魔王は、いるんだよね
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「魔王……いるんだ」
レオニスは呆然と呟いた。
王国の学者たちが存在を議論している相手。
神話や伝承の中で語られる、人類最大の敵。
その実在を証明したのは、学術書でも古文書でもない。
自宅の庭で寝転がっていた少女だった。
しかも王国の勇者である。
状況が意味不明だった。
「まあ、あたしは“二人”くらいしか見たことないけど」
「!?」
レオニスの思考が停止した。
今、聞き間違えただろうか。
二人。
二人と言った気がする。
魔王を数える単位として、あまりにも聞き慣れない数字だった。
(待った)
(今、二人って言ったか?)
アウレリアは首を傾げている。
どうやら本当に何もおかしいと思っていないらしい。
「その“魔王”と話して、教えてもらったんだけどね」
「待て、本気で待って、アウレリア」
レオニスは思わず両手を前に出した。
これ以上進ませてはいけない。
そんな使命感すら覚えた。
話が先に進むたびに世界の常識が壊れている。
「……ごめん。順番に質問させて」
「別にいいけど?」
アウレリアはあっさり了承した。
本人に悪意はない。
だから余計に恐ろしい。
レオニスは大きく息を吸う。
そしてゆっくり吐いた。
文官として培った冷静さを総動員する。
整理だ。
まず整理しなければならない。
そうでなければ脳が焼き切れる。
「魔王は、いるんだよね」
「いるわよ」
即答だった。
迷いも躊躇もない。
その返事だけで王国の歴史学会がひっくり返りそうだった。
「それから、何て言いましたか、アウレリアさん……」
「あたしは“二人”くらいしか見たことないけど」
「そう、それ!」
レオニスは勢いよく指を差した。
ようやく問題の核心に辿り着く。
「今、“二人”って言ったよね!?」
「言ったわよ」
何をそんなに驚いているのか。
アウレリアの顔にはそう書いてあった。
「魔王って、二人いるの?」
「あたしが見たことあるのは二人ね」
「いや、そうじゃなくて」
レオニスは頭を抱えた。
会話が微妙に噛み合わない。
しかし今はそこではない。
「じゃあ、他にもいるの?」
「いるわよ」
あっさり。
本当にあっさりだった。
今日一番の衝撃的事実を、昼食の献立を語るような軽さで言い切った。
レオニスは天を仰いだ。
魔王が存在する。
しかも複数いる。
勇者と魔王。
唯一無二の対立構造だと思っていたものが、根本から崩れていく。
王国の常識。
英雄譚。
神話。
その全てが音を立てて揺らいでいた。
だが。
アウレリアの爆弾発言はまだ終わらない。
「あたしは、魔王国で魔王の一人と一緒に旅をしてたんだけどさ……」
その瞬間。
レオニスは本気で気絶を覚悟した。
魔王がいる。
複数いる。
それだけでも十分だった。
なのに今度は。
勇者が。
未来の勇者が。
魔王と。
一緒に旅をしていた。
そんな言葉を聞かされて正気でいられる人間がいるだろうか。
少なくともレオニスには無理だった。
口が半開きになる。
言葉が出ない。
頭の中で何かが盛大に崩落する音だけが響いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアが語る内容は、レオニスにとって常識の外側にある話ばかりだった。
魔王国を訪れたのは約二年前。
理由は単純。
行ってみたかったから。
それだけだった。
レオニスはその時点で頭痛を覚え始めていた。
普通、人は魔王国へ行こうとは思わない。
ましてや一人で行くなど。
しかし、アウレリアならやりかねない。
これまでの付き合いで、その確信だけはあった。
「まだ見たことのない景色を見たかったのよ」
アウレリアは当然のように言った。
「だから森を抜けたわけ」
「その“森”というのが問題なんだけどね……」
王国と魔王国を隔てる広大な森林地帯。
王国では“魔の森”と呼ばれている。
高位の魔物が無数に棲みつく危険地帯。
冒険者たちが命懸けで挑む場所だ。
生還するだけでも実力者。
希少素材が採れるため、一攫千金を狙う者も多い。
だが同時に、多くの命を飲み込んできた魔境でもあった。
「まあ、森の先にでっかい木があってさ」
アウレリアは手を大きく広げた。
「それを近くで見ようと思ったのよ」
「それで?」
「歩いた」
「うん」
「歩いた」
「うん」
「ひたすら歩いた」
「うん」
「でも全然近づかなかったのよ」
不満そうな顔だった。
レオニスは思わず額を押さえる。
問題はそこではない。
そこへ辿り着くまでの過程である。
だが、本人にその自覚はなさそうだった。
「そこでね」
アウレリアは当時を思い出すように空を見上げた。
「魔物に襲われてる子供がいたのよ」
「子供?」
「うん。だから助けた」
実にアウレリアらしい。
目の前で困っている者がいれば放っておけない。
それはレオニスも知っている。
「それで?」
「その子を送り届けたの」
「うん」
「そこで魔王ロウガと会ったわけ」
「そこが一番重要な部分だよ!」
レオニスは即座に制止した。
「話が飛んだ!」
思わず声が裏返る。
子供を助けた。
送り届けた。
魔王に会った。
その三つの出来事が一続きになる意味が分からない。
「飛んでないわよ」
アウレリアは不思議そうに首を傾げる。
「順番通りじゃない」
「いや、順番の問題じゃないんだ」
レオニスは必死に説明しようとした。
だが上手く言葉にならない。
魔王という存在はもっとこう。
恐怖の象徴であるべきだ。
巨大な城。
無数の強敵。
重厚な玉座。
そういうものではないのか。
少なくとも、迷子を送り届けた先で遭遇する存在ではない。
「事実なんだから仕方ないでしょ」
アウレリアは肩をすくめた。
「良くない」
レオニスは真顔で言った。
「僕の中の世界観が次々と壊れている」
「大げさね」
「大げさじゃないよ」
むしろ必死だった。
魔王は複数いる。
魔王国は存在する。
アウレリアはそこへ行った。
そのうえ魔王と旅までしていた。
今日だけで人生十七年分の常識が崩壊している気がする。
この先を聞けば、さらに何かが壊れるだろう。
そんな確信だけがあった。
それでも聞かなければならない。
魔王国へ向かう以上、その情報は必要だ。
必要なのだが――。
レオニスは深く息を吐いた。
正直なところ。
別の意味で、この先を聞くのが怖くなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ロウガ、確か牙王って通称だったかな」
アウレリアは記憶を探るように空を見上げた。
「立ち寄った先でも、皆に魔王ロウガ様とか、牙王ロウガ様とか言ってたけど、気のいい獣人だったよ」
レオニスは瞬きを忘れた。
今、何かとんでもない言葉を聞いた気がした。
いや。
聞き間違いであってほしい言葉だった。
「うん、慕われてたよ。あたしも、ついでによくしてもらったもの」
「待った。また、待ってよ」
「何よ」
アウレリアは心底面倒そうな顔をした。
だが、レオニスにしてみれば重要な問題だった。
「その人、本当に魔王なの?」
「だって、皆が魔王だって言ってたわよ」
即答だった。
そこに迷いはない。
むしろ何を疑問に思うのか理解できないと言いたげだった。
レオニスは額に手を当てる。
おかしい。
何かがおかしい。
話の辻褄は合っている。
しかし、自分の知る世界とはまるで噛み合わない。
アウレリアが嘘をつく理由はない。
それどころか、この少女は面倒だからという理由で誤魔化しこそすれ、わざわざ作り話をする性格ではなかった。
ならば。
これは事実なのだ。
事実として。
魔王ロウガは存在する。
獣人である。
住民に慕われている。
そして、アウレリアの言葉を信じるなら。
気のいい人物らしい。
レオニスは深く息を吐いた。
そして、考える。
これまでの前提を捨てて。
一から。
何もかも。
王国において魔王とは何か。
それは恐怖の象徴だ。
人を襲う魔物。
人知を超えた魔物。
その頂点。
だからこそ魔王。
だからこそ討伐対象。
そう信じて疑わなかった。
だが、その考えは本当に正しいのだろうか。
そもそも。
王国の人間は魔王国を知らない。
誰も見たことがない。
誰も実態を語れない。
あるのは“魔の森”の情報だけだ。
危険な魔物が棲む森。
多くの冒険者が命を落とした魔境。
だから、その先も危険な土地だと決めつけていた。
だが。
それは単なる思い込みではないのか。
レオニスの脳裏で、一つの仮説が形になる。
魔の森と魔王国は無関係。
ただ間に存在しているだけ。
そして。
魔王とは魔物の王ではない。
魔王国という文化圏における王。
あるいは領主。
統治者。
そういう意味なのではないか。
アウレリアの話は、その仮説なら説明がつく。
住民に慕われる魔王。
旅人を歓迎する魔王。
複数存在する魔王。
それは魔物ではない。
国家の支配者だ。
王国における国王や貴族。
帝国における皇帝や領邦諸侯。
それと同じ存在。
呼び方が違うだけだ。
そう考えれば、全て繋がる。
そして。
繋がってしまった。
レオニスの顔から血の気が引いていく。
もし、その仮説が正しいなら。
王国がこれから行おうとしていることは何だ。
巡礼ではない。
調査でもない。
まして魔物討伐でもない。
言葉を選んでも意味は変わらない。
それは。
他国への武力侵入だった。
しかも勇者を伴った。
王国最強戦力による侵攻。
相手から見れば明白な軍事行動だ。
最悪の場合。
戦争の火種になる。
レオニスの背筋を冷たい汗が流れた。
自分が想像していたより、はるかに状況は危険だった。
そして何より。
その可能性に、王国の誰一人として気づいていないかもしれない。
その事実が。
何より恐ろしかった。
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