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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
106/132

立派な戦士だな

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



凪いだ海だった。


空と海の境界さえ曖昧になるほど静かで、どこまでも青が続いている。


潮騒だけが穏やかに響く世界。


アウレリアは、その景色をただ見つめていた。


言葉を失うほど美しい光景だった。


「よう、アウレリア。何、呆けてるんだよ」


聞き慣れた声が隣からした。


いつの間に現れたのか。


ゼルハインが気軽な様子で立っていた。


「あまりに綺麗な景色だから見入ってた」


「ほう、お前さんにも、そんな台詞が出るんだな」


「当たり前でしょ」


アウレリアは少し頬を膨らませる。


「あたしは、こんな景色が見たくて旅を始めたんだ」


その言葉に、ゼルハインは少しだけ目を細めた。


「そうか」


そして水平線を眺める。


「この景色は、俺も悪くないと思うぜ」


二人の間に静かな時間が流れる。


戦いもない。


使命もない。


ただ海を眺めるだけの時間。


それは旅人だけが知る贅沢だった。


やがてゼルハインが頭をかいた。


珍しく言いづらそうな顔だった。


「悪いが、俺は先にいかなくちゃならねぇ」


アウレリアが振り向く。


ゼルハインは笑っていた。


いつものように。


だが、その笑みの奥には確かな決意があった。


「俺は俺自身で決めた」


「行ってみたくなった」


「確かめてみたくなった」


何を。


どこへ。


その言葉は語られない。


それでもアウレリアには伝わった。


ゼルハインは自分で選んだのだ。


誰かに決められた道ではなく。


自分自身の道を。


「だが、お前は違うぜ」


ゼルハインは真っ直ぐに告げる。


「選ぼうが、選ぶまいが、お前の自由だ。アウレリア」


その言葉にアウレリアは首を傾げた。


難しい話をされると調子が狂う。


だから誤魔化すように笑った。


「何言ってるのよ、ゼル。そんな台詞で、あたしを口説いてるの?」


一瞬の沈黙。


そして。


ゼルハインは豪快に笑った。


「更に俺のために女を磨いて来てくれ。そしたら、叶えてやるよ」


「あっ――」


予想外の返しだった。


アウレリアの顔がみるみる赤くなる。


ゼルハインは楽しそうだった。


最後まで。


本当に最後まで。


その男らしかった。


やがてゼルハインは海へ足を踏み出す。


波が足元を濡らす。


それでも迷わない。


水平線の向こうへ向かうように歩き始める。


「じゃ、行ってくるぜ」


アウレリアは呼び止められなかった。


足も動かない。


ただ、その背中を見送る。


遠ざかる背中には悲壮感がなかった。


死地へ向かう者の影もない。


あるのは旅立つ者の期待だけだった。


未来へ向かう者だけが持つ輝き。


その姿は徐々に光へ溶けていった。


――――――


巡礼の地。


ヴァルドは静かに立っていた。


黄金の瞳が前を見据える。


「お前は、同意を選んだか」


誰に聞かせるでもない言葉。


ゼルハインの姿が粒子となって消えていく。


「そして仲間を私から逃がすため、あれ程の力を出した」


黒き聖剣が静かに鞘へ収まる。


金属音が小さく響いた。


「さらに、魂で私に吠えたか」


地面へ落ちた聖槍が淡く輝く。


その光もまた消えていく。


ヴァルドはしばらく沈黙した。


そして短く告げる。


「立派な戦士だな」


その一言には偽りがなかった。


強者が強者へ送る賛辞。


戦士が戦士へ送る敬意。


「今はお前に免じてもう少し時間をやろう」


静かな声だった。


「それがお前への褒美だ」


風が吹く。


次の瞬間。


ヴァルドの姿は消えていた。


最初から誰もいなかったかのように。


ただ静寂だけが残る。


勇者たちは届かなかった。


戦士の頂。


世界の天井。


ヴァルドという男へ。


だが、その背中を追う資格だけは。


確かに残されたのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



静寂が支配していた。


巡礼の地に吹く風だけが、かすかに草を揺らしている。


誰も言葉を発しない。


全員の視線は一人へ向けられていた。


横たわるアウレリアへ。


呼吸は安定している。


顔色も悪くない。


命に別状はないことは明らかだった。


フィデリアが聖剣の力を用いて治療を施した。


傷は塞がっている。


失われた血も補われている。


それでも。


アウレリアは目を覚まさなかった。


まるで遠い場所へ旅立っているように。


静かに眠り続けていた。


その時だった。


聖剣が震えた。


次の瞬間。


眩い光が巡礼の地を包み込む。


「っ――!」


グラディが思わず目を細める。


空気が震えた。


大地の奥底から何かが目覚めるような感覚。


神秘そのものが呼吸を始めたようだった。


そして異変は聖剣だけでは終わらない。


リアンの持つ聖杖。


グラディの持つ聖盾。


二つの聖具も同時に光を放ち始めた。


淡い輝きではない。


存在そのものを書き換えるような光。


杖の表面に新たな紋様が浮かぶ。


盾の縁には見たこともない装飾が現れる。


質量感が変わる。


放たれる神気が変わる。


まるで武具そのものが、一段上の存在へ到達したかのようだった。


「……これは」


グラディは息を呑む。


握った盾の感触が違う。


以前までとは比較にならない。


同じ盾でありながら、まるで別物だった。


リアンも震える瞳で杖を見つめる。


「どういうこと……」


困惑だけが広がる。


誰も答えを持たない。


――そのはずだった。


どさり。


不意に鈍い音が響いた。


振り返る。


レオニスが地面へ倒れていた。


「レオニス!?」


リアンが駆け寄ろうとして足を止める。


その前に立つ人物がいた。


「聞かせることのできない者には、眠っていてもらいました」


フィデリアだった。


聖剣を手にしたまま。


静かに。


まるで何かを決意したように立っていた。


「一つ目の巡礼が終わりました」


その声は不思議なほど落ち着いていた。


「同意者が選定者を認めるという形で」


リアンとグラディは言葉を失う。


フィデリアは続けた。


「人の望む“勇者の儀”は、次の段階に進みます」


その声音は重かった。


長い年月。


誰にも語れなかった秘密を。


ようやく吐き出しているようだった。


「そして――これは、人にとって過ぎた力でもあります」


空気が変わる。


張り詰める。


本能が警鐘を鳴らしていた。


聞いてはいけない真実を聞こうとしている。


そんな感覚だった。


フィデリアは二人を見る。


逃げることなく。


真っ直ぐに。


「貴方達は選定者の守護者です」


そこで言葉が途切れる。


短い沈黙。


だが、その沈黙の意味を理解できた者はいない。


そして。


フィデリアは告げた。


「同時に、抑止力です」


リアンの喉が鳴った。


理解してしまった。


守るだけではない。


支えるだけでもない。


選定者が道を踏み外した時。


力に呑まれた時。


暴走した時。


剣を向ける役目もまた。


自分たちなのだと。


「これは選定者には伝えられません」


フィデリアの声が震える。


初めてだった。


いつも穏やかな彼女が、こんな声を出すのは。


「裏切ることのできない、魂の誓いです」


ぽたり。


雫が落ちた。


フィデリアの瞳から零れた涙だった。


一滴。


また一滴。


止めることができない。


リアンもグラディも何も言えなかった。


今になって理解した。


フィデリアが何に苦しんでいたのか。


なぜ一人で背負っていたのか。


勇者の儀は続く。


だが。


もう以前と同じ旅ではない。


アウレリアの隣に立つということは。


いつか剣を向ける可能性を受け入れるということ。


守るために。


討つ覚悟を持つということ。


その重みだけが静かに胸へ沈んでいく。


遥か遠く。


空と大地の境界の先。


次なる巡礼の地。


魔王国への道だけが、静かに続いていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

次回からフィデリア編の次章になります

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