俺だけが届いた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
光が収まった。
巡礼の地を覆っていた奔流のような魔力が静まり、大地に再び静寂が戻る。
その中心に、一人の男が立っていた。
ゼルハイン・ヴァスリク。
失われたはずの左腕も、傷ついた身体も元に戻っている。
まるで何事もなかったかのように。
しかし、その赤い瞳だけは以前と違っていた。
何かを知り。
何かを受け入れ。
そして何かを諦めたような色を宿していた。
ゼルハインはゆっくりと息を吐く。
「……すまん、待たせた」
「?」
グラーディスは首を傾げた。
イシュリアンも理解できない。
当然だった。
ゼルハインが光に飲み込まれてから、現実では数秒しか経っていない。
だが本人だけは違う。
長い旅路を終えて戻ってきたような表情だった。
まるで戦場で幾度も死線を越えてきた男が、一夜で年を重ねたようように。
巡礼が現実だったことを示すものは一つだけ。
地面に倒れ込んでいるフィデリアだった。
顔色は悪い。
額には脂汗が滲んでいる。
まるで命を削るような代償を払ったかのように。
ゼルハインはそれを見て、ほんの少しだけ眉を歪めた。
だが何も言わない。
言えない。
知ってしまったからだ。
そして縛られてしまったからだ。
聖槍片手で軽く振るう。
槍身が風を裂いた。
そのままヴァルドの前へ歩き出る。
「……ここは俺に任せて、お前らはアウレリアたちを連れて、ここから去れ」
その言葉にグラーディスが目を見開いた。
「ゼルハイン!?」
「巡礼は終わった」
短い言葉だった。
だが断言だった。
ヴァルドの黄金の瞳が細められる。
わずかに眉が動いた。
それだけで十分だった。
この男が理解したことを、理解したということだからだ。
「後は仕上げだけだが、お前らに伝えることがある」
ゼルハインは二人を見る。
そして静かに告げた。
「次の巡礼の地は“魔王国”にある」
「次!?」
グラーディスとイシュリアンの声が重なった。
驚愕だった。
巡礼の地。
勇者の試練。
その終着点だと思っていた場所。
だが違った。
まだ先がある。
まだ終わっていない。
ゼルハインは苦笑する。
知らなかった頃なら、自分も同じ顔をしていただろう。
「なぁ、二人とも」
その声は弱かった。
どこか申し訳なさそうだった。
いつもの豪快なゼルハインらしくない。
「あいつらを……」
そこまで言って言葉が止まる。
喉が詰まったように。
何かに遮られたように。
「チッ……」
小さく舌打ちする。
伝えたい。
だが伝えられない。
巡礼の儀が課した禁則。
フィデリアと同じ枷。
それがゼルハインの口を封じていた。
グラーディスは何も聞かなかった。
イシュリアンも問い詰めなかった。
二人とも理解したからだ。
今のゼルハインは、自分たちの知らない何かを背負っている。
それだけは分かった。
だから黙って頷いた。
グラーディスはアウレリアを担ぐ。
イシュリアンは倒れたフィデリアを抱き起こす。
レオニスは大地に突き刺さった聖剣を抜いた。
その輝きは失われていない。
だが持ち主は意識を失っている。
レオニスは剣を強く握り締めた。
そして全員が巡礼の地から離れていく。
誰も振り返らない。
振り返れば足が止まる。
そんな予感があった。
やがて足音が遠ざかる。
残されたのは二人だけ。
ゼルハインとヴァルド。
王国最強の槍使い。
そして世界の天井。
ゼルハインは肩を回した。
笑みを浮かべる。
「待っていてくれたのは、俺への褒美かい、大将?」
ヴァルドは何も答えない。
だが去らせた。
それが答えだった。
ゼルハインは笑う。
心の底から。
「なら、華も添えてもらおうか」
聖槍を構える。
穂先がヴァルドを真っ直ぐに捉える。
恐怖はない。
迷いもない。
あるのは誇りだけだ。
仲間を逃がした。
役目は果たした。
ならば最後に示すべきは、自分の生き様。
未冠の武神。
王国の若狼。
ゼルハイン・ヴァスリクという男が、ここにいた証だった。
聖槍が唸る。
投擲の構え。
全身全霊。
命を賭けた一撃のために。
ゼルハインは誇るように笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴァルドは動かなかった。
剣も振らない。
避けようともしない。
ただ静かに立っている。
まるで来るべきものを待っているかのように。
その姿に、ゼルハインは思わず笑った。
強者は知っている。
逃げる必要のない領域を。
守る必要のない領域を。
そして目の前の男は、その頂に立っている。
それでも。
だからこそ。
胸の奥が熱くなる。
「俺ァこういう土壇場が嫌いじゃねぇ」
槍を握る手に力が籠もる。
足を開く。
重心を落とす。
必殺の間合い。
生涯を賭けて磨き上げた距離。
あと一歩近ければ鈍る。
あと一歩遠ければ届かない。
その一点。
そこにゼルハインは立った。
風が止む。
空気が沈黙する。
世界が静止したような錯覚。
巡礼の地。
その中心。
ただ一人。
槍使いだけが立っていた。
静かな声が漏れる。
「これは神の奇跡じゃねぇ」
聖槍を引く。
穂先が唸る。
青白い光が槍身を走った。
神に与えられた武器。
確かにそうだ。
だが。
ここに至るまでの道は違う。
「ガキの頃から最強を目指した一人の戦士が」
さらに引く。
筋肉が軋む。
骨が悲鳴を上げる。
それでも止めない。
止められない。
今ここで届かなければ、一生届かない。
「今まで磨き続けた」
大地が砕ける。
足元から放射状に亀裂が走った。
空が震える。
周囲の魔力が暴風となって吹き荒れる。
聖槍が悲鳴を上げる。
限界を超えた力。
神具でさえ耐え切れない領域。
「俺だけが届いた槍だ」
それは誇りだった。
誰かから与えられた力ではない。
選ばれたから得た力でもない。
血反吐を吐き。
死線を越え。
戦い続けた果てに辿り着いた場所。
未冠の武神。
王国の若狼。
ゼルハイン・ヴァスリク。
その人生そのもの。
だから。
笑った。
獰猛に。
晴れやかに。
戦いを愛した男らしく。
その瞬間だった。
槍が放たれる。
音を置き去りにした。
雷を追い越した。
視界から消えた。
いや。
消えたように見えただけだ。
流星となった聖槍が世界を裂いていた。
一直線。
ただ一人を貫くためだけに。
圧縮された光熱が槍身を包み込む。
荷電粒子が奔流となる。
巡礼の地が白く染まった。
「烈日の聖槍!」
咆哮。
それは必殺技の名であり。
人生の集大成だった。
次の瞬間。
太陽が落ちた。
轟音。
衝撃。
閃光。
世界そのものが吹き飛んだかのような爆発。
地平線まで白く染まる。
土砂が舞う。
大地が抉れる。
巨大な爆心地が生まれた。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ破壊だけが存在していた。
ゼルハインは肩の力を抜いた。
全力だった。
出し惜しみはない。
後悔もない。
だから自然と笑みが浮かぶ。
「すげぇな、あんたは」
感嘆だった。
畏怖だった。
そして納得だった。
爆煙の中心。
崩壊した大地の中央。
そこに一人の男が立っている。
黒い外套。
長い銀髪。
黄金の瞳。
ヴァルド。
傷一つない。
衣服一つ乱れていない。
まるで何事もなかったかのように。
その姿を見た時。
ゼルハインは理解した。
ファイが見ていた景色を。
アウレリアが恐れた理由を。
そして。
自分たちが挑んでいた存在の正体を。
高い山ではない。
越えるべき壁でもない。
天だ。
どれほど手を伸ばしても届かない。
どれほど強くなっても追いつけない。
世界の果て。
戦士の終着点。
ゼルハインは初めて。
天の高みを知った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




