魔王国遠征
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レオニスは、ここ数日の出来事を整理するように語り終えた。
部屋には短い沈黙が落ちる。
そして向かいに座るグラーディスの表情を見て、少しだけ苦笑した。
おそらく昨日、自分も同じ顔をしていた。
信じ難い話を聞かされた人間の顔。
理解はできる。
だが理解したくない。
そんな表情だった。
「……複数の魔王がいる社会」
グラーディスが静かに呟く。
「……戦争の火種か」
その言葉には重みがあった。
王国第三王子。
そして勇者の守護者。
立場上、その意味が誰よりも分かる。
レオニスは頷いた。
もしアウレリアの話が事実なら。
王国が討とうとしている魔王とは、人類を滅ぼそうとする邪悪な魔物ではない。
他国の王。
あるいは有力な統治者。
そういう存在である可能性が高い。
つまり――。
王国が向かおうとしている先は、魔物討伐ではない。
国家間戦争だ。
それも相手側から見れば侵略戦争として映る可能性がある。
だが。
「しかし」
グラーディスは小さく首を振った。
「残念ながら王国が止まる理由がないよ」
断定だった。
レオニスも反論できない。
なぜなら証拠がない。
アウレリアの証言。
それだけだ。
物証はない。
文書もない。
使節もいない。
国境すら正式には存在していない。
ただ一人の少女が見てきた景色だけ。
それが真実だとしても、国家を動かす材料にはならなかった。
「グラーディス様のお言葉でもですか」
レオニスが尋ねる。
グラーディスはわずかに笑った。
どこか自嘲の混じる笑みだった。
「私の言葉など、今の状況では響きもしないさ」
第三王子。
確かに高い地位だ。
貴族たちも頭を下げる。
民衆も敬意を払う。
だが。
王国を動かす中心ではない。
国王。
そして法王。
その二人の言葉と比べれば軽い。
あまりにも軽い。
「王国内では、これは魔王を倒す聖戦級の扱いだ」
グラーディスは椅子にもたれた。
ため息すら出ない。
あまりにも当然の結論だったからだ。
魔王出現。
勇者選定。
巡礼の地。
神託。
全ての条件が揃っている。
もはや誰も疑わない。
疑うこと自体が異端に近い。
「このままでは、王国はレオニスが言うように、魔王国に侵略戦争を仕掛ける状況になるだけだろう」
静かな声だった。
だがその内容は重い。
レオニスは思わず視線を落とした。
正義のつもりで始まる戦争。
その先にいるのは魔物ではなく人々。
アウレリアの話を聞いた今、その事実が頭から離れなかった。
「この状況を打開する策はあるかい?」
不意に問われる。
レオニスは顔を上げた。
「グラーディス様、私は軍師とかではなく、文官ですよ」
「意見は重要だよ。いちおう考えておいてくれ」
穏やかな言葉だった。
しかし。
そこにはわずかな期待が混じっていた。
誰か答えを持っていないか。
そんな願いにも似た響きがあった。
レオニスは返事をしなかった。
できなかった。
答えなど思いつかない。
王国は止まらない。
それだけは分かる。
そしてグラーディスには、レオニスには理解しきれない事情があった。
勇者の儀。
その存在である。
自分たちは既にその流れの中に組み込まれている。
第二の巡礼の地が存在する限り。
勇者は進まねばならない。
守護者もまた進まねばならない。
望むかどうかなど関係なく。
まるで見えない鎖に繋がれたように。
二人の間に再び沈黙が落ちた。
迫り来る出征の日だけが、静かに近づいていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何か状況が好転したわけではない。
何か新たな証拠が見つかったわけでもない。
それでも時間だけは平等に流れ、そして出征の日は訪れた。
今回の名目は、前回の巡礼と同じく姫巫女による巡礼使節。
だが実態は違う。
行き先は“魔の森”の奥。
人類未踏とまで言われる魔王国。
そして目的は、そこに存在するとされる“魔王”の討伐だった。
巡礼使節団の団長は聖騎士グラーディス。
代表は姫巫女フィデリア。
その護衛として勇者アウレリアと聖導師イシュリアンが同行する。
さらに文官レオニスをはじめ、補佐官や護衛兵たちが続く。
王国でも選りすぐりの人員だ。
それでも隊列には重苦しい空気が漂っていた。
誰もが理解している。
これから向かう場所は、決して人間の領域ではない。
魔の森。
その名を知らぬ者はいない。
高位冒険者ですら命を落とす魔境。
数多の魔物が跋扈する死地。
そこを越えた先に魔王国がある。
王国の人間にとって、それは伝説や神話の中の話に近かった。
当然、兵たちの顔色も明るくはない。
沈黙する者。
無理に笑う者。
祈りを捧げる者。
誰もが不安を抱えていた。
「皆さん、大丈夫でしょうか」
歩きながらレオニスは隣のイシュリアンへ声を掛けた。
「“魔の森”だけでも好き好んで行きたい一般人などいません」
返答は即座だった。
まるで当然の事実を述べるような口調だった。
「それは、そうですね」
レオニスは苦笑する。
実際その通りだ。
目指している場所は王国最高峰の危険地帯。
しかも今回は森を抜けるだけでは終わらない。
その先にいる魔王との対峙まで想定されている。
前例など存在しない。
成功を保証する実績もない。
あるのは神託だけだった。
「レオニスは、それほど絶望していないのですね」
不意にイシュリアンが言った。
紫の瞳が静かに向けられる。
「一人で行けと言われれば、流石に絶望しますよ」
レオニスは頭を掻いた。
怖くないわけではない。
むしろ恐ろしい。
誰よりも恐ろしいかもしれない。
自分は戦士ではない。
勇者でも聖者でもない。
ただの文官だ。
魔物と戦う力など持っていない。
(……弟への遺書は入念に書いて残したしな)
出発前に何度も書き直した。
財産の整理。
家のこと。
弟への言葉。
我ながら縁起でもないと思ったが、それでも必要だった。
「イシュリアン様はどうなんですか?」
レオニスは逆に尋ねた。
以前の彼女なら、きっと違う答えを返していただろう。
「恐れる事など何もないと、あの旅の前なら言っていたでしょう」
イシュリアンは静かに目を伏せた。
長い睫毛が揺れる。
「今は、そうでもありません」
その声音には、かすかな重みがあった。
最初の巡礼。
そこで見たもの。
経験したこと。
それらは確実に彼女を変えていた。
この世界は思っていたよりも広い。
そして高い。
人が理解できる範囲を遥かに超えた何かが存在する。
それだけは知ってしまった。
だが、その頂がどこにあるのかは未だ見えない。
だからこそ恐ろしい。
未知だからこそ警戒する。
それは聖導師として当然の判断だった。
「まぁ、でも、心強いですよ」
レオニスはふと呟いた。
「何がですか?」
イシュリアンが首を傾げる。
レオニスは小さく笑った。
「いえ、何でもありません」
説明する必要はなかった。
レオニスの視線の先。
そこにはアウレリアがいる。
周囲の重苦しい空気など意にも介さず、先頭近くを歩く少女。
魔の森を単独で踏破し。
魔王国を旅し。
魔王と呼ばれる者たちと交流してきた存在。
無謀で。
非常識で。
理解不能で。
だが不思議と頼もしい。
その背中があるだけで、少しだけ前を向ける気がした。
こうして王国による魔王国遠征。
その過酷な旅路が静かに幕を開けた。
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