葉を切る。


そして言い直した。


「いえ……稽古をつけてください」


先ほどまでの軽さはない。


そこには明確な覚悟があった。


周囲の視線など意に介していない。


恥も外聞も捨てている。


アウレリアを知る者ほど理解できた。


彼女は本気だ。


本気だからこそ頭を下げている。


だから余計に理解できない。


レオニスは思う。


普通はやらない。


というより、やれない。


相手は自分を殺しかけた男なのだ。


それでもアウレリアは迷わなかった。


ヴァルドはしばらく彼女を見下ろしていた。


やがて静かに言う。


「お前は十分強い。なぜ力を求める」


その場にいた全員が息を呑んだ。


十分強い。


その評価の重みを理解できない者はいない。


ヴァルドが認めた。


あのヴァルドが。


戦場の神と呼んでもおかしくない男が。


勇者アウレリアを強者だと断言した。


本来なら誇るべき言葉だった。


だがアウレリアは顔を上げない。


むしろ苦しそうに唇を噛んだ。


「……駄目なんだ」


声が震える。


珍しいことだった。


彼女が迷いを見せることは少ない。


「駄目だったんだよ」


誰に言うでもなく呟く。


あの日の記憶が蘇る。


圧倒的な力。


覆せない差。


どう足掻いても届かなかった背中。


「……あの時、思ったんだ」


アウレリアは拳を握る。


土が指の間からこぼれ落ちる。


「いざって時」


そして顔を上げた。


真っ直ぐにヴァルドを見る。


恐怖も。


怯えも。


そこにはなかった。


「あんたでも止められるくらいの力を身につけないといけない」


誰も声を出せなかった。


無茶苦茶だった。


常識で考えれば成立しない願いだ。


お前を倒したい。


だからお前が力を貸せ。


そう言っているのと変わらない。


グラーディスの表情が強張る。


イシュリアンも聖杖を握る手に力を込めた。


レオニスは胃が痛くなった。


言ってはいけないことを言った。


そう思った。


だがヴァルドは怒らない。


否定もしない。


静かに腰の剣へ手を添えた。


鞘に収まったままの長剣。


それだけの動作なのに空気が変わる。


重くなる。


息苦しくなる。


生き物としての本能が警鐘を鳴らしていた。


それでもアウレリアは目を逸らさない。


ヴァルドもまた視線を外さない。


長い沈黙が続いた。


やがて。


「続けろ」


低い声が響いた。


拒絶ではない。


だが許可でもない。


試すような声だった。


アウレリアとヴァルド。


二人の間に見えない刃が走る。


その場にいた誰もが理解した。


今交わされているのは会話ではない。


力を持つ者同士の問い掛けだった。


そして、その緊張はさらに深まっていく。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「あんたは、まだ剣を止めてくれる」


アウレリアは顔を上げない。


額を地面につけたまま、言葉だけを絞り出した。


「だけど、そんな奴ばっかりじゃないと思っている」


「そんな時、あたしは力がないばっかりに、止められないことが嫌なんだ」


「そして、今のあたしには、そんな力がないことが嫌なんだ」


最後の言葉は小さかった。


しかし、その場にいる全員にははっきりと聞こえた。


強さを誇る勇者が、自らの無力を認めている。


それは誰よりも重い告白だった。


レオニスは静かに息を吐いた。


ようやく理解したのだ。


アウレリアは負けたことが悔しいのではない。


守れなかった可能性が悔しいのだ。


体面でもない。


名誉でもない。


その先にいる誰かを守れなかった未来が許せない。


だから頭を下げている。


勇者としてではなく、一人の少女として。


しかし、ヴァルドの返答は予想とは違った。


「お前が自分のために力を求める考え方は、正しい」


その言葉にアウレリアの肩が僅かに動く。


肯定された。


誰もがそう思った。


だが次の言葉が続いた。


「……だが、誰かの為に使うとしたら、正しくはない」


空気が張り詰める。


ヴァルドの黄金の瞳は微動だにしない。


「自分の力を使う時、自分の意思を手放し、誰かのためという大義名分に預けるな」


誰も意味を理解できなかった。


フィデリアも。


グラーディスも。


レオニスも。


そしてアウレリアも。


だからこそ叫んだ。


「どういうことよ!」


顔を上げたアウレリアの声には苛立ちが混じっていた。


ヴァルドは答える。


まるで昔の出来事を思い返すように。


「例えば、私と戦った槍使いの男だ」


その瞬間、全員の脳裏に同じ人物が浮かんだ。


ゼルハイン。


仲間を逃がすためにヴァルドへ挑んだ男。


「……」


誰も言葉を発せない。


ヴァルドだけが続ける。


「あの男は、お前たちに悔いを託すために私へ挑んだのでは決してない」


静かな声だった。


だが、その一言には揺るぎない確信があった。


「誰かに強制されたからでも、使命でもない」


「自分で決断し、自分で選び、自分の魂で私に吠えた」


「だから私は敬意を持った」


そこでヴァルドは剣を抜いた。


鞘から滑り出た銀の刀身が陽光を反射する。


一瞬で周囲の空気が変わった。


誰も動けない。


ただ見守るしかない。


その剣先はアウレリアへ向けられていた。


「もしお前が」


ヴァルドの声が低くなる。


「自分の力不足を理由に、あの男の決断を理解せず背負おうとするなら」


「自分が代わりに果たしてやるなどと考えるなら」


「それはあの男の魂を侮辱する行為だ」


静寂が落ちた。


誰も反論できなかった。


ゼルハインは誰かのために命を使ったのではない。


自らの意思で戦い。


自らの意思で敗れた。


それが戦士としての矜持だった。


「あの男の決断と魂を汚すと言うのであれば」


ヴァルドの瞳が真っ直ぐアウレリアを射抜く。


「私はお前を斬らねばならん」


アウレリアは言葉を失った。


反論できない。


悔しいほどに理解してしまったからだ。


そして、しばらくの沈黙の後。


ぽつりと呟く。


「……なんだよ、それ」


その声には怒りもなかった。


皮肉もなかった。


ただ純粋な敗北感だけがあった。


「まるで、あんたの方がゼルをわかってるみたいじゃないか」


レオニスは息を呑んだ。


その言葉こそが敗北宣言だった。


勇者アウレリアはまた負けた。


剣ではない。


力でもない。


生き方で。


覚悟で。


器で。


ヴァルドという存在に負けた。


だが。


アウレリアは目を逸らさなかった。


負けを認めたまま立ち上がる。


そして真っ直ぐにヴァルドを見上げた。


その瞳には、もう迷いはなかった。


「改めてお願いします」


深く頭を下げる。


今度は逃げるためではない。


認めるためでもない。


学ぶためだ。


「あたしに稽古をつけてください」


ヴァルドはしばらく沈黙した。


やがて剣を鞘へ戻す。


金属音が静かに響いた。


そして、小さく頷いた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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