魔王国?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の一角にあるレオニスの屋敷は、古くから続く士族の館だった。
王家に連なるような大貴族ではない。
かといって没落寸前というわけでもない。
代々、騎士として王国に仕え続けてきた家柄らしい堅実さがある。
広すぎない庭。
手入れの行き届いた石畳。
季節の花々。
五名ほどの使用人たちが交代で働いており、静かで落ち着いた空気が流れていた。
その庭の中央。
一人の少女が立っている。
アウレリアだった。
目を閉じている。
両腕は自然に下ろされている。
呼吸は一定。
まるで彫像のように動かない。
しかし額には汗が滲み、時折眉がわずかに動く。
何かと戦っているようにも見えた。
しばらく眺めていたレオニスは首を傾げた。
「何とも分からないなぁ」
思わずそんな感想が漏れる。
剣の修行。
そう聞けば普通は想像するものがある。
走り込み。
筋力鍛錬。
素振り。
型の反復。
あるいは剣術書の研究。
実戦経験の積み重ね。
強くなるための方法はいくらでもある。
少なくともレオニスの知る範囲ではそうだった。
だが、アウレリアは違う。
そもそも剣を振っていない。
身体も動かしていない。
ただ立っているだけだ。
それなのに本人は真剣そのものだった。
以前、どういう修行をしているのか尋ねたことがある。
その時の返答を、レオニスは今でも鮮明に覚えていた。
「あたしが、あたしを、どうしたら強くなったら良いかを教えてくれる」
意味が分からなかった。
本気で理解できなかった。
何度考えても理屈にならない。
だが実際にアウレリアは強くなっていた。
常識では説明できない速度で。
まるで未来の自分が答えを教えているかのように。
まるで才能そのものが人格を持っているかのように。
その異常さに気付いた時、レオニスは絶句した。
天才。
そんな言葉では足りない。
努力家でもない。
秀才でもない。
もっと別の何かだった。
レオニスにはとても理解出来ない。
いや、誰が理解出来るのだろうか。
アウレリアは必要だと思えば習得する。
剣を必要と感じれば剣を学ぶ。
槍を必要と感じれば槍を学ぶ。
弓を必要と感じれば弓を学ぶ。
戦いに必要ならば身体術も覚える。
理屈より先に結果へ辿り着く。
だから彼女は平然と自分を武芸百般だと言う。
最初は誇張だと思った。
だが今では違う。
事実なのだ。
だからこそ恐ろしい。
「何て、反則級の力なんだろう」
レオニスは、呆れを通り越して、そう表現するしかなかった。
才能という言葉がこれほど理不尽に思えたことはない。
普通の人間なら何年も費やすことを、彼女は短期間で越えてしまう。
努力が無意味になるわけではない。
だが努力だけでは届かない領域が確かに存在する。
そしてアウレリアは、その中心に立っていた。
しかし。
そんな彼女にも壁はあるらしい。
しばらく沈黙が続いた後だった。
完璧に見える勇者。
だが次の瞬間――
「だぁ!駄目だ、また駄目だ!」
突然、アウレリアが大声を上げた。
閉じていた目を開く。
悔しそうに頭を掻く。
先ほどまでの神秘的な雰囲気が一瞬で吹き飛んだ。
思わずレオニスは肩を震わせる。
どれだけ規格外でも。
どれだけ天才でも。
こういうところは年相応だった。
アウレリアは不機嫌そうな顔で空を見上げる。
額には汗。
瞳には苛立ち。
どうやら本当に上手くいっていないらしい。
少なくとも今この瞬間、勇者アウレリアは万能ではなかった。
だからこそ、なおさら目が離せない。
彼女は今も修行の最中だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「また、やられた」
アウレリアは悔しそうに吐き捨てた。
そのまま額の汗を乱暴に拭う。
先ほどまで庭の中央で目を閉じていたのも、ただ立ち尽くしていたわけではない。
アウレリアなりの修行だった。
イメージトレーニング。
そう説明されている。
頭の中で敵を作り出し、その相手と戦う。
言葉だけなら珍しくもない訓練法だ。
だが、アウレリアの場合は少し事情が違う。
彼女の想像は、あまりにも鮮明だった。
戦場の風。
相手の呼吸。
筋肉の動き。
視線の揺れ。
殺気。
癖。
それらを再現し、自分自身を実際に戦わせる。
だから結果も出る。
負ければ敗因がわかる。
勝てば次の敵が現れる。
昔からアウレリアはそうして強くなってきたらしい。
最初の敵は自分自身。
自分を倒したら、その倒された自分が新しい敵になる。
敵となったアウレリアは対策を始める。
剣で勝たれたなら槍を持つ。
槍で負けたなら弓を持つ。
弓で負けたなら別の方法を考える。
そして、その敵をまた倒す。
延々と繰り返す。
聞いた時、レオニスは素直に納得した。
確かにアウレリアならやりそうだった。
常人なら途中で嫌になる。
だが彼女は違う。
負けることすら楽しそうに分析する。
だから強くなる。
だから誰も追いつけない。
「ファイさん相手なら、結構いいとこまでいけつつあるよ。手ごたえは掴んできたけど、あいつは駄目だ」
アウレリアは空を見上げながら呟いた。
名前は出さない。
だがレオニスには分かる。
巡礼の地で出会った存在。
あの圧倒的な戦士。
――ヴァルド。
思い出しただけで背筋が冷える。
帝国軍最強。
いや、そんな言葉ですら足りない。
アウレリアとファイの戦いを見た。
あれだけでも常識を超えていた。
だがヴァルドは、その遥か先にいた。
戦闘ですらなかった。
勝負にもならなかった。
ただ格の違いを見せつけられただけだった。
「……たぶん、次やっても結果は同じだ……」
そう言いながらアウレリアは後ろへ倒れ込む。
大の字になって芝生へ寝転がった。
レオニスは近づき、水筒を差し出す。
「今は何回挑んだの?」
「……十回」
水筒を受け取りながら答える。
そして少し間を置いた。
「……×十周」
ごくりと水を飲む。
レオニスは思わず目を丸くした。
百回。
つまり百回負けたということだ。
見れば腕や肩には薄い痣が浮かんでいる。
実際に戦ったわけではない。
だが脳が受けた負荷は本物だった。
痛みも。
疲労も。
敗北感も。
身体にまで影響している。
それほど過酷な訓練なのだろう。
「……届きそうなの?」
レオニスは静かに尋ねた。
少しだけ間が空く。
空へ向けて伸ばされた手。
まるで何かを掴もうとしているようだった。
握った拳が震える。
それでもアウレリアは答えた。
「……届かせる……」
返ってきたのは短い言葉だった。
根拠はない。
理屈もない。
だが不思議と冗談には聞こえなかった。
人はアウレリアを天才と呼ぶ。
何でもできる勇者。
選ばれた才能。
眩しいほどの資質。
だが、その才能を持ってしても届かない場所がある。
理不尽なほど高い壁がある。
現実は平等ではない。
それでも。
彼女は手を伸ばすことをやめない。
「……アウレリア、旅立てそうかい?」
レオニスはそう尋ねた。
答えがどうであれ。
魔王国へ向かうことは、もう決まっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「旅立つ?どこに?」
地面に寝転がっていたアウレリアは、片腕で額の汗を拭いながら尋ねた。
レオニスは少しだけ間を置いて答える。
「魔王国です」
その言葉を聞けば、普通は驚く。
少なくともレオニスはそう思った。
王国に生きる人間にとって、魔王国とは伝承や神話の中にしか存在しないような土地だ。
実在するとしても遠い異国。
未知の世界。
そんな場所なのだから。
だが――。
「魔王国?」
アウレリアは勢いよく飛び起きた。
まるで跳ね起きた猫のような動きだった。
「“あそこ”に行くの?」
「そうだけど」
反応がおかしい。
驚いているというより、知っている場所の名前を聞いた時の反応だ。
レオニスは思わず眉をひそめた。
「……ひょっとして、行ったことあるの?」
「?」
アウレリアは不思議そうな顔をした。
「もちろんあるわよ」
あまりにも自然な返答だった。
まるで近所の市場に行ったことがあるかと聞かれたかのような口調。
レオニスは思わず額を押さえた。
魔王国。
王国中の学者が記録を漁り、歴史家が議論し、イシュリアンが調査していた土地。
その情報源が、なぜか目の前にいた。
「……いや、待って」
冷静になろうとする。
よく考えれば不自然ではない。
アウレリアは王国生まれではない。
どこから来たのかも知らない。
王国へ現れる以前、どこを旅していたのかも知らない。
知っているのは、突然現れて勇者になったという事実だけだ。
出自を語らない。
過去を語らない。
聞かれれば答えることもあるが、自分から話すことはまずない。
それがアウレリアだった。
(そういえば……)
レオニスは今さら気づく。
(なぜ旅をしていたのかも聞いたことがなかったな)
不思議なことだった。
気にならなかったわけではない。
だがアウレリアといると、そうした疑問が後回しになってしまう。
彼女自身があまりにも強烈だからだ。
「アウレリア」
「なに?」
「魔王国って、どんなところなんだい?」
ようやく本題を尋ねる。
するとアウレリアは腕を組み、少しだけ考え込んだ。
真面目に思い出しているらしい。
そして数秒後。
「お肉は、そこそこ美味しいわよ」
「……はい?」
「スパイスの種類が少ないのが減点ね」
レオニスは沈黙した。
質問の意図が伝わっていない。
「僕は食事の感想を聞きたいわけじゃないんだけど」
「そう?」
アウレリアは首を傾げる。
「野菜はちょっと少なめね。あと地域によって味付けが結構違うわ」
「だから、そういう話じゃなくて」
「でも旅の楽しみって食事でしょ?」
心底当然そうに言う。
「名物料理を食べない旅なんて半分損してるじゃない」
「そこは否定しないけど!」
レオニスは思わず声を上げた。
会話がまったく前に進まない。
しかしアウレリアは悪気なく頷いている。
本気で重要情報だと思っているらしい。
レオニスは小さくため息をついた。
遠回りはやめよう。
率直に聞くべきだ。
「魔王国には魔王がいるの?」
その瞬間だった。
アウレリアは即答した。
迷いもなければ、考える素振りもない。
「いるに決まってるじゃない」
あまりにも当たり前の口調だった。
まるで、
空には太陽がある。
海には魚がいる。
そう言うのと変わらない調子で。
アウレリアは断言した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




