それは動かしようもない事実
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まるで名案を思いついた子供のようだった。
いや、本人の中では既に結論が出ているのだろう。
満面の笑みでヴァルドを案内役に推薦したアウレリアに対し、その場にいた事情を知る者たちは一斉に頭を抱えた。
最初に動いたのはレオニスだった。
「……あの、ヴァルド様。失礼ながら少々お時間をください」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
人生で一番間抜けな声だったかもしれない。
驚愕。
困惑。
恐怖。
頭痛。
様々な感情が渦を巻き、整理が追いつかない。
「レオニス、私も一緒に行きます」
横からイシュリアンも即座に加わった。
その表情は珍しく感情が表に出ている。
冷静な聖導師がここまで露骨に動揺するのも珍しかった。
「え、ちょっ――」
言い終える前に、アウレリアの両腕が掴まれる。
そのまま引きずられるように連行された。
ヴァルドから十分に距離を取ったところで足が止まる。
そして。
尋問が始まった。
「何考えてんだ、アウレリア!」
「そうです。アホですか、貴方は!」
珍しくレオニスとイシュリアンの意見が完全に一致していた。
敵に道案内を頼む。
常識的に考えて意味がわからない。
しかも相手はヴァルドだ。
帝國最強。
かつて自分たちを絶望の底へ叩き落とした存在。
さらに言えば、アウレリア自身がその剣で斬られ、死の淵まで追い込まれている。
普通なら警戒する。
恐怖する。
距離を取る。
だが、この勇者は違った。
「いや、まあ、そうなんだけど」
アウレリアは頭を掻く。
少し困ったような顔をした。
だが、その目には確かな確信がある。
「ちゃんと考えた結果だから」
その言葉に二人は顔を見合わせた。
嫌な予感しかしない。
「理由その一」
指を一本立てる。
「めっちゃ強いから」
身も蓋もなかった。
「敵にするくらいなら、依頼して一時的にでも味方にした方が安全でしょ」
「……まあ」
イシュリアンが眉間を押さえる。
「それは確かにそうですが」
反論できなかった。
ヴァルドが敵として動いた場合。
この場にいる誰も止められない。
アウレリアですら足止めが可能か怪しい。
少なくとも今は敵意を見せていない。
ならば味方側に引き込む方が合理的。
理屈だけなら正しい。
非常に悔しいが。
「理由その二」
さらに指を立てる。
「魔の森は危険だから、フィデリアとレオニス守りながら進むのは人手不足でしょ」
アウレリアは当然のように言った。
「実力に不足はないと思うのよ」
「不足なんて言葉を使うこと自体がおこがまし過ぎるよ」
レオニスは遠い目になった。
戦力評価などできる相手ではない。
王国最強戦力であるアウレリアですらまるで届かない。
比較対象そのものが存在しない男だ。
「……それも否定できません」
イシュリアンも認めるしかなかった。
そしてアウレリアは最後の指を立てる。
「理由その三」
どこか得意げだった。
「魔の森をフィデリアが通れるルートの案内なら、あたしより信用できると思わない?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「それは動かしようもない事実だ」
「それは動かしようもない事実ですね」
二人の声が完全に重なった。
即答だった。
迷いすらない。
レオニスもイシュリアンも、アウレリアの案内能力に絶大な不信感を持っていた。
彼女は魔の森を踏破している。
それは事実だ。
だが、その過程が問題だった。
地図もない。
目印もない。
直感で進んだ。
本人はそれで到着した。
しかし、それを他人が再現できるとは誰も思わない。
むしろ再現できたら奇跡である。
少なくともフィデリアを連れて歩く道案内としては不適格だ。
「ほら」
アウレリアは勝ち誇ったように胸を張った。
「ちゃんと考えてるでしょ?」
レオニスとイシュリアンは同時にため息を吐いた。
確かに理屈は通っている。
通っているのだが。
最大の問題だけが残っていた。
――相手がヴァルドである。
その一点だけが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヴァルド様、もう少々お待ちください」
「グラーディス様、ちょっとこっちまで来てください」
レオニスは半ば強引にグラーディスの腕を引いた。
「いや、レオニス。フィデリア様を一人にする気か」
「大丈夫です。だから来てください」
グラーディスは露骨に不満そうな顔をした。
だがレオニスは引かなかった。
ヴァルドの前にフィデリアを残すことになる。
本来ならあり得ない判断だ。
しかし相手はヴァルドである。
彼が本気で敵意を向ければ、この場にいる全員を守る方法など存在しない。
フィデリアだけを離したところで結果は変わらない。
ならば今は別のことを優先すべきだった。
フィデリアも戸惑ったような視線を向けてきた。
何をしているのですか。
そんな無言の抗議だった。
レオニスは申し訳なさそうに肩をすくめる。
すいません。
少しだけ時間を稼いでください。
その意思だけを視線で返した。
結果として。
周囲に護衛や関係者はいるものの、フィデリアとヴァルドだけが静かに向き合う形になった。
不思議な光景だった。
帝国最強の男。
王国が最も警戒すべき存在。
その男と姫巫女が、まるで旧知の相手のように会話を始めている。
「彼らが何を考えているかは知らないが」
ヴァルドは落ち着いた声音で言った。
「少なくとも、“今は”君たちと敵対する気はない」
敵意も殺意も感じられない。
だからこそ逆に不気味だった。
「いずれはアウレリア達と敵対するという意味なのですね」
フィデリアは真っ直ぐに問い返した。
ヴァルドは少しだけ視線を動かす。
その先には離れた場所で何やら揉めているアウレリア達の姿があった。
「敵対するとしたら、おそらく彼らだ」
「私ではない」
「どういう意味ですか」
「“選定者”と“守護者”の本能が、“裁定者”を守るために動く」
静かな言葉だった。
だがフィデリアには重く響いた。
「彼らが自身に宿した“力”がそうさせる」
「儀式の規定だからな」
その瞬間だった。
「それが……“神卸し”なのですか」
言葉が自然と口から出た。
そしてフィデリア自身が驚く。
今までなら語れなかった。
理解していても、口にしようとすると制限されていたはずの情報。
それが問題なく発せられた。
禁則事項に触れていない。
いや。
正確には、ヴァルドに対しては禁則事項として扱われなかった。
フィデリアは息を呑む。
確信に近いものが生まれていた。
ヴァルドは選定の儀式を知っている。
しかも断片ではない。
内部構造まで理解している。
神卸し。
それは選定の力を扱うための儀式。
選定者や守護者に“神”を宿し、その力に耐えうる器へと変える工程。
聖剣。
聖盾。
聖杖。
その真価を引き出すために必要なもの。
同時に。
彼ら自身が儀式の一部へ組み込まれることも意味していた。
だからこそフィデリアには分からない。
目の前の男だけが。
どうしてそこに存在しているのか。
「教えてください」
フィデリアは静かに言った。
「あなたは何なのですか」
初めてだった。
裁定者としてではなく。
一人の人間として知りたいと思った。
選定の儀式を知る者。
聖剣を持つ者。
それでいて儀式の中に存在しない者。
フィデリアの知識のどこにも当てはまらない存在。
だから異質だった。
だから理解したかった。
ヴァルドはしばらく沈黙した。
黄金色の瞳がどこか遠くを見る。
まるで長い時間の先を思い出すように。
やがて小さく口を開いた。
「私は」
その声は変わらず静かだった。
「私の事情で動いている」
ヴァルドは僅かに目を伏せた。
長い年月を思い返すような沈黙。
そして静かに口を開く。
「それだけだ」
フィデリアの問いに対する答えとしては、あまりにも曖昧だった。
だがヴァルドはそれ以上語ろうとはしない。
その横顔には。
隠しているというより、語る意味がないと考えている者の静けさだけがあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あなたに私たちの水先案内を頼みたい。もちろん、我々に出来る限りの謝礼は出します」
グラーディスの声には、隠し切れない緊張があった。
それでも背筋は伸びている。
王国第三王子としての威厳だけは崩していなかった。
だが、相手はヴァルドである。
かつて彼らを絶望の底へ叩き落とした男。
そして今なお勝率など存在しないと断言できる怪物だった。
ヴァルドは静かに問い返す。
「なぜ、私にそんなことを頼む?」
拒絶ではない。
しかし歓迎でもない。
ただ純粋な疑問だった。
レオニスは内心で額を押さえたくなった。
やはり無理がある。
自分たちは彼を敵と考えている。
ならばヴァルドもまた、自分たちを敵と見なしていて不思議はない。
そんな相手を、自らの旅へ招き入れる。
常識的に考えれば成立しない話だった。
空気が張り詰める。
その時だった。
「ヴァルド。私からもお願いします。力を貸してください」
声を上げたのはフィデリアだった。
その場にいた者たちが息を呑む。
フィデリアが自ら頭を下げたのである。
グラーディスも。
イシュリアンも。
一瞬だけ言葉を失った。
彼らの認識では、ヴァルドが最も警戒している相手はフィデリアである可能性が高かったからだ。
だがヴァルドは何も言わない。
ただ静かにフィデリアを見つめていた。
その黄金の瞳には奇妙な色が宿っている。
レオニスには説明できない。
敵意ではない。
警戒でもない。
まるで遠い昔の何かを思い出しているような眼差しだった。
「フィデリアと、そちらの彼を同行し、森を抜ければいいんだな」
静かな了承。
その言葉に、一同の肩から力が抜けた。
空気が緩む。
レオニスは逃さず口を挟んだ。
「できれば、徒歩で常人が抜けられるルートでお願いします」
わずかに。
本当にわずかに。
ヴァルドの眉が動いた。
「なぜだ?」
問われて、レオニスは少しだけ迷った。
だが誤魔化しても意味はない。
だから正直に答える。
「……いずれ、魔王国と我々が共存する時に必要だからです」
実現できる保証はない。
夢物語かもしれない。
それでも道だけは残しておきたかった。
人が通れる道を。
争い以外の選択肢を。
その視線はレオニスからフィデリアへ移る。
そして再びレオニスを見る。
そして短く答えた。
「……承知した」
その一言だけで十分だった。
レオニスは心底安堵した。
グラーディスも小さく息を吐く。
イシュリアンも警戒は解いていないが、表情は僅かに和らいでいた。
ようやく話がまとまった。
そう思った。
本当に、ここで終わっていれば良かった。
「あっ!」
元気な声が響く。
嫌な予感しかしない。
全員が同時に声の主を見た。
案の定だった。
アウレリアである。
彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「やった!それなら、あたしも、ついでにお願いしたいことがあるんだ」
その場の空気が再び凍る。
アウレリアは気付いていない。
あるいは気付いていても気にしていない。
嫌な予感は更に増した。
レオニスだけではない。
イシュリアンも同じ顔をしていた。
そして次の瞬間。
勇者は地面に両手をついた。
勢いよく頭を下げる。
完璧な土下座だった。
「一緒にいる間だけでいいので、あたしに修行をつけてください!」
沈黙。
長い沈黙。
誰も言葉を発せなかった。
勇者が。
王国最強の切り札が。
最大の脅威かもしれない相手に頭を下げている。
レオニスは思った。
もしかすると。
この場で最も恐ろしいのはヴァルドではなく、アウレリアなのではないかと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




