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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
魔王国編
107/132

魔王討伐令

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の地での儀式を終え、アウレリアたちは王都へと帰還した。


だが、謁見の間に立つのは二人だけだった。


聖騎士グラーディス・エルマナート。


聖導師イシュリアン・メルカディア。


勇者アウレリアは負傷療養中。


姫巫女フィデリアは、戦死したと公表されたゼルハインの喪に服している。


そういうことになっていた。


王座の前には王国の重臣たちが並び、その奥には教会関係者や有力貴族の姿も見える。


巡礼成功の報は、すでに王都全域へ広まっていた。


「大義であったな、グラーディスよ」


国王の声が広間に響く。


グラーディスは片膝をついたまま静かに頭を垂れた。


「はい、国王陛下」


歓喜に満ちた空気が広間を包んでいる。


悲願だった巡礼の達成。


それは王国史に刻まれる偉業だった。


だが同時に、神より授かった聖槍を失ったという事実も存在する。


その報告がなされた時、多くの貴族は露骨に落胆した。


しかし、その代わりに聖剣、聖盾、聖杖がさらなる力を得たと知ると、失望はすぐに喝采へ変わった。


誰もが結果だけを見ていた。


グラーディスは伏せた瞳の奥で冷めた思考を巡らせる。


(……終わってはいない)


(これからが本番だろう)


巡礼で見たもの。


聞いた言葉。


そしてゼルハインが最後に託した真実。


それらは王都に帰ってきたからといって消えるものではなかった。


むしろ、これから向き合わねばならない問題ばかりだった。


その時、教皇がゆっくりと立ち上がる。


「我ら王国は悲願である聖地の巡礼を終えた」


広間が静まり返る。


「そして次なる悲願を成就させねばならん」


グラーディスの眉がわずかに動いた。


(……何を言うつもりだ)


教皇は両手を広げ、高らかに宣言する。


「すなわち――魔王国である」


その言葉に、広間はどよめいた。


グラーディスは表情を崩さない。


だが内心では警戒が走っていた。


魔王国。


ゼルハインが最後に示した次なる巡礼の地。


本来なら、この場で語られるはずのない名だった。


巡礼の真実を知る者は限られている。


グラーディス。


イシュリアン。


アウレリア。


レオニス。


そしてフィデリア。


あの戦いを共に潜り抜けた仲間たちだ。


グラーディスは全員に厳命していた。


巡礼で知った真実を口外するな、と。


誰も裏切らない。


その確信があった。


だからこそ理解できない。


思わず脳裏に浮かぶのは、一人の少女だった。


(……まさかな)


横目でイシュリアンを見る。


彼女もまた困惑した表情を浮かべていた。


どうやら事情を知っている様子はない。


だが、事態はさらに予想外の方向へ進む。


「かつて勇者は魔王国の魔王を討ち、その民より多くの富を譲り受けたという」


列席者一堂は、目を見開いていた。


「そして魔王国より得た富は王国繁栄の礎となった」


教皇は続ける。


「そして今、魔王国に新たな魔王が現れたとの報が届いた」


広間の空気が熱を帯びる。


「その魔王が王国の脅威となるか否かは定かではない」


「だが、脅威となってからでは遅い」


「勇者と聖者たちは、魔王国の魔王討伐を国命とする」


グラーディスは目を見開きそうになるのを必死に抑えた。


魔王。


王族として数々の軍議に参加してきたが、この情報は一度も耳にしたことがない。


(……魔王だと)


(……どうなっているんだ……)


隣のイシュリアンも沈黙している。


冷静な彼女ですら、この状況を整理しきれていないのが分かった。


しかし周囲の反応は違った。


「勇者様がおられるなら安心だ」


「今度も王国が勝つ」


「再び栄光を手にするのだ」


期待と興奮。


誰もが勝利を疑っていない。


王国の未来。


王国の繁栄。


王国の正義。


その名の下に、人々は新たな敵の出現を歓迎していた。


魔王国の魔王。


その存在が真実なのかすら分からないまま。


こうして王国は新たな大義を掲げる。


民を守るため。


王国を栄えさせるため。


その旗印の下で、運命は再び大きく動き始めていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「――と、いうことがあったんだよ」


柔らかな声が執務室に響く。


王城の一角。


第三王子グラーディス・エルマナートに与えられた専用執務室だった。


重厚な扉は閉ざされ、窓にも防音結界が張られている。


その部屋の来客用の椅子に腰掛けていたレオニスは、先ほど聞かされた内容を整理しきれずにいた。


魔王国。


魔王討伐。


そして王国上層部の決定。


どれも一介の文官が耳にしてよい話ではない。


「あのー、エルマナート様。そのような国家機密を私に軽々しく話してよろしいので?」


恐る恐る問いかける。


するとグラーディスは、まるで世間話でもしているかのような気軽さで肩を竦めた。


「ああ、安心してくれていいよ。人払いもしてあるし、防音の魔法道具も使っているからね」


「いえ、そういうこと以前に、私を個人的に呼び出していること自体が問題なのですが……」


レオニスは思わず額を押さえた。


巡礼の旅では共に行動した。


だが、ここは王都だ。


あの旅路の特殊な環境とは違う。


目の前にいるのは王国第三王子。


しかも次代の中枢に関わる人物である。


対して自分は士爵家出身の下級文官。


身分差など考えるまでもない。


それなのに王族の執務室へ直接呼び出されている。


異常事態以外の何物でもなかった。


「ああ、それも気にしなくていい」


グラーディスは相変わらず軽い調子だった。


嫌味も威圧感もない。


それどころか本気で何も問題ないと思っている顔だった。


「レオニスは私の専任首席文官になる予定だからね。もう通達も済んでいる」


「…………は?」


数秒遅れて理解が追いつく。


そして心臓が止まりかけた。


(な、何だそれ!?)


専任首席文官。


王族直属。


しかも第三王子付き。


下級文官からすれば、文字通り人生がひっくり返る人事である。


「あの、エルマナート様。いくら何でもお戯れが過ぎるのでは……」


「以降、二人の時は私のことはグラディで構わないよ」


「いえ、そんなの無理ですよ」


反射的に否定していた。


むしろそれ以外の返答ができない。


王族を愛称で呼ぶなど、胃が痛くなる未来しか見えなかった。


しかしグラーディスは楽しそうに微笑む。


長い黒髪がさらりと肩を流れた。


「私は君とは立場抜きで話したいんだよ」


「それが一番難しいんです」


レオニスは即答した。


巡礼中ならまだしも、王都では無理だ。


常識が許さない。


だが王族相手に正面から拒否することもできない。


苦悩した末に、なんとか妥協案を捻り出した。


「せめて、グラーディス様から始めさせてください」


「ふふっ、それでも十分前進かな」


どこか満足そうな返答だった。


レオニスは内心で頭を抱える。


なぜ自分がこんな状況に置かれているのか理解できない。


すると、それまで笑みを浮かべていたグラーディスの表情が少しだけ変わった。


穏やかなままだが、瞳の奥に真剣さが宿る。


「ま、私としても信頼できる人物が欲しいんだ」


「どういうことですか?」


問い返すと、グラーディスは少しだけ視線を落とした。


「レオニスには分からないだろうけれどね」


静かな声だった。


王族としてではない。


一人の青年として漏れ出たような声音。


「私にとって、あの巡礼で得た数少ないプラスなんだよ。君は」


レオニスは言葉の意味を理解できなかった。


巡礼は王国の悲願だったはずだ。


英雄として迎えられたグラーディスが、なぜそんなことを言うのか。


だが、その金色の瞳に浮かぶ微かな寂しさだけは見て取れた。


巡礼で何かを得た者。


そして何かを失った者。


その両方が目の前にいるのだと、漠然と感じる。


グラーディスはそれ以上説明しなかった。


ただ静かにレオニスを見ている。


まるで、その存在を確かめるように。


そして彼自身も気付いていた。


次なる旅路。


魔王国への出征。


その先で必要になるのは武力だけではない。


だからこそ、レオニスという存在を手放してはならないと感じていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「少々強引だったかな。でも必要だと思ったんだ」


悪びれた様子もなく、グラーディスはそう言った。


長い黒髪を肩越しに流しながら微笑む姿は、絵画から抜け出してきた王子のようだった。


だが、レオニスには別の感想しか浮かばない。


「いえ、まあ、はい……」


納得はしていない。


しかし王族相手に反論できるほど図太くもなかった。


結局、曖昧な返事しか出てこない。


巡礼の旅では気付かなかった。


いや、気付けなかったと言うべきかもしれない。


目の前の青年は、やはり王族なのだ。


善意で行動している。


悪意もない。


だが、思い立ったら周囲の事情を飛び越えて実行してしまう。


その感覚がどこか普通ではない。


(変な距離感になったよね、絶対)


レオニスは内心でため息をついた。


今さら人事を覆せるとも思えない。


だからこそ、せめて理由だけでも聞いておきたかった。


「なぜ、僕なんですか?」


その問いに、グラーディスは不思議そうに瞬きをした。


「? なぜ、そんなことを確認するんだい?」


本気で分かっていない顔だった。


レオニスは少しだけ言葉を選ぶ。


「たとえば、メルカディア様に相談役をお願いするとか……」


「リアンかい?」


自然に出た愛称。


レオニスは一瞬だけ思考が止まった。


(あれ? グラーディス様、メルカディア様を愛称呼び?)


どうでもいいところが妙に気になる。


巡礼の旅という特殊な環境で仲間意識が生まれたのだろうか。


そんなことを考えていると、グラーディスは軽く首を振った。


「彼女は信頼できるよ」


その言葉に嘘はない。


むしろ絶対的な信頼が感じられる。


だが、その後に続いた言葉は別だった。


「信頼できるが、軽々しく話せないさ」


当然のことを言うような口調だった。


レオニスも納得する。


イシュリアン・メルカディア。


表向きは無位無官。


しかし実態は教会中枢に連なる聖導師だ。


王族と教会。


協力関係ではある。


だが、決して同じ組織ではない。


王族の悩みを何でも話せる相手ではなかった。


「それは、そうですね」


「だろう?」


グラーディスは微笑む。


レオニスはさらに考えた。


巡礼の仲間なら他にもいる。


自然と二人の名前が浮かぶ。


勇者アウレリア。


姫巫女フィデリア。


だが、口を開くより早くグラーディスが言った。


「彼女たちは、あまり当てにしてはいけないのでね」


即座の却下だった。


理由を聞かなくても分かる。


あの二人は相談役には向いていない。


行動力はある。


信念もある。


だが、どちらも自分の道を真っ直ぐ進む人間だ。


王都の政治や権力闘争を整理する役割には向いていない。


「まぁ、そうなりますよね」


レオニスは苦笑した。


グラーディスも小さく笑う。


その空気が少し和らいだ頃、不意にグラーディスの表情が真剣なものへ変わった。


「では、レオニス」


金色の瞳が向けられる。


「今回の出征の件は、率直にどう感じた?」


その問いに、レオニスはすぐには答えなかった。


考える。


与えられた情報を整理する。


王国上層部の命令。


魔王国。


魔王討伐。


しかし、そのどれも根拠が曖昧だ。


やがて結論が出る。


「……分かりません」


静かな返答だった。


グラーディスは何も言わない。


続きを促すように見つめている。


「情報が少なすぎて分かりません」


それが正直な答えだった。


敵が何者なのか。


魔王が本当に存在するのか。


王国の判断が正しいのか。


何一つ確証がない。


だから判断できない。


無理に結論を出すべきではない。


その答えを聞き、グラーディスは静かに目を細めた。


満足していた。


やはり間違っていなかった。


権威に迎合しない。


分からないことを分からないと言える。


それは簡単なようで難しい。


巡礼の旅で痛感したことだった。


無知のまま進んだ結果、多くの真実を見落とした。


そして最後には、ゼルハインを失った。


あの喪失は今も胸に残っている。


だからこそ、次は違う。


魔王国という未知へ向かうのなら。


剣だけでは足りない。


力だけでも足りない。


知ることが必要だ。


事実を見極める目が必要だった。


そのために、レオニスという存在は欠かせない。


グラーディスは改めて確信していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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