魔王討伐令
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の地での儀式を終え、アウレリアたちは王都へと帰還した。
だが、謁見の間に立つのは二人だけだった。
聖騎士グラーディス・エルマナート。
聖導師イシュリアン・メルカディア。
勇者アウレリアは負傷療養中。
姫巫女フィデリアは、戦死したと公表されたゼルハインの喪に服している。
そういうことになっていた。
王座の前には王国の重臣たちが並び、その奥には教会関係者や有力貴族の姿も見える。
巡礼成功の報は、すでに王都全域へ広まっていた。
「大義であったな、グラーディスよ」
国王の声が広間に響く。
グラーディスは片膝をついたまま静かに頭を垂れた。
「はい、国王陛下」
歓喜に満ちた空気が広間を包んでいる。
悲願だった巡礼の達成。
それは王国史に刻まれる偉業だった。
だが同時に、神より授かった聖槍を失ったという事実も存在する。
その報告がなされた時、多くの貴族は露骨に落胆した。
しかし、その代わりに聖剣、聖盾、聖杖がさらなる力を得たと知ると、失望はすぐに喝采へ変わった。
誰もが結果だけを見ていた。
グラーディスは伏せた瞳の奥で冷めた思考を巡らせる。
(……終わってはいない)
(これからが本番だろう)
巡礼で見たもの。
聞いた言葉。
そしてゼルハインが最後に託した真実。
それらは王都に帰ってきたからといって消えるものではなかった。
むしろ、これから向き合わねばならない問題ばかりだった。
その時、教皇がゆっくりと立ち上がる。
「我ら王国は悲願である聖地の巡礼を終えた」
広間が静まり返る。
「そして次なる悲願を成就させねばならん」
グラーディスの眉がわずかに動いた。
(……何を言うつもりだ)
教皇は両手を広げ、高らかに宣言する。
「すなわち――魔王国である」
その言葉に、広間はどよめいた。
グラーディスは表情を崩さない。
だが内心では警戒が走っていた。
魔王国。
ゼルハインが最後に示した次なる巡礼の地。
本来なら、この場で語られるはずのない名だった。
巡礼の真実を知る者は限られている。
グラーディス。
イシュリアン。
アウレリア。
レオニス。
そしてフィデリア。
あの戦いを共に潜り抜けた仲間たちだ。
グラーディスは全員に厳命していた。
巡礼で知った真実を口外するな、と。
誰も裏切らない。
その確信があった。
だからこそ理解できない。
思わず脳裏に浮かぶのは、一人の少女だった。
(……まさかな)
横目でイシュリアンを見る。
彼女もまた困惑した表情を浮かべていた。
どうやら事情を知っている様子はない。
だが、事態はさらに予想外の方向へ進む。
「かつて勇者は魔王国の魔王を討ち、その民より多くの富を譲り受けたという」
列席者一堂は、目を見開いていた。
「そして魔王国より得た富は王国繁栄の礎となった」
教皇は続ける。
「そして今、魔王国に新たな魔王が現れたとの報が届いた」
広間の空気が熱を帯びる。
「その魔王が王国の脅威となるか否かは定かではない」
「だが、脅威となってからでは遅い」
「勇者と聖者たちは、魔王国の魔王討伐を国命とする」
グラーディスは目を見開きそうになるのを必死に抑えた。
魔王。
王族として数々の軍議に参加してきたが、この情報は一度も耳にしたことがない。
(……魔王だと)
(……どうなっているんだ……)
隣のイシュリアンも沈黙している。
冷静な彼女ですら、この状況を整理しきれていないのが分かった。
しかし周囲の反応は違った。
「勇者様がおられるなら安心だ」
「今度も王国が勝つ」
「再び栄光を手にするのだ」
期待と興奮。
誰もが勝利を疑っていない。
王国の未来。
王国の繁栄。
王国の正義。
その名の下に、人々は新たな敵の出現を歓迎していた。
魔王国の魔王。
その存在が真実なのかすら分からないまま。
こうして王国は新たな大義を掲げる。
民を守るため。
王国を栄えさせるため。
その旗印の下で、運命は再び大きく動き始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――と、いうことがあったんだよ」
柔らかな声が執務室に響く。
王城の一角。
第三王子グラーディス・エルマナートに与えられた専用執務室だった。
重厚な扉は閉ざされ、窓にも防音結界が張られている。
その部屋の来客用の椅子に腰掛けていたレオニスは、先ほど聞かされた内容を整理しきれずにいた。
魔王国。
魔王討伐。
そして王国上層部の決定。
どれも一介の文官が耳にしてよい話ではない。
「あのー、エルマナート様。そのような国家機密を私に軽々しく話してよろしいので?」
恐る恐る問いかける。
するとグラーディスは、まるで世間話でもしているかのような気軽さで肩を竦めた。
「ああ、安心してくれていいよ。人払いもしてあるし、防音の魔法道具も使っているからね」
「いえ、そういうこと以前に、私を個人的に呼び出していること自体が問題なのですが……」
レオニスは思わず額を押さえた。
巡礼の旅では共に行動した。
だが、ここは王都だ。
あの旅路の特殊な環境とは違う。
目の前にいるのは王国第三王子。
しかも次代の中枢に関わる人物である。
対して自分は士爵家出身の下級文官。
身分差など考えるまでもない。
それなのに王族の執務室へ直接呼び出されている。
異常事態以外の何物でもなかった。
「ああ、それも気にしなくていい」
グラーディスは相変わらず軽い調子だった。
嫌味も威圧感もない。
それどころか本気で何も問題ないと思っている顔だった。
「レオニスは私の専任首席文官になる予定だからね。もう通達も済んでいる」
「…………は?」
数秒遅れて理解が追いつく。
そして心臓が止まりかけた。
(な、何だそれ!?)
専任首席文官。
王族直属。
しかも第三王子付き。
下級文官からすれば、文字通り人生がひっくり返る人事である。
「あの、エルマナート様。いくら何でもお戯れが過ぎるのでは……」
「以降、二人の時は私のことはグラディで構わないよ」
「いえ、そんなの無理ですよ」
反射的に否定していた。
むしろそれ以外の返答ができない。
王族を愛称で呼ぶなど、胃が痛くなる未来しか見えなかった。
しかしグラーディスは楽しそうに微笑む。
長い黒髪がさらりと肩を流れた。
「私は君とは立場抜きで話したいんだよ」
「それが一番難しいんです」
レオニスは即答した。
巡礼中ならまだしも、王都では無理だ。
常識が許さない。
だが王族相手に正面から拒否することもできない。
苦悩した末に、なんとか妥協案を捻り出した。
「せめて、グラーディス様から始めさせてください」
「ふふっ、それでも十分前進かな」
どこか満足そうな返答だった。
レオニスは内心で頭を抱える。
なぜ自分がこんな状況に置かれているのか理解できない。
すると、それまで笑みを浮かべていたグラーディスの表情が少しだけ変わった。
穏やかなままだが、瞳の奥に真剣さが宿る。
「ま、私としても信頼できる人物が欲しいんだ」
「どういうことですか?」
問い返すと、グラーディスは少しだけ視線を落とした。
「レオニスには分からないだろうけれどね」
静かな声だった。
王族としてではない。
一人の青年として漏れ出たような声音。
「私にとって、あの巡礼で得た数少ないプラスなんだよ。君は」
レオニスは言葉の意味を理解できなかった。
巡礼は王国の悲願だったはずだ。
英雄として迎えられたグラーディスが、なぜそんなことを言うのか。
だが、その金色の瞳に浮かぶ微かな寂しさだけは見て取れた。
巡礼で何かを得た者。
そして何かを失った者。
その両方が目の前にいるのだと、漠然と感じる。
グラーディスはそれ以上説明しなかった。
ただ静かにレオニスを見ている。
まるで、その存在を確かめるように。
そして彼自身も気付いていた。
次なる旅路。
魔王国への出征。
その先で必要になるのは武力だけではない。
だからこそ、レオニスという存在を手放してはならないと感じていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「少々強引だったかな。でも必要だと思ったんだ」
悪びれた様子もなく、グラーディスはそう言った。
長い黒髪を肩越しに流しながら微笑む姿は、絵画から抜け出してきた王子のようだった。
だが、レオニスには別の感想しか浮かばない。
「いえ、まあ、はい……」
納得はしていない。
しかし王族相手に反論できるほど図太くもなかった。
結局、曖昧な返事しか出てこない。
巡礼の旅では気付かなかった。
いや、気付けなかったと言うべきかもしれない。
目の前の青年は、やはり王族なのだ。
善意で行動している。
悪意もない。
だが、思い立ったら周囲の事情を飛び越えて実行してしまう。
その感覚がどこか普通ではない。
(変な距離感になったよね、絶対)
レオニスは内心でため息をついた。
今さら人事を覆せるとも思えない。
だからこそ、せめて理由だけでも聞いておきたかった。
「なぜ、僕なんですか?」
その問いに、グラーディスは不思議そうに瞬きをした。
「? なぜ、そんなことを確認するんだい?」
本気で分かっていない顔だった。
レオニスは少しだけ言葉を選ぶ。
「たとえば、メルカディア様に相談役をお願いするとか……」
「リアンかい?」
自然に出た愛称。
レオニスは一瞬だけ思考が止まった。
(あれ? グラーディス様、メルカディア様を愛称呼び?)
どうでもいいところが妙に気になる。
巡礼の旅という特殊な環境で仲間意識が生まれたのだろうか。
そんなことを考えていると、グラーディスは軽く首を振った。
「彼女は信頼できるよ」
その言葉に嘘はない。
むしろ絶対的な信頼が感じられる。
だが、その後に続いた言葉は別だった。
「信頼できるが、軽々しく話せないさ」
当然のことを言うような口調だった。
レオニスも納得する。
イシュリアン・メルカディア。
表向きは無位無官。
しかし実態は教会中枢に連なる聖導師だ。
王族と教会。
協力関係ではある。
だが、決して同じ組織ではない。
王族の悩みを何でも話せる相手ではなかった。
「それは、そうですね」
「だろう?」
グラーディスは微笑む。
レオニスはさらに考えた。
巡礼の仲間なら他にもいる。
自然と二人の名前が浮かぶ。
勇者アウレリア。
姫巫女フィデリア。
だが、口を開くより早くグラーディスが言った。
「彼女たちは、あまり当てにしてはいけないのでね」
即座の却下だった。
理由を聞かなくても分かる。
あの二人は相談役には向いていない。
行動力はある。
信念もある。
だが、どちらも自分の道を真っ直ぐ進む人間だ。
王都の政治や権力闘争を整理する役割には向いていない。
「まぁ、そうなりますよね」
レオニスは苦笑した。
グラーディスも小さく笑う。
その空気が少し和らいだ頃、不意にグラーディスの表情が真剣なものへ変わった。
「では、レオニス」
金色の瞳が向けられる。
「今回の出征の件は、率直にどう感じた?」
その問いに、レオニスはすぐには答えなかった。
考える。
与えられた情報を整理する。
王国上層部の命令。
魔王国。
魔王討伐。
しかし、そのどれも根拠が曖昧だ。
やがて結論が出る。
「……分かりません」
静かな返答だった。
グラーディスは何も言わない。
続きを促すように見つめている。
「情報が少なすぎて分かりません」
それが正直な答えだった。
敵が何者なのか。
魔王が本当に存在するのか。
王国の判断が正しいのか。
何一つ確証がない。
だから判断できない。
無理に結論を出すべきではない。
その答えを聞き、グラーディスは静かに目を細めた。
満足していた。
やはり間違っていなかった。
権威に迎合しない。
分からないことを分からないと言える。
それは簡単なようで難しい。
巡礼の旅で痛感したことだった。
無知のまま進んだ結果、多くの真実を見落とした。
そして最後には、ゼルハインを失った。
あの喪失は今も胸に残っている。
だからこそ、次は違う。
魔王国という未知へ向かうのなら。
剣だけでは足りない。
力だけでも足りない。
知ることが必要だ。
事実を見極める目が必要だった。
そのために、レオニスという存在は欠かせない。
グラーディスは改めて確信していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




