予期せぬ再会
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
城塞都市の会議室には重苦しい空気が漂っていた。
魔の森を目前に控えた今、巡礼使節団は最終的な行動方針を決定しようとしている。
しかし、その内容は多くの者にとって受け入れ難いものだった。
「どういうことだ、グラーディス王子!」
机を叩きながら怒鳴ったのは第一王子派の貴族だった。
「直前で計画変更など、横暴が過ぎます!」
「説明を求めます!」
第二王子派の者たちも次々と声を上げる。
グラーディスは騒ぎ立てる彼らを見渡した。
表情は穏やかだったが、その金色の瞳には揺らぎがない。
「何度でも説明しよう」
静かな声だった。
しかし不思議と会議室全体に響く。
「初回の魔の森探索には、私、イシュリアン、アウレリア、フィデリア様、そして文官一名のみで挑む」
再び室内がざわついた。
当然の反応だった。
この遠征には百名を超える人員が参加している。
その大半を待機させると言われれば不満も出る。
だがグラーディスは続けた。
「魔の森の地図は存在しない」
「正確には存在していても使い物にならない」
冒険者たちが残した断片的な記録。
狩人たちの経験談。
それらは大量にある。
しかし統一された情報ではない。
昨日安全だった場所が今日も安全とは限らない。
そんな場所だった。
「まずは安全な進行路を確保する必要がある」
「そのための先遣隊だ」
理屈は理解できる。
しかし感情は別問題だった。
「勇者がいるではありませんか!」
誰かが叫んだ。
「勇者殿が道を切り開けば済む話でしょう!」
その言葉にレオニスは思わず目を閉じた。
嫌な予感しかしなかった。
案の定だった。
「あたしはフィデリアを守るけど」
会議室の隅で退屈そうに座っていたアウレリアが口を開く。
「それ以外を守る義務はないわよ」
静まり返った。
空気が凍る。
アウレリア自身は何も気にしていない。
事実を言っただけだからだ。
しかし聞かされた側は違う。
貴族たちの顔が見る見るうちに険しくなる。
「なっ……!」
「勇者ともあろう者が!」
「王国の民を見捨てるというのか!」
非難の声が飛ぶ。
だがアウレリアは首を傾げた。
「見捨てる?」
本気で意味が分からないという顔だった。
「自分で危険な場所に行くって言ってるのは、あんたたちでしょ」
あまりにも正論だった。
だからこそ余計に反感を買う。
「守られて当然と思う方がおかしくない?」
追撃だった。
貴族たちの顔色が赤くなる。
レオニスは額を押さえた。
この少女は敵を作る才能だけは本当に天才的だ。
もっとも。
アウレリアに悪意はない。
彼女は最初からそういう人間だった。
守るべき相手は全力で守る。
しかし、自分の責任ではないものまで背負おうとはしない。
それは冷酷ではなく、一種の誠実さだった。
無責任な約束をしないだけだ。
「十分だ」
グラーディスが声を上げた。
場の空気が引き締まる。
「決定事項である」
それ以上の反論は許さない。
王子としての威厳を含んだ一言だった。
会議はそれで終了となった。
だが不満までは消えない。
会議室を去る貴族たちの目には明らかな怒りが宿っていた。
レオニスはその背中を見送りながら嫌な予感を覚える。
魔の森よりも厄介なのは、人間かもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎった。
そしてこの時。
誰も気付いていなかった。
アウレリアの何気ない一言が、後に起こる予期しない事件の火種になろうとしていることを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
予期しない事件は、驚くほど早く起きた。
グラーディスが少数精鋭による先行調査を宣言した翌日だった。
第一王子派と第二王子派に属する貴族たちが、命令を無視して魔の森へ侵入したのである。
「馬鹿どもめが!」
珍しく感情を露わにしたグラーディスの怒声が響いた。
本来ならば放置してもよかった。
命令違反だ。
危険地帯への無断侵入だ。
自業自得と言われても仕方がない。
だが問題は、その手段だった。
彼らは町で腕利きと評判の狩人を捕らえた。
さらに、その家族まで拘束した。
従わなければ家族の命は保証しない。
そう脅し、水先案内人として森へ連行したのである。
机に置かれた茶器が握力だけで軋んだ。
「恥さらしめ!」
グラーディスの怒りは当然だった。
実行したのは直属の配下ではない。
それでも外から見れば王族派閥の人間だ。
王家の名を利用して民を脅した事実は消えない。
普段は穏やかな第三王子の激怒に、その場の兵士たちまで顔色を変えていた。
レオニスは内心でため息を吐く。
彼らを擁護する気はなかった。
だが、なぜそんな愚行に走ったのかは理解できた。
(……まぁ、必死なんだろうけど)
原因は単純だった。
今のグラーディスは成功し過ぎている。
王国史上初の聖地巡礼達成。
勇者一行の中核。
さらに第三王子という立場。
王都では彼の名声が急速に広がっていた。
だが当人には、その自覚がほとんどない。
そこが厄介だった。
グラーディス自身にとって前回の旅は失敗の連続だった。
帝国軍との戦いでは判断を誤った。
戦闘種族との死闘ではアウレリアに救われた。
そしてゼルハインを失った。
失ったものばかりが記憶に残っている。
だからこそ、自分が称賛される理由が理解できていない。
しかし周囲は違う。
人は結果を見る。
王都の貴族たちも結果を見る。
そこに至る苦悩など興味はない。
重要なのは誰が次の権力者になるかだ。
第一王子か。
第二王子か。
あるいは第三王子か。
日和見の貴族ほど敏感だった。
勝ち馬を探すことに。
そして勝ち馬だと判断すれば、我先に飛びつく。
今回の暴走もその延長線上にある。
派手な成果を持ち帰れなければ、グラーディス派に負け、自分たちは失墜する。
そう考えたのだろう。
(わかるけどさ)
レオニスは肩を落とした。
(そういう権力争いは王都でやってほしいんだけど)
現場でやられると迷惑でしかない。
しかも相手は魔の森だ。
失敗すれば死人が出る。
そんな中で動いたのはアウレリアだった。
「連れ戻してくる」
それだけ言い残し、一人で森へ入っていった。
そして半日後。
彼女は本当に狩人の親子を連れ戻してきた。
幸い命に別状はない。
拘束されていた父親も、その子供も無事だった。
ここまでは良かった。
本当に良かった。
問題は、その後ろだった。
「なんでアウレリアは毎回大物を拾ってくるんだ」
レオニスは腰を抜かした。
アウレリアの後方から、一人の男が歩いてくる。
高身長。
静寂だが圧倒的な存在感。
その顔を見た瞬間。
その場にいた数人の表情が凍り付いた。
忘れられるはずがない。
忘れたくても忘れられない。
かつて自分たちを絶望の底へ叩き落とした男。
帝国戦闘種族。
おそらく最高峰。
――ヴァルド。
その名が脳裏に浮かんだ瞬間、空気そのものが張り詰めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ありがとうございます、冒険者様!」
狩人の男性が何度も頭を下げた。
その隣では幼い子供も満面の笑みを浮かべている。
「ありがとう、冒険者のお兄ちゃん!」
無邪気な声だった。
呼ばれた男は静かに目を細める。
「そうか。良かったな」
穏やかな声音だった。
ヴァルドはしゃがみ込み、子供の頭を優しく撫でる。
その仕草に威圧感はない。
戦場で見せた冷徹な強者の顔もない。
ただ困っている者を助けた旅人にしか見えなかった。
「ママ!」
そこへ一人の女性が駆け寄る。
母親だった。
女性は子供を抱き締めた。
失う寸前だった存在を確かめるように。
子供は苦しそうにしながらも笑っている。
女性は涙を流し続けた。
「ありがとう……ありがとう……」
何度も。
何度も。
言葉にならない声で感謝を繰り返していた。
誰が見ても心温まる光景だった。
――その相手がヴァルドでなければ。
レオニスの背筋を冷たい汗が流れる。
声が出ない。
ただ目の前の光景を見つめるしかなかった。
まさか。
本当にまさかだった。
(嘘だろ……)
(こんな場所で鉢合わせるなんて……)
後に事情を聞いた結果は単純だった。
勝手に魔の森へ侵入した王国軍。
そこで魔物との戦闘が発生。
なんとか撃退したものの、それが最悪だった。
血の臭いに引き寄せられたのか。
あるいは縄張りを刺激したのか。
次々と魔物が押し寄せた。
まるで暴走した群れ。
小規模なスタンピードだった。
部隊は混乱した。
狩人の親子は、その隙に逃げ出した。
だが運は続かない。
魔物に追いつかれた。
絶体絶命。
そこへ現れたのがヴァルドだった。
彼は魔物を排除した。
それだけではない。
町へ帰るまで危険だからと同行してくれたそうだ。
護衛として。
ただそれだけの理由。
その途中で遭遇したのがアウレリアだった。
話を聞いたレオニスは頭を抱えたくなった。
本来なら最悪の遭遇である。
しかし二人は戦わなかった。
それどころか一緒に町へ戻ってきた。
最初、ヴァルドは親子を引き渡して立ち去ろうとしたらしい。
ところが。
引き留めた人間がいた。
親子ではない。
アウレリアだった。
結果として、
勇者。
おそらく勇者の敵。
狩人の親子。
という意味不明な組み合わせが完成した。
(なんて馬鹿なことをするんだ)
(いや、あいつ本当に馬鹿なのか……?)
レオニスは頭痛を覚えた。
視線を向ける。
ヴァルドは相変わらず落ち着いていた。
敵意はない。
殺気もない。
その佇まいは穏やかすらある。
だが、それが安心材料にはならない。
もし敵意があったなら。
この場にいる者たちは全滅している。
その事実を知っている人間ほど顔色が悪かった。
グラーディスは無言。
イシュリアンも沈黙。
護衛兵たちも状況が理解できず固まっている。
そんな空気など一切読まず。
ある少女が胸を張った。
「皆聞いて!」
アウレリアだった。
満面の笑み。
悪意ゼロ。
善意百パーセント。
だからこそ恐ろしい。
「この人に魔の森の道案内を頼もうと思うの!」
一瞬。
時間が止まった。
「そしたら、安全よ!」
にこりと笑う。
その場にいた事情を知る人間全員の思考が停止した。
誰も言葉を返せない。
あまりにも自然に。
あまりにも当然のように。
勇者アウレリアは、かつて自分たちを絶望へ追い込んだ男を、魔の森攻略の案内人として推薦したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




