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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
104/133

それが勇者っていうなら――

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



誰も、言葉を失っていた。


巡礼の地を吹き抜ける風だけが音を立てる。


アウレリアの聖剣は地面に突き刺さったまま。


その持ち主は空手だった。


ファイを打ち破った勇者。


誰よりも前へ進み続けた少女。


そのアウレリアが、たった一合で剣を失った。


しかも相手は傷一つ負っていない。


現実が理解できなかった。


ゼルハインは歯を食いしばる。


グラーディスは破損した聖盾を握り締める。


イシュリアンは震える手で聖杖を支えた。


神に授けられた武具。


神に選ばれた勇者。


その常識が目の前で崩壊していた。


さらに恐ろしいのは別の事実だった。


ヴァルドの握る黒い剣。


あれもまた聖剣だった。


フィデリアには分かる。


見間違えるはずがない。


神の加護。


聖なる波動。


全てが宿っている。


にもかかわらず、自分はあの剣を与えた記憶がない。


存在するはずがない。


だが存在している。


それが何よりも恐ろしかった。


沈黙の中、ヴァルドが静かに口を開く。


「……才能だけで、よくここまでたどり着いた」


その声音に嘲笑はない。


純粋な評価だった。


事実を述べるだけの口調。


だからこそ重い。


アウレリアは悔しそうに唇を噛む。


褒められている。


だが勝者からの賞賛だった。


そして圧倒的格上からの評価だった。


「……試しは終わりだ」


ヴァルドはそう告げた。


その言葉にフィデリアの肩が震える。


黒い聖剣が持ち上げられた。


ゆっくりと。


迷いなく。


その切っ先が向けられたのはアウレリアではない。


フィデリアだった。


「……この儀式は認められない……」


静かな宣告。


感情はない。


怒りも憎しみもない。


ただ結論だけが存在していた。


フィデリアは凍り付く。


身体が動かない。


本能が理解していた。


避けられない。


間に合わない。


ヴァルドが剣を振り下ろした。


黒い軌跡が空を裂く。


次の瞬間。


鮮血が舞った。


赤い飛沫が空中に散る。


「ああっ!!」


レオニスの叫びが響いた。


誰も予想していなかった。


誰よりも先に動いた者がいた。


フィデリアの前へ飛び込んだ影。


黒い刃はその身体を深々と斬り裂いていた。


アウレリアだった。


胸から腹にかけて大きく裂けた傷口。


鎧が真紅に染まる。


大量の血が地面へ滴り落ちる。


それでも倒れない。


膝を折らない。


少女は両足で立っていた。


フィデリアを背中に庇いながら。


「アウレリア!!」


フィデリアが悲鳴を上げる。


レオニスが駆け出そうとする。


しかしアウレリアは片手を上げて制した。


血を吐く。


唇から赤い筋が流れる。


それでも瞳だけは死んでいなかった。


真っ直ぐヴァルドを睨み返す。


「……何すんだ」


震える声。


だが怒りは消えていない。


「……あたしの大切な友達だぞ!」


叫びだった。


理屈ではない。


信念でもない。


ただ心から出た言葉だった。


胸を裂かれながら。


命を削られながら。


それでも最初に出てきたのは友を守る言葉だった。


血が流れる。


足元に赤い水溜まりが広がる。


それでもアウレリアは退かない。


聖剣を失った。


力の差も見せつけられた。


勝てないことも理解している。


それでも。


「……聖剣なんぞ、無くても」


肩で息をする。


身体が揺れる。


「……あたしはフィデリアを傷つけさせない!」


両腕を広げる。


まるで壁のように。


傷だらけの身体で。


友を守るためだけに立ち塞がる。


その姿に。


初めてだった。


ヴァルドの動きが止まる。


黒い聖剣を握ったまま。


世界の天井と呼ばれる男は。


ただ静かにアウレリアを見つめていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルドは静かにアウレリアを見つめていた。


胸から腹にかけて裂かれた傷口から血が流れ続けている。


それでも少女は退かない。


その姿を見ても、黄金の瞳は揺れなかった。


「……無駄なことだ」


低い声が響く。


「聖剣の力を解放すれば、人の壁など薄紙に等しい」


黒き聖剣の切っ先が持ち上がる。


そのままアウレリアの喉元へ。


冷たい刃先が肌に触れた。


「文字通りの無意味な行為だ」


「無意味じゃない」


即答だった。


傷の痛みなど感じていないかのように。


アウレリアは真っ直ぐヴァルドを睨み返した。


「誰でもない」


「あたしの意思で決めた事を」


「何も知らない、あんたに評価して欲しくない」


フィデリアが息を呑む。


レオニスも言葉を失う。


喉元に剣。


突き付けられる死。


それでも少女は視線を逸らさなかった。


誇りだけは譲らない。


それがアウレリアだった。


力を失っても。


勝てなくても。


守ると決めたものだけは捨てない。


「それで満足なら、もう問うまい」


ヴァルドは淡々と告げた。


まるで結論を下すように。


だが。


「無駄じゃねぇ!無意味でもねぇ!」


怒声が戦場を貫いた。


次の瞬間。


赤い閃光が飛び込む。


「ゼルハイン!」


グラーディスが叫ぶ。


聖槍を携えた男が笑っていた。


死地へ向かう者とは思えないほど豪快に。


「フィデリアを連れて逃げろ」


「こいつは正真正銘の負け戦だ」


その背中は大きかった。


仲間たちを守るため。


勝てないと理解した上で前へ出る。


武人としての覚悟だった。


ゼルハインは聖槍を構える。


全身の魔力を注ぎ込む。


「殿は武人の誉れってやつでね」


ヴァルドは何も答えない。


ただ一歩。


前へ出た。


それだけだった。


直後。


鮮血が舞う。


宙を回転する一本の腕。


それが何なのか理解するまで、誰も数秒を要した。


「――ぁ」


イシュリアンの喉から掠れた声が漏れる。


ゼルハインの左腕だった。


あまりにも一方的。


あまりにも圧倒的。


次元が違う。


その瞬間だった。


巡礼の地が震えた。


地面の亀裂から光が溢れ出す。


金色の奔流。


大地そのものが呼吸を始めたかのような膨大な魔力。


「なっ……!?」


レオニスが目を見開く。


光は渦となり、ゼルハインを包み込んだ。


傷口へ。


失われた腕へ。


狂ったような勢いで流れ込んでいく。


常識ではあり得ない現象。


だが。


ヴァルドだけは驚かなかった。


「フィデリア……」


静かな声。


黄金の瞳が一人の少女を見据える。


その意味を理解していた。


何が起きたのかを。


「“巡礼の儀”を起動したのか……」


フィデリアは立ち尽くしていた。


涙を流しながら。


震える肩。


苦しげな呼吸。


それでも止められなかった。


止まらなかった。


「裁定者の“本能”が出しゃばったか」


そこで初めて。


ヴァルドの表情がわずかに歪む。


小さな舌打ち。


それは怒りではない。


失望でもない。


哀れみだった。


「それは、お前が最も望まない結果を生むのだぞ」


重い言葉だった。


未来を知る者のような。


警告にも似た声音。


しかし。


フィデリアは涙を流しながら。


静かに。


薄く。


笑っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ここは、どこだ……」


ゼルハインが目を開けると、そこは白だけの世界だった。


空もない。


大地もない。


果てすら見えない。


ただ白い。


何も存在しない空間が広がっていた。


「ここは、お前の巡礼地だ、ゼルハイン」


聞き覚えのある声だった。


ゼルハインは振り返る。


「俺?」


そこに立っていたのは、自分だった。


顔も。


背格好も。


声も。


鏡写しのように同じ存在。


「んなことは、どうでもいい。早く俺を戻せ」


ゼルハインは苛立ったように言う。


今はこんな場所にいる場合ではない。


仲間がいる。


アウレリアがいる。


あの化け物みたいな男もいる。


「終わらせなければ、進めもしない」


もう一人のゼルハインは感情のない声で答えた。


「これは、巡礼の儀」


「これが正しく行われれば、選定者は新たな可能性を得る」


ゼルハインは頭をかいた。


難しい話は苦手だ。


だが結論だけは知りたい。


「アウレリアの奴が、また強くなるってことでいいのか?」


「その解釈で正しい」


もう一人の自分が頷く。


「正しくって言ったな」


「ああ」


「間違った場合、どうなるんだ?」


一瞬だけ沈黙が落ちた。


白い世界がさらに静かになった気がした。


「知る必要があるのか」


「いや、ねぇな」


ゼルハインは肩を竦める。


知らなければならないことと。


知らなくていいことがある。


今は前者ではない。


やるべきことだけ分かれば十分だった。


「試練は驚くほど単純だ」


もう一人のゼルハインが続ける。


「ゼルハイン、お前は“同意者”だ」


「“同意者”?」


「そうだ」


白い瞳が真っ直ぐ見つめてくる。


「お前は“選定者”に同意する者か?」


「“選定者”はアウレリアのことか?」


「そうだ」


そこから先。


言葉が続く。


だがその内容は誰にも聞こえない。


白い世界だけが知る会話。


王国の誰も知らない真実。


勇者の儀。


聖剣。


選定者。


同意者。


裁定者。


その意味。


その役割。


その果て。


語られるたびに、ゼルハインの表情が変わっていく。


驚愕。


困惑。


理解。


そして――納得。


長い沈黙が訪れた。


白い世界には風の音すらない。


ただ静寂だけが広がる。


やがてゼルハインは天を仰いだ。


「笑い話だ」


呟く。


どこか自嘲にも似た笑みだった。


「それが勇者っていうなら――」


赤い瞳が細められる。


「俺は最初から勇者になんてなれなかったんだ」


その言葉には悔しさはなかった。


むしろ晴れやかだった。


腑に落ちたのだ。


なぜ自分ではないのか。


なぜアウレリアだったのか。


なぜフィデリアが苦しんでいたのか。


すべてが一本の線で繋がった。


(なっていたら、俺は“選定者”なんかになれなかったろう)


苦笑する。


自分らしい結論だった。


今の選定者とは、自ら名乗るものではない。


自ら選ぶものでもない。


誰かに選ばれる者。


だからこそ特別だった。


だからこそ残酷だった。


そして。


その先に待つものも。


ようやく理解した。


(アウレリアの奴なら、届くかもしれねぇ)


期待があった。


信頼があった。


あの馬鹿みたいに真っ直ぐな少女なら。


誰よりも人間臭い勇者なら。


辿り着けるかもしれない。


だが同時に思う。


(が、アウレリアは選択できないかもしれねぇ……)


フィデリアが抱えていた苦悩。


その意味も理解してしまった。


だからこそ。


ゼルハインは黙り込む。


数秒。


数十秒。


長い沈黙。


そして――。


「ははっ」


笑った。


「ははははは!」


豪快に。


腹の底から。


白い世界に笑い声が響き渡る。


答えは決まった。


迷う必要もない。


ゼルハイン・ヴァスリクという男らしい結論だった。


未冠の武神。


王国の若狼。


その男は今、“同意者”としての答えを出そうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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